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クリスチャンの宣教ものみの塔 1965 | 7月15日
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従い,人々の中にはいり,人のいるところであればどこでも伝道しています。そして初期クリスチャンと同じく,御国の良いおとずれに答え応ずる人々を訓練して,彼らも他の人々に教えることができるようにします。したがって,エホバの証者の新世社会にくる人はみな,クリスチャンの宣教に参加するように励まされます。1カ月間にわずかの時間しか宣教できなくてもそれは問題ではありません。それでも人は,伝道しなさい,というイエスの命令に従うことができます。これら現代のクリスチャンは,使徒パウロの次の言葉を心に銘記しています。「人は心に信じて義とされ,口で告白して救われるからである」。―ロマ 10:10。テモテ後 2:2。
24 イエスや使徒たちの行なった伝道と,今日の牧師の行なう伝道とを比較しなさい。
24 クリスチャンと称する人の多くは,牧師が説教して自分たちは霊的に無活動でいるクラブのような取り決めに満足しているので,すべてのクリスチャンが宣教すべきである,というエホバの証者の主張に賛成しません。イエスが弟子たちに対してもっていた目的は,そのようなものではありませんでした。それはクリスチャンの宣教とは言えません。イエスは使徒たちだけに伝道したのではなく,使徒たちもそれを聞くだけに終わったのではありません。自分の小さな森や柱廊をもち,そこで共鳴者たちに話をした,エジプトやギリシャの異教の教師たちとは違い,イエスは公けの場所で人々に話しました。その人々はイエスに従う者ばかりではなく,なかには敵意をもつ者もいました。後に諸会衆が設立されましたが,その時も使徒たちは,いろいろな会衆に属してそうした信者の集まりだけに奉仕したのではありません。彼らは,クリスチャンの組織の外の人々にも伝道をつづけ,献身してクリスチャンになった人々すべてに良い手本を示しました。彼らのすぐれた指導は,諸会衆の霊的力と健康の維持に大きな助けとなりました。今日でも第1世紀と同じく,この種の建設的なクリスチャン活動が必要です。
25 (イ)イエスの開始したキリスト教の宣教方法がすたれていない,と言えるのはなぜですか。(ロ)今日の宣教はどんな実を結んでいますか。
25 エホバの証者は,イエスの開始したキリスト教の宣教を再び始めました。あらゆる人種,国籍の人々は,エホバが人間のために意図されたすばらしい事柄を聞く機会を与えられています。エホバの証者の新世社会の人々はみな,宣教に従事することを励まされ,またこの取り決めに神の祝福があるため,大群衆がエホバの組織に集められています。よい心をもつこれらの人々は,クリスチャンの宣教が自分たちの義務であること,また霊的に生きつづけるための神の定めた手段であることを認めます。彼らはそれが自分自身,および自分の伝道する人々の救いにとって重要であることを知っています。そしてそれにより彼らは,キリストをとおして神を賛美します。「わたしたちはイエスによって,さんびのいけにえ,すなわち,彼の御名をたたえるくちびるの実を,たえず神にささげようではないか」。―ヘブル 13:15。マタイ 24:14。
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教会会議での喫煙ものみの塔 1965 | 7月15日
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教会会議での喫煙
◆ 1964年4月14日付のニュージーランドヘラルド紙は次の事実を報道した。「聖公会の第36回教会会議の議長 ― またニュージーランドの首席司教そして主教をも兼ねている ― は,昨日の午前の会議を喫煙のために中断した。彼は『弱い兄弟たちには午前中いっぱいタバコを吸わずに通すことはできないだろうから』と述べた。司教は早速タバコに火をつけた。出席者の多数もそれにならった」。
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