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  • 『憐れみは裁きにむかって勝ち誇る』― どのようにして?
    ものみの塔 1972 | 12月15日
    • 自身のために大いに助けとなります。『神は不義にいまさねば,なんじらの勤労と,さきに聖徒につかえ,今もなおこれにつかえて御名のために顕わしたる愛とを忘れたもうことなし』とあるからです。―ヘブル 6:10。

      ダビデの例はこのことを説明するものといえます。もしエホバ神がダビデのことを単に,ヘテ人ウリヤとその妻にかんして悪行を犯した時のダビデとしてしか考えなかったとすれば,ウリヤの件で憐れみを示すべき理由は確かに一つもなかったでしょう。しかし,そのような行為はダビデの性質からはかけ離れたものであって,ダビデは実際には情け深い人であることを,エホバはご存じでした。ダビデはエホバからの懲らしめを決して免れませんでしたが,それでもダビデの誠実な献身的生活の記録と,彼は根は憐れみ深い人であることが,そのときエホバから憐れみを示していただくのに確かに大きく寄与しました。

      友人と称する人たちから激しい非難を受けたヨブは,『神の臨みたもう時には何と答えまつらんや』と問いましたが,ヨブはどんなことを考えていたのでしょうか。

      エホバは,ヨブが真の同情心の持ち主で,愛ある親切を示す人,また忠誠を守る人かどうかを大いに心にかけておられましたが,ヨブの述べた前後のことばからすれば,ヨブはそのことを知っていたということがわかります。(ヨブ 31:13-22,29-32。詩 37:21-26と比べてください。)また,パウロは弟子オネシポロから親切に元気づけられたので,主が『エホバからの憐れみ』をオネシポロとその家の者に賜わるようにと祈ったことにも注目してください。―テモテ後 1:16-18,新。

      このようなわけで,憐れみ深い態度で人を扱った,りっぱな記録の持ち主に対して,神は当然憐れみを施します。それらの人が神のみ前で裁きを受けるとき,憐れみを示してきた彼らの歩みは,神のみ子のあがないの犠牲を通して今その益にあずかれる備えを,神が彼らに寛大に適用できる正当な理由となります。したがって,さもなければ彼らがこうむるかもしれない不利な裁きに対して,実際に憐れみは「勝ち誇る」ことができます。(ヤコブ 2:13)そのような人は他の人びとを扱うのに同情を示してきたので,エホバからも同情を示されるのです。

      会衆で長老として仕える人たちは確かに,仲間の兄弟姉妹を扱うさい,あらゆる面でエホバの見方および物事の仕方を忠実に表わすことに努めます。長老たちは,羊の群れの主要な牧者の前で自ら「申し開き」をしなければならないということを忘れないでしょう。(ヘブル 13:17,新。ペテロ前 5:2-4)長老たちは審判者として仕えるさい,クリスチャンとしての歩みを何らかの点で一時踏みはずしながらも,あとで悔い改め,忠実に歩みつづけたいとの誠実な願いを明らかにする人の示してきた憐れみのすぐれた記録を見落としません。

      確かにわたしたちすべては,それぞれ豊かな憐れみの記録を示して「申し開き」できるようでありたいと,せつに願うべき真実の理由を持っています。なぜなら,『憐れみは裁きにむかって勝ち誇る』ものだからです。

  • 牧師が「真理」の本を用いる
    ものみの塔 1972 | 12月15日
    • 牧師が「真理」の本を用いる

      ◆ 最近ニューヨークのある牧師は「とこしえの命に導く真理」と題する本を入手しました。彼は祈りに関する章に深い感銘を受け,特別集会で教会員にこの本から祈りについて教えました。あとで一教会員からこう質問されました。「あなたはエホバの証人の本から教えているのですか」。彼は答えました。「日曜学校の文書が欲しい時,あなたはいろいろな所から買いませんか。ところでエホバの証人は真理を教えているのです。彼らが『ものみの塔』誌を提供しているのを見たら,買いなさい。なぜなら彼らは真理を印刷しているからです」。

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