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  • ボディー・ビルは私の人生の第一の関心事だった
    目ざめよ! 1973 | 8月8日
    • は,テモテ前書 4章7節の「自ら敬虔を修行せよ」という,霊感による使徒パウロのことばにものっとってはいなかった。トレーニングの方向を変えなければならないことは明らかであった。

      私はすぐにマネージャーとトレーナーのところへ行って,ミスター・ユニバースはもはや自分の生涯の目標ではなく,自分自身に誉れをもたらすようなショウにもこれからはいっさい出場しない,ということを話した。彼らは怒りを爆発させて私を口ぎたなくののしったばかりでなく,エホバの名前をさえ冒とくした。しかし私は決意を変えなかった。ちょうどそのころ,ある地方新聞に,英国のある有名なサッカー選手が,エホバの証人としてキリスト・イエスの足跡に従うために,100万㌦の契約を拒否したという話がのって,私はそれに非常に励まされた。

      次に私は,カトリック教会に脱退届けを出す決心をした。トレーナーやマネージャーに話した時の経験は,この決意をいっそう固くするのに役だった。私は司祭と直接会って,教会から籍を抜きたい理由を話した。エホバの証人になる希望を説明しているうちに,司祭の顔には当惑の色が浮かんだ。司祭は憤りを含んだ声で,だしぬけに,あなたはエホバの証人に洗脳されただけだ,と言った。それで私は,私が習ったことは真理であって,神のことばである聖書によって完全に裏付けられている,と説明した。この説明は,怒りに満ちた意外な答えを引き出した。「聖書に書いてあることを全部信じるわけにはいかない!」。これには私はほんとうに驚いた。その司祭が,会衆の前に立っていた時には,聖書に幾度も口づけし,最高の敬意をもって聖書を扱っていたのを思い出したからだ。しかし,扉の背後にいる今は,宇宙の偉大な神は信頼できない,またそのことばの全部を信ずることはできない,という考えを人に植えつけようとしていた。それが司祭の本音だったのである。

      私は父親が61歳で死んだ時,この司祭が私の家族に言ったことを思い出した。「お父さんは自分の犯した罪のために,61年間煉獄にいなければならない」。ただし,それは条件しだいであった。というのは,荘厳ミサのとき,父親のために多くのお金を出せばそれだけ,煉獄で責め苦を受ける期間が短くなることになっていたからだ。聖書には,『死ねる者は何事をも知らず』と述べられているが,司祭はそのような聖書のことばを教えてはくれなかった。(伝道 9:5)この人は,人類に対する最大の詐欺のひとつに加担していたのである。真の神の名前に対してなんと大きな恥辱をもたらすものだろう。しかし司祭は,教会の会員名簿から私の名前を除くこと,つまり洗礼証明書を渡すことを拒んだ。

      これ以上話してもむだなので,私は教会を出て市役所に行き,そこで登録してある自分の所属宗教をローマ・カトリックからエホバの証人に変えた。そのあとすぐに,かかりつけの医師に電話をかけ,聖書が「血を避けるように」と言っていることを知ったので,もし将来私自身,または私の家族に手術の必要が生じた場合,絶対に血を使わないでもらいたいということを伝えた。(使行 15:20,新)次に私は,自分の属していた政党から籍を抜いた。イエスが政治に関与されなかったことを知っており,私もイエスの弟子になりたかったからだ。(マタイ 4:8-10。ヨハネ 6:15; 17:16)しかし,もう一つの試みが控えていた。

      別の司祭と会って話し合うようにという招待が来たのである。彼らはまだ私をカトリック教会と和解させることを望んでいた。私はこの時エホバの導きに頼った。そしてエホバはほんとうに私を助けてくださった。討論している間に,法王や僧職者たちが,ヒトラーと関係を持っていたことに話がおよんだ。「聖書のヤコブ書 4章4節にある,『姦淫をおこなう者よ,世の友となるは,神に敵するなるを知らぬか』ということばをご存じか」という私の問いに対し,司祭は,「それはわれわれとは何の関係もない」と言った。

      しかし私は,法王が国連を訪問し,「私はあなたがたの友人として来た」と言ったのを司祭に思い出させた。「それは霊的姦淫にならないか」と私は質問した。司祭は明らかにいらいらしてきた。それから私は,カトリック教会が黙示録に示されている大いなるバビロンの主要な部分であることを説明した。「黙示録 17章1節から4節には,彼女が女王のようにひ色の衣を着,地の王たちと姦淫を行なうと述べられている」と私は言った。それを聞いた司祭は激怒し,荒々しくへやから出て行った。その態度は,エホバのことばと道に対する私の信仰をいよいよ堅いものにした。私は,エホバが大担に真理を語る勇気を与えてくださったことに感謝した。

      それ以来,私は主権者であられる主エホバのみを「わが力」と認め,ミスター・ユニバースの名声を求めることをやめた。聖書は私の人生観を変えてしまった。聖書の真理は私がかつて持っていた空虚な欲望への束縛から私を自由にした。私は今,テモテ前書 4章8節にあるとおり,『からだの修行もいささかは益あれど,敬虔は今の生命とのちの生命との約束を保ちてすべてのことに益あり』ということを知っている。

      私は今,喜びとしあわせの毎日を送っている。私の心からの願いは,自分の体力と能力を,宇宙の全能者エホバを喜ばすために用いることである。―寄稿。

  • ソ連におけるロシア正教会の役割
    目ざめよ! 1973 | 8月8日
    • ソ連におけるロシア正教会の役割

      ロシアの文芸批評家ビサリオン・ベリンスキは1847年,ロシア正教会を称賛したある作家に宛てて書簡を送り,その中で次のように述べました。「貴君はなにゆえにキリストを引き込もうとしておられるのか。キリストといずれかの教会,ことにロシア正教会との間になんらかの共通点を見い出されたのか。キリストは自由・平等・友愛の教えを人類に知らせた最初のかたであり,ご自分の殉教の死によってその教えの真実さを決定的なものにされた」。真のキリスト教とロシア正教会の間にはそれほど大きな相違がほんとうにあるのでしょうか。

      「屋根のない家」(1961年)と題する本の中で,著者モーリス・ヒンダスは次のように述べています。「帝政時代には人口の80%以上が小作農であったが,教会は異教時代から伝わっている迷信をムーズィック[ロシアの小作農]から払い落とす努力を全く払わなかった。村中を横行して,無知でだまされやすいムーズィックを食い物にしていた魔女や魔術師,魔法使いやまじない師に対して,僧職者は無関心だった。村のバツシカ[司祭]も多くの場合無知で,ウォッカにふけり,魅惑的な女の教会員を誘惑するのをやめようとしなかった。…圧倒的に数が多いという理由からだけでも,正教会の主柱を成していたムーズィックは,生まれた時からの自分の宗教に対して比較的無知のままであった。聖書を読むことはほとんどなかったし,たいてい無教育で読み書きができなかった。彼らは教区司祭からよりも,貧しい放浪者や巡礼者の語る物語やバラッドから善悪について学ぶほうが多かった」。

      なぜそのようなことが起きたのでしょうか。ロシア正教会は神のことば聖書に基づくキリスト教や高い道徳規準をなぜもっと効果的に強調しなかったのでしょうか。ヒンダスはこう続けています。「ロシア正教会が最も責めを負うべき点は,同教会の帝政国家への完全な従属と追従,つまりミルユコーフのことばによれば,『キリスト教の成長の芽を麻ひさせた』ことにあった」。

      『しかし,事態は確かに変化した。今ではそのようなことはない』と考える人もいるかもしれません。多年にわたって独自に行なった綿密な観察結果に基づいて,ヒンダスは今日のソ連におけるロシア正教会について次のことを指摘しています。

      「憲法は教会を政治の分野から締め出しており,その働きをもっぱら宗教儀式に限っている。しかし,クレムリンから要求があれば,彼らはすぐにそれに応じ,政府の外交政策を,しかもそれがどんなものであっても進んで祝福する。クレムリンはもはや,ソ連を神聖であるとは言わないが,高度に国家主義的な正教会にとっては,神聖なソ連は常に正しく,クレムリンが敵と決めたものは,それが真実の敵であれ,単なる想像上の敵であれ常に悪いのである」。

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