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    ものみの塔 1977 | 5月1日
    • 確信を抱いて「大患難」に立ち向かう

      「エホバご自身,事実上あなたの確信となってくださる」― 箴 3:26,新。

      1,2 すべての人は何に関心を持っていますか。多くの人はそれをどのように示しますか。

      全人類は将来に対して深い関心を抱いています。まだ起きていない事柄を心配するのは,人間の持つ自然の情です。人々は日々の仕事に一生懸命従事していますが,多くの場合将来の事を考えてそうしているのです。人々は絶えず将来のために計画を立てています。人々のあこがれや願望,その期待や希望はおおかた,将来もたらされるであろうと自ら信ずる事柄に基づいています。それで,人は幸福であるためには,将来に関して確信を抱かねばなりません。

      2 このように来たるべき出来事について事前に知りたいと思うあまり,多くの人は,将来を知ることができると主張する者たち,つまり霊媒や占いや占星術者などに助言を求めます。何が起こるかについて,悪霊の霊感を受けたお告げの述べる事を知ろうとして天宮図を調べたり,ウィジャ盤で伺いを立てたりする人はますます増えています。

      3 将来に関し,エホバの証人は他の人々とどのように違いますか。(申命 18:10-12)

      3 しかし,将来のことを知りたいというこの生来の願望となると,エホバに仕える人たちと,そうでない人たちとの間には一つの非常に大きな違いがあります。神の民は決して易者や占星術家あるいは心霊術に頼る占い者のもとに行って,来たるべき出来事について知ろうなどとはしません。また,将来の事を知ろうとして,悪霊と関係のある他の所に行って伺いを立てたりすることもありません。証人たちがそれをしないのには十分の理由があるのです。

      4 将来を考えるときにエホバの民は大きな確信を抱いていますが,その根拠となっているものは何ですか。

      4 西暦前9世紀のこと,預言者アモスは聖書のアモス書 3章7節に次のような真理を書き記しました。『主エホバはそのかくれたる事をその僕なる預言者に伝えずしては何事をもなしたまわざるなり』。次いでそれらの預言者は,将来に期待すべき事柄を一般のエホバの民に伝えます。そして,それが神の民の抱く確信の根拠となっているのです。

      5,6 (イ)西暦一世紀におけるエルサレムの状態を説明してください。(ロ)しかし,なぜ当時のクリスチャンは他の人々と同じような見方をしませんでしたか。

      5 西暦1世紀当時のエルサレムの都の事情を考えてみてください。一般の人々もその指導者たちも,事態はとても満足のゆくようなものではないことを認めていました。ところが,事情に通じている人々や民の指導者たちは,将来についてどんな事を予言していましたか。ある人々は当時の現状でかなり満足しており,事態がほとんど変わらずに存続してくれればそれで幸いだったようです。他の人々はローマの支配や課税に対する反抗や革命を唱え,そのような道を取ればより大きな自由と平和と繁栄がもたらされると主張しました。しかし,その都の識者や助言者や顧問たちの中には,エルサレムが大患難に遭って完全に,しかもその世代のうちに滅ぼされることを予告した人はひとりもいませんでした。そのような不測の事件が起こることなど彼らは全く考えていませんでした。―使徒 5:36,37。

      6 一世紀のクリスチャンはそれら世故にたけた人びとやその予言に信頼と確信を置いていましたか。いいえ,決してそうではありませんでした。エホバは全く異なった,ある事柄をご自分の偉大な預言者である主イエス・キリストに事前に明らかにしておられました。それはつまり,ほどなくして当時の世代のうちに起きることをエホバが定めておられた事柄でした。神のその真の預言者は警告を述べてこう言いました。「あなたの敵が,先のとがった杭でまわりに塁を築き,取り囲んで四方からあなた[エルサレム]を攻めたてる日が来る(でしょう)……あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう」。実に,「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難がある(でしょう)」― ルカ 19:41-44。マタイ 23:36-38; 24:2,21。

      7 エルサレムの周辺に住んでいたクリスチャンはなぜ確信を抱いて将来に立ち向かうことができましたか。

      7 このような来たるべき患難を前にして,当時エルサレム内外で生活していたクリスチャンは,予告されたその災厄に確信を抱いて立ち向かうべき何らかの理由がありましたか。確かにありました。というのは,神の真の預言者は,その災厄がまさに起ころうとする時期をどのようにして知るか,また身の安全を確保するにはどんな行動を取るべきかについても彼らに話していたからです。彼はこう言いました。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時……ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」― ルカ 21:20,21。

      今日の類似した事態

      8 今日,キリスト教世界に,どんな類似の事態が存在しますか。

      8 今日,不忠実な都エルサレムに対応する偽善的な組織を形成するキリスト教世界の諸教派にも,類似した事態が見られます。現代の世界の人々は,事情に通じた科学者はもとより,政治上の占いや経済問題の助言者や宗教上の予言者に伺いをたてて,将来がどうなるかに関してあらゆる種類の予言を答えとして得ます。それらの助言者は大抵,現状が惨めなものであることを素早く認めますが,同時に彼らは,いつの日か,とにかく,何らかの方法で「より良い時代が到来する」と予言します。

      9 あなたは世界の指導者たちの予言に信頼を置いていますか。

      9 しかし,あなたはこれらの人間の助言者の推測に信仰や信頼を置いていますか。聖書とその預言を本当に信じているなら,そういうことはしないでしょう。それはどうしてですか。なぜなら,そのような人間の意見は,近い将来に関してエホバがご自分の預言者の口によって明らかにされた事柄ではないからです。

      10 エホバの証人は,聖書が予告している将来に確信を抱いていることを,どのように示してきましたか。

      10 エホバのクリスチャン証人たちは,避けることのできない来たるべき出来事について長年非常に活発に他の人々に告げ知らせてきました。来たるべき「大患難」に関してエホバが明らかにしておられる事柄を,神の民はいわば「屋上」から全世界の人々にふれ告げてきました。その「大患難」は,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる」場所で行なわれる「全能者なる神の大いなる日の戦争」に際して最高潮を迎えるのです。―マタイ 10:26,27。啓示 7:14; 16:14,16。

      11 多くの人は,将来の災厄的な破滅について,どんな誤った見解を持っていますか。

      11 ハルマゲドンと呼ばれる場所で行なわれるこの戦争について思い違いをしないでください。これは,現在貯蔵されている核爆弾を用いて諸国家間で行なわれる核全面戦争のことではありません。もっとも,現在貯蔵されている核爆弾はおよそ40億の世界人口の何倍もの人々を皆殺しにするに足るほどの量に達していると言われています! そのような核戦争は,エホバがわたしたちに警告しておられる,将来の「大患難」ではありません。

      12,13 ほとんどの人々の一般的な見解と,エホバの証人の意見とはどのように対照的ですか。なぜですか。

      12 では,この事は,人類を脅かしている危険を少なくするものでしょうか。どんな戦争の場合でもそうであるように,これは全くわたしたちがいずれの側に,つまり勝利を得る側か,敗北する側かそのどちらに立つかにかかっています。確かに人類世界は,エホバと仲たがいしている状態なので,ハルマゲドンにおける戦争を恐れる十分の理由があります。というのは,彼らは進んで,「人の住む全地の王たち」の味方をし,またそれゆえにそれら王たちと共に「全能者なる神の大いなる日の戦争」に集められているからです。

      13 しかし,エホバの忠実な民の場合はそうではありません! 彼らは個人として,勝利を得る側,つまり神の側に堅く,妥協することなく立っています。ゆえに彼らは,エホバに対する全き確信と信頼を抱いて,予告された「大患難」に立ち向かうことができるのです。

      あらゆる患難の中の最大の患難

      14 マタイ 24章21節によると,近い将来世界に臨む「患難」はどれほど大きなものですか。

      14 将来のこの来たるべき,未曾有の患難はどれほど大きなものでしょうか。西暦70年にエルサレムに臨むことになっていた患難を預言的な事例として用いたイエスは,それが「世のはじめから今に至るまで起きたことが……ないような」患難になると述べ,さらにわたしたちが見くびることのないよう強調して,「二度と起きないような」ものであると付け加えられました。ですからこれは,何百万もの人々が命を失った第一次および第二次世界大戦よりも大きなものであることを意味しています。そうです,世界の全体制を一掃したノアの日の,地球全体を覆った大洪水よりも大きなものとなるのです!

      15 「大患難」の特に衝撃的な面は何ですか。なぜそうですか。

      15 では,この来たるべき「大患難」は,人類史上の他のあらゆる患難をしのぐどれほど大きなものとなるでしょうか。それはまず第一に,聖書の中で神秘的な大いなるバビロンと呼ばれている,偽りの宗教の世界帝国全体を,キリスト教世界と異教世界の両方の宗教組織を滅ぼすほどの力を持っています。(啓示 17:5)この『娼婦たちの母』である大いなるバビロンを支持してきた地の住民にとってそれは確かに,理解することなど及びもつかない衝撃的な事柄となるでしょう。

      16 啓示 19章19-21節には,来たるべき「患難」の他のどんな特色を予告していますか。

      16 しかし,偽りの宗教の世界帝国がそのようにして卑しめられ,滅ぼされるのは,「大患難」の第一部にすぎません。その第二部として次に,「[大いなるバビロンと]淫行を犯し,[大いなるバビロンと共に]恥知らずのおごりのうちに暮らした地の王たち」に対する処置が取られます。ですから彼らは滅びを免れることができません。(啓示 18:9; 16:14)さらに啓示 19章19節から21節にはこう預言されています。「野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っているかた[つまり栄光を受けた主イエス・キリスト]とその軍勢に対して戦いをするために集まっ(た)。……彼らは……生きたまま,いおうで燃える火の湖に投げ込まれた」。そして,同20章14節では,「火の湖,これは第二の死を表わしている」と説明されています。

      17 エレミヤ記 25章31-33節には,このあらゆる患難の中の最大の患難においてどんなことが起こるか,その例となるものがどのように示されていますか。

      17 そうです,それはエホバの別の預言者エレミヤが描写したものよりもさらに大規模のものでしょう。彼は当時近づきつつあった患難について次のように書いています。『その日エホバのころしたまう者は地のこの極より地のかの極に及ばん 彼らはかなしまれず あつめられず 葬られずして地のおもてに糞土とならん』― エレミヤ 25:33。

      18 この「患難」に次いで,これを過去のどの患難とも大いに異なるものにするどんなことが起きますか。

      18 ところが,それでもなお,その「大患難」に続いて起きる事柄があるのです。それは第一の世,つまり『ノアの日の世』が滅ぼされた後でさえ起きなかったほどの事柄です。それはサタンとその悪霊たちを捕えて,「大きな鎖」で縛り,彼らを底知れぬ深みに投げ込むことです。―啓示 20:1-3。

      19,20 (イ)あなたはあらゆる患難の中の最大の患難にどのように立ち向かいますか。(ロ)どのようにすれば,確信のある態度を本当に示せますか。

      19 さて,あなたはエホバと,また全人類が直面しているこの「大患難」に関してエホバがこれらの預言者の口によって語った事柄とを信じていますか。もし信じているなら,あなたはこの逃避できない患難に,勇気と確信をもって立ち向かいますか。自分はそうする,と言うことと,行動によってそれを証明することとは全く別の問題です。

      20 昔,エホバに全き信頼を置いた人たちの模範を幾つか簡単に考慮してみましょう。そして,それらの模範を考慮しながら,特にそのような人たちがどのように確信のほどを実証したかに注目しましょう。

      確信を示した人々の過去の例

      21 ノアとその家族がエホバの言葉への確信をどのように示したか述べてください。

      21 ノアは日ごとの生活の仕方によって,エホバの警告に全き信頼を置いていたことを実証しました。彼は政治的また社会的には当時の体制から離れてはいたものの,物理的な意味で孤立していたわけではありません。同時に彼は,箱船の建造という神から与えられた割当てを果たすために,また他の人々に伝道し,迫り来る滅びについて人々に警告すべく一生懸命に努力しました。こうして,当時までにかつて経験したことのない最大の苦難の時の間,ノアは終始一貫,その神エホバが彼を保護し,救い出す力を持っておられるという絶対的な信頼と確信を抱いていることを証明しました。―創世 6:9。ヘブライ 11:7。ペテロ第二 2:5。

      22 背徳の町ソドムが滅ぼされる前にそこを去った人々から,どんな重要な教訓を学べますか。

      22 また,ロトがいます。その家の者たち四人はソドムを去るよう事前に警告され,またみ使いたちからしきりに促されてその都市を去りましたが,そのうちの三人だけが生き残って,いきさつを伝えることができました。四人ではなく三人だけだったのはどういうわけですか。「ロトの妻のことを思い出しなさい」とイエスはお答えになりました。彼女はソドムから逃げ去る時,明らかになんらかの利己的な理由で,受けていた指示に背いて後ろを振り返ったのです。―創世 19:1-26。ルカ 17:32。ペテロ第二 2:7,8。

      23 イスラエル人とその仲間たちが紅海のところで,また救いを得るために必要としたのは何でしたか。

      23 これらの出来事の場合には少数の人が生き残ったに過ぎません。しかしエホバは,人々の大集団をも同じように容易に安全な場所に救い出すことができます。このことは,イスラエル国民とその仲間たちの場合に,紅海で証明されました。「信仰によって,彼らは乾いた陸地を行くかのようにして紅海を通りました」と使徒パウロは述べています。彼らは従順によって信仰と確信を証明しました。次のように書かれているとおりでした。「そこでイスラエルのすべての子らはエホバがモーセとアロンに命じた通りに行なった。彼らはその通りに行なった」。―ヘブライ 11:29。出エジプト 12:37,38,50,新。

      ある人々はエルサレムに臨んだ「患難」を免れた

      24-26 (イ)西暦一世紀の60年代にエルサレムに住んでいたクリスチャンたちには何が要求されましたか。(ロ)神の警告を確信していた人々が失望させられなかったことを示す一連の出来事について述べなさい。

      24 第一世紀の60年代の忠実なクリスチャンも,エホバとその預言者,つまりモーセよりも偉大な方,すなわち主イエス・キリストに対して同様の確信を抱かねばなりませんでした。彼らもまた,信仰に基づいて行動し,エルサレムの来たるべき滅びについて自分たちに告げられていた事柄を本当に信じていることを示さねばなりませんでした。その警告によれば,「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,立ってはならない所に立っているのを」彼らが見たなら,その時,ぐずぐずせずにエルサレムとその周辺のユダヤ州から出なければなりませんでした。―マルコ 13:14。

      25 やがて,その「しるし」は明敏な人たちにとっては極めて明白なものとなりました! 果たして,ケスチウス・ガルス将軍の率いる,「嫌悪すべき」ローマ軍が聖都エルサレムを包囲し,「立ってはならない所に立って」おり,しかも神苑の城壁そのものをさえ崩し始めたのです!―マタイ 24:15。

      26 それで,それらローマの軍勢が ― 突然,思いがけないことに,また何ら明確な軍事上の理由がないにもかかわらず ― その攻囲を中止して一時的に撤退するや否や,信仰の厚いクリスチャンは,ローマ人が戻って来ないうちに,急いで出て行きました。イエスの預言的な警告に対して信仰も確信も抱いていなかった人々は,ティツス将軍の率いる軍隊が再度都を攻囲するまでとどまっていました。同軍隊は大多数の人に死をもたらし,生き残った少数の人々を奴隷の境遇に追いやりました。

      27,28 今日,同様の状況の中にあって,王なるキリスト・イエスの追随者たちはエホバにどのように全き確信を抱いていますか。

      27 書き記された神のみ言葉に絶対の確信を抱いている人たちは今日,第一世紀のクリスチャンの信仰に勝るとも劣らない信仰を示しています。彼らはキリスト教世界の諸教会が国際連盟を「神の王国の地上における政治的表現」として歓呼して迎えたのを見,今また国際連合が人間の『最後の平和の希望』として偶像視されているのを見ています。国連の過激分子が,キリスト教世界の活動領域および同世界が持っていると考えられている諸権利,すなわち同世界の「聖なる所」に侵入すべく,協力して用意を整えているのを見ています。果たして,国際連合は平和の君,地の正当な支配者,主イエス・キリストを無視して行動し,またキリスト教世界が「聖なる」所とみなしている場所に立とうとして身構えています。(啓示 11:15; 12:10)そうです,確かに国際連合は,来たるべき「大患難」に際してキリスト教世界に「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」の現代版なのです。―マタイ 24:15,21。

      28 エホバのみ言葉に確信を抱いた人たちは,長く続いてきた,この明白な「しるし」を見て,キリスト教世界が主要な部分を成している大いなるバビロンから出て来ました。―啓示 18:4,5。

      29 近づきつつある破滅からの救出を思いに留めて,200万余の人々はどんな措置を取りましたか。

      29 もしあなたが,大いなるバビロンが滅びる前に既に彼女のもとから逃れた200万余の人びとの一人で,エホバの清い崇拝者の一人となられたのでしたら,あなたは箱船に入ったノアの家族と同様な立場に立っています。また,あなたは,ソドムから逃れたロトとその二人の娘,モーセの指揮下にエジプトを去ったイスラエル人などと同様の立場にあります。そうです,あなたはエルサレムが滅ぼされる前にそこから脱出した一世紀当時のクリスチャンのようです。

      30 どんなことを自問するのは適切ですか。

      30 しかし,現在自分がこのような恵まれた立場にあることに気づいたあなたは,どのように将来に立ち向かいますか。自分が入っている,箱船のような霊的パラダイスの中にとどまることにしますか。偽りの宗教の世界帝国を去ったあなたは,切なる期待と絶対の確信を抱いて,来たるべき「大患難」における大いなるバビロンの滅びを待ち望んでいますか。こうした問題を熟考する際に,どうぞ次の記事を検討してください。

  • 将来に備えて今確信を固めなさい
    ものみの塔 1977 | 5月1日
    • 将来に備えて今確信を固めなさい

      1,2 (イ)人類の世は全般的にどんな状態にありますか。なぜですか。(ロ)しかし,それと対照的に,多くの人はどんな確信を示していますか。

      今や20世紀もおおかた過ぎ去り,現体制がこの消えゆく世代とともに終わりを迎えようとしている兆候が随所に見られます。神から離れている人々は,この20世紀の各10年が過ぎ去るごとに,不安が増してゆくのを経験しています。偉大な預言者イエス・キリストはそうなるだろうと言われていましたが,まさしくその通りになっています。「そうしたことは実際にはいつあるのでしょうか。また,そうしたことが起きるように定まった時のしるしは何ですか」という問いに答えて,イエスはなかでも次のことを言われました。「地上では……逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います」― ルカ 21:7,25,26。

      2 したがって,エホバまたはエホバの言葉聖書を信じていない,人類の世の大多数の人々が,将来起こることに恐怖心を抱いて思い悩んでいても不思議ではありません。これと対照的に,また前の記事で指摘されたように,世界には今日,非常に楽観的な気持ちで将来に対している人々が200万人以上います。その人々は,まもなく正義の新秩序が,つまりクリスチャンたちが祈り求めるようイエスから教えられた神の王国が,邪悪な現体制に取って代わることを確信しています。―マタイ 6:9,10。

      3 使徒パウロはどんな適切な警告を与えていますか。

      3 今この時点であなたはこうした人々の一人であるかもしれません。そしてあなたは,自分の立場と,この終わりの時に何に立ち向かおうとしているかについては相当の確信を抱いているように思うかもしれません。しかし,使徒はこう警告しています。「立っていると思う者は,倒れることがないように気をつけなさい」。(コリント第一 10:12)もしこの助言に留意するなら,確信を抱いている状態を強化するために行なえる事柄が幾つかあります。

      4,5 どうすれば将来に対する確信を強めることができますか。

      4 まず第一に,箴言の言葉を思い起こしてください。それはつまり,人のエホバに対する信頼は,エホバの現在および将来の目的に関する知識はもとより,エホバおよびエホバが過去において人類と持たれた交渉に関する知識に基づいたものでなければならないということです。―箴 14:26; 22:19,新。

      5 これは会衆でグループとして行なう研究と個人研究の重要性を強調するものです。この偉大な創造者について,そのみ言葉である聖書からだけでなく,あなたの周囲の物質界の創造物をも観察して,できる限り学んでください。使徒パウロはルステラの人びとにこう言いました。「[エホバ]は善を行なって,あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなたがたの心を存分に満たされたのですから,決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」。(使徒 14:17)また,パウロはローマ人のクリスチャンにこう書き送りました。「というのは,[神]の見えない特質,実に,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見える(のです)」― ローマ 1:20。

      6 物質宇宙の研究や観測はその創造者に対する人の信仰と確信をどのように築き上げますか。

      6 この地上の創造物を観察することに加え,わたしたちは物質界の天にも注意を向けなければなりません。『たれかこれらのものを創造せしや』という問いに答えて,イザヤ書 40章26節はこう述べています。「なんじら眼をあげて高きを見よ たれかこれらのものを創造せしやをおもえ 主は数をしらべてその万象をひきいだし おのおのの名をよびたまう 主のいきおい大いなり その力のつよきがゆえに一も欠くることなし」。宇宙の天体は何と雄大で壮厳な証しを提出しているのでしょう。幾十億とも知れぬ無数の星はすべて,エホバの永遠不変の偉大さを何とよく証言しているのでしょう。ダビデはこのことを美しく言い表わして,こう述べました。「もろもろの天は神のえいこうをあらわし おおぞらはその手のわざをしめす」― 詩 19:1。

      7-9 (イ)ヒゼキヤの時代に,み使いの力を実証するどんなことが起きましたか。(ロ)このことは将来に対するわたしたちの確信をどのように強めますか。

      7 それから,幾万もの数に上る,目に見えないみ使いたちがいます。(ヘブライ 12:22。ユダ 14,15)古代のエホバの崇拝者ヒゼキヤ王がアッシリア人によってどのように侮られたかを思い出してください。『この汝が頼むところの者は何ぞや……誰をたのみて我にそむくことをせしや』。しかしほどなくして,それら異教徒の嘲笑者たちは,忠実なヒゼキヤ王がなぜエホバとそのみ使いの軍勢に信頼と確信を置いたかを思い知らされることになりました。というのは,記録されている通り,「その夜エホバの使者」が出て「アツスリヤ人の陣営の者十八万五千人を撃ちころ」したからです。―列王下 18:19,20; 19:35。イザヤ 36:1から37:38と比べてください。

      8 さて,このような歴史的記述は確かに,今日エホバを恐れる人に大いなる確信を与えずにはおきません。というのは,『エホバの使者はエホバをおそるる者のまわりに営をつらねてこれを援く』と記されているからです。―詩 34:7。詩 91:11,12と比べてください。

      9 もしエホバのただひとりのみ使いが,18万5,000人を全滅させ得るほど強力であるなら,わたしたちはこの同じエホバと今日,主イエス・キリストの直接の指揮下にある,エホバのみ使いたちの軍勢とに全き確信を置くべきではないでしょうか。それに,この主イエス・キリストはもはや“ベツレヘムの飼い葉おけの中の赤子”ではないことを覚えておきましょう。この方は今では強大な「王の王また主の主」であり,「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています」と言い得る方であって,少なくとも1億ものみ使いたちで成る天軍の先頭にあって馬に乗っておられるのです!―マタイ 28:18。啓示 5:11; 19:14-16。

      確信を強化する現代の証拠

      10 キリストの追随者の油そそがれた残りの者は,1919年にどんなことを始めましたか。これにはどんな後ろだてがありますか。

      10 キリスト・イエスの油そそがれた追随者の少数の残りの者は1919年に,「王国のこの良いたより」を「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で」宣べ伝えるわざに従事し始めましたが,それは神からのこうした励ましや,み使いたちの支持を受けてなされたのです。(マタイ 24:14)そのわざが始まって以来これまでの年月中,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」人たちの「大群衆」が答え応じてきました。彼らは「大患難から出て来る者たち」であると説明されています。―啓示 7:9,10,14。

      11 残りの者と「大群衆」にエホバを信頼させるどんなことが過去60年間に起きましたか。

      11 さて,今日,この忠実な「残りの者」はこれまでの年月を振り返る時,詩篇 71篇5節が言い表わしているように,こう言うことができます。『主エホバよ なんじはわが望みなり わが幼少よりのたのみなり』。この「残りの者」と「大群衆」がエホバに対してどうしてこれほどの確信を抱いているのかは,過去60年間のエホバの証人の歴史を調べさえすれば分かります。悪魔サタンとその悪霊たちは,これら証人たちのわざを妨害し,遅らせようとして,あらゆる策略を巡らしたり,行く手にあらゆる障害物を置いたりしているようです。証人たちは世界中の多くの国のさまざまの政治および宗教諸団体の特別の攻撃目標とされました。独裁国は彼らの業を法律の保護外におき,彼らの伝道活動を禁じました。いわゆる“自由諸国”においてさえ,宗教的また愛国主義的熱狂者は『律法をもて害ふことをはかり』,暴徒的行為や同盟排斥という手段に訴えましたが,それはみな,神の民を沈黙させようとする仕業でした。a (詩 94:20)進化論者や聖書の批評家や「不法の人」,背教したキリスト教世界の僧職者までが,神の忠実な証人たちの行なう弟子を作るわざを妨害しようとしました。

      12 イザヤ書 54章17節はどんな保証を与えていますか。

      12 クリスチャンであるエホバの証人はこうした過去の経験から,イザヤ書 54章17節の次の言葉の真実さに感動しているのです。『すべてなんじを攻めんとてつくられしうつはものは利あることなし 興り起ちてなんじとあらそい訴うる舌はなんじに罪せらるべし これエホバの僕らのうくる産業なり これかれらが我よりうくる義なりとエホバのたまえり』。

      13 さらにどんな事実は人の信仰を強めますか。

      13 悪霊の霊感を受けて引き起こされたあらゆる反対にもめげず,神の民が世界中で享受してきた増加と霊的繁栄を見てください! 確かにこの宣べ伝えるわざの驚嘆すべき拡大は,エホバの民の受けた,エホバからの保護と祝福と霊によるのでなければ成し遂げられなかったでしょう。このこともまた,将来に対する神の民の確信を強めるものです。

      恐れを抱かずにいることができる理由

      14,15 「大患難」を生き残る可能性について考えるとき,どんな違いを見逃さないようにしなければなりませんか。

      14 しかし,もし「大患難」が聖書が示すように恐るべき荒廃や破壊をもたらすのであれば,神に仕えている人々が恐れや戦りつを感ずることなしにその到来を待望するなどということは本当に可能でしょうか。わたしたちは次の点を覚えておかねばなりません。つまり,エホバ神が,サタンに属する獣のような組織とそれにしがみつく者たちすべてにもたらす「大患難」と,現在サタンが迫害や禁令,暴徒的行為その他同様の公然たる暴力行為の形でエホバの忠実な証人たちにもたらす患難との間には大きな違いがあるということです。

      15 この後者の形の悩みはサタンに由来するものですから,人がエホバに仕える場合には,それは免れられません。というのは,こう記されているからです。「キリスト・イエスにあって敬神の専念をもって生活しようと願う者はみな同じように迫害を受けます」。「事実,あなたがたを殺す者がみな,自分は神に神聖な奉仕をささげたのだと思う時が来ようとしています」― テモテ第二 3:12。ヨハネ 16:2。

      16 過去におけるサタンの迫害の例は,今日の神の民にとってどのように励ましとなっていますか。

      16 ところで,誤解させられ,惑わされている人たちの手にかかってこのようにして個人的に苦しむのは,それを切望し,待ち望み,そしてそれが到来した時にその喜びにあずかれるような楽しい経験ではありません。エホバの民は迫害の犠牲者になりたいなどとは少しも考えていません。イエスでさえ,苦しみの杭にはりつけられて神の冒涜者,神の律法を犯した者であるかのようにされることを意味する「杯」を飲むのをできることなら免れさせてください,と三度祈られました。それでも,『わたしの意志ではなく,神のご意志がなされますように』と言われました。(マタイ 26:39-44)しかしながら,苦悩の嵐が過ぎ去り,迫害を耐え抜いたあとは,人は試練に遭った時のヨブや他の昔の敬虔な男女のように忠実だったのですから喜ぶことができます。あなたも思い起こせるとおり,結局のところ,ヨブは耐え忍んだゆえに豊かに報われました。(ヨブ 42:10-17)使徒たちもまた,宗教裁判所の命令でひどく打たれた時,このことを経験しました。後に彼らは,イエスの「名のために辱しめられるに足る者とされたことを喜びつつ,サンヘドリンの前から出て」行きました。―使徒 5:40,41。

      17 サタンから来るそのような試練に直面するとき,どんなことを忘れてはなりませんか。

      17 それで,たとえ悪魔の手にかかって試練や患難に直面するとしても,エホバは喜んでわたしたちがそれを切り抜けて完全な勝利を収められるようにしてくださいますし,またそうする能力を持っておられるという事に確信を持つべきでしょう。(ローマ 8:37)コリント第一 10章13節の次のような励みのある言葉を思い出してください。「神は忠実であられ,あなたがたが耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,あなたがたがそれに耐えられるよう,誘惑に伴ってのがれ道を設けてくださるのです」。ほかにも,こう述べられています。「わたしたちは……迫害されていながらも,見捨てられているわけではなく,倒されながらも,滅ぼされているわけではありません。わたしたちは常に,イエスに加えられた致死的なしうちを,自分たちの体のいたるところで耐え忍んでいます」― コリント第二 4:8-10。

      18,19 (イ)「大患難」は,神のしもべたちを苦しめた迫害とどのように違いますか。(ロ)それで神のしもべは何を祈り求めますか。どんな確信を抱いて祈りますか。

      18 一方,マタイ 24章21,22節で予告されている「大患難」は,昔も,また現代においても悪魔がたくらんで,神のしもべたちに降り懸からせた苦悩や迫害とは全く異なった事柄です。その「大患難」は,悪魔に従う大衆全体に降り懸かる,神からもたらされる患難で,それはエホバと神の側に立つ者すべての正しさを立証するものとなります。それはテサロニケ第二 1章6節に,「あなたがたに患難をもたらす者に患難をもって報い(る)……ことこそ,神にとって義にかなったことである」と書き記されている通りです。

      19 こうした理由で,神の民はエホバに対し一層深い愛と認識を抱き,それがまた,彼らに人を弱めさせる病的な恐れなど少しもない確信を与えるのです。「大患難」は畏怖すべきものではありましょうが,エホバを愛するそれらの人たちは,その「大患難」で神の裁きが執行される壮大な光景の目撃証人になることを切望しながら将来を待ち望んでいます。(詩 89:7。ハバクク 3:16,18)また,それゆえに,神の王国が到来し,神の意志と目的が成し遂げられるよう,引き続き祈ります。彼らは『信仰による全き確信をいだいて』祈りを捧げるのです。使徒ヨハネはこう言っています。「わたしたちは神に対してこのような確信をいだいています。すなわち,なんであれわたしたちがそのご意志にしたがって求めることであれば,神は聞いてくださるということです」― ヨハネ第一 5:14。エフェソス 3:12。マタイ 6:9,10。

      確信の置き場所を決して誤らないようにしなさい

      20 確信を固めて,どんな落とし穴を避けねばなりませんか。どのように?

      20 「大患難」は急速にやって来ますから,今は決して自信過剰になったり自己に依存したりすべき時ではありません。わたしたちは決して自分の独りよがりな理解に頼ってはなりません。また,たとえ政治家,経済問題や社会問題の助言者,宗教者である預言者であれ,他の人間の知恵を信頼すべきではありません。(箴 3:5,6。詩 146:3)エレミヤ記によれば,『人をたのみ肉をその力とし』て確信の置き場を誤まる人は,『のろはれ』ます。それとは対照的に,エレミヤ記 17章5-8節にはこう記されています。『おおよそエホバをたのみエホバをそのたのみとする人はさいわいなり』。

      21 物質の財産に頼るという間違いをしないよう,聖書はどのように警告していますか。

      21 エホバに確信を置いている人は神の王国を生活の中で第一にします。そうすることによって経済上の重圧がもたらす心配事の多くを避けています。(マタイ 6:25-34)そのような人は,やはりイエスの言われた事,つまり「満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じない」という事を忘れません。(ルカ 12:15)それで,物資を蓄えてそれを頼りにし,「大患難」の猛威を切り抜けようとするのは何と愚かなことでしょう。箴言はこう述べています。箴言 11章4,28節には,『宝は震怒の日に益なし……おのれの富をたのむものは仆れん』とあります。忠実なヨブは確信の置き場を誤まって物質上の所有物に頼ることがないよう注意し,こう言いました。『我もし金をわが望みとなし 精金にむかいて汝わが所頼なりと言いしことあるか……我もしかくなせし事あらば上なる神に背きしなり』― ヨブ 31:24,28。

      22 この事物の体制の上に「大患難」が臨むのは,その内部構造が弱いからですか。

      22 株式市況や相場は下落し,政府の首脳は倒れるかもしれませんが,それは「大患難」の嵐がどれほど近いかを見定める,もしくは判断する徴候とはなりません。昔の世界強国がエホバによって滅ぼされた時,それら諸強国はそれ自体の体制から生じた内部的弱さもしくは腐敗のゆえに倒壊したのではない事を忘れてはなりません。神が外的勢力によってそれら諸強国を廃した時,それらは明らかに国力が頂点に達し,着々と発展している国家だったのです。

      23 様々な災いに,時には死に直面することさえあるかもしれませんが,そのときわたしたちは個人的にどのように確信を抱いて将来を見ますか。

      23 主の民の中の個々の人は今からその時までの間に殺されるかもしれません。(聖書は,ある人々は殺されるであろう,と述べている[マタイ 10:21; 24:9])しかし一つの級としての神の民は,「大患難」を生き残ります。たとえあなたは個人的には,健康を害したり,家族のものが亡くなったり,子供が死んだり,あるいは物質の財産をなくしたり,経済上の災厄に遭ったりして,大変な苦難や災いを被る場合があるとしても,たとえどんな事が起ころうとも,決してエホバに対するあなたの信仰や確信を失ってはなりません。あなたの神の約束を決して疑ってはなりません。恐れを抱いたり,憶病になって隠れたり,あなたの神を否んだり,忠誠の点で妥協したりするようなことは決してしてはなりません。また,エホバに対する献身を固守する人たちをみ使いが支持してくださるという事に関して,あなたの幻を決して曇らせてはなりません。―列王下 6:14-17。ハバクク 3:17,18。

      24 「大患難」が足速に近づいているので,エホバの民は聖書が示しているようにどんな精神態度を持ちますか。

      24 『ヤコブの神をおのが助けとし その望みをおのが神エホバにおくものは福ひなり』とありますが,この事には疑問の余地がありません。(詩 146:5)ですから,エホバにあって,またこの終わりの時におけるその忠実な証人たちにエホバがお与えになった,そして今も与えておられる助けや指導,保護や霊的繁栄にあずかって大いに喜ぼうではありませんか!―ルカ 21:28。テモテ第二 1:7。

      25 箴言 3章25,26節の約束はだれにとって特に慰めとなり励みとなりますか。

      25 わたしたちはエホバの広報係として,恐れることなく大胆に神の報復の日を人々に警告し続けようではありませんか。(エゼキエル 3:17)神の王国が到来して,サタンの邪悪な体制に対してその猛威をことごとくふるい,サタンの体制が粉砕され,粉々に打ち砕かれるよう,引き続き祈りましょう。(マタイ 6:9,10。ダニエル 2:44。マラキ 4:3)エホバの証人として悪魔の組織全体の滅びに直面するとき,箴言 3章25,26節(新)の神の次の約束はどんなにか励みになることでしょう。「突然に襲う恐ろしいこと,また邪悪な者たちに臨むあらしも,それが到来しようとしているからといって恐れる必要はない。エホバご自身,事実上あなたの確信となってくださるからである」。

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