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真の崇拝 ― 成功する生き方ものみの塔 1976 | 7月15日
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ことを拒否した。……ゲシュタポの総力をあげてのテロに対抗して同様の決意を表明した教派は他にはなかった」― 196,198,199ページ。
これら二つの,史上最悪の大戦争ぼっ発後,真理の道に従ったと言い得たのは,どんな人たちだけですか。
16,17 (イ)政府に関する真理はどのように実証されましたか。(ロ)神の王国政府はなぜ成功しますか。実例で示してください。
16 今日人類が直面している大きな問題 ― 世界政府 ― に関する聖書の原則も,真理であることが証明されつつあります。『この人かの人を治めてこれに害をこうむらしむることあり』,『人は自らその歩みを定むること能わざるなり』とは,昔に述べられた真理です。(伝道 8:9。エレミヤ 10:23)人間生活の現実は,人間が作り出し得るものより優れた政府を要求します。幾千年にわたる人間の歴史はこのことを疑問の余地なく証明しました。現在では,最近のニューヨーク・タイムズのニュース解説が慨嘆した通り,「あらゆる場所の指導者たちが権威と信頼を失っていることは明らか」です。「あらゆる国のあらゆる種類の政府は,国民が非常に憂慮している問題を解決する彼らの能力への信頼を呼び起こすことができないために,困った立場にある」― 1974年5月15日付,2ページ。
17 ところが今日,他のすべての政府が失敗している点で成功している政府が一つあります。なぜ成功しているのでしょうか。なぜならそれは,人間の作った似たりよったりの政府ではないからです。それは神の王国政府で,現在,地上における真理の道を管理しています。200以上の国に住む200万を超える忠節な臣民は,その政策を,身体面,精神面,物質面で,自発的に熱意を込めて支持しています。その憲法と法典(聖書)は,各地方の都市のような会衆を通して,地上の政府のどの法律の場合よりもはるかに効果的に実施されています。したがってクリスチャン会衆は,「真理の柱また支え」として働き,人々を従順になるように助け,また真理の道にとどまることを望まない者を除きます。(テモテ第一 3:15。コリント第一 5:6-13)その王国政府の臣民は,世界の常時ベストセラーの上位10位の半分以上を占める教科書を通して,真理に関する比類のない教育を受けています。a この王国政府はうまくいっています。そして日増しに発展しています。それは真理を基礎にしているからです。
成功へのかぎ
18 真理を生き方とする強みを幾つか挙げてください。
18 真理を自分の生きる道とする人々は,いろいろな出来事や状況に現実的な考えをもって当たります。人間の状態に関する真理の理解は,それらのクリスチャンたちが人間として,援助を必要としている他の人々に愛を示す助けになります。彼らの家族も,家族の頭および子供の教育に関する聖書の正しい助言に従う益を反映します。(ペテロ第一 2:12。エフェソス 5:33; 6:1-4)彼らは将来に関する真理を聖書を読んで知っていますから,現在に対する欲求不満から解放されて確信と喜びに満ちた見方を持つようになり,恐れがなくなります。―箴 3:25,26。
19,20 (イ)真のクリスチャンの生き方の何に他の人々は注目しますか。(ロ)エホバの証人をほめながら彼らの信条を非難する人々はなぜ道理からはずれていると言えますか。(ハ)わたしたちの祈りはどんなものであるべきですか。
19 この生き方が成功していることは,しばしば他の人々の注目を引きます。エホバの証人が大会を開いていた時にワシントン市の一新聞に載せられた,これらのクリスチャンについての感想は,その原因を指摘しています。
「慎み深く行動することに対する彼らの強い関心は,一都市にとって一服のさわやかな強壮剤である。……彼らがここへ来たのは何かを求めるためではなく,『ただ聖書とその原則を,人類の病弊の唯一の実行可能な解決策として擁護するためである』と彼らは言う」。
そこに成功へのかぎがあります。神の言葉聖書は「実行可能な」ものです。それは実際面でうまくいきます。
20 ニューヨーク州,ロチェスターのデモクラット・アンド・クロニクル紙に掲載された一記事は,「証人たちは彼らの宗教を日ごとに実践しているという印象を与える」と述べていますが,その前に,「他の信仰を持つ人々が彼らの聖書の解釈にどれほど異議を唱えても,証人たちの信条は深く,誠実に信じられている」と述べています。エホバの証人の振舞いをほめる人が同時に彼らの「解釈」を非難するのはよくあることですが,それは不合理ではないでしょうか。エホバの証人の振舞いを異なるものにしているのは何でしょうか。彼らは生まれつきそうなのでしょうか。そうではありません。まさにこの「解釈」が,エホバの証人を彼らたらしめているのです。彼らが信じていることは聖書から得た真理であって,彼らの生き方なのです。だからこそ他の人々が失敗するところで彼らは成功することができるのです。ですからエホバの証人は詩篇作者と同じように確信を抱いてこう祈ります。「わたしに教示してください,ああエホバよ,あなたの道を。わたしはあなたの真理のうちを歩むでしょう」。「あなたの真理のうちを歩ませ,わたしを教えてください」。そのように歩む人について詩篇作者はこう述べています。「[エホバは]その者が選ぶ道を教示される。彼ら自らの魂は善良さそのものに宿り,その子孫は地を所有するであろう」― 詩 86:11; 25:5,12,13,新。
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聖書の原則に従い生活を改めるものみの塔 1976 | 7月15日
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聖書の原則に従い生活を改める
ダホメーに住むエホバの証人の一兄弟は,戸別に行なう伝道の業に携わっていた際,明らかに夫婦げんかの最中だった一組の若い夫婦に会いました。話をする許可を得た彼は,エフェソス 4章26節にある,「怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」という聖句を読み,次いで証言にはいりました。その若い夫婦はそうした優れた原則を学んで非常に喜び,その日に王国会館で行なわれる公開集会に出席するようにとの招待に応じました。たまたま,講演は結婚に関するものでした。それによってふたりは,神のみことばに見いだせる実際的な助言に対する認識をさらに深めることができました。聞いた事柄に非常に感動したその夫婦は,家庭聖書研究の取り決めを喜んで受け入れました。
わずか2,3週間聖書を学んだだけで,ふたりは自分たちの生活を神のみことばに一致させる必要を悟り,ふたりの結婚を合法的なものにするために必要な処置を取りました。まもなく妻は野外奉仕に参加し始め,夫は非常に良い進歩を示していました。彼らは,その兄弟が機敏で,有益な聖書の助言を教えてくれたことをたいへん喜んでいます。今ではその夫婦の生活も神のみことばに光輝を加えることができるのです。
「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されて」いる人々は確かに大勢います。(マタイ 9:36)ある日曜日の朝,ひとりのカトリック教徒が教会へ行ったところ,司祭は出席者に説教を準備しなかったと述べました。その人にとって,それは「重荷に小付」でした。彼はその教会をやめてどこかほかのところを探すことにしました。しかし,行くあてもありませんでした。それまでにもしばらくの間彼はそのことについて祈っていました。その人は時折りエホバの証人と話したことを思い出して,王国会館に行くことにし,集会で数人の兄弟と話をしました。そして家庭聖書研究が始まったのです。「真理」の本の第二章が終わると,彼は脱退を通知する手紙を司祭に書き送りました。司祭が訪問したところ,その関心を持つ人は,33年間「飢え渇いた」すえついに真理を見いだした,と司祭に告げました。
聖書研究は引き続き行なわれました。数週間して,その人は,研究を司会している兄弟に,不道徳なことが行なわれていることで知られるホテルを持っていると言って,どうしたらよいか尋ねました。兄弟がそのことに関連のある聖書の原則を示すと,その人はホテルを売る決心をしました。それからまもなく彼はその事業を捨て,明らかな良心を持って非常にまじめで熱心な伝道者になりました。生活の面でそうした変化を遂げる人々は,『すべての事においてわたしたちの救い主なる神の教えを飾り』ます。―「エホバの証人の1976年の年鑑」より
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