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  • 逃れの町の中に避難
    ものみの塔 1956 | 4月15日
    • 責任を負つています。流血の行われる原因は,諸国民がヱホバの宇宙的至上権を認めず,また即位したヱホバの王イエス・キリストの前に平和の裡にひざまつかず,イエスの恵みを求めようとしないからです。

      15 今日の誰が,もとより悪(にくむ)ことも無く,知らずして人を殺したイスラエルの殺人のようですか? どうしてそうですか?

      15 直接にせよ,間接にせよ,また戦時中でも平和の時でも,今日流血の罪を負わない人がいるでしようか。自動車を不注意に運転したために殺人した人もいるでしよう。または,他の事故のために殺人したり,あるいは故意に殺人した人もいるでしよう。その後に彼らは悔い改め,そして『カイザルのものはカイザルに払え』という原則に従つて,法律上の刑罰をうけるとも,生命の与え主である神の憐みを願い求めました。他の人々は,集団の殺人に参加して,それは良心から判断して,自分の義務であると考えたかもしれません。あるいは,それは神の御意であつて,神に聖なる奉仕を為しているのであると,宗教指導者や教師たちに言いふくめられたかもしれません。その後,彼らは間ちがいをしたことを告白し,いまや神の恵みは必要である,と感じています。他の者は,キリスト教国の牧師やその他の宗教指導者の毒々しい言葉にそそのかされて,ヱホバの証者を迫害いたしました。そのため,神に忠実を保つた幾千人という証者は,死にました。しかし,今や彼らは,タルソのサウロと同じように,悪く教えられ又,悪く導かれたことを今までは本当に悟り,神の恵みを強く必要としている,ということを悟りました。人間の生命が無残にも失われていることに対して,私たちは皆,共同の責任を持つていることに気づきます。事柄をもつと良く知つていて,しかも良く教導されていたなら,私たちは人を殺すとか,あるいは殺人に関係するあらゆる事柄に加らなかつたと感じます。私たちが,神の律法と御意を知らず,また理解していなかつたために,殺人は過失のものであり,あやまつてなされたのです。丁度,イスラエルの昔の殺人と同じようです。彼は『もとより悪むことも無く知らずして,その隣人を殺せる者』です。

      16 (イ)逃れの町に逃げ込むということは,何を表わしていますか?(ロ)イスラエルの逃れの町は,どんな国民のために設けられていましたか?

      16 逃れの町に逃げ込むということは,私たちが,神に献身していようと献身していなかろうと,できるだけ早く行く,ということを表わしています。そして,流血の罪を神に告白し,全人類の贖の犠牲を備えられた神の大祭司イエス・キリストを通して,神の恵みを頂くようにお願いたします。それで,神の御準備と神権制度内に,しつかりと避難することにより,私たちの悔い改めは真のものであると神に証します。昔の逃れの町は,誰の為に設けられたか,ということを銘記しなければなりません。そのとき,今日におけるその実体により,誰が恩恵をうけるかが,はつきり理解されます。ヱホバの律法は,次のように述べていました。『のがれの町としなければならない。これらの六つの町は,イスラエルの人々と,他国の人および寄留者のためにのがれの場所としなければならない。すべてあやまつて人を殺した者が,そこにのがれるためである。』『これらは,イスラエルのすべての人々,およびそのうちに寄留する他国人のために設けられた町々であつて,すべて,あやまつて人を殺した者を,そこにのがれさせ,会衆の前に立たないうちに,あだを討つ者の手にかかつて死ぬことのないようにするためである。』― 民数紀略 35:14,15。ヨシュヤ 20:9,新口。

      17 あやまつて人を殺した者に対する神の保護という御準備の恩恵に,まず誰があずかりましたか? なぜそうですか?

      17 このわけで,霊的な『キリストの体』である油注がれたクリスチャン会衆の成員は,この御準備を必要とします。なぜなら,彼らは実体の『イスラエルの子孫』であり,霊的なイスラエルの成員だからです。残れる者の中,もとからの成員は,第一次世界大戦を通過いたしました。しかし,その期間中,彼らはバビロの世に捕われました。それは,彼らが高位の人間を恐れたためであり,またその行はこの世の汚れに染まり,そしてこの世の戦争に対して全き中立を保たなかつたからです。御自分の宮に来られたヱホバが,彼らにどれ程の流血の罪があるかを裁いたかは,つまびらかに分りません。しかし,1919年にヱホバはバビロンの捕われから彼らを解放しました。その後,彼らは,あらゆらる罪をことごとく悔い改めて,その罪を告白し,そしてキリストの導きをうけつつ,ヱホバの崇拝を清めようと努めました。さらに,1919年以来,特に1931年にいたるまで流血の罪に染まつていた幾千人という多くの人々は,御国の音信と,来るべきハルマゲドンの音信を聞いて,実体の逃れの町に逃げ始めました。彼らは悔い改めて,神のあわれみを乞いました。彼らは神の大祭司イエス,キリストに信仰を持ち,以後神の御意を行つてその恵みの御準備内にしつかりと止まるため,神に全き献身をしています。それは,流血の有罪者すべてになされるハルマゲドンの処罰から,身を守るためです。『選民のために艱難の日が短くされている』現在,まず霊的なイスラエル人はあやまつて人を殺した者に対する神の保護という御準備の恩恵にあずかりました。

      18 その模型によつて予表されているように,実体の逃れの町は,他の誰のために設けられていますか? その模型の成就する時に関して,このことは何を証明していますか?

      18 しかし,むかしの逃れの町は,またイスラエルに住んでいた『他国の人および寄留者』のためにも設けられていました。彼らは,イスラエル人に属さぬ人々を予表しています。つまり,霊的なイスラエル人の神に頼つて,神の大祭司を通してなされる恵みの御準備にあずかりたいと,欲しています。彼らは,全世界の行つている流血の罪を,はつきり見ることができました。彼らは,その罪にあずかることを欲せず,またハルマゲドンにおいてこの世とともどもにその罪の罰を払いたいとは,欲しません。しかし,彼らも目前に迫つている処罰から逃げて,大祭司イエス・キリストの支配する実体の逃れの町に入つて行きます。そこへ逃げるときに彼らは心から悔い改めたことを示し,かつキリストを通してその生命の救を得るため神の恵みに依存していることを示します。どのように? 今より後永遠にわたつて神の御意に従おうと神に全く献身することによります。それで,今日流血の有罪者になされる死から生命を守るため,『他国の人』および『寄留者』級の幾十万という避難者は,残れる者の成員と共に,新しい世の社会というヱホバの御準備の中に入つております。1931年以来の今こそ,主イエスの『他の羊』がイエスの檻に集められて霊的イスラエルの残れる者とともに『ひとつの群』になる時です。この事実も1914年以来の今日こそ,逃れの町についてのこの予言的な縮図が成就されている時である,という証拠を強めるものです。

  • 逃れの町のなかに止まる
    ものみの塔 1956 | 4月15日
    • 逃れの町のなかに止まる

      1,2 逃れの町に逃げた人に,どんな制限が課せられましたか? それは,どの位の期間でしたか?

      血の復讐者から逃げのびた人は,身の潔白なることを示し,意識的に殺人したのではなく,あやまつて殺人したということを証明することが必要でした。その者の逃げ込んだ逃れの町は,まず殺人の起きた町,あるいは附近で殺人の行われた町に,その者を引き渡さねばなりません。その町の会衆は,はたしてその者が,逃れの町の保護をうけるにふさわしいか否かを判定しました。『会衆はこれらのおきてによつて,その人を殺した者と,血の復讐をする者との間をさばかなければならない。すなわち,会衆はその人を殺した者を血の復讐をする者の手から救い出して,逃げて行つたのがれの町に返さなければならない。その者は聖なる油を注がれた大祭司の死ぬまで,そこにいなければならない。』(民数記 35:24,25,新口)逃れの町の一つであるヘブロンは,アロンの子孫である大祭司と,その従属の祭司たちの町でした。それで,次のことが考えられます。すなわち,殺人者が人を殺そうという悪意を持たなかつた場合に,そのことを裁決される御方はヱホバの大祭司である油注がれたイエス・キリストであります。殺人者をヱホバの新世社会の逃れの町に入れるか,どうか,そして新世社会内に止まらせるか,どうかを決定される御方は,イエス・キリストです。

      2 避難者が死をまぬがれるのは,ただ神の憐みによりました。その故に,避難者に制限をつける,つまりその自由を限定するのは,全く正しいことです。その者は,その逃れの町と,その町のまわりの1000キュビットの空地の中に止まらねばなりませんでした。その制限の外に出るなら,折角救われた生命も殺されてしまうでしよう。『しかし,もし人を殺した者が,その逃げて行つたのがれの町の境を出た場合,血の復讐をする者は,のがれの町の境の外で,これに出会い,血の復讐をする者が,その人を殺した者を殺しても,彼には血を流した罪はない。彼は大祭司の死ぬまでそののがれの町におるべきものだからである。大祭司の死んだ後は,人を殺した者は自分の所有の地にかえることができる。また,のがれの町にのがれた者のために,あがないしろを取つて大祭司の死ぬ前に彼を自分の地に帰り住まわせてはならない。』(民数記 35:26-28,32,新口)それで,大祭司がその職務に即いている期間中に,殺人が行われた場合,その時の大祭司が死んでから後に始めて,あやまつて殺人をしたその者は,血の復讐者に恐れることなしで,自分の町か,自分の所有する地に帰ることができました。もしイスラエルの大祭司自身が,あやまつて人を殺した場合には,一生涯その逃れの町から去ることはできません。もし,レビ人があやまつて人を殺した場合,大祭司の生きている期間中は,その逃れの町から出てヱホバの宮に行き,そこでレビ人の義務を行うことはできません。このことから,大祭司は逃れた者たちの生命と自由を大きく支配したことが分ります。

      3 それで,いま血に染まつている避難者に対するヱホバの保護は,誰を通してなされますか? 人は,どのようにして実体の逃れの町を去りますか? その結果は,どうなりますか?

      3 また,このことから,次のことも分ります。無実な者の流された血に対して,ハルマゲドンの復讐の処罰が行われますが,そのとき,今日の血に染まつた避難者をヱホバは,大祭司イエス・キリストを通して,保護されます。大祭司であるイエス・キリストは,あらゆる種類の罪人だけでなく,悔い改めている殺人者をも救うために,御自分の人間としての生命を棄てられたのです。それで,イスラエルの大祭司の死ぬ以前に,逃れの町から外に出るということは,神の恵みと保護をいただいている者が,自分に課せられた神の制限に反逆する,ということを表わします。その者は,キリストを通して為された神の御処置に対して感謝の心を失い,またなぜ神が制限を設けられたかについての正しい認識を失つています。その者は,ダビデの子アブサロムから逃げた時のダビデを呪つたシメイのようになります。ダビデの後継者であるソロモン王は,シメイをエルサレムの都の中に住まわせて,その行動に制限をつけました。シメイは,ソロモン王を試す行をなし,逃げたふたりの奴隷を取り戻すためにエルサレムを離れました。しかしわがままな気持から制限を破つたため,その帰り道の途中で殺されてしまいました。(列王紀略上 2:36-46)それで,逃れの場所から出てくる者は,キリストの犠牲の贖いの恩恵から離脱してくることであり,その恩恵にもはや頼ろうともせず,また罪に対する神の刑罰から身を守るのに欠くことのできないキリストの犠牲の必要をもはや感じてはいません。その者は不注意にも,ヱホバの御要求に適うこと,また神の大能の御手の下に身を卑くするということについて,おろそかにしています。そして,自分は他よりも義しい者であるという考えをつくりあげ,それに頼つて身の守りを図ります。彼は神を試しすぎます。そして,自分のためにイエス・キリストをあらためて杭につけ,悔い改めの気持を全く失つています。ヱホバの恵みに充ちる逃れの場所の外に出るならば,かならず亡ぼされてしまいます。そのハルマゲドンの時,贖の恩恵をうけていないすべての流血の有罪者に対して報復はなされます。その者は,生き残らないでしょう。

      4,5 (イ)イスラエルの大祭司の死ということの成就に関して,どんな質問が生じますか?(ロ)それで,霊的イスラエルの残れる者の成員は,どの位の期間,その逃れの町にいなければなりませんか?

      4 死人の中から復活をうけた大祭司イエス・キリストは,『朽ちることのないいのちの力』を持つており,『もはや死ぬことがなく』『死はもはや彼を支配しない。』しかし,彼はメルキゼデクの状に似て『永遠に祭司』となります。(ヘブル 7:15-17そしてロマ 6:9,新口)それでは,イエスは,イスラエルの大祭司が死ぬという予表をどのようにして成就することができますか? そして人は,どのようにして,新世社会内の実体的な逃れの町から出ることができますか? 現代の避難者は,どの位の期間そこにいなければなりませんか? 忘れてならないことに,イスラエルの大祭司が死んだときには,その大祭司の務めは終り,そしてあやまつて人を殺した者のために贖いを捧げることは止まりました。その故に,実体的な逃れの町の中にいる残れる者の成員は,地上に生きている期間中,そこにいなければなりません。彼らは,ハルマゲドンの戦争を生き残つて,神の新しい世に入ることを希望しています。しかし,その戦争が行われて,流血の有罪者に対する処罰がなされた後でも,彼らは天的な大祭司の贖いの価値を必要とします。なぜ? なぜなら,彼らはまだ不完全な人間だからです。

      5 しかし,ハルマゲドン後の地的な義務を終えて,死亡し,そして瞬間的に天の霊者の生命に復活される時,彼らは,もはや,ヱホバの大祭司の贖いの奉仕を必要としません。彼らは,人間としての体をヱホバの宇宙的至上権の立証のために犠牲にしたため,人間の体を永遠に棄てたからです。あやまつて為した流血の罪をも含めて,不完全な人間の体に附随するすべてのものは,彼らから取り除かれ

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