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自分の命をどのように使っていますかものみの塔 1973 | 11月15日
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の場合には,たとえ苦難にあるとしても,世の希望のない悲しみの場合とは異なります。(テサロニケ前 4:13と比較)神に仕えるエホバの証人たちは,「心の楽しい人は常に宴会をもつ」ということばの真実さを見いだしています。(箴 15:15,口)そして,年に約三回,エホバの証人の大会において,すべての人は特に楽しい時,「宴会」の時を過ごし,聖書の知識を取り入れ,良い交わりと旅行とを楽しみます。
28 『貧しき者をあはれむ者はエホバに貸すなり その施しはエホバ償ひたまはん』という箴言 19章17節のことばの意味を説明しなさい。
28 あなたはクリスチャン会衆内に,霊的な「兄弟姉妹」である多くの仲間を持つようになります。使徒パウロが述べたとおり,その中に,『肉的に賢い者は多くなく,強力な者も高貴な生まれの者も多くはありません』。(コリント前 1:26-29)しかし,富んでいても貧しくても,彼らはイエスと同じように心の態度の低い人々です。さらに,あなたは,地上の苦難が増大してゆくのを見て悲しんでいる人々がほかにも世の中にいることに気づかれるでしょう。これらも低い立場の人々です。あなたがそうした人々に善をするとき,エホバはあなたの親切な行為を見ておられます。賢明な筆者ソロモンは語ります,『貧しき者をあはれむ者はエホバに貸すなり その施しはエホバ償ひたまはん』。(箴 19:17)低い立場にある人はどんなかたちでも返礼ができないとしても,エホバはなされた善行を自分が返報すべきものとみなし,惜しみなく報いてくださるのです。
29 人は,自分の命の使い方に関してどんな点を熟思すべきですか。
29 それで,あなたは自分の命をどのように使っていますか。あるいは,あなたは自分の生涯がどのような結果になることを望んでいますか。自分が今ある程度の命を得ていることに感謝していますか。永遠の命のための神の備えと要求について学ぶため,そのための当然の努力を喜んで払いますか。もしそうなら,正しい道を喜んで歩みつづけ,聖書を学ぶことによって自分の霊性を保ち,神の王国の良いたよりを宣明して神に仕えている人々と定期的に交わり,その活動に加わりますか。自分の命をすすんでエホバ神に献げ,魂を傾けた献身の生活をしてゆきますか。もしそうなら,エホバ神とみ子はあなたを愛し,また,神に仕えるすべての者もあなたを愛し,永遠の命に至る細い道に進み,その道にとどまる面であなたを助けます。
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あなたは,相続財産をいっしんに見つめていますかものみの塔 1973 | 11月15日
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あなたは,相続財産をいっしんに見つめていますか
「それから王は自分の右にいる者たちにこう言います。『さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい』」― マタイ 25:34,新。
1-3 (イ)わたしたちが待望することのできる相続財産は,なぜ金銭や物質資産より大切なものですか。(ロ)聖書は神に仕える人の前途にどんな相続財産のあることを示していますか。
あなたは,自分が,期待をいだいて待つべき相続財産を持てることをご存じですか。それは単なる金銭の相続財産ではありません。この種の相続財産は問題を伴いがちです。ここで述べているのは,しばしば親族どうしを仲たがいさせるような相続財産ではないのです。それは,相続人となる人々すべてが,それを十分に得る点で互いに助け合うような相続財産です。
2 イエス・キリストの使徒たちは,この,神の子の霊的な兄弟たちの前途にある相続財産,つまり,天にあってキリストとともに受ける相続財産について繰り返し語りました。それらの者たちはキリストの王国統治に加わるのです。そのような前途を持つ彼らの相続財産の中には,不朽と不滅という賜物が含まれています。―コリント前 6:9,10; 15:50。エペソ 1:14。ペテロ前 1:4。
3 ついで,他の人たちの前途に置かれた別の相続財産があります。イエスは,ある例え話の中で,ご自分の霊的な兄弟である天的な相続人たちに愛のこもった親切を示す人々のことについて語りました。イエスはそれら親切な心を持つ人々に対してこう言われました。「世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」。イエスは,その人々にとってそれが永遠の命を意味することを語られました。この相続財産は天的な相続人が受けるものとは異なり,キリストの王国がその千年統治のあいだ支配する地的な領域に住む人々の受ける相続財産です。―マタイ 25:34,46,新。黙示 20:4,6。
4,5 聖書の中で「受け継ぐ」と訳されているギリシャ語にはどんな意味がありますか。
4 「受け継ぐ」という意味で聖書が使っているギリシャ語は「クレ-ロノメオー」です。前述の用例において,このことばは,息子が自分の父親から相続財産を受ける場合のように,単なる姻戚上の権利によって受けるものをさしているのではありません。むしろそれは,報いとして与えられたもの,イエス・キリストを通してなされたエホバの備えに対する信仰によって行なった事がらのゆえに授けられる賜物をさしています。
5 イエス・キリストの犠牲に基づいてエホバ神に近づき,献身した生活を送っている人すべてはこのような相続財産を受ける立場にあります。待望に価するすばらしい前途ではありませんか。それは,親から譲り受けるどんな地的な相続財産も比較することのできないものです。
幾世紀も前から見つめた人々
6-8 (イ)昔の忠実な人々が相続財産をどのようにみなしたかを述べなさい。(ロ)これらの人々はその相続財産をいつどこで受けることを期待していましたか。
6 この相続財産,永遠の命の報いを受けるために,人は何を経験するでしょうか。使徒パウロは,昔の忠実な人々が幾世紀も前からその相続財産を望み見たことを述べています。アブラハムについて彼はこう書きます。「信仰によって,アブラハムは……自分がどこへ行くのかを知らないで出て行(きました)。……彼は真の土台を持つ都市[王国]を待ち望んでいたのです。その都市の建設者また作り主は神です」。「信仰によって……[彼は]イサクをささげたも同然でした」。―ヘブル 11:8-10,17,新。
7 神からの相続財産をほかのどんなものよりも大切にしたもうひとりの人について,パウロはこう語ります。「信仰によって,モーセは,成人した時,ファラオの娘の子と呼ばれることを拒み,罪の一時的な楽しみを持つよりは,むしろ神の民とともに虐待されることを選びました。……彼は報いをいっしんに見つめたのです」― ヘブル 11:23-26,新。
8 これらおよび他の数多くの同様の人々は,この事物の体制における地的な相続財産ではなく,神の新秩序における相続財産に対して熱心でした。パウロはこう語ります。「彼らは約束の成就にあずかりませんでしたが,それをはるかに見て迎え入れ(ました)。……ゆえに神は,彼らを,そして彼らの神として呼び求められることを恥とされません。彼らのために都市[王国]を用意されたからです」― ヘブル 11:13-16,新。
9 エホバの証人はこれら古代の忠実な人々に比べて報いの実現にずっと近づいていますが,これは,それを受けるという点でいっそう確実であるという意味ですか。
9 エホバの証人である人はみな,報いであるすばらしい相続財産が前途にあることを知っており,すべての者がそれを実際に受けることを願っています。しかもわたしたちはそれほど遠くに思いをはせる必要はありません。わたしたちは今その門口にいるのです。しかし,その相続財産を見下げたり軽んじたりして,それを得そこなうような危険はないでしょうか。あります。その相続財産に対する愛を正しい位置に保つために不断の注意が求められるのです。それは単にわたしたちの思いの中だけでなく,心の中にも置かれねばならないからです。わたしたちひとりひとりが自分を調べてみるために,相続財産の重大性を強調する聖書の記述をここに再び取り上げてみるのがよい
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