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どこに安全を見いだせますかものみの塔 1968 | 4月1日
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ん。それは教会が死につつあるからです。神のことばはこう述べています。「人間のいましめを教として教え,無意味にわたしを拝んでいる」― マタイ 15:9。
教会に神を見いだすことを求め,安全を得ようとする人は失望するでしょう。神はそこにはいません。それだからこそ,教会は混乱しているのです。神がいられるなら,平和と一致と秩序が見られることでしょう。「神は無秩序の神ではなく,平和の神である」― コリント第一 14:33。
ではどこに真実の安全を見いだすことができますか。それを授けてくださる神をどのように見いだすことができますか。それには聖書を読み,そこに述べられている神のことばを心に深くとめることです。詩篇 112篇1,7節(文語)は励みとなることばを述べています。「エホバを畏れてそのもろもろの誡命をいたく喜ぶものはさいはひなり彼はあしき音信によりて畏れず」。このような人のことについて,詩篇は次のことばを加えています。「われ安然にして臥またねぶらんエホバよわれを独にて担然にをらしむるものは汝なり」― 詩 4:8,文語。
この苦難の時代に安全を備えることができる者は,真の神エホバのほかにありません。この安全を得るための第一歩は,神のお目的とみこころをはっきり知るために神のことばの組織的な研究を始めることです。そして神のご要求に自分を一致させればさせるほど,いっそう大きな安全を得ます。
神を敬い,神の高い水準を尊重する人々と交わることも絶対に必要です。エホバの証人以上に神を敬っている人々はいません。彼らの中にあってあなたもご家族も安心感をもたれるでしょう。エホバの証人は,偽りを言う者や盗む者,姦淫や淫行をする者,他の人を腐敗させ,あるいは食いものにしようとする者を彼らの中で容赦しません。エホバの証人は神の律法のすべてを尊重しています。それであなたは,神の目に正しく行なおうと誠実に努めている人々の中にいることになります。そのことは最大の安全となり,また幸福をもたらします。
しかしそれにもましてエホバの証人は,死に直面しても彼らを強くする安心感を享受しており,あなたもそれにあずかることができます。ナチスの強制収容所にいて,他の人々が絶望の淵に沈んでいるのを見たひとりの作家は次のことを書いています。「エホバの証人は特別なかっさいに値するほどの勇気,大胆さ,徳,克己を逆境の中にあって示した。彼らは泥海の中の岩であった」― N・ガン,「ザ・デイ・オブ・ザ・アメリカンズ」。
ゆえに真実の安全を見いだすことを望まれるならば,真の神エホバに頼ってください。エホバのみがそれを与えてくださるのです。神のことばから神について学んでください。エホバを崇拝し,その聖なることばに堅くつき従う人々と交わってください。そうするとき,いま安全を得,またこの事物の制度の終わりに生き残って神の正義の新しい秩序に生きる確かな希望をいだくことができます。―ペテロ第二 3:13。
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家族の聖書研究ものみの塔 1968 | 4月1日
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家族の聖書研究
● アルゼンチンの,ものみの塔協会は,集会への出席および,エホバの家に来て知識を求めるよう,エホバの組織に交わっているすべての人を援助することの大切さを大いに強調してきました。弱い人を助けることの大切さが強調されたのです。家族で集会のための予習をすることで,会衆の監督やしもべたちが率先して組織するようにと,巡回大会や「御国奉仕」を通して提案されました。監督は,ある週,自分の援助している一家族を訪問し,次の週には,その家族が監督の家を訪問するのです。こうすれば,相互の家庭で勉強できます。ある会衆は,このような方法で12の研究を設けることができたと報告しています。77人の伝道者のいる一会衆では,「ものみの塔」研究のそれまでの平均出席者数は62名でしたが,今では出席者数は80名にふえました。いくつかの会衆は,「ものみの塔」研究に伝道者の100パーセント以上の人々が出席していると報告しています。―エホバの証人の1968年度年鑑より
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