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  • 「わたしたちの神の奉仕者」と今日の彼らの助け手
    ものみの塔 1978 | 10月1日
    • を生き残って神の新しい世へ」(英文),296-299ページ,14-16節; 368ページ,No.30。

      28 「大群衆」のとったどんな行動により油そそがれた残りの者は,イザヤ 61章5節の言葉が自分たちに成就したのを知りましたか。

      28 自分の決意と行動の代価を十分に計算して,彼らは汚染し腐敗してゆく世の組織を捨てました。そしてエホバの見える組織に加わりました。もちろん,霊的イスラエル人として奉仕することはできませんが,キリストの治めるエホバの王国の良いたよりを布告する点で,油そそがれた残りの者を助けることを心から望みました。それでイエス・キリストの献身した追随者としてバプテスマを受けました。また霊的イスラエル人と共に活発に奉仕するようになりました。その結果,油そそがれた残りの者は,イザヤ 61章5節(新)の次の言葉が自分たちに成就するのを喜びを抱いて見ることになりました。「そしてよそ人たちが実際に立ち,あなたがた民の羊の群れを牧し,異国人たちはあなたがたの農夫また園丁となるであろう」。

      29 謙そんな思いを抱く「大群衆」は,「わたしたちの神の奉仕者」のために何をすることを喜びますか。それからどんな成果が生まれますか。

      29 「大群衆」は謙そんにも,イザヤ 61章6節(新)の中で「エホバの祭司」また「わたしたちの神の奉仕者」と呼ばれている人々と共に霊的パラダイスの中で奉仕することを,誉れとし特権とみなしました。エホバ神からそういう者として任命された油そそがれたクリスチャンは,エホバの霊的神殿で霊的な事柄に専門に従事しなければならないことを認識しています。したがって,油そそがれた残りの者がより重要な霊的事柄に専門に従事できるよう助け協力することにより,彼らを安堵させることを喜んで行ないます。このすべては,霊的パラダイスを美しくし実り豊かにして神に栄光を帰すのに役立ちます。

      30 イザヤ 61章5節は,これらの「よそ人」と「異国人」がどんな奉仕をすることを示していますか。しかし啓示 7章14,15節は彼らの奉仕についてどのように述べていますか。

      30 こうして今日の「よそ人」また「異国人」は,残りの者が,エホバの霊で油そそがれているゆえに彼らにかかっている責務を遂行できるよう彼らを助けます。イザヤ 61章5節の中では,助け手たちの仕事は,羊の群れの世話をし,農耕に従事し,ぶどう園の世話をすることのように描写されています。しかし啓示に出ている,すべての国民,部族,民,国語の中から来る異国人に関する幻の中では,彼らのことはこのように述べられています。「彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている」― 啓示 7:14,15。

      31 世が「大群衆」をどのように見ようとも,み座にいます神にとっては彼らは何ですか。

      31 「大群衆」の人々はこのように,み座にいます宇宙の主権者なる主に神聖な奉仕をささげる者として描かれています。この世が彼らをどのようにみなそうとも,彼らは主権者なる主のしもべです。

      32 イザヤ 61章5,6節は千年統治期間中に,残りの者と「大群衆」に関連して,より文字通りにどのように成就しますか。

      32 その「よそ人」また「異国人」の「大群衆」はきたるべき「大患難」を生き残ります。そのあと,キリストの千年統治期間中に彼らが行なうことを,イザヤ 61章5節はなんと美しく描写しているのでしょう。その期間中,「わたしたちの神の奉仕者」である「エホバの祭司」は,天において大祭司イエス・キリストと共に高められます。そしてそこで全人類に対する祭司としての奉仕を,かつてないほど多く行ないます。(啓示 20:6)しかし「大群衆」は,全体が文字通りパラダイスに変えられる,清められたこの地球の上に残されるでしょう。そのとき神の足台である地球を元の状態に戻し美化する仕事を始めるのはだれでしょうか。それは,油そそがれた残りの者と共に霊的パラダイスに固くついて離れなかった,患難生存者の「大群衆」です。

      33 そのとき「大群衆」は,人間が必要とするものや食欲をどのようにして満たしますか。エホバへの奉仕と崇拝において,彼らはだれのための開拓者となりますか。

      33 そのとき衣服を作るのでしょうか。「大群衆」が世話をする羊の群れの毛は,それに十分間に合うでしょう。パンとか畑の他の産物が望まれるでしょうか。「農夫」はおう盛な食欲を満足させることができるようにするでしょう。園丁は,人の心を喜ばせる最上のぶどう酒を供給できるでしょう。「大群衆」が行なっているであろう地のパラダイス回復の作業の進みぶりは,死人の中からよみがえってくる人々すべての目を喜ばせるでしょうし,また大祭司に買い戻されたその人々すべてのために前もって用意がされていたことを示すことになるでしょう。こうしたことを行ないながらも「大群衆」は,神の霊的神殿の地上の中庭でイエス・キリストを通してエホバ神に神聖な奉仕を定期的に行なうことを怠りません。この点で彼らは率先し,死人の中からよみがえってくる人々すべてのために優れた模範となるでしょう。―ルカ 23:43。

  • 喜びに満ちあふれ,神にあって歓喜する理由
    ものみの塔 1978 | 10月1日
    • 喜びに満ちあふれ,神にあって歓喜する理由

      1 なぜ霊的イスラエルの残りの者は今日,イザヤ 61章10節の成就で喜びに満ちあふれていますか。

      偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンへの捕らわれから,そしてその獄中から解放された喜びは,言い表わせない喜びです。人が真の宗教の神の恵みと善意を再び受け得るようになったことを歓喜するのには理由があります。霊的イスラエルの油そそがれた残りの者は今日,エホバが彼らを救出し回復させてくださったことを思い巡らすとき,喜びに満ちあふれます。霊感を受けた預言者イザヤは,彼らの口に次の言葉を入れます。「必ずわたしはエホバにあって歓喜するであろう。わたしの魂はわたしの神にあって喜びに満たされる。彼は救いの衣をわたしにまとわせてくださった。義のそでなしの上着でわたしを包んでくださった。祭司の仕方にならって頭飾りを着ける花婿のように,また飾り物で身を飾る花嫁のように」― イザヤ 61:10,新。

      2 油そそがれた残りの者は依然「救いの衣」を着ていますか。彼らが霊的パラダイスから追放されることが決してないのはなぜですか。

      2 戦後の年1919年以降,エホバは霊的イスラエルの油そそがれた残りの者を大いなるバビロンおよび彼女のこの世的な情夫から解放することによって,彼らのために「救い」を作ってこられました。その後あらゆる宗教的迫害が加えられたにもかかわらず,油そそがれた残りの者は依然として「救いの衣」をまとっています。残りの者は,大いなるバビロンとその不道徳な情夫がきたるべき「大患難」において滅ぼされるまで,身分証明となるその衣を着用しつづけることを決意しています。そうするゆえに彼らは,エホバが1919年以来彼らを連れて来ておられる霊的パラダイスから追放され,流罪にされることはありません。

      3 油そそがれた残りの者が「義のそでなしの上着」で包まれる必要が生じたのはどうしてですか。

      3 「義のそでなしの上着」は,回復した残りの者にエホバがお着せになった美しい「救いの衣」につけ加えられたものです。世の人々の目に霊的イスラエルの残りの者は,とくにキリスト教世界の僧職者が偽り伝えているせいで,宗教面で正しくないように見えました。彼らは異端,偽預言者,偽キリスト,人を欺く者,悪魔の子などのらく印を押されました。彼らが世界的な迫害の的になったことは,彼らに対するそうした非難の正しさを証明するもののように思えました。キリスト教世界ではとくにそうでした。しかしエホバは彼らをどうご覧になりましたか。

      4 エホバはご自分が,悔い改めて神を求める残りの者を義とみなし,彼らの正しさを立証していることを,どのようにお示しになりましたか。

      4 すべてのものの偉大な審判者は,彼らに罪を宣告して獄衣を着せご自分の組織から彼らを追放するようなことをされませんでした。彼らは偉大な審判者とそのみ言葉を求めたので,審判者は悔い改めた残りの者を再び受け入れて恵みをお与えになりました。審判者の証人また大使となって,この邪悪な事物の体制の終わる前に,国際的証言として「王国のこの良いたより(を)……人の住む全地」に宣べ伝えるという誉れある特権を,審判者は彼らにお与えになったのです。そしてご自分の名エホバが彼らに関連して呼ばれるようにされました。(マタイ 24:14。イザヤ 43:10)それから審判者は,ご自分のみ名と目的を世界の四すみに知らせるために彼らを大いにお用いになりました。このことは残りの者にとり,彼らの正しさを証明するものとなりました。

      5 それでひゆ的に言って,残りの者は衣服のどんな変化を経験し,どんな時の喜びに似た喜びを得ましたか。

      5 このことは残りの者を弁明するもの,全世界の前で彼らの正しさを宣言するものとなりました。ひゆ的に言ってこれは,「義のそでなしの上着」で彼らを包むことでした。このようにして彼らは衣服が汚れたものから飾りとなるものに変えられるのを経験しました。(イザヤ 52:1,2)このことに関する彼らの喜びは早くも,「ものみの塔」誌1925年2月1日号に掲載された,欽定訳のイザヤ 61章10節に基づいて「義の外衣」と題された6ページにわたる主要記事の中で発表されました。彼らの喜びは,婚礼の日の花婿と花嫁の喜びに似ていました。

      6 正しさを立証された残りの者のこの喜びはどれほどつづいていますか。だれが彼らと共に喜んでいますか。そしてその喜びを実際にどのように実証していますか。

      6 彼らが喜ぶことについては,イザヤの預言が先に述べていた,「定めのない時までの歓びが彼らのものとなる」という言葉が真実となりました。(イザヤ 61:7,新)西暦1935年から43年を経た今日も,救われてその正しさを立証された残りの者は引き続き大いに歓んでいますが,さらに彼らの助け手である「大群衆」もその喜びに加わっています。彼らは聖書の見方を取り,油そそがれた残りの者を「エホバの祭司」,「わたしたちの神の奉仕者」と見るようになりました。油そそがれた級が「救いの衣」と「義のそでなしの上着」を着ているのを彼らは認めています。そしてこのことに関する彼ら自身の喜びを,この是認された祭司なる公僕の残りの者と共にエホバ神に奉仕することによって表わしています。「大群衆」は,「よそ人」「異国人」として類別され,羊飼い,農夫,園丁などになぞらえられていますが,彼らが油そそがれた残りの者にもたらした安堵と助けは非常なものでした。霊的パラダイスは彼らの存在から益を受けました。―マタイ 25:31-46。

      7 これらの20世紀の奇跡は,ちょうどパレスチナに春が決まって訪れるように,なぜ必ず起こることになっていましたか。

      7 こうした20世紀の奇跡はすべて,聖書預言の成就として,ちょうどパレスチナの地に春が決まってめぐって来るのと同じほど正確に起こることになっていました。イザヤ 61章11節(新)の次の預言が成就を見ずに終わることはあり得ませんでした。「地がその芽を生じさせるように,また園がその中に植えられる物を芽生えさせるように,エホバご自身も義と賛美をすべての国の民の前に芽生えさせられる」。

      8 エホバはなぜ物事を正さずに放置できませんでしたか。そしてどの程度ご自分のしもべたちに彼らの「報酬」をお与えになりましたか。

      8 エホバ神はご自分の約束をなんと忠実に守って行動してこられたのでしょう。神は物事を正さずに放置することは決してできませんでした。エホバは「公正を愛し,強奪を不義と共に憎」む神です。(イザヤ 61:8,新)支払いの時に,エホバはよく働くしもべたちに「真実のうちに彼らの報酬」を与えねばなりませんでした。エホバは油そそが

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