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終りの時の会衆ものみの塔 1961 | 6月15日
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た。このときまでには,エホバの僕たちの理解は進んで,教理についての数多くの間ちがった考えや,上なる権威者エホバとキリスト・イエスに対する彼らの関係についての間ちがった考えは清められました。この群れは,エホバの証者という名前を得ることによっていっそう明白に識別されるようになりました。そして,地上におけるひとつの僕級つまりエホバの会衆を構成する多くの者を示しました。―イザヤ 43:10-12。
12 (イ)この会衆内ではどんな管理の取りきめが期待されますか。そして,なぜ?(ロ)このことにおいて,アレゲニー会衆の円熟した兄弟たちはどんな役割を持ちましたか。
12 この会衆は,名前と証言のわざによって識別されはじめただけでなく,その統治の取りきめによっても識別されはじめました。預言によると,それはエホバの神権制度,エホバの家あるいは宮を地上で代表する会衆でした。故にそれは神権的に統治されるべきであって,民主的に統治されるべきではありません。そして,使徒の時代のときと同じく,エホバのみちびきは,会衆内の霊的に円熟した者を通して明白に示されます。第1世紀にあったことは終りの時にも期待できます。すなわち,組織化された最初の群れ,あるいは会衆内で監督として奉仕した円熟していた兄弟やその補佐たちは,真の崇拝の拡大に率先しました。彼らは伝道のわざを他の地方に拡大し,新しい会衆若い会衆の助言者および模範として奉仕しました。1879年およびそれ以前の時から,ペンシルバニア州アレゲニーの復興した残れる者の最初の集合した群れは,指導的な会衆の役割を果たしました。そして,その地の円熟した兄弟たちは,他の会衆の監督たちと協力しつつ,伝道のわざの拡大を組織し,新しい会衆をつくることに率先しました。アレゲニーにいたこの古い兄弟たちの群れから,いま「ものみの塔」として知られている雑誌は,世界の多くの場所に送られました。その雑誌は,すべの会衆内における聖書研究の基礎として用いられました。これは,彼らの考えと,聖書についての理解を一致させ,その伝道の方法を協同させることに役立ちました。
神権的な処置
13 (イ)会衆内で民主主義的な方法の代りに神権的な方法をいれかえることはなぜ必要でしたか。このことはイザヤ書 60章17-22節でどのように前もって告げられていましたか。(ロ)このとは,1919年と1938年中にどのようになされましたか。
13 しかし,それぞれの会衆は,主として独立しており自治のものでした。自分たちの『長老』を選出し民主主義的な仕方の中に研究や奉仕の取りきめの多くを決定しました。しかし,大いなる群衆の人々を集めて,神の御心を教えるためには,この取りきめの改善は必要でした。さもなければ,指示の方法や真の崇拝の標準は,会衆の円熟の程度にしたがい,場所によってかなりちがうでしょう。会衆で行なわれる監督の仕方が劣るならば,イザヤ書 60章17-22節に前もって告げられていたごとく,真実の原則,神のみちびきの原則を採用することが必要です。1919年,ものみの塔協会は「黄金時代」を配布するわざを始めました。そのとき,ものみの塔協会は,会衆の統治体として奉仕しており,全世界の伝道を効果的に監督するため,その本部事務所と部員をニューヨークのブルックリンに移しました。このものみの塔協会はそれぞれの会衆に奉仕監督者を任命することによって,神権的な支配の取りきめを始めました。1932年の10月までには,全世界の会衆は「選出制長老」を排除して,聖書の預言といっそう一致するようになりました。彼らはまたもっとも円熟した,霊的な分別心を持つ兄弟たちを選んで「奉仕委員」として奉仕させ,協会の任命した奉仕監督者を援助させました。この発展は,1938年までには完了しました。そのとき,全世界の会衆は,「協会」,「忠実にしてさとい奴隷級」の指導の下にすべてを組織してもらいたいというねがいを述べました。協会は,それから後は会衆内のすべての監督とその補佐たちを任命しました。そして,いっさいの研究と伝道の取りきめを指示します。エホバの聖所あるいは油そそがれた者の地上の会衆をエホバとの正しい関係にはいらせるために,このことは必要でした。しかし,次の目的のためにもそのことは必要でした。すなわち,地上にある神の会衆が,神の御心を行なうために諸国家から集められた大いなる群衆を教えて訓練する適当な場所になるためにも必要だったのです。
14,15 (イ)なぜこの神権的な支配の形式の変化は,特に1938年までに完成されることが必要でしたか。(ロ)このことは,大いなる群衆の者たちに何を保証しましたか。(ハ)イザヤ書 51章3節から52章2節によると1919年に油そそがれた者の会衆が復興するとともに何が実際に起こりましたか。
14 会衆を神権的に建ておこすことにより,会衆は神の道の学べるところとしておもて立ってきました。油そそがれた者の会衆が民主主義的な投票によって指示されることは不適当でした。民主主義的な投票では,大多数の者 ― おそらくその大部分は未熟な者たちが指示することになり,霊的に円熟した者たちは指示しないでしょう。そのことは,大いなる群衆が集められるとき,なおさらいっそう不適当でした。なぜなら,諸国民から来た者たちは,大多数を占めて,神の御こころに従うよりは自分たちの意志に従って会衆を形成し始めることができるからです。しかし,そのような事がらについての神の監督は,きわめて明白です。そして,神権的な監督は,1938年までにはまったく行なわれていました。そのときには,「他の羊」すなわち大いなる群衆の者はまだ少数でした。
15 この監督の原則は,必要でした。伝道のわざを管理するだけでなく,大いなる群衆の者をみな訓練して,ハルマゲドン前の終りの時のあいだ神の御心に従わせるために必要でした。かくして,彼らは訓練をうけ,ハルマゲドン後には秩序のある神権的な仕方で地を清めて美化することができます。油注がれた者の会衆は,模範になるべきでした。ここに別の預言であるイザヤ書 51章3–52章2節の成就が見られます。その預言は,次のことを示しています,すなわち油そそがれた残れる者が1919年に神との正しい関係および神への奉仕に復興したとき「新しい地」は設立されました。それは新しい世の社会の形成の初まりです。この社会は,大いなる群衆を集めて訓練します。そして,それは新しい組織制度の下に運営する会衆として,組織化された形態として,この古い組織制度を終わらせるハルマゲドンの戦いにも生きのこります。―「新しい天と新しい地」の319-337頁を見てください。
16 神権的な取りきめは,どのように会衆にその清さを保たせ,残れる者と大いなる群衆のあいだの正しい関係を保たせましたか。
16 増加して行くこの会衆すなわち新しい世の社会は,あらゆる国,種族,人種,および国民から80万以上の男女や子供たちを集めました。しかし,それはこれらの人々が以前に持っていた考えや習慣にしたがわず,これらの全部は神の御こころにしたがってつくられました。彼らは教えをすなおに受けいれ,柔和で,愛の心を持ち,平和を追い求めて,仲間の信者全部と一致しています。いま油注がれた者の数は1万4000人にもなりません。それとくらべるとき諸国民から来るこれらの者の数は80万以上で,油注がれた者ひとりに対して約54人という多数になっています。しかし,彼らは神の道にしたがい,「忠実にしてさとい奴隷」級である残れる者によって教えられます。彼らが出てきたこの世は,利己主義,不道徳,偽り,不正直,無神論,霊媒術,そして他の数多くの邪悪な考えや行為によって大きく影響されています。しかし,これらのものは神の真の会衆内にはいりこんでいません。今日,不道徳な行いや偽りの教えでもって会衆を堕落させようとつとめる者たちは,第1世紀の会衆の場合のように,排斥されます。かくして会衆の清さは保たれて確認されます。
17,18 (イ)残れる者の数が年々,すくなくなって行くとき,制度はどのように拡大して,しかも179の国々にいる幾十万の人々を訓練し監督することができましたか。(ロ)どんな聖句は,このことを前もって告げましたか。
17 すべての国々から幾十万という大ぜいの人々が集められたことは,拡大するとともにその神権的な機構を保持する制度を必要としました。そのことは,イザヤ書 54章2,3節で前もって告げられていました。しかし,油注がれた者の数がだんだん小さくなって,残されている者が年々年を取り,病気勝ちになるとき,この小さな会衆はどのように拡大することができますか。テモテ後書 2章1-3節にあるパウロの助言に従って大いなる群衆の者を訓練することによります。そうすれば,彼らは監督としての資格を持ち,他の者を教えることができます。これらの者たちの中の幾千人という人々は,会衆の僕になるよう訓練をうけました。しかし,それだけにかぎらず過去20年のうちに幾千人という人々が開拓者として全時間奉仕にはいり,孤立したところで働くようになりました。一方,他の者たちは新しい地でわざを開くため特別の訓練をうけて新しい会衆を形成し,いわば娘の「まち」を建ておこしました。それは神の家からくる教えをすべての者に与えるためです。このすべては,油注がれた残れる者の監督の下に行なわれました。―イザヤ 60:10; 61:4-6。
18 それで,残れる者がひとりもいない会衆はたくさんあります。また,残れる者がいない国さえもあります。しかし,179の国々にいる人々が2万1000以上ある会衆内の神の「家」に来ることは可能です。なぜならすべての監督は「忠実にしてさとい奴隷」の会衆の取りきめを通して教えられ,訓練されたからです。すべての会衆は,各地の監督や他の者によって管理されます。それらの者たちは,会衆,巡回区,および協会の支部事務所を訪問して調査します。かくして,制度のすべての部分は,神の御こころと一致調和のうちに保たれます。このようにして,油そそがれた級は,神の羊の群れを牧します。
19 残れる者と大いなる群衆の両方の成員は,急速に拡大しているこの制度をどのように見なしますか。彼らはたがいの関係をどのように見ますか。
19 「大いなる群衆」の数は,ますます増加する一方,キリストの油そそがれた者の「小さな群れ」の残れる者の者は減少して行きます。それでも,完全な一致があります。そして増加する群衆の者たちは,その大きな数を利用して制度内の目立つ地位を得ようとつとめません。「大いなる群衆」の者たちは,会衆を通してなされるエホバの神権的な取りきめに忠節と従順を示すことにより減少して行く油そそがれた者の群れに最大の尊敬を示します。彼らは,今日多数であり,伝道の仕事を多くしているから,その功は自分たちに与えられねばならぬと感じません。彼らは,それはエホバの栄光に帰するものであり,地上にいるエホバの忠実な油そそがれた者をエホバが是認していることを明白に示すものと認めます。また,油そそがれた者たちは,数が増加しているこの群衆とその若々しい,力にあふれた熱心をうらやみません。むしろ,彼らは長年にわたるつらい仕事のむすんだ実を見て,これらの者が彼らの熱心,エホバへの従順と忠節という模範に従っているのを見てよろこんでいます。「されどなんぢらはヱホバの祭司ととなへられ,われらの神の役者とよばれ…」。(イザヤ 61:6-11)神の真の会衆だけが,そのようなふたつの群れの人々の愛と一致を示すことができます。
20 (イ)終りの時における神の僕たちの正しい状態について,聖書と事実は何を示しますか。(ロ)すべての者にはどんな行動がつよくすすめられていますか。
20 それで,第1世紀のクリスチャン会衆の例から見ても,また私たちの時代に関するたくさんの預言をしらべて見ても,次のことははっきり証明されます。すなわち,「終りの時」におけるいまの神の真の僕たちの正しい状態は,各人がたがいに独立して自由勝手にふるまう,しまりのゆるい交わりではありません。むしろ,それはきっちりつまった制度化された会衆であって,全世界的に一致し,結合しているものです。そして,キリストの霊的なからだの霊的に円熟し経験を積んだ油そそがれた残れる者の監督をうけています。この雑誌の読者は,ひとりのこらずこの会衆であるエホバの証者のところに来て,彼らと交わり,彼らの教え,崇拝,わざ,そして会衆の制度を聖書と比較するよう,つよくすすめられています。「いざわれらヱホバの山に登りヤコブの神の家にゆかん,神われらにその道ををしへ給はん,われらその路をあゆむべし」。神が今日ともにおられる民を探し出してください。そして彼らとともに交わりなさい。―イザヤ 2:2-4。ゼカリヤ 8:20-23。
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無能力になった調停者ものみの塔 1961 | 6月15日
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無能力になった調停者
「アメリカおよびソビエト・ブロックの指導のもとに行なわれる西欧諸国間の紛争によって,調停者としての国際連合は最初から無力なものにされてしまった。
「独立諸国の一つの国際政府によって平和を確保しようとする幾多の試みはすべて,それらの試み自体に内在する矛盾の犠牲となってしまった。独立諸国の効果的な政府を樹立するということは,国家の主権そのものを直接攻撃することによってのみ除去される名辞の矛盾のように思われる」。―「大英百科辞典」第17巻,414頁(1959年)。
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