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  • 世界宗教に対する厳しい非難
    目ざめよ! 1972 | 10月8日
    • 世界宗教に対する厳しい非難

      いったい世界宗教は人類をどこへ導いているのでしょうか。この質問の答えに,あなたは驚くかも,いえ,強いショックを受けるかもしれません。

      そうであっても,わたしたちは,あなたがこの問題に関する率直な討議を望んでおられることと思います。

      しかし,なぜわたしがこの問題に関心を持たねばならないのか,とあなたはお尋ねになるかもしれません。たぶん,自分には直接関係がない,と考えておられるかもしれません。

      ですが,自分自身とご家族の福祉には関心を持っておられるのではありませんか。むろんお持ちでしょう。では,あなたが教会に行こうが行くまいが,世界宗教はあなたに関係を持っており,あなたと,あなたの愛しておられるかたがたをともに悲劇的な結末へと導きかねないのです。

      どうしてそんなことがありうるのだろうか。少し飛躍しすぎていないか。宗教がそれほどの影響を及ぼすことはありえない,とお考えになるかもしれません。しかし,神ご自身が世界宗教に浴びせた非難の一つを聴いてください。「地上でほふられた者たちすべての血が彼女の中に見いだされた」― 黙示 18:24,新。

      考えてみてください。歴史を通じて幾百万のもの人をほふったすべての戦争に対し,世界宗教が主な責めを負っている,と神のみことばは述べているのです。

      聖書は世界宗教を娼婦とも描いています。彼女が地の支配者たちと『床に入り』,地に住む者たちは「彼女の淫行のぶどう酒で酔わされ」てきたと述べています。この女,世界宗教は,「娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」と呼ばれています。―黙示 17:2,5。a

      このことにあなたは驚かれますか。しかし,神のみことばは世界宗教についてそう述べているのです。それに,宗教についての真実を神ご自身よりよく知っている者がいるでしょうか。

      それにしても,世界の諸問題についてほんとうに宗教を責めることができるのでしょうか。共産主義は,また多くの人を共産主義に転じさせた,富んだ人たちによる圧制はどうですか。

      チェコスラバキアのプラハにある,コメニウス神学部教授団の学部長ヨセフ・フロマドカはこう語りました。「私は共産主義者ではありません。クリスチャンです。ですが,共産主義に対して責任があるのは,われわれクリスチャン以外の何者でもないことを知っています。…われわれは『言うだけで,実行しなかった』。…共産主義者もかつてはクリスチャンだったのです。彼らが正義の神を信じないのなら,それはだれの責任ですか」。1b

      何百万人もの人々が教会に背を向けているのは,単に偽善的な信心のためだけではなく,それ以上のわけがあります。世界宗教は概してだれを支持してきましたか。富んだ圧制的な人たちや裕福な地主階級,また勢力のある財閥などではありませんでしたか。少しでも楽になることを願って,多くの人は共産主義に転じました。

      また,今日の道徳の崩壊はどうですか。これに対してもやはり宗教が主な責めを負っているといいうるでしょうか。今日キリスト教世界の至る所で淫行・姦淫・同性愛・性病などがはびこっているのは,宗教に大いに責めがあると言えるでしょうか。

      戦争・共産主義・不道徳 ― こうした事態に人類を導き入れた責任が宗教にあるなどということは,多くの人にとって信じがたいことかもしれません。しかし,イエス・キリストが当時の宗教指導者を「盲目の案内人」と呼んだことを思い出してください。彼はこう言いました。「それで,盲人が盲人を案内するなら,ふたりとも穴に落ち込むのです」。(マタイ 15:14,新)それら宗教指導者は人々を誤らせていました。

      イエスはそればかりか,その時から40年も経ないうちにエルサレムとユダに臨んだ惨めな滅亡にユダヤ人を導いた責任は,直接それら宗教指導者にあることを示されました。―マタイ 23:29-36。

      今日これと平行した事態が見られますか。現代の宗教は実際に人類を同じような滅亡に導いているといえるでしょうか。こんなことは,ほのめかすことすら,人々の気に障るかもしれません。しかし,それがほかでもない神のみことばの述べていることであるならどうですか。もしそうなら,なぜそう言われているのか,わたしたちには何ができるのかを,少なくとも考える時間を設けるべきではないでしょうか。

      では,宗教は人類を実際どこに導いているのかを検討することにしましょう。そうすれば,神がこの問題にどう対処されようとしているかがわかりますし,それがあなたご自身と,あなたの愛しておられるかたがたとどんな関係があるかも明らかになってくることでしょう。

  • 宗教はどのように人々を導くか
    目ざめよ! 1972 | 10月8日
    • 宗教はどのように人々を導くか

      一見したところ,政治支配者が宗教を導いているように思えます。ある場合はそのとおりです。それにしても,支配者が,なかでもキリスト教であると主張する国の独裁者が権力を振ってこられたのはいったいなぜですか。

      それは宗教が人々の考え方をどの方向に導いてきたかに原因があるのではありませんか。実際,宗教が人々の思いをある型にはめてしまったために,独裁者が権力を得,それを保持するという事態が生じうるのです。人々は宗教の影響を受けて,政治指導者が自分たちの望む状態を社会にもたらしてくれると期待するようになっています。

      少数の例外を除けば,宗教指導者みずから政治支配者を賞賛し,追随してきました。時には,どちらの側に投票すべきかを人に告げることにより,僧職者が直接政治に介入することさえあります。

      したがって独裁者が登場して,人々に彼らの欲しているものを約束すると,多くの人は彼に従います。ところが彼が戦争を命じるとどうなりますか。大多数の人はこの点でも従うよう僧職者からしむけられているのです。

      政治支配者のやり方に行き過ぎの見られることがあります。僧職者の意に沿わないことをする場合です。ですが,そうした悪政に対してまず責任があるのはだれですか。たとえば,ヒトラー政府は,僧職者の大多数が彼を支持するよう人々に命じなかったら,少なくとも支持することを許さなかったら,あれほどの権力を振うことができたでしょうか。ナチ主義の地位は,ヒトラーとバチカンの間に結ばれた政教条約によって強化されたのではありませんか。

      ロシアの教会が富裕な地主階級や他の圧制的な分子を支持するあまり,必然ともいうべき反動が起きましたが,もしそういう事態が生じていなかったら,共産主義がロシアで政権を握っていたでしょうか。キリスト教世界の国民が中国人に対してもっと別の扱い方をしていたなら,共産主義が中国大陸を手中に収めていたでしょうか。

      今日の急進的な僧職者の中には,革命を勧める人さえいます。しかし,彼らはそうすることによって,自分たちの態度を実際に変えているのでしょうか。神のみことば聖書に教えられている真の解放を示す代わりに,人々を別の利己的な支配形態に導いているに過ぎないのではありませんか。

      また,道徳はどうですか。淫行や姦淫,性的に異常な行為をならわしにする教会員はどうなりますか。相変わらずりっぱな会員として留まるのが普通です。道徳上の訓練や指導を与える面での教会の怠慢こそ,キリスト教世界の至る所で見られる性病,私生児の出生,あるいは堕胎などの驚くべき増加の主要な原因を作っているのではないでしょうか。

      今日のこの状態は,イスラエルがバビロンに流刑にされる前,彼らの首都エルサレムが破壊される前の状態と全く同じです。聖書は当時について,「預言者と祭司は偕に邪悪なり」と述べています。―エレミヤ 23:11。

      その結果どんな状態が生じましたか。聖書は次のように答えています。「ただ詛 偽 凶殺 盗 姦淫のみにして互に相襲ひ血血につゞき流る」― ホセア 4:2。

      僧職者は今日,古代イスラエルにおけると同様,神についての信仰を保たなかった,というのが真実です。信徒に神のみことばの真理を教えていませんし,自分自身それに従いもしません。神に命令されることを行なうよりは,自分の考えを遂行することに関心を示してきました。

      これは,神の名によってなされた嫌悪すべき事柄を非難した僧職者が全くいなかった,という意味ではありません。政治に携わる人々のなかの誠実な人々が事態を正そうと努めてきました。しかし,妥協と利己主義という支配的精神,さらに幾世紀もかかって築き上げられた,正しい原則を無視する体制とのために,キリスト教世界をよくしようとする人々は無力な状態に置かれてきました。たぶん,世界宗教の失敗が招いた最も悲惨な結果は,人類の戦争に関するものでしょう。その記録を調べるなら,わたしたちは大いに考えさせられます。たとえば,ベトナム戦争に関連した,宗教はどんな記録を示しているでしょうか。

  • ベトナム戦争 ― 宗教は人々をどこへ導いたか
    目ざめよ! 1972 | 10月8日
    • ベトナム戦争 ― 宗教は人々をどこへ導いたか

      カトリック,プロテスタント,その他の宗教団体に属する若い人々が何千人となくベトナムで戦ってきました。そして今なお多くの人が戦っています。僧職者は直接戦場で兵士に仕えています。宗教は人々をこの戦争に送り出すことに関与したでしょうか。

      ベトナムの戦闘に関して,プロテスタント諸教派は今どんな立場を取っていますか。イエズス会士ロバート・ドリナン

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