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何に動かされて決定を下しますかものみの塔 1969 | 7月1日
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は,エホバに対する崇拝でわたしたちを助けるためのエホバの備えです。最後の決定を下す責任はわたしたちにありますが,その助けを得て,関係している原則を見定め,またそれらの原則を守るのに必要な励みも得られます。それは良い影響になります。―ガラテヤ 6:5。
21 決定を下すのに祈りはなぜ肝要ですか。
21 また祈りを通してエホバ神に近づき,下さねばならない決定について祝福と導きを願い求めるのは肝要なことです。パウロはこう勧めています。「何事をも思ひ煩ふな,ただ事ごとに祈をなし願をなし,感謝して汝らの求を神に告げよ。さらばすべて人の思にすぐる神の平安は汝らの心と思とをキリスト・イエスによりて守らん」。(ピリピ 4:6,7)聖書はいろいろな問題に関するエホバのお考えを示し,わたしたちに必要な導きを与えますが,そのものずばりの“はい”あるいは“いいえ”式の答えをいつも与えるわけではありません。また,当面の問題に対する明快な答えに接して,正しく事を運ぶ以上の力を必要とする場合もあります。これは祈りをすべき時です。エホバはわたしたち各人に関心を持ち,祈りを通して願い求めるようにわたしたちを招いておられます。それでわたしたちがそうするとき,確かに『神の平安がわたしたちの心と思いとを守る』でしょう。そうです,わたしたちはエホバ神に動かされて正しい決定を下せるように祈り求めることができるのです。しかしそれとともに,神のみことばを調べることを忘れてはなりません。神の答えはたいていそこにあるからです。
22 わたしたちはどんな不健全な影響力から自分を守らねばなりませんか。なぜですか。
22 今は危急な時代であり,わたしたちはみなさまざまな決定を下さねばなりません。献身したわたしたちとエホバとの関係や,わたしたちの永遠の将来にかかわるむずかしい決定もあります。老若を問わず,この世の人々との不必要な交わりを退けてください。エホバの御心を行なうためのさまざまな決定をこの世とその精神に左右させてはなりません。ヨハネのしるした次のことばを心に留めてください。「おほよそ世にあるもの,すなはち肉の欲・眼の慾・所有の誇などは,御父より出づるにあらず,世より出づるなり。世と世の欲とは過ぎゆく,されど神の御意をおこなふ者はとこしへにとどまるなり」― ヨハネ第一 2:15-17。
23 何に動かされて生活上の決定を下すべきですか。
23 決定を下す必要に直面したなら,神のみことばに動かされるようにし,関係している原則を見分けるため,みことばを注意深く調べてください。また,当面の問題に関し神がご自分の組織を通して与えておられる助言を注意深く考慮し,円熟した兄弟たちの助けと感化とを求め,さらに祈りを通してエホバの影響を仰ぎ,そして献身した自分とエホバ神との関係をいつも考えてください。そうです。これらの事柄に動かされて生活上の決定を下すべきです
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偏見を取り除くものみの塔 1969 | 7月1日
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偏見を取り除く
★ アフリカのリオ・ムニでのこと,ある町の郵便局で一人の老人は封書を書留にしようとしていました。しかし彼は,用紙に記入することができなかったので,他の人々に助けてほしいと頼みました。しかしどの人も忙しいと言って断わりました。それで一兄弟はその老人に近づき,「お手伝いしましょうか」と言いました。助けてくれる人を見つけた老人はとても喜びました。その兄弟が記入し終えた時,窓にいた局員は,あなたはエホバの証人ではありませんかと尋ねました。それで兄弟は「このようなことをする人はエホバの証人だけですか」と言いました。その男の人は「そうです,実はここにいる私たち全部の者は老人の頼みを断わりましたが,あなただけが彼の頼みを聞き入れました。今の世の中でそのような態度を取るのはエホバの証人だけです」と答えました。「おっしゃるとおり,私はエホバの証人です」と兄弟は述べました。その老人は郵便局での用事をすませ。それから家に帰ってエホバの証人のりっぱなふるまいについて語りはじめました。それでこのことは,これまで伝道がむずかしかったこの地域内での偏見を取り除くのに大いに貢献しました。
― エホバの証人の1969年度年鑑より
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