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産出的なオリーブの木ものみの塔 1983 | 11月15日
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産出的なオリーブの木
『こうして全イスラエルが救われるのです』― ローマ 11:26。
1 オリーブの木について何と言うことができますか。
オリーブの木は何百年もの間成長を続けることで知られています。しばしば中がうろと化し,老木となった幹がついに枯れるとしても,新しい茎が根から生え出て,1本ないしはそれ以上の新しいオリーブの木の生じることがあります。そのためだと思われますが,4,000年ほど前に植えられたものでありながら今なお生きており,今日でも実を生み出しているオリーブの木が存在しています。
2 パウロはどんな約束に関連して,オリーブの木のことを語っていますか。そのオリーブの木は何の例えですか。
2 使徒パウロはローマ人への手紙の中で,エホバが,幾世紀も前にアブラハムになさった次のような約束の一部をどのような驚くべき方法で成就されるかを示す例えとして,オリーブの木を用いています。
「わたしは確かにあなたを祝福し,あなたの胤を確かに殖やして天の星のように,海辺の砂の粒のようにする。あなたの胤はその敵の門を手に入れるであろう。そして,あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聴き従ったからである」― 創世記 22:16-18。
アブラハム契約
3,4 (イ)アブラハムはどのように自分の信仰を実証したばかりでしたか。(ロ)この重要な出来事は何を予示していましたか。
3 アブラハムは,最初の妻サラによって得た独り息子イサクを進んで犠牲にする態度を示したばかりでした。(ヘブライ 11:17-19。創世記 22:1-18もお読みください。)クリスチャンはごく初期の時代から,この重要な出来事のうちに,エホバがご自分のみ子を犠牲にし,次いで復活という手段でみ子を取り戻されたことが予表されていたと考えてきました。そうです,「神は[人類の]世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされた(の)です」― ヨハネ 3:16。
4 したがって,この預言的な描写の中でアブラハムはエホバ神を,また,125歳になる父親に抵抗しようと思えばそうすることもできた若者イサクは,人間の命を贖いの犠牲として進んで捨てられたイエス・キリストを予示していました。―ヘブライ 7:27; 10:12。
5 創世記 3章15節の約束の胤に関し,アブラハムとの神の契約の中で何が明らかにされましたか。
5 アブラハムの大いなる信仰のゆえに,エホバはこれよりも前にアブラハムと一つの契約を結んでおられました。その契約は西暦前1943年に発効しました。(創世記 12:4,7。ガラテア 3:17)約50年後エホバは,イサクに関連してさえ,試されたアブラハムの信仰の質をご覧になり,そのあとで創世記 22章に記されている通りこの契約による約束を繰り返し,その約束を詳述されました。十分明確に述べられたこのアブラハム契約は,神のすばらしい目的がどのように果たされるかに関する詳しい情報を与えるものとなりました。エデンで約束された,救出の胤がアブラハムの一人の子孫として地上に現われること,それが多数の胤(正確な数は当時明らかにされなかった)となること,それが敵を打ち負かすこと,そして最後に,その胤を通して地のすべての国の民は自分たちのために祝福を得るということが示されたのです。―創世記 3:15。
アブラハムの胤を見分ける
6,7 (イ)聖書に基づいて言うと,アブラハムの主要な胤とはだれのことですか。(ロ)アブラハムの副次的な胤がいるはずであることはどうして分かりますか。(ハ)正確な数が啓示されたのはいつでしたか。それは何人でしたか。
6 その約束に関するすべての詳細は,アブラハムの信仰にあずかる人々,またエホバの祝福を受けたいと望む人々の関心事です。(ローマ 4:16)地のすべての国の民はやがてアブラハムの胤によって自らを祝福することになりますが,その胤とは主にだれのことでしたか。使徒パウロは,この主要な胤がキリストであることを証明しています。―ガラテア 3:16。
7 さらに,エホバはアブラハムにその胤を殖やすと約束しておられることからすると,アブラハムの胤の副次的な部分を構成するのはどんな人々でしょうか。「約束に関連した相続人」,主要な胤であるキリストと「共同の相続人」とはだれのことでしょうか。(ガラテア 3:29。ローマ 8:17)約2,000年の間,この副次的な「アブラハムの胤」を構成する人々の数さえ,「天の星」,あるいは「海辺の砂の粒」のように,人間には知らされていませんでした。その後西暦1世紀の終わりごろに使徒ヨハネは「証印を押された者たちの数」を聞きましたが,「それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された」と記されています。―創世記 22:17。啓示 7:4。
8 割礼を受けたユダヤ人には,どんな特別な機会が開かれていましたか。
8 とはいえ,これらの14万4,000人の「イスラエルの子ら」はだれの中から選ばれ,証印を押されるのでしょうか。もし十分な数の肉のイスラエル人が「キリスト[アブラハムの主要な胤]に導く養育係」としての律法契約に従っていたなら,彼らはアブラハムの副次的な胤の14万4,000人の全成員を備えることができ,地のすべての国の民を祝福するための「祭司の王国,聖なる国民」となることができたでしょう。(ガラテア 3:24。出エジプト記 19:5,6)しかし,十分な数の人々が,「信仰を持つ人すべての父」アブラハムの真の子供であることを実証したでしょうか。―ローマ 4:11。
9 バプテスマを施す人ヨハネは,アブラハムの霊的な胤が必ずしも専らユダヤ人だけで構成されるわけではないことをどのように示しましたか。
9 イエスが地上での宣教を始められる前でさえ,バプテスマを施す人ヨハネはユダヤ人の宗教指導者たちに次のような警告を与えていました。「『わたしたちの父にアブラハムがいる』などと自分に言ってはなりません。あなた方に言っておきますが,神はこれらの石からアブラハムに子供たちを起こすことができるのです。すでに斧は木の根もとに置かれています。それで,りっぱな実を生み出さない木はみな切り倒されて火に投げ込まれるのです」。(マタイ 3:9,10)エホバがどのような驚嘆すべき賢明な方法でアブラハムの副次的な胤の全成員を起こされるかということは,パウロの時代には既に明らかにされていました。(ローマ 16:25-27)パウロはその点をローマ人への手紙の中で詳しく説明しています。
ローマ人にあてたパウロの手紙
10 肉のユダヤ人は誤ってどんな事を信じていましたか。
10 ユダヤ人は神の選民であることを非常に強く意識していました。この「選民」という表現に関して,コンサイス・ユダヤ百科事典はこう述べています。「ユダヤ人が神との特別な関係を有するという信念を表わす呼称。この概念はアブラハムとの契約に基づいている」。アブラハムの子孫であることを誇っていたユダヤ人は,自分たちこそ他のすべての国の民が祝福される経路となる胤であり,律法契約のもとでなされた業により神のみ前で自分を正当化できると考えました。―ヨハネ 8:33,39。ローマ 9:31,32; 10:3,4; 11:7。
11,12 (イ)パウロがローマ人に手紙を書き送った当時,ローマの会衆はどんな状況にありましたか。(ロ)パウロがローマのユダヤ人と異邦人のクリスチャンに手紙を書いたのはなぜですか。
11 こうした背後事情を考慮して,使徒パウロはローマのクリスチャン会衆に手紙を書き送りました。ローマのユダヤ人の一部はクリスチャンになっていましたが,ローマのユダヤ人の圧倒的大多数はメシアとしてのイエスに信仰を置こうとはしませんでした。ローマのクリスチャン会衆は,多くの非ユダヤ人のクリスチャンによっても構成されていました。
12 理由は異なりますが,ユダヤ人も異邦人も優越感を抱いていました。ユダヤ人の場合はアブラハムという最初の親株から出ているために,異邦人の場合は,不信仰なユダヤ人の側の信仰の欠如の結果,自分たちがアブラハム契約の特異な特権を得ることを許されていたためにそうした感情を抱いていたのです。パウロはユダヤ人から出たクリスチャンにも,非ユダヤ人から出たクリスチャンにも,神のみ前における二つのグループの義にかなった立場は業ではなくキリストに対する信仰によっていることを納得させようとしました。(ローマ 3:21-27)パウロがその手紙を書いた目的は,クリスチャンとしての一致と産出性をもたらすことであり,エホバがアブラハム契約にかかわるさまざまな約束の成就を推し進める面で示しておられる驚くべき方法についてエホバに栄光を帰するためでした。
象徴的なオリーブの木
13 パウロが嘆いたのはなぜですか。また,栽培されたオリーブの木によりパウロは何を例証しましたか。
13 使徒パウロは,「イスラエルから出る者がみな真に『イスラエル』なのではない」と嘆き,「また,アブラハムの胤だからといって,彼らがみな子供[アブラハムの霊的な胤の一部]なのでもありません」と述べています。次いでパウロは,エホバがどのように『アブラハムに子供たちを起こされる』かを示します。(ローマ 9:1,2,6,7)アブラハム契約がどのように約束の霊的な胤の全成員を生み出すかを描写するため,パウロは特別な仕方で栽培されたオリーブの木という象徴を用いています。―ローマ 11:13-26をお読みください。
14 象徴的なオリーブの木の根とはだれのことですか。どんな聖句がそのことを示していますか。
14 パウロは木そのものについて語る前に根に言及し,『根は聖なるものである』と述べています。(ローマ 11:16)エホバ神は「最も聖なる者」であられます。(ホセア 11:12)エホバは,特にイザヤ書の中でしばしば「イスラエルの聖なる方」と呼ばれています。(イザヤ 10:20; 29:19; 60:9)使徒ペテロは油そそがれたクリスチャンに助言を与え,「あなた方を召された聖なる方にしたがい,あなた方自身もすべての行状において聖なる者となりなさい」と述べています。(ペテロ第一 1:15,16)大いなるアブラハムであられるエホバ神は,象徴的なオリーブの木の根であられます。
15 (イ)エホバはどのような点で霊的イスラエルの根ですか。(ロ)象徴的なオリーブの木の幹とはだれのことですか。なぜそう言えますか。
15 族長アブラハムがイスラエル国民の根であったように,エホバは霊的イスラエルに命をお与えになります。イスラエルの十二部族がアブラハムの息子イサク,ヤコブ,そして12人の族長を通してアブラハムから出たように,霊的イスラエルの象徴的な十二部族も,大いなるイサクであるキリスト・イエスを通してエホバから出ています。アブラハムの主要な胤であるこのキリスト・イエスは,オリーブの木の親株,もしくは幹によって象徴されています。(ガラテア 3:16)根であるエホバは,み子キリスト・イエスを通して副次的な胤の全成員を生み出されます。(ガラテア 3:29)しかしどのように,またどのような方法で,エホバは必要とされる数の象徴的な枝を生み出されるのでしょうか。
ある枝は切り落とされ,別の枝は接ぎ木される
16 パウロがローマ 11章25節とエフェソス 3章3-6節で言及している「神聖な奥義」とは何ですか。
16 パウロはこの驚くべき取り決めの説明を続けます。こう書いています。「兄弟たち,あなた方がただ自分の目から見て思慮深い者とならないために,わたしはあなた方がこの神聖な奥義について無知でいることがないようにと願うのです。すなわち,諸国の人たちが入って来てその人たちの数がそろうまで,感覚の鈍りがイスラエルに部分的に生じ,こうして[ギリシャ語,カイ フートースa]全イスラエルが救われることです」。(ローマ 11:25,26。エフェソス 3:3-6と比較してください。)エホバは,必要とされる数,つまり『諸国の人たち[異邦人]のそろった数』がアブラハムの副次的な胤に加えられることを許すことにより,『アブラハムに子供たちを起こされ』るのです。数の限られたこれらの非ユダヤ人は,「アブラハムの信仰」を示すことにより,霊的イスラエル,つまり「神のイスラエル」の一部である霊的なユダヤ人となります。―ローマ 4:16; 2:28,29。ガラテア 6:15,16。
17 (イ)パウロはどんな変わった処置の仕方について述べましたか。(ロ)切り落とされた枝,また野生のオリーブの木から接ぎ木された若枝はだれを表わしていましたか。(ハ)この例えは,誇り高くごう慢なユダヤ人たちに関して何を暴露しましたか。
17 パウロは園芸に関する変わった処置の仕方により,この「神聖な奥義」が完成されてゆくさまを例証しました。パウロがよく知っていた通り,栽培されている木から若枝を取り,それを野生の株に接ぎ木して産出的にならせるのが普通の処置の仕方です。パウロは異邦人のクリスチャンたちに,あなた方は「自然に反して園のオリーブの木に接ぎ木された」と述べました。(ローマ 11:24)こうしてパウロは,アブラハム契約に入ることを許される非ユダヤ人を,「園のオリーブの木」の幹に接ぎ木される,野生のオリーブから取られた接ぎ穂,あるいは若枝になぞらえました。彼らは切り落とされた本来の枝に取って代わります。それらの本来の枝は,信仰の欠如のために退けられた肉のユダヤ人を表わしています。(ローマ 11:17,19,20,24)この異例の例えは,誇り高くごう慢で不信仰なユダヤ人を強烈に暴露するものとなりました。それらユダヤ人は,異邦人を石のように命のないもの,あるいは野生のオリーブの枝と同じでりっぱな実を生み出すことができないものとみなしていました。この例えは,正にバプテストのヨハネがあらかじめ警告していたように,エホバが「アブラハムに子供たちを起こす力」を持っておられることを確証しました。―ルカ 3:8。
18 (イ)西暦36年には何が起きましたか。しかし切り落とされた枝で,アブラハム契約の木に再び接ぎ木されたものがありましたか。(ロ)パウロはどのように,クリスチャン会衆内の一致を促進しましたか。
18 それでも,霊的な胤の一部としてアブラハム契約の木に『自然に反して接ぎ木された』非ユダヤ人のクリスチャンが,ユダヤ人に勝っていると感じるべき理由はありませんでした。パウロはこう説明しています。「また彼ら[ユダヤ人]も,信仰の欠如のうちにとどまっていなければ,接ぎ木されることになるのです。神は彼らを再び接ぎ木することができるからです」。(ローマ 11:23)生来のユダヤ人のうち少数の残りの者がこの主要な胤を受け入れ,その象徴的な木の永続する枝となりました。(ローマ 9:27; 11:5)しかしユダヤ人の大多数は,ダニエルの予告した七十週年の終わりに相当する西暦36年にアブラハム契約の木から折り取られました。(ダニエル 9:27)b ところがその後になって,あるユダヤ人はアブラハムの胤の主要な方であるメシアなるイエスに信仰を置くことにより,再び「自らのオリーブの木に」接ぎ木されました。(ローマ 11:24。使徒 13:5,42,43; 14:1)パウロはこれらのことを指摘して油そそがれたクリスチャンの間の一致を促進しました。彼らはみな,「神のご親切」を通して「そのオリーブの肥えた根にあずかる者」となっていたからです。―ローマ 11:17,22。
十分に産出的なオリーブの木
19 アブラハム契約は,「全イスラエル」を救うため,どのように徐々に霊的な胤を生み出してきましたか。
19 幾世紀もの間に,またとりわけこの終わりの時という恵まれた時期に,他のユダヤ人と非ユダヤ人が象徴的なオリーブの木に接ぎ木されました。このようにしてアブラハム契約は,霊的な胤を完成させるのに必要なユダヤ人と異邦人から成る『そろった数』を生み出します。「こうして」,肉のイスラエルではなく,『真の「イスラエル」』である霊的イスラエルの14万4,000人の成員たち,つまり『全イスラエルが救われるのです』。―ローマ 11:12,25,26; 9:6-8。啓示 7:4。
20,21 (イ)アブラハム契約のこの最も重要な部分の成就は,わたしたちのうちにどんな反応を生み出すはずですか。(ロ)次の記事ではどんなことを調べますか。
20 エホバがこの象徴的な木の幹と数のそろった枝とを生み出すことにより,アブラハム契約のこの最も重要な部分を成就してこられた,その驚くべき仕方を知ると,わたしたちは驚きに満たされるはずです。パウロのようにわたしたちはこう叫びます。「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きは何と探りがたく,その道は何とたどりがたいものなのでしょう。『だれがエホバの思いを知るようになり,だれがその助言者となったであろうか』,また,『だれがまず神に与えてその者に報いがされなければならないようにしただろうか』とあるのです。すべてのものは神から,また神により,そして神のためにあるからです。神に栄光が永久にありますように。アーメン」― ローマ 11:33-36。
21 しかし,接ぎ木されたオリーブの木に関するこの例えから,象徴的な枝(油そそがれたクリスチャン)にとっても,アブラハム契約の木から生み出された胤によって今や自らを祝福できる他の人々にとっても実際的などんな教訓をくみ取ることができるでしょうか。この面については次の記事で扱われます。
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一致した,実を結ぶ人々ものみの塔 1983 | 11月15日
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一致した,実を結ぶ人々
『多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示しなさい』― ヨハネ 15:8。
1 エホバが果樹を大いに重視しておられることを,聖書はどのように示していますか。
『エホバ神は,見て好ましく食物として良いあらゆる木を地面から生えさせた』。(創世記 2:9)イスラエルでは,新たに植えた果樹は3年間成長させ,その間はどんな目的のためであれ,所有者がその実を用いてはいけないことになっていました。4年目にできた果実もすべて,「聖なるもの,エホバに対する祭りの歓喜のものとなる」べきでした。5年目になって,所有者は初なりをエホバにささげた後,望むままに果物を収穫して用いることができました。(レビ記 19:23-25。申命記 26:1-10。ネヘミヤ 10:35-37)戦時に際して,果樹はモーセの律法のもとで特に保護を受けました。―申命記 20:19,20。
非産出的な木は切り倒される
2,3 イエスは実を結ばないいちじくの木のたとえ話の中で,どんなことを述べられましたか。
2 前の記事では,(ローマ 11章にある)象徴的なオリーブの木の数多くの本来の枝が切り取られ,野生のオリーブの枝に取って代わられたことを理解しました。その例えの中で,切り落とされた枝は,オリーブの幹,すなわち主要な胤であられるメシアなるイエスを認めようとしなかった不信仰なユダヤ人たちを表わしています。別の例えの中でイエスは,ユダヤ国民をオリーブではなく,いちじくの木全体になぞらえました。
3 西暦32年の秋にイエスはこう言われました。「ある人が,自分のぶどう園に植えた一本のいちじくの木を持っていました。それで,それに実があるかと見に来ましたが,一つも見つかりませんでした。そこでぶどうの栽培人に言いました,『わたしはこれで三年もこのいちじくの木に実があるかと見に来たが,まだ一つも見つからない。これを切り倒してしまいなさい! いったいなぜこのために土地を無駄にしていなければいけないのか』。栽培人は答えて言いました,『ご主人様,それを今年もそのままにしてやってください。いずれ周りを掘って肥やしをやりますから。それでこれから先,実を生み出すようでしたらよろしいですし,そうでなければ,切り倒してしまって結構です』」― ルカ 13:6-9。
4 イエスはどのように,ご自分が忠実な「ぶどうの栽培人」であることを示されましたか。
4 このいちじくの木について語られた時,イエスは「ぶどうの栽培人」として既に3年を費やし,ユダヤ人のうちに信仰を培うことに努めておられました。しかしユダヤ国民はアブラハム契約と律法契約のもとにあって数多くの利点を有していたにもかかわらず,メシアを受け入れたのはそのうちのわずかな残りの者にすぎませんでした。(ローマ 9:4,5,27)イエスは宣教の4年目に,ユダヤ,ペレア,そして最後にはエルサレムとその周辺で熱心に宣べ伝え,また教えることにより,象徴的な意味でユダヤ人という「いちじくの木」の周りを掘り,肥やしをやって,ユダヤ人の間での努力を強化されました。―ルカ 10章から19章。
5 ユダヤ人という「いちじくの木」はどのように,またなぜ切り倒されましたか。それはいつ「火に投げ込まれ」ましたか。
5 ところがその第4年目の半ば,イエスはご自分の死の数日前にエルサレムのことで泣き,そのユダヤ国民の首都に向かって,ユダヤ国民の家は見捨てられた,と言われました。(マタイ 23:37-39)ユダヤ人という「いちじくの木」の所有者であられるエホバは,徹底的な世話を施したこの四度目の季節にもう一度その木を検分されました。エホバはそれが一国民として実を結んでいないことを見いだされ,マタイ 7章19節でイエスが述べた原則に従って,その木を切り倒すよう命じられました。こうして神の王国はユダヤ国民から取られ,その実を生み出す国民,霊的イスラエルに与えられたのです。(マタイ 21:43)この転換は,その同じ年西暦33年のペンテコステの際に起きました。それから37年たった西暦70年に,切り倒されたこの「いちじくの木」は,エルサレムとユダヤ国民が滅ぼされるに及んで,「火に投げ込まれ」ました。―マタイ 3:9,10。ルカ 19:41-44。
「ただし,あなたがそのご親切のうちにとどまっていればのことです」
6 実を結ばないいちじくの木と,接ぎ木されたオリーブの木の例えは,どのように神のご親切と厳しさを強調していますか。
6 実を結ばないいちじくの木のたとえ話が,エホバの辛抱にも限度があることを示しているように,オリーブの木に関するパウロの例えも,エホバのご親切を強調すると同時に,エホバの厳しさをも示しています。エホバはそのご親切をもってユダヤ人という「本来の枝」のもとに,バプテスマを施す人ヨハネを遣わし,彼らに対し『悔い改めにふさわしい実を生み出し』,イエスを信じるよう告げさせました。(マタイ 3:8。使徒 19:4)彼らは信仰が欠けていたため「折り取られ」ました。ユダヤ人というこの「本来の枝」の数の減退は,「諸国の人たちにとって富」を意味しました。アブラハムの霊的な胤の一部となるために,異邦人という「野生のオリーブの枝」がアブラハム契約の木に接ぎ木されたからです。―ローマ 11:12,17,20,21。
7 パウロはどんな警告を付け加えましたか。
7 しかし,パウロは一つの警告を付け加えています。非ユダヤ人の油そそがれたクリスチャンに呼び掛け,パウロはこう述べます。「神が本来の枝を惜しまなかったのであれば,あなたを惜しまれることもないからです。それゆえ,神のご親切と厳しさとを見なさい。倒れた者たち[ユダヤ人]に対しては厳しさがあります。一方あなた[異邦人]に対しては神のご親切があります。ただし,あなたがそのご親切のうちにとどまっていればのことです。そうでないと,あなたも切り落とされることになります」。(ローマ 11:21,22)アブラハム契約の木に接ぎ木された異邦人のクリスチャンは,エホバのご親切のうちにとどまるため,アブラハムの主要な胤に強い信仰を示さなければなりませんでした。彼らは『信仰によって立って』いましたが,『自分たちの体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出し,神聖な奉仕』を行ない,クリスチャンの実によってその信仰を実証しなければなりませんでした。―ローマ 11:20; 12:1。
8 オリーブの木に関する例えから,パウロはほかのどんな実際的な教訓を引き出しましたか。
8 パウロは,アブラハム契約の木が14万4,000のユダヤ人と異邦人の「枝」のそろった数を生み出すのを可能にされるエホバの驚くべき方法から別の実際的な教訓を引き出しています。パウロはさらに両方の種類の「枝」に対しこう述べています。「わたしは……あなた方の中のすべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ,神が各々に信仰を分け与えてくださったところに応じ,健全な思いを抱けるような考え方をしなさい。わたしたちが一つの体に多くの肢体を持っていても,その肢体がみな同じ機能を持つわけではないのと同じように,わたしたちも,数多くいるにしても,キリストと結ばれた一つの体で(す)」。(ローマ 12:3-5)ユダヤ人のクリスチャンも非ユダヤ人のクリスチャンも,「神のご親切」によりアブラハムの霊的な胤となることが許されました。パウロは彼らに,「あなたが根[エホバ]を支えているのではなく,根があなたを支えている」ことを思い起こさせました。(ローマ 11:18)「切り落とされる」ことを避けるため,彼らは「キリストと結ばれた一つの体」として彼らの一致を守り,神のご親切のうちにとどまらなければなりませんでした。―ローマ 11:22。
9 ここには「ほかの羊」に対するどんな教訓が含まれていますか。それで彼らは何を注意深く行なわなければなりませんか。
9 油そそがれたクリスチャンに対するこの警告には,霊的イスラエル人ではない今日のクリスチャンに対する教訓も含まれているのでしょうか。間違いなく確かに含まれています。彼らはアブラハム契約によって生み出された霊的な胤の一部ではなく,それゆえに『この囲いのものではない』のですが,これらの「ほかの羊」は確かに,胤を通して自らを祝福できる『地の国の民』の一部です。(ヨハネ 10:16前半。創世記 22:18)ですから当然,彼らは,アブラハムのような信仰を持ち,「あの信仰の足跡にそって整然と歩(ま)」なければなりません。アブラハムの命の見込みもやはり地的なものです。(ローマ 4:11,12,16)彼らは,りっぱな羊飼い,またアブラハムの主要な胤であるキリストに服従を示さなければなりません。そしてさらに,アブラハムの副次的な胤の残りの者と協力し,「一人の羊飼い」のもとで彼らと共に「一つの群れ」とならなければなりません。(ヨハネ 10:14,16後半)油そそがれたクリスチャンで神のご親切のうちにとどまらない人がアブラハム契約の木から「切り落とされる」危険を冒すことになるのであれば,「ほかの羊」も,エホバの善意を失うようなことを何も行なわないよう大いに注意深くあるべきではないでしょうか。―ローマ 11:22。
「彼らが[不信仰のまま]とどまっていなければ」
10 あるユダヤ人が信仰の欠如のうちにとどまっていないなら,何が生じ得ましたか。これはその人にとって何を意味したでしょうか。
10 オリーブの木に関する例えには,油そそがれたクリスチャンと「ほかの羊」に適用できる,さらに別の一般的な教訓が含まれています。ローマ 11章23節にそれが見られます。こう記されています。「また彼ら[不信仰なユダヤ人たち]も,信仰の欠如のうちにとどまっていなければ,接ぎ木されることになるのです。神は彼らを再び接ぎ木することができるからです」。ここに神のご親切の別の面が見られます。パウロがこの手紙を書いた時(西暦56年ごろ),ユダヤ国民は不信仰な者として実を結ばない「いちじくの木」のようにずっと昔に切り倒されていました。もしくは,オリーブの木の例えに話を戻すと,「本来の枝」の大半は,イエスつまりメシアに対する信仰の欠如のために既に「切り落とされて」いました。それでも個々のユダヤ人が信仰の欠如のうちにとどまっていないなら,エホバ神は快くそのような人をもう一度象徴的なオリーブの木に接ぎ木し,その人をアブラハムの霊的な胤の成員になさいました。こうした悔い改めたユダヤ人にとって,エホバがその人を再び受け入れたことは,「死からの命」を意味するものだったでしょう。―ローマ 11:14,15。
11 「ほかの羊」のある人々にどんなことが生じましたか。しかし彼らはどうすべきですか。
11 今日,「ほかの羊」の中には,自己満足に陥り,また信仰の欠如のためにエホバに仕えるのをやめてしまった人々がいます。彼らはエホバの民との活発な交わりを絶ってしまいました。窮境に陥ってしまった人々もおり,神の言葉の中に含まれている警告『どおりのことが彼らに生じました』。そのような人々は,自分たちは引き返せないほど迷ってしまったと考えるべきですか。神の言葉はこう述べています。「もしあなた方がその所[神の民の「地」の外側]からあなた方の神エホバをほんとうに捜し求めるならば,それによってあなたは必ず神を見いだすであろう。心をつくし,魂をつくしてこれを尋ね求めるからである。後の日にあなたが窮境に陥り,これらのすべての[警告の]言葉がそのとおりあなたに起きたなら,その時あなたは自分の神エホバに立ち返って,その声に聴き従うであろう。あなたの神エホバは憐れみある神だからである」― 申命記 4:29-31。
12 (イ)『忠実な奴隷』は,そのような迷った「ほかの羊」にどのように関心を示してきましたか。(ロ)ある人々が感謝の念を抱いて群れのもとに立ち返ったことを示すどんな実例を述べることができますか。
12 アブラハム契約の木のうちにある,実を結ぶ枝の一致したグループとして,「忠実で思慮深い奴隷」,つまり地上にいるキリストの油そそがれた兄弟たちの残っている者は,「ほかの羊」のある人々が自己満足から目ざめ,再び実を結ぶクリスチャンとなることがどうしても必要であることを強く自覚しています。(マタイ 24:45-47)その目的のために,「奴隷」は,「ものみの塔」誌1982年8月1日号に掲載された『あなた方の魂の牧者のもとに帰りなさい』というような記事を発表する取り決めを設けます。「わたしたちの王国宣教」には1982年2月号から,同様の主題の一連の記事が掲載されました。主人の「奴隷」によるこうした確固とした指導は,実り豊かな結果をもたらしましたか。自分たちの神エホバに立ち返った人がいましたか。多くの人々がそうしました。22ページに記されているその代表例に注目してください。
『多くの実を結びつづけなさい』
13 今,自己満足に陥っている人はすべて何をすべきですか。そのことはイエスのどんな言葉に示されていますか。
13 そうです,自己満足に陥り,産出的でなくなった油そそがれたクリスチャン,また彼らの仲間である「ほかの羊」はすべて,この警告に留意し,エホバのご親切に答え応じ,もう一度実を結ぶクリスチャンになるための助けを受け入れるべきです。イエスは,幾つかの点でオリーブの木や実を結ばないいちじくの木の例えとは異なる一つの例えの中で,ご自身をぶどうの親株,あるいはぶどうの幹に,ご自分の油そそがれた弟子たちをぶどうの枝になぞらえました。こう述べておられます。「わたしは真のぶどうの木,わたしの父は耕作者です。父は,わたしにあって実を結んでいない枝をみな取り去り,実を結んでいるものをみな清めて,さらに実を結ぶようにされます。……あなた方が多くの実を結びつづけてわたしの弟子であることを示すこと,これによってわたしの父は栄光をお受けになるのです」― ヨハネ 15:1-8。
14 (イ)クリスチャンはすべて,どんな二つの点で「多くの実を結びつづけ」なければなりませんか。(ロ)「真のぶどうの木」の例えの中で,油そそがれたクリスチャンに対する他のどんな要求が示されていますか。
14 「ほかの羊」はアブラハム契約の「オリーブの木」,あるいは「真のぶどうの木」であるキリスト・イエスの枝ではありませんが,彼らもキリストの弟子であることを実証しなければなりません。油そそがれたクリスチャンの「枝」のすべてと同様,彼らは「多くの実を結びつづけ」なければなりません。「霊の実」を含め,キリストのような新しい人格の特質を生み出すことによってそうするのです。(ガラテア 5:22,23。マタイ 28:19,20。コロサイ 3:5-14)しかし本当の意味で実を結ぶために,彼らは「この良いたより」を宣べ伝える業に参加してそのような特質を積極的に表わします。(マタイ 24:14)「真のぶどうの木」の油そそがれた「枝」がキリストとの一致のうちにとどまっていなければならないように,「ほかの羊」もキリストの油そそがれた「兄弟たち」である「忠実で思慮深い奴隷」との一致のうちにしっかりとどまっていなければなりません。そのようにして初めて,彼らは,『世の基が置かれて以来彼らのために備えられている王国を受け継ぐ』という希望を持つことができるのです。―マタイ 25:31-40。
既に自らを祝福している『地の国の民』
15 アブラハム契約が約束の「胤」を生み出し終える時,ローマ 11章12節はどんな付加的な意味を帯びるようになりますか。
15 聖なる「肥えた根」(エホバ)と堅固な幹(キリスト)を持つアブラハム契約のオリーブの木がユダヤ人と異邦人から成るそろった数の「枝」を生み出し終える時,霊的イスラエル人ではない「諸国の人たち」には既に豊かな祝福がもたらされています。パウロはこのことを予見し,こう書きました。「さて,彼らの[生来のユダヤ人の]踏み外しが世にとって富となり,彼らの減退が諸国の人たちにとって富となるのであれば,彼ら[油そそがれたユダヤ人のクリスチャン]の数のそろうことはなおのことそのようになるはずです」― ローマ 11:12。
16 (イ)ユダヤ人の「踏み外し」はどのように「諸国の人たちにとって富」となりましたか。(ロ)接ぎ木の業は今どんな段階に達していますか。
16 わたしたちはここまでのところで,ユダヤ国民が全体として示した「踏み外し」が異邦人にとっては大きな霊的な富を意味したことを理解しました。しかし,これらの野生のオリーブの枝がアブラハムの霊的な胤の成員になったからといって,象徴的なオリーブの木から本来の枝が,つまり西暦36年後に木に残されたか『再び接ぎ木された』忠実なユダヤ人のクリスチャンたちが排除されたわけではありません。したがって14万4,000の枝には,『数のそろった』ユダヤ人と『数のそろった』非ユダヤ人が含まれます。(ローマ 11:12,25)事実は,この接ぎ木が1930年代の半ばまで続いたことを示しています。時がだいぶ経過した今日,ユダヤ人と異邦人双方の『数のそろった』枝は接ぎ木されたと考えてよいもっともな理由があります。1935年以降に接ぎ木された枝はどれも,不忠実になったために切り落とされたユダヤ人あるいは非ユダヤ人の枝に代わるものである,と考えるのは理にかなったことでしょう。
17 その胤の成員が完成されることは,どのような点で「諸国の人たち」にとってさらに豊かな富を意味しますか。
17 さてパウロは,アブラハムの胤の成員がこのように完成されることは「諸国の人たちにとって富となる」と述べていますが,このことは次の点を考えると一層真実なものとなります。つまり,このような霊的な富と祝福は,(ローマ 11章12節の最初の部分が成就する場合のように)油そそがれた非ユダヤ人のクリスチャンのわずか数万人ではなく,象徴的なオリーブの木のものではない文字通り幾百万という「諸国の人たち」にも影響を及ぼすということです。
18 アブラハム契約の約束については何と言うことができますか。それで,そのうちのどの部分が成就し始めているに違いありませんか。
18 このことはアブラハム契約をわたしたちに思い起こさせます。主要な胤であられるキリスト・イエスは今や天で王座についています。キリスト・イエスは副次的な胤の成員をアブラハム契約の家族の中に集め入れました。そして偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンと,目に見えるサタンの組織の残りの部分を滅ぼすことにより,「その敵の門を手に入れ」ようとしておられます。(創世記 22:17,18)ですから,アブラハムになされた約束の結論の部分,つまり,「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」という約束が既に成就し始めているとしても驚くには当たりません。
19 (イ)『地のすべての国民』から来た人々はどのように自らを祝福し始めていますか。(ロ)彼らはどんな希望を抱いていますか。
19 確かに,相当数の生来のユダヤ人を含む,「すべての国民……から来た……大群衆」は既に自らを祝福しています。大いなるアブラハムであられるエホバ神に対する十分の信仰を抱き,彼らは霊的イスラエルの残りの者に加わり,地上での永遠の命を思い見て「その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげて」います。(啓示 7:4,9-17)彼らがこの胤によってこれからも自らを祝福し,新しい事物の体制に入れますように。
理解していますか
□ 実を結ばないいちじくの木は何を表わしていましたか。それはいつ切り倒され,焼かれましたか
□ どのようにしてのみ,ユダヤ人と異邦人のクリスチャンは「オリーブの木」から切り落とされることを避けられますか。このことからどんな教訓を引き出せますか
□ 悔い改めたユダヤ人の再び接ぎ木されることが,迷ってしまった人すべてにとって慰めの源となり得るのはなぜですか
□ すべてのクリスチャンはどのような方法で実を結ばなければなりませんか
□ 多くの「諸国の人たち」は既にどのように自らを祝福していますか
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