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政治に介入する宗教 ― それはどのような結果になるか目ざめよ! 1974 | 2月22日
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はいつまでも滅びることが」ありません。人間にその国を滅ぼすことができるかという点に関しては,霊感を受けたダニエルの預言はこう述べています。「その主権は他の民にわたされず,かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう」― ダニエル 2:44,口語。
教会の指導者たちは,神の天の王国が世から分離していることを信じているでしょうか。決してそうではありません! この問題に対する,聖書のこうした明白な立場を論ばくしようとして,「教会と政治権力」という小冊子は次のように述べています。「[教会と国家の間の]こうした関係は,両者の分離を示す聖句を偏狭な態度で読んだことによる」。彼らは,「聖句を[彼らのいうところの]偏狭な態度で読む」代わりに,何をするよう誠実な人びとを勧めていますか。
それを単に,政治や人間の企てた革命という別の品物に置き代えただけではないでしょうか。「不当な社会秩序をもたらす権力者の,主要な代理者あるいは連累者もしくは暗黙の証人」という,それまでの信仰に欠けた歩みの軽薄さを悟ってはいるものの,今や彼らは,神に対する信仰に向きつつあるでしょうか。さらに重要なこととして,彼らは,教会員の内に神の王国の福音に対する信仰を築いているでしょうか。それは僧職者の最大の責務です。記録はそれに対して明らかに,否と答えています。
政治に対する介入はどのような結果になるか
宗教が政治の領域に介入して過激な行動に出ることを,政治指導者たちはどう見ている,とお考えになりますか。宗教指導者たちは,自分たちは神を代表しているととなえているのだから危害を被ることはない,と期待できるでしょうか。彼らは,自分たちが政治上の干渉者とみなされ,またそう扱われていることをますます認識しつつあります。カトリックの定期刊行誌メアリーノールはそうした取り扱いに対する不満の意を次のように表明しています。
「忠誠を誓ったクリスチャンたちは,ラテンアメリカではますます多くの迫害に直面しつつある。……彼らは,ゲリラや共産主義者と同一視され,保守政権を脅かす政府転覆分子とみなされている。迫害は,霊的な理由よりも政治的な理由による」― 1973年2月号,47ページ。(下線は当誌発行者)
こうした苦しみが神の是認をもたらすとお考えになりますか。使徒ペテロによって語られた次の原則に注目してください。「キリストの名のために非難されるなら,あなたがたは幸いです。……しかしながら,あなたがたのだれも,……他人の事に干渉する者として苦しみに遭ってはなりません」― ペテロ第一 4:14,15,新; ロザハム訳,バークリー訳。
この点を念頭に置きながら,最近のフランスの核実験問題に関連してニューヨーク・タイムズ紙が掲載した次の報道に注目してください。
「軍部は僧職者に次のことを要請している。僧職者は国政に干渉してはならず,カエサルに属するものをカエサルに委ね,施しを行なうことと,信仰を宣べ伝えることに励むべきである。……軍人は,『我が王国はこの世のものならず』というイエスの訓戒のことばに教会当局者が従っていないとして非難している。教会当局者は,僧職者の務めが変わりつつあることを軍人が認めなかったとして,彼らを激しく責めている」― 1973年7月18日付,同紙。
政治に介入するこうした僧職者の歩みは,最終的にどのような結果になるでしょうか。
政治に介入する宗教の将来はなにか
聖書は,神が,宗教と政治の間の関係をどうみなしておられるかを写実的に描いています。それは「姦通の」行為と呼ばれ,不義の性関係にたとえられています。(ヤコブ 4:4,エルサレム聖書)それゆえ,「啓示」の中では,世界の宗教が歴史の中で果たした役割は,適切にも,『地上の王たちが淫行をした……淫婦』の役割に似たものとして表わされています。―啓示(黙示)17:2,バルバロ。
しかし聖書は,この淫婦にとってまもなく事態が変化することを示しています。自分たちの権威を世界的な政治機構,つまり(「けもの」として示されている)国際連合に与えるすべての政治支配者たちは,ここで,『自分たちの力と権利とをけものに与えるために心を一つにする』「十人の王」を表わす「十の角」として描かれています。次いで「啓示」はことばを続け,『十の角とけものとが,その淫婦をにくみ,その服をはいで丸裸にし,その肉を食い,そして焼きつくす』時がまもなく訪れることを指摘しています。それまでこの淫婦を快く思っていた彼らは,彼女を「にくみ」,その実体をすべての人の前に明らかにし,そうした後に彼女を滅ぼす,しかるべき理由を見いだします。―啓示 17:12,13,16,バルバロ。
現在,世界の宗教は,信仰という隠れみのの背後で,自分たちは安全であると感じています。聖書が述べているように,彼女は,「私は女王の座にいる。やもめではない。悲しみを見ることはあるまい」と言っています。しかし同時に,聖書は次のようにも予告しています。「それがために,さまざまの災害……が一日のうちにその身に(来る。)……それを審いた神なる主は,権勢あるお方だからである」― 啓示 18:7,8,バルバロ。
ですから,政治に介入する宗教は,神の裁きを受け,政治支配者自身の手による予期しない滅びを被る結果になります。そして,予告されているその滅びは,驚くほど突然に襲ってきます。
そうした結末を避けるために,誠実なクリスチャンは何をすることができるでしょうか。「啓示」はその点を不確かなままにしてはいません。わたしたちにこう勧めています。「私の民よ,町[彼女,エルサレム訳]を出て,その罪にあずからず,それを打つ災難を受けないようにせよ」― 啓示 18:4,バルバロ。
ですから,神を喜ばせる崇拝を行ないたいと誠実に願う人は,世の政治に汚された宗教から確かに『出る』ことでしょう。そして,その代わりに,「父なる神のみまえに,清くけがれのない宗教」を受け入れることでしょう。そうした宗教を実践する真のクリスチャンは,『世の汚れにそま[って]いません』。エホバの証人は,あなたがそうした生活を送るよう喜んでご援助いたします。―ヤコブ[ヤコボ] 1:27,バルバロ。
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フィジー諸島 太平洋に浮かぶパレット目ざめよ! 1974 | 2月22日
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フィジー諸島 太平洋に浮かぶパレット
フィジー諸島の「目ざめよ!」通信員
ここフィジー諸島では,色彩に富む油絵のような光景が眼前に見られます。はでにターバンを巻いた回教徒,あごひげをたくわえたシーク教徒,忙しそうな中国人。円すい形のぼうしをかぶり,伝統的な黒い中国式のズボンをはいた人たちもかなり目につきます。明るいピンクや紫のサリーをまとったマドラス人の女たちが,道端に店を広げた商人から砂糖菓子を買うところも見られます。風変わりな服装をしたマレー人タイプの女が,バスケットの値段のことで観光客と押し問答をしています。
しかしこのように人種の入り混じった住民の中で,他よりも少し背が高く,頭髪の多い大きな頭を持つ民族は,原住民のフィジー人です。一首長が,「南洋高地人のキルト」と呼んだ,彼ら独特のスルを身につけた見事な体格のフィジー人は,他のだれとも異なる個性を持っています。
「それにしても,広い太平洋の中のこの遠い島々に,どうしてそんなに多くの民族が住んでいるのか」と尋ねる人もあるでしょう。この問いに答えるには,歴史のページをめくらねばなりません。
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