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  • イスラエルは神の前にどんな立場を持つか
    ものみの塔 1958 | 6月15日
    • 汝らは我にきかず汝らの手にて作りし物をもて我を怒らせて自ら害えりと主いい給う。みよ我北のすべての族とわが僕なるバビロンの王ネブカデネザルを招きよせ,この地とその民とそのまわりの国々を攻め滅ぼさしめて之を驚くべきものとなし,人の笑いとなし永遠の荒地となさんと主いい給う。この地はみな荒地となり驚くべきものとならん。又その国々は七十年の間バビロンの王につかうべし。』― エレミヤ 25:4-7,9,11,欽定訳。

      14 バビロンからの復帰と現代の復帰とを比べるとき,どんな相違がありますか。

      14 この荒廃の期間が終つたとき,ユダヤ人の残れる者は故国に帰り復興にとりかかりました。神は人間も家畜もその土地に住まわせなかつたため,彼らがもどつたのは何も住んでいない土地でした。しかし,このことは現代のユダヤ人のパレスチナ復帰運動に見られませんでした。復帰の動機にも何ら相似たものはありません。バビロンから復帰した残れる者は不信仰ではなくてむしろ信仰を持ち,ヱホバの崇拝に献身していたゆえに,荒れた故国にヱホバの崇拝を再び建て起そうと望みました。しかし,現代において復帰した人々はそうではありません。彼らがパレスチナに行くのは,ヱホバの汚れない崇拝を復興するためでもなく,ヱホバの宮を再建するためでもないのです。

      15 宮を再建することや律法による祭司の務めを行うことができないのはなぜですか。

      15 神の定められた場所に宮の再建を望んだとしても,それは出来ないことです。その場所にはマホメット教の寺院が立つています。また,正しい祭司制度も欠けています。西暦70年に家系の記録が滅ぼされたため,現代のユダヤ人がモーセの律法の命ずる祭司の務めを行うためにアロンの祭司制度を復興しようとしても,それは不可能です。

      16,17 イスラエル共和国は承認と援助を誰に求めていますか。どのようにこれは神の教えに反していますか。

      16 イスラエル共和国はこの世の諸強国から出たもので,それら諸強国の承認を得ようと求め,この世の組織制度の一部となりました。これは神が彼らの先祖に与えられた教えと全く反対です。エジプトの助けを求めてはならないと,神は命ぜられました。エジプトは世を象徴しています。『助けをえんとてエジプトにくだり,馬によりたのむものは禍なるかな,戦車おおきが故に之にたのみ騎兵はなはだ強きがゆえにこれにたのむ,されどイスラエルの聖者を仰がずヱホバを求むることをせざるなり。』― イザヤ 31:1。

      17 戦車や騎兵の代りに,現代のイスラエル国家はタンク,ジエット機,自動車部隊などを頼りにしています。そして,神御自身の政府と神の選ばれた御子が地を支配するという神の御目的には少しの考慮も払つていません。一世紀のイスラエル人がカイザルを選んでこの王を拒絶したのと同じく,20世紀のイスラエル人もこの王を拒絶しています。従つて,現代のイスラエル人のパレスチナ復帰を見て,神がそれを支持されていると考えるのは間違いです。

      肉のユダヤ人は捨てらる

      18,19 神はなぜイスラエル民族を捨てられましたか。

      18 神の是認を得て祭司の国となる最後の機会が与えられたとき,これを受け入れなかつたイスラエル民族は神に捨てられました。イスラエル人は,もはや神の選民が持つ恵みを要求できません。彼らはシナイ山で結ばれた国家契約を守らず,汚れのない神の崇拝を保つかわりに人間の言い伝えと人間の哲学でそれを汚しました。また,神の約束によつて遣わされた者を受け入れず,カイザルを選んで彼を拒絶したばかりか,その死をはかりました。これらの理由のために,彼らは捨てられて神の聖なる国ではなくなつたのです。イエスの言われた通り,彼らが崇拝を行つた物質の宮は神から捨てられました。

      19 『ああ,エルサレムよ,エルサレム,預言者たちを殺し,おまえにつかわれた人たちを石で打ち殺す者よ。ちようど,めんどりが翼の下にそのひなを集めるように,わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに,おまえたちは応じようとしなかつた。見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう。』― マタイ 23:37,38,新口。

      20 イスラエルが神から捨てられたことを示す,見える一つの証拠は何ですか。

      20 このように捨てられたことは,西暦70年,エルサレムが滅びて宮が最後的に破壊されたときに証明されました。ヱホバの選ばれた場所で,また律法契約に定められた方法でヱホバの崇拝を続けることはもはや出来なくなつたのです。西暦136年,ローマ皇帝ハドリアンが宮の跡に建てた神殿はジュピター・キャピトリナスに捧げられ,西暦691年にはアド・アリ・マリクの手によつてその場所にマホメット教の寺院が建てられました。この回教寺院,岩の円屋根は今でもそこに立つています。

      霊的なイスラエル

      21,22 (イ)なぜ,神は新しい国民のうえに恵みを置かれましたか。この国民は何から成り立つていますか。(ロ)ユダヤ人がアブラハムとの血縁を指摘して,アブラハムの裔であることを証明できないのはなぜですか。

      21 神が恵みを与えられた新しい民族は,肉のイスラエル人ではなくて霊的なイスラエル人から成り立つています。肉のイスラエルが示すことのできなかつたアブラハムの信仰を,彼らは示します。彼らは本当に『アブラハムの子たち』であつて,アブラハムに与えられた約束をうけつぐことについては,この族長の血をひくと主張する人々よりもまさつた権利を持つているのです。『しかし,神の言が無効になつたというわけではない。なぜなら,イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく,また,アブラハムの子孫だからといつて,その全部が子であるのではないからである。かえつて「イサクから出る者が,あなたの子孫と呼ばれるであろう。」すなわち,肉の子がそのまま神の子なのではなく,むしろ約束の子が子孫として認められるのである。』(ロマ 9:6-8,新口)すなわち,生まれながらのユダヤ人がアブラハムとの血のつながりを指摘しても,彼らがアブラハムの子孫であるという証明にはならないのです。肉によればアブラハムの子であつたイシマエルも,しりぞけられたことを心に留めて下さい。従つて,血のつながりや肉の割礼より以上のものが要求されています。なくてはならぬものは信仰と心の割礼です。

      22 モーセはこの事実を明らかにして次のように述べました,『されば汝ら心に割礼を行え,重ねて項を強くするなかれ。』(申命 10:16)使徒パウロもこの同じ点を説明しました。『というのは,外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく,また,外見上の肉における割礼が割礼でもない。かえつて,隠れたユダヤ人がユダヤ人であり,また,文字によらず霊による心の割礼こそ割礼である。』― ロマ 2:28,29,新口。

      23 新しい国民の成員が言葉の真の意味でユダヤ人であるのはなぜですか。

      23 ヱホバの御名を担う新しい国民がこの種の割礼を持つています。信仰と従順によつて神に賛美をもたらしているゆえに,その民こそ本当の意味でユダヤ人です。シナイ山を離れてより,不従順とかたくなの道をたどつた肉のイスラエル人と比べて,彼らは全くの対照をなしています。

      24 西暦29年以後,肉のイスラエルはどのように特別な恵みを示されましたか。そしてどれだけの期間?

      24 西暦29年,神はこの新しい国民になる人々を選び始められました。今日ではこの国民のうちで僅かな残れる者が地上に生きているに過ぎません。キリストがクリスチャン宣教を始めてより7年のあいだ,霊的なイスラエル人であるこの国民の成員になるようにとの招待は肉的なユダヤ人だけに差しのべられました。生来のユダヤ人の上に置かれた御自身の御名のゆえに,また彼らの先祖に対する御約束のゆえに,神は,アブラハムの霊的な子となる機会を先ずユダヤ人に与えられました。―申命 7:6-8。

      25 肉のイスラエルの信仰はどのようにためされましたか。

      25 この招待はキリストを通して差しのべられたために,彼らの信仰はためされました。モーセや預言者たちを通して与えられた神の御約束に信仰を持つていたならば,彼らは正しくキリストを認めて彼を受け入れたことでしよう。また,神がその到来をモーセに約束された大いなる預言者として彼を認めたでしよう。神はモーセに約束されました,『我かれら兄弟の中より汝のごとき一人の預言者を彼らのために興し,わが言をその口に授けん。わが彼に命ずる言を彼ことごとく彼らに告ぐべし。』(申命 18:18)キリストは彼らにはつきりと告げられました,『もし,あなたがたがモーセを信じたならば,わたしをも信じたであろう。モーセは,わたしについて書いたのである。』(ヨハネ 5:46,新口)しかし,ユダヤ民族は必要とするこの信仰を働かせなかつたのです。

      26 何によつて正しいとされますか。肉のイスラエルはどのようにこの事を悟りませんでしたか。

      26 自らを義とした彼らは,律法の行いによつて神の恵みと祝福を得られると感じていました。自分を義としたために彼らは盲目になり,アブラハムが信仰のゆえに神の是認を受けた事実を悟りませんでした。神の目に正しいとされるのは,律法の行いによるのではなく,信仰によるのです,『律法によりて神の前に義とせらるる事なきは明らかなり。「義人は信仰によりて生くべし」とあればなり。されば律法は何のためぞ。これ罪のために加え給いしものにて,約束を与えられたる裔の来たらん時にまで及ぶなり。』(ガラテヤ 3:11,19)しかし,約束の裔が現われたとき,彼は人々の眼の前で不思議を行い知恵の言葉を語つたにも拘らず,その国民は彼を受け入れませんでした。

      27 (イ)肉のイスラエルの全部の人が信仰を示しませんでしたか。(ロ)新しい契約はどのように異なりますか。その成立によつて律法契約はどうなりましたか。

      27 しかし,その国民の中の残れる者は信仰を働かせました。その人々は最初の霊的なイスラエル人となり,ヱホバ神との新しい契約に入れられたのです。シナイ山で結ばれ,約束の裔が来るまでイスラエル人を導くために与えられた契約は,この契約によつて置き代えられました。エレミヤはこの新しい契約を預言し,それが異なつた契約であることを述べました。石板の上にしるされたのではなくて,それは心の上にしるされたのです。―エレミヤ 31:31-33。

      28 ユダヤ人の残れる者は何を経験しましたか。

      28 ユダヤ民族の残れる者で信仰を働かせた人々は,この新しい契約に入れられました。心に割礼を受けた彼らは,神の命ぜられるままに従うことを心に願い,神の眼に正しく行動する動機を心の中に持つていたのです。書きしるされた神の言葉の正確な知識を得て,神の御心を行おうとする願いを持つゆえに,してはならない多くのことを命じた消極的な律法は彼らには必要ありませんでした。従つて,西暦33年の五旬節に新しい契約が成立したとき,シナイ山で与えられた古い律法契約はもはや拘束力を持つていなかつたのです。それは既に廃止されました。キリストはその目的を成就して,それを終らせました。

      29 新しい契約はどのように成立しましたか。それが律法契約にまさるのはなぜですか。

      29 古い契約と同じく,新しい契約を成立させるためにも犠牲が必要でした。しかし,動物の血にまさるものによつて,新しい契約は有効とされました。それはキリストの完全な生命の血によつて有効とされたのです。このゆえに,新しい契約は古い契約よりもすぐれたものです。また,それはすぐれた祭司職,完全な仲立,もつと良い約束を持つために,この点においてもすぐれています。『ところがキリストは,はるかにすぐれた務を得られたのである。それは,さらにまさつた約束に基いて立てられた,さらにまさつた契約の仲保者となられたことによる。』― ヘブル 8:6,新口。

      30,31 アブラハムの真の裔は誰ですか。彼らはなぜ浜の砂にたとえられましたか。

      30 この契約に入れられた人々が神の真のイスラエルであり,アブラハムの真の裔です。創世紀 22章17,18節に記録されている,アブラハムへの約束はこの人々に適用されるのであつて,肉によるアブラハムの子孫には適用されません。民族として言えば,彼らは神に聞かなかつたうえに,その族長と同じ従順と信仰を示さなかつたのです。約束が預言しているように,その人々は王族となり,アブラハムの主なる裔キリスト・イエスと共になります。

      31 アブラハムの時代に,霊的なイスラエルを構成する人々の数を明らかにすることは神の御心でなかつたゆえに,神はその数を不定のままにしておかれました。その数は明らかにされなかつたのです。神は言われました。『汝の子孫を増して天の星の如く,浜の沙の如くならしむべし。』星や砂を数えることがきないのと同じく,霊的なイスラエルも数えることができませんでした。神がその数を未だ明らかにされていなかつたからです。

      32 霊的イスラエルの数は聖書のどこにしるされていますか。

      32 新しい契約が成立して後,この秘密は初めて明らかにされました。その数は黙示録 14章1節にしるされており,霊的なイスラエルは主なる裔キリスト・イエスと共に天のシオンの山に立つていることが描写されています。『なお,わたしが見ていると,見よ,小羊がシオンの山に立つていた。また,十四万四千の人人が小羊と共におり,その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。』このように,霊的なイスラエルは大祭司キリスト・イエスの下に僅か14万4000人の成員から成り立つています。この人々だけが新しい契約に入れられて,ヱホバの御名を担う新しい国民となるのです。

      33,34 ユダヤ民族の崇拝の家が捨てられたことは,各ユダヤ人が神の恵みを得られないという意味ですか。なぜ?

      33 肉のイスラエル人ではなくして,この新しい国民の上に今やヱホバの恵みがとどまつています。しかし,ユダヤ人の崇拝の家が捨てられたと言つても,個々のユダヤ人が神の恵みに入ることができないという意味ではありません。その国民は見捨てられましたが,その中の個人全部が捨てられたのではありませんでした。その国民の残れる者は信仰を働かせて新しい契約に入れられたからです。(ロマ 9:27)神と神の御子に信仰を働かせたこの残れる者が神の恵みを得たのと同じく,今日のユダヤ人各人も同じ手段によつて神の恵みを得ることができます。神は古い律法契約を新しい,まさつた契約に替えられたことを,彼らは認めなければなりません。また,新しい契約のまさつた犠牲,人間としてのキリスト,またアダムから相続した罪がキリストの血によつて如何にして永遠に清められたかを認めなければなりません。さらに,神の任命された王であるキリストを認め,神の真のイスラエルである霊的なイスラエルを認めることも必要です。いいかえれば,各ユダヤ人はユダヤ人でない人と同じ仕方で神の恵みを受けることができます。

      34 いまここで学んだ事に照らして明らかなように,肉のイスラエルは神の前に恵まれた立場を持つていません。かたくな,不従順,愛ある御親切から神のなされた事を拒絶したことのゆえに,肉のイスラエルは散らされ,神に捨てられました。彼らは神の聖なる国民ではありません。神の前に恵まれた立場を持つイスラエルは霊的なイスラエルです。選ばれて霊的なイスラエルを作り上げる人々は,アブラハムの信仰と従順を表わしたゆえにアブラハムの真の子供たちなのです。従つて,救われるのは霊的なイスラエルのすべてであつて,肉のイスラエルではありません。霊的なイスラエルこそ神に属する特別な民,祭司の国,聖なる国民となつて,その祝福を受ける人々です。

  • 野生のオリブの木をつぐ
    ものみの塔 1958 | 6月15日
    • 野生のオリブの木をつぐ

      『しかし,もしある枝が切り去られて,野生のオリブであるあなたがそれにつがれ,オリブの根の豊かな養分にあずかつているとすれば,あなたはその枝に対して誇つてはならない。』― ロマ 11:17,18,新口。

      1,2 果樹の枯死した枝はなぜ望ましくないものですか。洗礼者ヨハネはこの事をたとえの中でどのように用いましたか。

      果樹の枯死した枝と生きている枝とでは,何れが望ましいですか。その答は明らかです。死んでいるものから実は生み出されません。従つて果樹を栽培する人は,枯死して実を持たない枝をかり取り,その木に十分の実がなるようにします。昔のパレスチナで果樹を栽培する人がよく実のなる木に関心を持つたのは,収益をあげるためだけでなく,果樹には税金が課せられたからです。実を結ばない木で貴重な面積を一杯にしたり,実をもたない枝を木に茂らせることはできなかつたのです。枯死したものは直ぐに切り取られました。

      2 よく知られていたこの事実を用いて,洗礼者ヨハネはたとえを話しました。アブラハムとの血縁をたよりにして神の恵みと祝福を期待するのは愚かであることを,彼は生来のイスラエル人に印象づけようとしたのです。彼はこのように述べました,『だから,悔改めにふさわしい実を結べ。自分たちの父にはアブラハムがあるなどと,心の中で思つてもみるな。おまえたちに言つておく,神はこれらの石ころからでも,アブラハムの子を起すことができるのだ。斧がすでに木の根もとに置かれている。だから,良い実を結ばない木はことごとく切られて,火の中に投げ込まれるのだ。』(マタイ 3:8-10,新口)ここでヨハネは,西暦70年にきた,そして予表でもある,怒りの日をこの国民に警告したのです。それは一民族に対する裁きでした。生来のイスラエル人のうちで僅かの残れる者は実を結ぶ木と同じように良い実を生み出して,神から良い裁きを受けました。

      3 使徒パウロはアブラハムの真の裔を何にたとえていますか。

      3 使徒パウロも別のたとえを語つて,イスラエル人がアブラハムとの血縁を頼みにできないことを示しました。彼はそのたとえの中で,パレスチナの主な果樹であるオリブを用い,栽培されたオリブの木の株と枝をアブラハムの真の裔にたとえました。その族長と結ばれた神の契約の中でこの裔のことは述べられています。前の記事の中で指摘されたように,アブラハムの真の裔は霊的なものであり,肉によるのではありません。それは先ずキリスト,つぎに14万4000人の霊的なイスラエルすなわち,アブラハムの信仰を働かせる人々から成り立ちます。

      4 アブラハムの裔になるために彼の肉による子孫である必要はありませんが,それはなぜですか。

      4 アブラハムの裔になるためにアブラハムの肉の子孫である必要はありません。洗礼者ヨハネも述べたように,神は石からでさえもアブラハムの子孫を起すことができます。従つて,この忠実な人への約束を成就するために,神がアブラハムの肉による子孫だけを用いなければならないという事はありません。この事はガラテヤ書 3章28節,29節に指摘されています,『もはや,ユダヤ人もギリシヤ人もなく,奴隷も自由人もなく,男も女もない。あなたがたは皆,キリスト・イエスにあつて一つだからである。もしキリストのものであるなら,あなたがたはアブラハムの子孫であり,約束による相続人なのである。』それゆえに,パウロのたとえにある象徴的なオリブの木の枝はユダヤ民族だけでなく,他のものからも成り立つているのです。

      5 オリブの木の幹は何を表わしますか。

      5 キリストはアブラハムの主なる裔であり,霊的なイスラエルとなつてキリストに連なる人々は彼を通して生命を得ます。ゆえにキリストは,枝を支えるオリブの木の幹によつて表わされています。ぶどうの木のたとえで,イエス御自身がこのたとえを言われました,『わたしはぶどうの木,あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながつており,またわたしがその人とつながつておれば,その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては,あなたがたは何一つできないからである。』― ヨハネ 15:5,新口。

      6 キリストの追随者はどのように神の子とされますか。彼らの見込みは何ですか。

      6 キリストの足跡に従う忠実な追随者は,この二つのたとえにある枝を形成しており,王なる子としてヱホバ神にうけ入れられます。罪をおおうキリストの犠性を通して彼らが義とされたことにより,また神の霊に生み出され,霊的な子とされたことによつて,このことは可能となりました。『すべて神の御霊に導かれている者は,すなわち,神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく,子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によつて,わたしたちは「アバ,父よ」と呼ぶのである。御霊みずから,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば,相続人でもある。神の相続人であつて,キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上,キリストと共同の相続人なのである。』(ロマ 8:14-17,新口)このように子たちとされた14万4000人のキリストの追随者は,霊的イスラエル人であり,アブラハムの真の裔なのです。彼らの前途は,栄光をうけて不滅の霊者となりキリストと共に天の神の御国に入ることです。

      7 オリブの木の根は何ですか。この事はどのように幹と枝を聖なるものにしますか。

      7 14万4000人の霊的なユダヤ人の生命はキリストを通してヱホバ神からくるゆえに,象徴的なオリブの木の根はヱホバ神です。木はその根によつて動かないように支えられ,栄養分を受けるのと同じく,この神権的な組織も根であるヱホバ神によつて力を与えられ,支えられるのです。聖なる方ヱホバが根であるゆえに,幹と枝も聖なるものです。『従順な子供として,無知であつた時代の欲情に従わず,むしろ,あなたがたを召して下さつた聖なるかたにならつて,あなたがた自身も,あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に,わたしが聖なる者であるから,あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。』― ペテロ前 1:14-16,新口。

      ある枝は切り取られる

      8 象徴的なオリブの木の枝で実を結ばない枝はどんな運命になりますか。そしてなぜ?

      8 オリブの木で象徴されているこの神権制度は聖なる制度であり,義のために,そしてヱホバの御名の賛美と誉のために全く献身しています。万一にも死んで実を結ばなくなる枝があるなら,枯死して実をもたない果樹の枝が切り取られるのと同じくその枝も切り取られるでしよう。

      9,10 (イ)ヱホバはどのように肉のイスラエルを支えられましたか。(ロ)なぜ彼らはオリブの元木の枝と考えられますか。

      9 パウロがそのたとえの中で指摘しているように,ある枝は本当に切り取られ,野生のオリブの枝が代りにつがれました。これを理解するために,栽培されたオリブの枝と野生のオリブの枝がそれぞれ何を表わすかを先ず知らねばなりません。すでに指摘された通り,生来のユダヤ人はエジプトから救い出され,シナイ山で律法契約が結ばれて以来,ヱホバと特別な関係を享受しました。それは恵まれた立場であつて,非ユダヤ人の与らなかつたものです。アブラハムの契約のために,肉のイスラエルは神から特別の恵みと特権を受けたのです。根であるヱホバ神は彼らを支えられました。

      10 神の選ばれた民として,彼らは象徴的なオリブの木の枝になり,天の御国を構成するはずでした。それで,彼らを栽培されたオリブの木の元の枝と見ることができます。14万4000の枝となる人々が彼らの中にいるなら,一人の異邦人も霊的なイスラエルとされることなく,従つて,御国の民となつて地上の生命を得ることがすべての異邦人の希望となるでしよう。

      11 オリブの中におけるイスラエルの立場は,どのように条件づけられていましたか。彼らが信仰を表わす大きな機会は何時おとづれましたか。

      11 象徴的なオリブの木における肉のユダヤ民族の立場は,その信仰と従順によつて定まるものでした。そのことに留意しなければなりません。ヱホバが御自身の愛する御子を彼らに遣わされたとき,彼らが信仰を表わす良い機会が訪れました。御子を待つべきことは彼らに告げられており,何百年も前に予言は御子のことを告げ,御子のなさることを予告していたのです。御子が宣教を始める日付さえも示されていました。モーセの律法自体も御子を指し示して,罪をおおう御子の完全な犠牲の必要を強調するものでした。しかし,御子が現われたときに,民族としての彼らは御子を拒絶しました。

      12,13 彼らにとつてキリストはどのようにつまづきの石となりましたか。

      12 神の選ばれた王を受け入れるかわりに,彼らはシーザーを選んで王を拒絶しました。『わたしたちには,カイザル以外に王はありません。』(ヨハネ 19:15,新口)と彼らは叫んだのです。こうして,アブラハムの肉による子孫にとつて,キリストはつまずきの石となりました。『しかし,義の律法を追い求めていたイスラエルは,その律法に達しなかつた。なぜであるか。信仰によらないで,行いによつて得られるかのように,追い求めたからである。彼らは,つまずきの石につまずいたのである。「見よ,わたしはシオンに,つまずきの石,さまたげの岩を置く。それにより頼む者は,失望に終ることがない」と書いてあるとおりである。』― ロマ 9:31-33,新口。

      13 信仰のなかつたこの国民は彼につまずきました。彼がことごとく成就した預言にも拘らず,また彼らの眼の前で彼が行つたすべての力あるわざと彼が語つた知恵にも拘らず,彼らは信仰を働かせることを拒絶したのです。エレミヤの語つた通りに彼らはつんぼで盲目でした。『愚かにして悟りなく,目あれども見えず耳あれども聞えざる民よこれをきけ。』― エレミヤ 5:21。

      14 (イ)信仰のなかつたゆえに,彼らは何を失いましたか。(ロ)誰が木に残された良い枝のようでしたか。

      14 信仰のなかつた彼らは,霊的なオリブの木となる特権,王なる祭司として天にある不滅の生命を受ける祝福された特権を失い,ヱホバの王と御国の証者になる特権を失いました。死んで実を結ばない枝,切られて火に投げ入れられる枝に等しいことを証明したのです。しかし,この国民の残れる者は信仰を働かせ,切り取られることなしに象徴的なオリブの木に残されました。

      野生のオリブをつぐ

      15 捨てられたイスラエルに代るものを見出すため,神は誰を顧みられましたか。このことはどのように預言されましたか。

      15 14万4000人が御国に入ることはヱホバ神の御目的でした。従つて,不信仰のために肉によるアブラハムの子孫の大部分がふさわしくないことを証明した以上,この数を満たすに足るアブラハムの子たちはどこに見出されるでしようか。ユダヤ民族でない諸民族の間に見出されるというのが唯一の答です。肉による先祖としてアブラハムを持たないにしても,彼らがこの数を満たさねばなりません。この事について使徒パウロは述べています,『なお,わたしは言う,イスラエルは知らなかつたのであろうか。まずモーセは言つている,「わたしはあなたがたに,国民でない者に対してねたみを起させ,無知な国民に対して,怒りをいだかせるであろう」。イザヤも大胆に言つている,「わたしは,わたしを求めない者たちに見いだされ,わたしを尋ねない者に,自分を現した」。そして,イスラエルについては,「わたしは服従せずに反抗する民に,終日わたしの手をさし伸べていた」と言つている。』― ロマ 10:19-21; 9:25,26,新口。

      16 西暦29年から33年までイスラエルに特別な恵みが示された結果は何でしたか。

      16 西暦29年から36年までのあいだ,霊的な子としてキリストと共になるようにとの招待は,イスラエル民族だけに差しのべられました。キリストと使徒たちはイスラエルの家だけに伝道して,彼らに先ず機会を与えられたのです。7年が過ぎて,この民族の僅かに残れる者が招待に応じたに過ぎませんでした。ゆえに,神は御名のための民を取り出すために異邦人をかえりみられたのです。イスラエル民族は特別なこの特権を失いました。―使行 15:14。

      17,18 イスラエルの不信仰から異邦人はどのように益を得ましたか。異邦人はなぜ誇るべきではありませんか。

      17 ローマの軍隊の将校コルネリオのように,異邦人の中で信仰を持つ人々が現われました。ヱホバの王と御国に関する良いたよりを聞いて,彼らは喜びました。その信仰のゆえに,これらの非ユダヤ人は大いなるアブラハム,ヱホバ神の子として受け入れられたのです。そして,アブラハムに与えられた約束の相続者となり,この族長の肉による子孫が不信仰のゆえに失つたものを受けました。この不信仰は異邦人の利益となりました。すなわち,異邦人は野生のオリブの木のように象徴的なオリブの木につながれたのです。この事はロマ書 11章に描かれています。『しかし,もしある枝が切り去られて,野生のオリブであるあなたがそれにつながれ,オリブの根の豊かな養分にあずかつているとすれば,あなたはその枝に対して誇つてはならない。……すると,あなたは「枝が切り去られたのは,わたしがつがれるためであつた」と言うであろう。まさに,そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ,あなたは信仰のゆえに立つているのである。高ぶつた思いをいだかないで,むしろ恐れなさい。もし神が元木の枝を惜しまなかつたとすれば,あなたを惜しむようなことはないであろう。神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ,神の慈愛は,もしあなたがその慈愛にとどまつているなら,あなたに向けられる。そうでないと,あなたも切り取られるであろう。』― ロマ 11:17-22,新口。

      18 象徴的なオリブの木につがれた異邦人が木に留まるためには,忠実を守ることが要求されました。忠実を守らないならば,生来のイスラエルと同じく彼らも切り取られるでしよう。切り取られた元木の枝にむかつて誇るな,と使徒が述べたのもこの理由でした。彼らも幹から切り離されることがあるのです。ゆえに,彼らは神の示された過分の御親切に対して何時も感謝しなければなりません。

      19,20 神の御目的を異邦人にも明らかに理解させ,彼らが霊的イスラエル人になる道を開いたとき,ペテロが神に用いられたという証拠は何でしたか。

      19 ペテロが御国の第二の鍵を用いて,神の御目的と天国の級に関する理解を異邦人に明らかにしたとき,ペテロは神の霊に導かれていました。ペテロを通して神が非ユダヤ人にも恵みを与えられたという証拠は,ペテロがコルネリオとその家族に伝道しているうちに彼らも聖霊によつて生み出されたことから分ります。これらの異邦人は霊的な子として受け入れられ,ヱホバはこのことの眼に見える証拠を与えられました。ユダヤ人のクリスチャンにとつて,これは全く驚くべきことでした。この特権はその時に至るまでユダヤ人だけのものであつたからです。(使徒行伝 10章)後にペテロはユダヤ人のクリスチャンに対し,これは神のなされたわざであることを思い起させました。

      20 『激しい争論があつた後,ペテロが立つて言つた,「兄弟たちよ,ご承知のとおり,異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと,神は初めのころに,諸君の中からわたしをお選びになつたのである。そして,人の心をご存じである神は,聖霊をわれわれに賜わつたと同様に彼らにも賜わつて,彼らに対してあかしをなし,また,その信仰によつて彼らの心をきよめ,われわれと彼らとの間に,なんの分けへだてもなさらなかつた。』― 使行 15:7-9,新口。

      二つの民を一つにする

      21,22 野生のオリブの枝を栽培されたオリブの木につぐことは,二つの民を一つにすることをどのように表わしていますか。このことは律法契約に関して何を意味しますか。

      21 生来のイスラエルが霊的なオリブの木から切り取られたことは異邦人にとつて祝福となりました。それによつて,異邦人の信ずる者がアブラハムの裔キリスト・イエスの共同相続者となることができたのです。律法契約はあたかも壁のように二つの民を長い間分けていましたが,これはこの二つの民を一つにすることでした。キリストが律法を成就されたときに,この隔ての壁は取り除かれました。神はキリストを通して律法を廃止され,ユダヤ人と異邦人とを一つになさつたのです。エペソト人に宛てたパウロの手紙の中にこれは指摘されています,『前には遠く離れていたあなた方も,いまはキリスト・イエスと一致してキリストの血により近づくようになつた。実に彼は私たちの平和である。彼は二つのものを一つにし,隔ててしきる中垣を滅ぼされた。イエスはその肉により憎しみ,すなわち,かずかずの規定で成り立ついましめの律法を廃止された。それは御自身にあつて二つの民を一人の新しい人につくりあげて平和をつくり,その苦しみの杭を通して一つの体なる両方の民を神に十分和解させるためである。イエスは御自身によつて憎しみを滅ぼされたからであつた。また,彼は来られて遠く離れていたあなた方に平和のよいたよりを伝え,近い者にも平和を伝えられた。キリストによつて,私たちの民が一つの霊によつて父に近づくからである。』― エペソ 2:13-18,新世。

      22 野生のオリブの枝を栽培されたオリブの木につぐことは,二つの民を一つにして神の新しい民とすることを良く表わしています。生来のイスラエルにおいて,外国人や寄留者は市民権を全く持たない者でしたが,いまは異邦人がそのように見なされることはないでしよう。新しい国民の中で異邦人も市民であり,生来のイスラエルの残れる者と同じ立場を神の前に持つています。パウロは次のように述べてこの点を指摘しました,『そこであなたがたは,もはや異邦人でも宿り人でもなく,聖徒たちと同じ国籍の者であり,神の家族なのである。』― エペソ 2:19,新口。

      23 神はいまどの国民と係わりを持たれますか。

      23 新しい契約の下にあつて新しい祭司,新しいなかだち,新しい犠牲を持つ新しい国民こそ,神が係わりを持たれる国民であり,神の真のイスラエルです。肉のイスラエルをも含めて他のどんな国民も,神との係わりを持ちません。肉のイスラエルにはこの国民となる機会がありましたが,彼らはそれを拒絶したのです。ゆえに神はその国民を捨てられました。死んだ枝を切り取るように,神はその国民を切り離し,彼らの持ち得た特権ある地位に異邦人をつがれました。

      24 神の御目的に従い地を治める天の政府は何によつて作られますか。

      24 生来のイスラエルの残れる者と忠実な異邦人とから成る新しい国民は,天の政府を形づくり,この地を支配するでしよう。この御国を祈り求めるようにと,キリストは弟子に教えられました。14万4000人のその成員は霊者となつて不滅の生命の報いを受け,また王および祭司となつて王キリスト・イエスと共に支配する特権に与るのです。キリストについて次のようにしるされています,『あなたこそは,その巻物を受け取り,封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ,その血によつて,神のために,あらゆる部族,国語,民族,国民の中から人々をあがない,わたしたちの神のために,彼らを御国の民とし,祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしよう。』― 黙示 5:9,10,新口。

      25 この天の政府はどのように預言されましたか。何によつて象徴されていますか。

      25 ユダヤの王国が滅びて後,これは神が権威を与え,力を与えられた唯一の政府です。キリストの宣教と共に成員の選択が始められる遙か以前に,予言者ダニエルの予言した如く,御国は他の政府をことごとく滅ぼし,永遠につづくでしよう。『この王たちの日に天の神一つの国を建てたまわん是は何時までも滅ぶることなからん。この国は他の民に帰せず却つてこの諸の国を打破りてこれを滅せん是は立ちて永遠にいたらん。』(ダニエル 2:44)ダニエルの時代よりも200年前に,イザヤは御国のことを語り,それが永遠の平和をもたらすと述べました。『その政事と平和とはましくわわりて窮なし。かつダビデの位にすわりてその国をおさめ,今よりのちとこしえに公平と正義とをもてこれを立てこれを保ち給わん。』(イザヤ 9:7)これこそ,人類を本当に祝福する政府です。象徴的なオリブの木はこの神権政府を表わし,この政府に力を与え,それを支えられる方をも表わしています。

      26 キリストは象徴的なオリブの木の枝に対する約束を,どのように果しましたか。未だ地上にいる残れる者の責任とは何ですか。

      26 イエスは行つて天に場所を備え,つぎに戻つてその人々を御自分の許に迎えると約束されましたが,それは象徴的な枝に関して言われたのです。キリストが神の霊的な宮に来られた西暦1918年に,このことは行われました。死の眠りについていた御国の級の人々は不滅の生命を持つ霊者によみがえされて,キリストと共になりました。選ばれた14万4000人の中で未だ地上に生きている残れる者は,死の時に変えられます。彼らは死の眠りにつくことなく,直ぐに変えられるでしよう。(コリント前 15:50-53)いまのところ彼らの持つ責任は,神の御国の良いたよりを全世界に伝道するわざを組織し,地に住む人々に来るべきハルマゲドンの戦いを警告するわざを監督することです。

      27 (イ)誰が残れる者と交わつてきましたか。(ロ)どのようにして,彼らは自身に祝福をもたらしますか。

      27 この残れる者は新しい世の社会を作り上げました。大勢の人がこの社会に入つて残れる者と交わり,汚れのない崇拝をヱホバに捧げています。これはゼカリヤ書 8章23節の成就です,『万軍のヱホバかく言いたもう,その日にはもろもろの国語の民十人にてユダヤ人一人の裾をとらえん。すなわち之をとらえて言わん我ら汝らと共に行くべし。そは我ら神の汝らと偕にいますを聞きたればなり。』すべての善意者を象徴するこの『十人』は,霊的イスラエルのうち地上に生きている成員すなわち残れる者と交わります。肉なるユダヤ人,心に割礼あるこれらの人々に対して,彼らは親切を示します。キリストのこれら霊的兄弟に親切を示すことによつて,諸国民の大群衆は大いなるアブラハムから祝福され,神の御言葉と御目的を正確に知る知識を授けられるだけでなく,キリストと彼に交わる14万4000人の王たちの民として地上に永遠に生きるという約束を受けるのです。

      28 霊的イスラエルを構成する人数と大いなる群衆の数とは,どのように比べられますか。この事は黙示録にどう示されていますか。

      28 象徴的なオリブの枝は限られていますが,地に住む民の大群衆に数の制限はありません。神は枝の数を14万4000に限られたゆえに,つがれた木は,死んで切り取られた枝の数だけです。しかし,この霊的な国民の民にこのような制限は加えられませんでした。このことは黙示録 7章にはつきり示されています。そこには14万4000人の霊的なイスラエル人がイスラエルの12支族から出てくることが先ず描かれていますが,これは生来のイスラエル12支族がアブラハムの子孫であつたのと同じく,霊的なイスラエルも大いなるアブラハム,ヱホバの子供即ち霊的な子であることを示すためです。象徴的なオリブの枝となり,オリブの幹キリスト・イエスと共になる14万4000人について述べた後,この章はすべての民族の大いなる群衆について語つています。(黙示録 7章9節)これらの人々は新世社会の中に入つて霊的なイスラエルの残れる者と交わる人々です。彼らは残れる者を助けて他の人々に良い実を分け与えています。

      29 神の聖なる国民の支配の下で,誰が祝福を受けられますか。

      29 ユダヤ人をも含め,望む人は誰でもこの大群衆の一部となり彼らのために備えられた祝福を受けられます。アブラハムの裔キリストに信仰を働かせるとき,彼らは自分の祝福に喜ぶでしよう。神の聖なる国民,霊的なイスラエルの正しい支配の下に,彼らは平和と永遠の生命を楽しむのです。

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    ものみの塔 1958 | 6月15日
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