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  • 内部から動揺するアルゼンチンの教会
    目ざめよ! 1971 | 5月22日
    • に属し,あらゆる地位についている者たちで,その数は年々増加している」。このように,司祭たちのあいだで第3世界運動が広がっていることは,教会自身も認めているのである。

      教会役員の多くおよび政治団体は,第3世界運動の思想を,純粋なマルキストとはいかないまでも,マルキシズムのそれに近いと見ている。

      危機の最高潮

      この「運動」を非常に苦しい事態に陥れたのはアランブル前大統領の誘かい殺人事件である。アナリシス誌はこう評している。「アランブル暗殺に戦闘的なカトリック教徒が加わったこと,および,テロリストの活動に司祭たちが関係しているとの推測が,教会内の内部抗争を激化したことは明らかである」。

      アランブル前大統領は1970年5月29日に誘かいされ,7月16日に石灰の墓に埋められた彼の死体が発見された。その間,彼がゆくえ不明になったこと,およびその居どころをめぐって,国内では陰謀や動乱が激しくなり,第三世界運動はアランブル暗殺者に関係しているとの告発を受けた。

      ついで,アランブルの殺人容疑者で,警官との小ぜり合い中に殺されたふたりの男の葬式に,エルナン・ベニテスとカルロス・ムヒカのふたりの司祭が公式に列席するに及んで,当局者たち多数の怒りは爆発した。教会での礼拝の席上,同司祭たちは死んだふたりをほめた。また,ムヒカは,ふたりを「わたしの兄弟」と呼び,「公正な社会」を作り上げる闘争で若者たちがみならうべき模範者としてふたりを激賛した。

      その結果,ベニテスとムヒカのふたりの司祭は逮捕され,扇動的な教義を宣伝し,政治的な犯罪を称揚したかどで訴えられた。その後ふたりは証拠不十分で釈放されたが,「ラプレンサ」紙の社説は痛烈に次のように述べた。「誘かいと殺人犯で捜索されていた人物について,『こうした犠牲は人々の模範になる』と言うのは,人々をそそのかして暴力や犯罪を犯させることであり,最も忌まわしい行為を,望ましくかつ称賛に価いするものであるかのように見せることにほかならない。このような危険を伴う誘発行為は,犯罪を許容あるいは称揚していると言える」。同紙はさらにこう付け加えた。「魂に平和を与え,公正を教え,隣人愛を説く聖職に携わる者の口からそうした賛辞が語られるのを聞くと,驚くどころかあきれるほかない」。

      数名の会員の行為から第三世界運動を判断すべきでないと感じた人もいたが,他方,そう判断せざるをえないと感じた人々もいた。それはなぜか。主要なスポークスマンや他の司祭たちが,むざんな殺人を犯したのは自分たちであると誇らしげに主張する一ゲリラ組織に加わっていると唱えているからである。

      こうした事柄すべてはアルゼンチンの教会内部に危機をもたらし,司祭たちの間ではなはだ深刻な分裂が生じた。モンシニョール・アランブルもこの事態を認めている。なぜなら,アルゼンチンの僧職者あての書簡の中で彼はこう述べているからである。「あらしが外から家を打ちつけている時に,家の土台をゆすって,屋内をも震動させるのは不合理だし,時機を得たものでもない」。実際のところ,彼によれば,教会を引き裂こうとする力が外部から働いていたが,今では教会自身の中のいろいろな勢力が教会を根底からゆさぶって,それを引き裂こうとするようになったという。

      政府当局は,教会組織に第三世界の反抗的な司祭を罰して停職処分にするよう勧めたが,法王庁の高職者は,『教会を二分する』ことになるとの理由で処罰しないことに決定したようである。しかし,いずれにしろ,分裂はすでに起こっているようだ。

      アルゼンチンの一般の人々の反応

      以上のことすべてに対する,アルゼンチンのカトリック教徒一般の反応はどのようなものであろうか。

      現在のように危機的な事態になる以前でさえ,僧職者との関係を断つカトリック教徒は少なくなかった。が,今やその数は増加し,両者の隔たりはますます深刻になっている。「わたしはカトリック教徒ですが,わたしなりのやり方をしています」と言う人もいれば,「わたしはカトリック教徒ですが,教会へ行く必要があるとは思いません」とはっきり言う人もいる。さらには,「わたしはカトリック教徒ですが,司祭とは何の関係もありません」と言いきる人もある。

      エホバの証人の訪問を受けた一婦人は,こう語った。「わたしは教会にすっかり腹を立てています。わたしは代々カトリック教徒の家で育ちました。母は奇妙ななくなり方をして,わたしたちはその死因を明らかにすることができませんでした。そのため,母は非難のない人だったのですが,葬式の時司祭を呼んで祝福をのべてもらうことができませんでした。ところが,有名なふたりの司祭は,ふたりのテロリストの葬式に立ち合い,彼らのことを若者の模範だと言いました。それからというもの,わたしは二度と教会の敷居をまたがないことにしました」。

      この婦人のおばにあたる人は修道女で,かなり年配の人だが,めいである婦人に,「人々の聖職者に対する態度にはとても落胆」していると語った。また,その修道女によれば,こうした反抗はここ数年のあいだに激化し,ささいな事にも表われているという。一例として,数年前ならば公共の乗り物の中で修道女が立っているのはまれなことだったが,今では女性であり,年老いており,しかも修道女である彼女に席を譲る人はほとんどいないという。彼女はまた,「カトリックの聖職者と同一視されるのがなんだかとてもいやになりました」とも述べた。

      もちろん,今もって教会に行き,教会を支持するアルゼンチンの人は多い。しかし,そうしない人が増加の一途をたどっているのである。そして,エホバの証人が聖書教育のわざの一環として訪問すると,いっしょに聖書について話し合いたいと希望する人がふえている。現在,エホバの証人が公の奉仕として行なっている,無償の家庭聖書研究の課程に注意深く耳を傾け,それを楽しんでいる人が多い。

      アルゼンチンにおけるカトリック教会が深刻な苦悩を経験していることには疑問の余地がない。そうした困難な事態は,教会がかかえている世界的な諸問題を反映している。教会の教義,組織の運営方法,および政治的社会的問題に対するその態度は,いたるところで挑戦を受けている。しかもそれは外部から,つまり非カトリック教徒からばかりでなく,今や内部,すなわち僧職者や信徒たちの,教会を引き裂こうとする挑戦となって現われているのである。

  • ほんとうの兄弟愛を見出した場所
    目ざめよ! 1971 | 5月22日
    • ほんとうの兄弟愛を見出した場所

      ● 日本の一青年は「新しき村」という人格形成を目ざすグループにはいっていました。このグループの人々はおたがいに「兄弟」と呼び合うことになっていました。しかし,その青年は彼らのあいだに多くの偽善があることを知っていました。ある日,エホバの証人が訪れて2冊の雑誌を置いて行きました。一方の雑誌には「地に平和」国際大会に関する報告が載せられていました。その記事を読んだ青年は,エホバの証人がおたがいに「兄弟」と呼び合っていることに気づき,その真偽を確かめるためにさっそく最寄りの王国会館を捜しました。

      この青年は王国会館を訪れて,自分がそれまでまちがった所に真の兄弟愛を求めていたことを確信し,入手しうるかぎりの聖書文書を求め,家庭聖書研究を始めました。3か月後,彼は戸別に行なうクリスチャンの伝道奉仕に加わりました。現在,エホバの証人のクリスチャン「兄弟」になって,引き続き聖書研究に励んでいます。―ヨハネ 13:34,35。

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