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  • 春の散歩からベテル奉仕へ
    ものみの塔 1964 | 1月15日
    • の人々が一つ心で,同じ場所に集まる,かつてそんな光景に恵まれた事はありませんでした。本部事務所,すなわちブルックリンのベテルホームと工場を見たときの感激も忘れられません。

      次いで1953年が来ました。それは,私がより大きな大会に出席する機会となりました。この時には英語もやつと上達していたので,大会で行なわれた数々の講演から前にも増して教訓を学び得ました。そして増し加わる喜びとしてその年の9月に始まるギレアデ聖書学校第22クラス入学の招きを受けました。ギレアデ卒業後に受けた任命は,再び元のベルンベテルで奉仕する事であり,それこそ自分の喜びでした。

      1957年の夏,スイスと近くの小国リヒテンシュタインでの宣教の仕事を助けるベルン支部の僕に任命されました。この特権のゆえにエホバに深く感謝しています。兄弟たちと共に働き,年々の終りに仕事の拡大を見るのは,喜び以外のなにものでもありません。

      1958年,霊のうたげとしては最大の集まり,ニューヨーク国際大会に出席し,自分の国を代表してスイスの良い報告を知らせ,全聴衆と共に喜びを分ちました。

      そして今年,1963年,規模を拡大したギレアデ学校の生徒として,7月7日から14日までニューヨーク,ヤンキー野球場で開かれた,「永遠の福音」大会に出席し,10万7483名の喜びあふれた大群衆の中に数えられたのはさらに加わる喜びとなりました。大会中には,ギレアデ学生の訓練の一部として取りきめられた特別の見学計画に参加し,運営中の大会各部門を見ました。

      今,10ヵ月の訓練コースもほとんど終ろうとしています。毎日の勉強の計画にも,今日までどうやら追いついて来ました。終りまで十分な訓練を受けられるよう,エホバが助けて来られた事を感じます。初めに抱いた心配も,日と共に小さくなりました。教えのためにそなえられた,このすばらしい機会のゆえに,エホバに感謝せずにはいられません。

      人が自ら歩いて来た長年の道を静かにふりかえり,エホバの仕事がいかに拡大して全地に及んだかを見るならば,全時間奉仕者の一人としてベテルで働き,エホバの仕事の一端に加わり得た事に,おのずと喜びの情がわきあがるのを知るでしょう。エホバはご自分の民の仕事を実に豊かに助けて来られました。エホバは私たちを新しい世の門口にまで導き,さらになお私たちのためにそなえられた驚きの数々をのぞかせんとして,その瞥見を許されたのです。それゆえ,絶えず感謝をささげ,エホバのみ名をたたえ,それを広く知らせるべく,すすんで賛美の歌をうたおうではありませんか。

  • 町のくらづかさ
    ものみの塔 1964 | 1月15日
    • 町のくらづかさ

      ◆ 使徒パウロは,ギリシャのコリントの町から手紙を書きましたが,その中で(ロマ書 16章23節),共に働いていた人たちからのあいさつを送っています。たとえば次の言葉があります。「町の庫司エラストなんぢらに安否を問ふ」。これから判断してエラストは明らかに町の財政をあずかる者でした。1299年にコリントの発掘調査をしたT・L・シア教授は,「エラストプロ: イーダイル: エス: ピー: ストラビト」(「収税官にして,造営司なるエラスト,自費をもってこの道路を敷く」)と刻んだ道路舗装用石材を見つけました。この刻文にあるエラストとパウロが言うエラストとが同一人物かどうかは不明ですが,その石材は第1世紀のものと推定されています。―G・アーネスト・ライト著「聖書の考古学」,262頁。

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