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  • わたしはアフリカの“村医者”だった
    目ざめよ! 1972 | 6月8日
    • 一生真の神に仕える

      わたしが魔術やあらゆる形態の心霊術と関係を絶ったというニュースが行きわたると,地方的な秘密団体“ブシュ”の入口に呼び出されました。そこで“村医者”の長であるゾがこう質問しました。「ポロとサンデ[原住民の秘密団体]とはもう手を切ると言って,薬を全部川に放り込んだのはおまえか」。

      「そうです」とわたしは答えました。

      「おまえは,そういうことをわれわれに言って,ここに集まっているみんながこわくないのか」。

      それに対してわたしはこう返答しました。

      「わたしはあなたがたをおそれて,生ける神エホバの前に悪い事をしようとは思いません」。

      「おまえの言うエホバのほうにつくがいい。だが,われわれがどんな者か思い知らせてやる」とゾはどなりちらしました。それは,わたしを明らかに“村医術”で毒殺するということの暗示でした。彼らから離れてまっすぐ歩きながら,わたしは祈りを通してエホバの保護を求めました。

      わたしの身には一つの災いもふりかかりませんでした。しかし,その後,家族のかしらである,おじは,「どんな良いことがおまえの身に起きても,それをわたしのところへ持ちこまないでくれ。それからどんな悪いことが起きても,それは自分だけのものにしておけ」と言って,わたしを正式に勘当しました。そうした反対にもかかわらず,わたしは親族の者たちに親切にしました。エホバに仕えるとは,そのみことばである聖書に収められている高い原則に従って行動することであることを知っていたからです。

      もはや“村医者”でなくなったわたしは,トラクターの部品を洗うという賃金の非常に安い仕事を見つけました。責任者はまもなく,他の人たちがなまけている間も,わたしは働いていることに気づきました。ある日,その責任者は,トラック1台分の部品が届いた時に酔っぱらっていました。そこでわたしは彼のかわりに荷物を受け取り,員数をチェックして確かめました。仕事仲間たちは,手当てももらわずに仕事をすると言ってわたしを嘲笑しました。しかし,責任者は,彼の仕事の手間が省けたことを感謝しました。そしてまもなく,わたしは最初の賃金の5倍をもらうようになりました。

      世俗の仕事を心をこめて行なうことは十分の満足をもたらしましたが,聖書の真理を他の人に伝道することにもっと時間を費やせば,さらに大きな満足が得られることを知っていました。そして,グバルンガで開かれるクリスチャンの大会がすんだら,わたしが全時間伝道を始めることで妻とわたしの意見は一致しました。わたしは仕事をやめ,持物や貯金のすべてを携え,妻と幼いむすこを連れて大会に行きました。突然,大会は兵士たちによって粉砕され,世俗の旗に宗教的な敬礼をする問題でわたしたちの信仰はためされました。わたしたちは屋外で監禁され,三日三晩,食べ物も飲み物も与えられませんでした。そして,釈放後,自分たちの財産が一つ残らず盗まれたことを知りました。しかし,大ぜいのクリスチャン兄弟たちがお金をくださったので,家に帰ることができました。家に帰った最初の夜,わたしは2匹のしかと1匹のやまあらしを捕えて殺しました。その年はずっとそのようにして家族を養いました。

      ついに1964年,わたしは自分の心が,できる限り十分にエホバに仕えたいと願っていることがわかったので,神の王国の全時間宣布者になりました。エホバはわたしたちに必要物を驚くほど備えてくださいました。それで現在子どもは6人になりましたが,わたしは自分が選んだ奉仕の道を歩み続けています。

      その間,わたしは,めいとひとりのおじが真理を受け入れるのを見る喜びを得ました。また,家族の他の者たちも今では関心を持っています。わたしの一番上の兄が病気になって,治療のためにわたしたちの住む町へ連れてこられた時,クリスチャン愛を示す機会がありました。その兄はわたしがエホバに仕えることを強く反対していたので,わたしの家に泊まりに来ませんでした。しかし,わたしは兄のところへ行って家に連れて来ると,食物を与えたり,自分にできる限りのことをしました。しばらくして家族の他の者たちが来て,「わたしたちはこういうものだとは知らなかったが,神に仕える道はじつにすばらしい。おまえはわたしたちに刃向かうことなく,ばかにされても思いやりと尊敬を示してくれたね」と言いました。真のクリスチャンの道は,アフリカの“村医者”の道となんと異なっているのでしょう。わたしは,悪に対して悪を持って報いるかわりに,「善をもて悪に勝て」という聖書のことばを実行しました。(ロマ 12:17-21)アフリカの“村医術”とキリスト教世界の偽りの宗教を捨て,暗やみから輝かしい光のもとに来てエホバに仕えるわたしは,ほんとうに幸福です。

      「汝らの中間にその男子女子をして火の中を通らしむる者あるべからずまた卜筮する者邪法を行なふ者禁厭する者…憑鬼する者巫覡の業をなす者死人に詢ことをする者あるべからず」。「[汝ら]真理を知らん,而して真理は汝らに自由を得さすべし」― 申命 18:10,11。ヨハネ 8:32。

  • 創造物の構成材料
    目ざめよ! 1972 | 6月8日
    • 創造物の構成材料

      あなたの周囲を見回してごらんなさい。何が見えますか。丘や山々の崇高な美しさ,草木や樹木の魅惑的な色や形,獣や鳥やこん虫の興味深い習性などに感動しない人はいないでしょう。創造物の複雑さだけでも想像を絶するものがあります。

      これらの美しい,畏敬の念をさえ起こさせるおびただしい数のものはみないったい何からできているのだろうか,と考えることはありませんか。創造物の構成材料は何でしょうか。それらの構成材料がどのように集められて,わたしたちの周囲の無数の物質はできているのでしょうか。わたしたちが目にする無数の驚嘆すべき創造物は,固体の世界を成しているように見えます。ところがこのすべてが,99.9%まで無の,もしくは空虚な構成材料でできているということを知ったなら,あなたは驚きますか。

      人間は何千年もの間,物質を構成しているものはいったい何かというなぞの解明を試みてきました。物質とは,「それをもって何でも作れるもの」と辞書は定義しています。しかしそれは何でつくられているのでしょうか。科学者たちが,物質の基本的性質をほんとうに理解しはじめたのは今世紀であって,それも過去30年か40年の間のことです。現在では研究者たちは,岩石,植物,動物,川その他人間の感覚で知りうるものはすべて三つの基本的粒子から成る構成材料でできていると言います。

      それら三つの基本的粒子が,構成材料中にそれぞれ何個存在するかによって,それらの粒子がつくり上げる各構成材料,すなわち「原子」の性質と特性が決まります。a

      しかしまず,定義をはっきりさせましょう。「原子」とは「元素の最小粒子」です。「元素」とは,「化学的な方法によってはそれ以上簡単な物質に分割できない物質」と定義されてきました。たとえば,仮にわたしたちが金の元素のサンプルを手にし,それをだんだん

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