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動物崇拝 ― その昔と今ものみの塔 1955 | 12月1日
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は食物として動物の肉を人間に与えました。―シンゲン 12:10。
下等動物の機能,特にその頭脳は,人間の機能や頭脳と比べてずつと低いものです。動物は理解力がなく,分別できず,道徳観念を持たず,ヱホバを崇拝することができません。このことからして,人間が動物を崇拝することは,いかに馬鹿らしいものであるかが分ります。人間が堕落するとき,人間は犬畜性の標準にまで下つてしまうのです。『われおろかにして知覚なし,聖前にありて獣にひとしかりき。』ネブカデネザル王が気狂いになつたとき,獣のような行をしました。―詩 73:22。
分別のない動物は,永遠に生きることができず,死なねばなりません。その理由で,悪しき人々が獣に似せられているのです。『これらの人々は,捕えられて亡ぼされるるために生まれてくる分別の無い動物と同じく,』亡びをうけます。『尊貴なかにありて曉らざる人はほろびうける獣のごとし。』聖書によると,獣には復活もなく,天的の希望もありません。―ペテロ後 2:12,新世。詩 49:20。
人間は崇拝をするためにつくられました。それは,自分自身を崇拝するためでなく,他の人間を崇拝するためでもなく,ましてや人間よりも劣るものを崇拝するためではありません。ただ唯一つのヱホバ神を崇拝するためです。『あなた方はヱホバ神だけを崇拝しなければならない。あなた方はヱホバ神だけに聖なる奉仕を捧げねばならない。』創造者への心からの献身が足りない人は,造られたものを重んじ,造られたものに,仕えるようになります。それは崇拝の一つの形式です。―マタイ 4:10,新世。
マタイ伝 24章やテモテ後書 3章1-5節のような聖書予言の成就から判断すると,私たちは終の日に住んでいることが分ります。現在もつとも大切なことは,「ヱホバと,正義と柔和を求めよ」というヱホバのいましめに従うことであり,また「御国の良いたより」を伝道することによつて,他の人を助け,そしてヱホバのいましめに従わせることです。クリスチャンは,下等動物をむやみやたらにいぢめず,又面白半分に殺すことをいたしません。クリスチャンは,最重要のことを一番大切に重んじています。つまり,彼らは心から創造者であるヱホバ神に献身しており,そして「神の義と神の御国を求め続け」ます。―ゼパニヤ 2:1-3。マタイ 24:14; 6:33,新世。
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ナチスの威し証者に利かずものみの塔 1955 | 12月1日
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ナチスの威し証者に利かず
『地獄の理論と実践』(英文)という本は,ナチ収容所についての実態報告です。この本は,長いあいだドイツのベスト・セラーでしたが,1955年4月その英語版が出版されました。『ものみの塔』の読者にとつて,格別の興味をそそるものは『囚人の種類』という章の中でヱホバの証者に関する所です。
『1938年9月6日,エス・エス(ナチス精鋭警備隊)は,(ブッチェンワルドにいた)証者たちに,彼らの信仰,特に宣誓を拒絶することと,軍役に服さぬことを止めるという宣誓文をしたためれば,自由の身となれる機会を申し出た。その誘惑に屈した者は,ほんの僅かな者であつた。誘惑に屈しなかつた者たちは,元気をくぢくための拷問をうけた。1939年の復活祭の日曜日,ブッチェンワルドの点呼士官は,証者たちを説得して「国家と総統」を認めさせようとした。それはぜんぜん失敗であつた。聖霊降臨祭日に,ヱホバの証者は全員点呼場にふたたび召集された。演説が行われ,それから恐ろしい疲労訓練が始まつた。1時間15分のあいだ,これら悲惨な証者たちは転がつり,飛んだり,匍い廻つたり,走らねばならなかつた。そして,その間監視兵共は彼らを靴で蹴とばしていたのである。
『戦争が始まつたとき,ザフセンハウセン収容所にいた証者たちは,軍務に服すようにすすめられた。それを拒絶した者は,ひとりびとり,背後にいた10人の射撃兵により射殺されて行つた。40人の証者が射殺された後,エス・エスは止めた。ブッチェンワルドでは,1939年9月6日に,証者たちは軍務に服すようすすめられた。収容所所長レデルはこう演説した「諸君も御存知の通り,戦争が始まり,ドイツ国家は危険な状態にある。いまや新しい法律が行われている。諸君がフランスや英国に対して戦うのを拒絶するなら,諸君全部を射殺する。』ものものしく武装したエス・エス二小隊が営門のところまで近づいてきた。とひりのヱホバの証者も,士官のすすめに応じなかつた。ちよつとのあいだ沈黙が続きそれから命令が出された「手を挙げろ! ポケットを空にせよ!」 エス・エスの隊員は,証者たちを襲い,一銭残らず有金をみな奪い取つた。―予期したものとはちがつたためか,なんとなく気味の悪い復讐のようであつた。証者たちは石切り場の仕事をさせられ,全期間中病院の治療は禁ぜられた。『心理的に言うと,エス・エスはヱホバの証者の力に対抗できなかつたとの印象を感ぜざるを得ない。』
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