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これがフィリピンです目ざめよ! 1973 | 11月8日
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でしょう。軽食には,いつも人気のあるパンシットやビビンカなどがあります。冷くておいしい飲み物はハロハロです。ここでは中国料理も人気があり,世界で最もおいしい料理のうちにはいると言われています。望めば,アメリカ風,あるいはスペイン風に料理してくれることも少なくありません。
マニラのある場所では外国人を見なれていますから,歩いていても人びとは気に止めません。しかし,キュバオ周辺やパシグという古い町の市場のような,ちょっと辺ぴな場所に行くと,土地の人びとがあなたの興味を引くのと同じほど,あなたは土地の人びとの大きな興味の対象になります。西洋人は確かに,背がとてつもなく高いとか,皮膚の色が薄いとかで,少しばかり目立つ傾向があります。ですから小さな店で品物を見ている時に,振り向いて見たらフィリピン人があなたのそばに立って,あなたとせいくらべをしており,友だちがそれをおもしろそうに見ていた,というようなことがあっても,驚いてはいけません。
あるいは,大ぜいの子どもたちがあなたのまわりに群がり,驚きの目をみはって,じっとあなたを見つめることもあるでしょう。大胆な子どもたちは,アメリカの兵隊がみな「ジョー」だった25年前の状態を反映して,「ハイ,ジョー」とか,「ビクトリー・ジョー」などと,あなたに向かって叫ぶかもしれません。当時アメリカ軍は,日本の占領軍を打ち敗ったばかりだったので,マニラ市内でたいへん人気があったのです。
おぼえておかねばならないのは,だれもがただ親しくふるまっているだけだ,ということです。ある国では感じられるかもしれない,外国人に対する反感などはほとんどないといっていいでしょう。子どもたちはあなたの腕をたたくことさえやり出すかもしれません。それはあなたのひふの柔らかいひげの感触が好きだからです。人はこれ以上の親しみを表わすことができるでしょうか。もしその精神を理解するならば,フィリピンの特色であるうちとけた態度,くつろいだ気分,友好的な態度が楽しめるでしょう。
もしフィリピンに来ることがあるならば,「お定まりの観光ルート」をたどることをやめ,フィリピン特有のジープニーやバスで旅行してみてください。批判的な気持ちを持たずに,むしろ,ここではこういうふうなのだという考えでフィリピン人の生活様式を見てください。もちろん彼らは変わっています。しかし,もしあなたが彼らをあるがままの状態で進んで受けいれるならば,あなたが,陽光ゆたかなフィリピンで暖かい歓迎を受けることは確実です。
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注目すべき記念碑目ざめよ! 1973 | 11月8日
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注目すべき記念碑
● フィリピンを訪れる人はたいてい,マニラでいちばん有名なルネタ公園にあるホセ・リサール記念碑を見ます。しかし,訪問者の多くは,フィリピンの国家的英雄リサールの死の背景を知ることなく,その記念碑のそばを通り過ぎます。リサールは現在記念碑の建っている場所で1896年に銃殺されました。その処刑は当時権力を振っていたドミニコ会修道士たちの煽動により,彼らの面前で行なわれました。修道士たちは,フィリピンにいるスペイン人司祭の暴虐ぶりを暴露したリサールの著作に憤激したのです。その著作のひとつは,“ノリ・メ・タンヘレ”(邦題,“我に触るるなかれ”)と題する小説で,別の小説は,“エル・フィリブステリスモ”(邦題,“植民地独立運動”)という題のものでした。フィリピン議会は僧職者の強い反対を押して,スペイン統治下での人びとの生活や僧職者の尊大な態度を描いたこのふたつの小説をすべての大学で読むことを義務づけました。
マニラを訪れる人びとは多くの場合,この国における300年以上にわたるスペインの支配に終わりをもたらしたフィリピン革命の英雄のひとり,アンドレス・ボニファシオの記念碑も広場で見物します。その記念碑の基底部周囲の青銅板には,スペイン総督統治下の僧職者支配のもとでフィリピン人が受けた苦しみの記録が刻まれています。革命が勃発した時,修道士たち,特にドミニコ会士たちは難をのがれることができず,多くはその貪欲と流血行為に対する代償としてみずからの命を失いました。
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