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人は自分のまくものを刈り取る目ざめよ! 1970 | 5月8日
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科学者はもとより,教育者また牧師さえ進化論を推し進めました。進化論は神の存在を“不要”にするので,神の権威をひそかに傷つけます。また,多くの牧師は若者の面前で聖書をないがしろにし,聖書を卑しめて,その一部を神話・伝説呼ばわりしました。聖書のある部分を信用してはならないとすれば,どの部分も信用できないのではなかろうかと若者は考えます。そして,人間および神の法と権威の尊重を説く聖書の教えをなぜ守らねばならないのかと考えます。
年配の世代の人々が,法と権威,なかんずく神の法と権威をひとたび退けたのですから,若者がその手本をまねるのは,いとも容易でした。つまり,神とそのみことばである聖書そして国際法を退けることが年配者に許される以上,それらより下位の権威である親や政府の役人を敬う動機づけとなるものは若い人々にはほとんどありません。
年配の世代の人々は,権威に対する不敬の種をまいたのです。そして今や,利息つきでその実を刈り取っています。自らの権威が若者の手で退けられているからです。
道徳的な価値
ヒッピーは,“フリー・セックス”つまり自由性愛を唱えます。これはざん新な考え方ですか。いったい,聖書の道徳規準を最初に捨てたのはだれですか。高く評価されている一“知識人”の述べた次のことばは,多数のおとなの態度を端的に示しています。「われわれが聖書の道徳に反対したのは,それが性的自由の妨げとなったからである」。
数々の調査が明らかにしたとおり,淫行や姦淫をするおとなは,父親や母親を含めて相当数に達しています。大都市の郊外居住者のあいだで,さまざまな形の“夫婦交換”の行なわれているところがあります。
多くのおとながこうして“世なれた”仕方で行なったり,唱えたりしていることを,ヒッピーはあからさまに反映しているのではありませんか。現代の敏感な若者は,うわべを正しそうに装ったおとなの,みだらな性関係を決して見のがしません。ヒッピーのことばや行動によく見られる異様な率直さは,おとなの偽善に対する軽べつの表われです。
また,おとなの世界は,不道徳な生活をする俳優や女優を英雄に仕立てる映画・テレビのショー・舞台劇などを助長しています。それは青少年の,道徳を重んずる気持ちを高めるものですか。しかもその内容の多くは,ともすれば若い観客層の風紀を乱すものではありませんか。
マリファナの使用についてはどうですか。では,喫煙を奨励したのはだれですか。それは,おとなの手で,また映画や広告を通し,さらにおとなの手本により,これまでずっと若者の心に押しつけられてきました。おとなが有害なタバコをあい変わらずのんでいるのですから,マリファナを吸ったところで,何もおかしくはないと若者は考えます。
また,麻薬を用いることは,おとなが緊張や心配を和らげるためにさまざまな鎮静剤を服用するのと大差はないと考えます。それに,アルコール飲料にふけるおとなも多いのです。アルコール分を取りすぎると,その効果は麻薬のそれとあまり異なりません。それで,おとなが酔って“いい気分”になれるなら,どうして若者がそうしてはいけないのかと言うわけです。
牧師の手本
牧師の多くが,いわゆる“現代的な”考えを受け入れて,淫行・姦淫・同性愛・麻薬の常用などを大目に見,あるいは奨励しさえして,人に良く思われたいとする努力は,逆効果を招きます。まだ最近のことですが,なぜ教会に行かなくなったのか,と尋ねられた若者たちのひとりはこう答えました。
「わたしの属していた団体の牧師は,彼の知っている人で,“ポット”(マリファナ)を吸っている者すべてのことを,いつもわたしたちに話していました。若者たちはかげでその牧師のことをあざ笑いました。彼をいかさま師と考えたのです。牧師は,神の存在および,わたしたちの従うべき道徳律に強い関心をいだく人でなければなりません」― 1969年3月8日付,トロント・デーリー・スター紙。
したがって今日の多くの若者は,古い世代の人々と違って,伝統的な宗教を少しも重視しません。牧師はパリサイ人に似て,人からされたいと望むとおりに人に対して行なえと説く「黄金律」を口では「言うが,実行しない」とヒッピーは考えています。(マタイ 23:3,新)インタビューを受けたひとりのヒッピーは言いました。「わたしの知っているかぎり,神から最も遠く離れている人間といえば,それは司教です。人々が飢えているのに,イエスはビロードの衣を着て歩き回っていたとは考えられません」。
しかしこうした理想主義を唱えることによって,ヒッピーはより良い社会を自分たちの力で築いていますか。人類を苦しめている諸問題の解決策を持っていますか。彼らは自分たちのしあわせを図っているのですか。
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『ありのままを語る』ヒッピー目ざめよ! 1970 | 5月8日
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『ありのままを語る』ヒッピー
ヒッピーは問題の答えを見いだしましたか。その生き方は,幸福に通ずる道となっていますか。その人間関係は,純粋の愛に基づく,徳を高めるものですか。生活の面で自分のまいているものから何を刈り取っていますか。
ヒッピー自身が語ることを聞くのは,興味深いことでしょう。彼らは,『ありのままを語れ』ます。もちろん,全部が全部同じ経験をしたというのではありません。しかし次に掲げる話は,多くのヒッピーが語っていることをかなりよく表わしていると考えられます。
問題の答えを見いだしているか
アメリカのある若い女性は,他のヒッピーと同様の理想主義をいだいて,その仲間にはいりました。問題の答えを得るためでした。この「目ざめよ!」誌のために話された彼女の経験をお読みください。
「わたしたちみんなは,人生の途方もない大きな問題に対する答えを見いだそうといっしょうけんめいでした。わたしは答えを求めて,麻薬と性崇拝に関係し,やがて,密教や神秘主義と魔神信仰に深く関係するようになりました。
「ところが,そのどれをしてみても,何一つ意味をなしませんでした。わたしは,“導師”といわれる人を通して,神秘主義・密教・麻薬の使用などにますます深入りしましたが,何をしてみても,いよいよたえられなくなるばかりでした。やがて,ひどい憂うつ状態に陥るようになり,橋の上から身投げをしたいという衝動を何度も押えねばなりませんでした。
「わたしの友人の多くはやがてヘロインやアルコールの中毒にかかり,ある者は汚い注射針で麻薬を打ったことがもとで,敗血病になり,えそにかかって死にそうになりました。別の人はついに銃を手にいれて,自らの命を断ちました。特にわたしたちの上には,異様な霊の力が働いていたので,その人はどうすることもできなかったのです。
「このことで大きな衝撃を受けたわたしは,その生活をそれ以上続けることはできないと感じました。それは自分が求めていた答えを確かに与えるものではなかったからです。わたしは,『聖人』と呼ばれている人々の手で“ひどい目”に会わされました」。
この女性は,捜し求めていた答えを見いださなかっただけでなく,ヒッピーとして生活しても,より良い生き方はできず,将来に対する希望も幸福も得られませんでした。
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