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交替制の司会者職をもつ「長老たちの一団」ものみの塔 1972 | 2月15日
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られている資格を満たしたなら,その人を長老として任命してもらうよう統治体に推薦できます。そのような人を会衆内の長老そして監督として推薦するかどうかは「長老たちの一団」にまかされています。そのうち「長老たちの一団」の一成員として当人は以後,「長老たちの一団」の他の成員たちすべてとともに牧羊の仕事に携わり,また自分の番が回ってきたなら,司会者として奉仕します。
王国の伝道者たちのほとんどが姉妹で構成されている会衆の場合はどうですか。姉妹たちは長老になれますか。いいえ,姉妹たちは長老にも,あるいは奉仕のしもべにも任命されることはありません。しかし,統治体は円熟した謙遜な姉妹たちに,会衆内の兄弟たちを援助したり,資格を持つ兄弟が得られるまで代理として仕事の世話をしたりするよう要請する場合があります。
会計,文書そして雑誌-区域のしもべたちが長老であることを要しないのはなぜですか。会衆内のそれらの立場は,主として機械的な性質の仕事もしくは記帳の仕事と関係しています。「長老たちの一団」は群れを牧する,つまり会衆の個々の成員すべての霊的福祉を顧みますが,一方,会計,文書,雑誌-区域のしもべたちは記録,在庫,そして兄弟たちの必要とする物品の供給などの世話をします。こういうわけで,それらの立場には奉仕のしもべたち,つまりディアコノイがあてられます。もちろん,もし長老の資格を満たす十分の数の兄弟たちがいて,それら兄弟たちの他の務めの妨げとならないなら,長老たちをそうした立場につけることに異存はありません。しかし,単にそうした仕事をするからといって,その人が長老であるというわけではありません。
書籍研究司会者たちは,教える者であるゆえに,長老であるべきではないのですか。もしすべての書籍研究司会者の立場を受け持てるだけの十分な数の「年長者たち」がいるならば,それは申し分のないことですが,たいていの会衆ではそうではありません。それゆえ,長老たちの一団がそれらの立場を受け持てるほど大きくなるまで,奉仕のしもべたちを用いなければならないでしょう。会衆内に十分の数の長老たちがいる場合には,確かに長老たちが会衆の書籍研究司会者になるべきです。なぜなら,それら長老たちは,おのおの委ねられる群れを牧して,多くの良いことを成し遂げられるからです。使徒行伝 20章28節(新)にしるされている次のことばどおり,監督または長老には非常に大きな責任が伴います。「あなたがた自身と群れのすべてに注意を払いなさい。聖霊は,神がご自身の御子の血をもって買い取られた神の会衆を牧するために,その群れの中にあなたがたを監督として任命したのです」。監督は彼らの霊的福祉に非常に深い関心を持っていなければなりません。29節(新)に指摘されているとおり,パウロはまた次のように述べているからです。「わたしが去ったのちに,暴虐なおおかみがあなたがたの中にはいり込み,群れを優しく扱わないことをわたしは知っています」。監督あるいは長老は真理のうちにほんとうにしっかりと立って羊を助け,また喜んで責任を引き受けなければなりません。
勤め,つまり審査委員として
一般的な問題を扱ったり,あるいは会衆内で審査委員会としての務めを果たす,3人で構成される委員会はこれからもやはりあるのでしょうか。そうです。そして,この審査委員会は今後も引き続き,司会者または会衆のしもべ,会衆のしもべの補佐そして聖書研究のしもべによって構成されます。しかしながら,時にはそれら3人のうちのひとりが,問題に関係があったり,なんらかのかかり合いがあるために資格を失う場合があるかもしれません。そのような場合には,もちろんこの委員会は,問題を審理する委員会を構成するために他の長老たちからだれかひとりを選べます。もしなんらかの理由で,ある兄弟が審査委員を勤める資格を失うなら,その人は退いて,問題の諸事実を審理するための別の長老あるいは長老たちを「長老たちの一団」に選ばせるべきです。問題の審理を行なうさい,長老全員が同席する必要はありません。たいていの場合,それら3つの立場を占める兄弟たちが,1年の間,とくに審査委員会の考慮を要する場合,重大な問題を処理します。
なかには,王国会館の所有権およびその運営に関連して協同団体が設立され,それが法人団体である場合もあります。今回の交替制の取り決めはそうした団体にも適用されますか。いいえ,適用されません。ここでわたしたちが論じているのは,本部の統治体によって個人が任命される会衆内の立場だけに関する事がらなのです。
年長者たちの正式の任命
1972年10月1日までの今後何か月かの間,各会衆における「長老たちの一団」はどのようにして選ばれるのですか。統治体はものみの塔協会を通して手紙を送り,現在各会衆の活動を世話している委員会に対して,この問題に関するさらに詳しい情報が「ものみの塔」に掲載され,それらが霊的な意味で消化されたのちに会合を開き,会衆内でだれが長老または監督の資格にほんとうにかなっているかを祈りのうちに考慮するよう要請するでしょう。もちろん委員は,テモテ前書 3章2-7節,テトス書 1章5-9節そしてペテロ前書 5章1-5節までを注意深く読み,資格を持つと思われる人々を神のみことばにしるされているそれらの資格と照らし合わせて考慮します。それから統治体への推薦がなされます。しかし3人で構成されるこの委員会は,会衆内に長老としての資格を確かに備えた兄弟が幾人かいることを知っているかもしれず,会衆内のすべての兄弟たちについて考慮するさい,それらの兄弟たちにも同席してもらいたいと考えるかもしれません。
そうであれば,長老としての有資格者を3人で決めるかわりに,5,6人か7人あるいは8人であっても,もし何年もの間,そうした資格を持っていることをすでに実証してきた年長の兄弟がそれほど多くいるならば,彼らにも同席してもらい,彼らのうちで聖書的に見て,長老の立場を占める資格を持つ者がだれであるかを決定すべきです。大きい会衆では有資格者が多いので,8人か9人あるいは10人もの長老を推薦するかもしれません。同時に奉仕のしもべとしての有資格者を決定したいと考えるかもしれません。とは言っても,会衆内のすべての人が長老として,あるいは奉仕のしもべとして資格を持っているわけではありません。なぜなら,新しい人々がはいって来ていますし,また,あまりよく進歩していない人がいるからです。長老かどうかは,必ずしも野外奉仕に費やす時間の長短で決められるものではありません。最も肝要なのは,霊的な資格,エホバ神への愛,会衆内の仲間の働き人に対する関心,そして教える者として,また叱責したり説き勧めたりする者としての能力です。もちろん,当人は良いたよりの伝道に対しても熱意をいだいている人でなければなりません。それにしてもまず第一に,すでに神の羊の群れにはいっている人々を牧し,同時に彼らを野外で導く者でなければなりません。
おそらく統治体は次のことを求めるものと思われます。(1)長老たちに関する会衆の推薦,それとともに,長老たちとして推薦される人々のうちだれが,1972年10月1日から始まる1年間,会衆のしもべあるいは「長老たちの一団」の司会者の職につくべきか,また全部で5つある前述の他の主要な立場にだれがつくべきかに関する推薦,(2)また会計,文書そして雑誌-区域のしもべの立場につくべき奉仕のしもべたちに関し,「長老たちの一団」として適当と考えられる推薦。もちろん年長者たちも,それらの立場につくことができますが,彼らの主要なわざは,牧者また教える者としてのそれです。
統治体が会衆からの推薦を受け取ったのち,ふさわしい任命がなされます。統治体はすべての会衆内の長老たちの任命を行ない,その知らせを全世界の協会の各支部事務所を通して会衆に送ります。
諸会衆を訪問するよう任命される長老たち
では,巡回および地域のしもべについてはどうですか。それらしもべたちに関してもなんらかの交替制が設けられるのですか。そうです。協会はそれらしもべたちが2年ごとに新しい割り当てを交替で受けられるようにしたいと考えています。時に巡回のしもべは2年間地域のしもべになる場合さえあるでしょう。次いで,地域のしもべを勤めたのち,その国全体のわざを益するのに最善と考えられるところに応じて,また巡回のしもべになるかもしれません。
むろんそれらの兄弟たちは長老としての資格を持っています。そのゆえにこそ彼らはそうした立場にあるのです。それらしもべたちは会衆を訪問する際,各会衆の「長老たちの一団」と十分に協力し,彼らの野外活動に参加し,会衆全体を霊的に建て起こすことにあずかります。しかし,当面1年間奉仕するしもべたちが任命されたり,あるいは翌年交替が行なわれたりしたのちには,巡回のしもべおよび「長老たちの一団」全員がしもべの変更を緊急に必要とすると考える場合でないかぎり,巡回のしもべは変更の推薦を何も行なう必要はありません。
巡回のしもべは会衆を訪問するさい,会衆の長老たち以上に権威を持っていて,集会の時間,会館の取り決め,あるいは監督するそれぞれの立場にある兄弟たちを変更するなど,会衆内の事柄を変えることができますか? いいえできません。巡回のしもべはそうした権威を持ってはいません。巡回のしもべは,会衆を霊的に建て起こし,野外奉仕で率先するために会衆を訪問するよう協会から任命された長老のひとりに過ぎません。巡回のしもべであるからといって土地の長老たちよりもすぐれた資格があるという意味ではありません。協会は今後しばしば,会衆のしもべたちを起用して,近隣の他の会衆に週末の期間巡回のしもべとして奉仕するよう取り決める場合があります。それら会衆のしもべ,あるいは他のしもべたちは霊的な勧告や助言を与える資格を持っているゆえに用いられるのです。巡回のしもべや地域のしもべは,会衆内の「長老たちの一団」よりも自分のほうがすぐれているなどと決して考えるべきではありません。むしろ自らできるかぎりの助力や援助を与え,会衆にゆだねられているすばらしいわざを押し進めるよう会衆全体を励ますために協会から会衆につかわされた一長老であるとみなすべきです。会衆内の「長老たちの一団」は,巡回のしもべが神のみことばからのすぐれた霊的な助言を与えるとともに自ら野外奉仕でよく率先することを知っているので,長老のひとりでもある巡回のしもべの年2回の訪問を待望すべきです。
もちろん,統治体はこのことに関して,今後さらに協会の出版物の中でもっと詳しく説明するでしょう。その間,会衆はこれまでどおり,任命されたしもべたちによって運営されてゆきます。そして,1972年の9月が訪れると,それまでにしもべたちの任命を受けた会衆は,9月中に仕事を新しいしもべたちに引き継いでもらい,10月1日には会衆の新しい主宰奉仕者が,「長老たちの一団」あるいは年長者たちの司会者となり,おのおの監督としての割り当ての務めを取り扱います。毎年,会衆内のそれら兄弟たちはそれぞれの立場を交替し,ただ一つの関心事を念頭において一体となって働きます。その関心事とは会衆自体の福祉です。それらしもべたちは互いに協力し,委ねられている,神の羊の群れを牧してゆきます。
こうした組織の面での調整は,会衆の運営を神のみことばにいっそう徹底的に準拠させるものとなり,それはエホバからのより豊かな祝福をもたらす結果になるに違いありません。今後,会衆はその仕事の荷をよりよく分担できるようになり,結果として,「年長者たち」は神のみことばを実際に教えること,および羊の群れを牧することにいっそう深い注意を集中して,会衆内の各人が強い信仰を保てるよう助けることができるようになるでしょう。同時に,わたしたちが監督たちの事柄に関してより明確な見解を持つにつれ,主要な監督者エホバに,またエホバがご自分の会衆のかしらとして任命されたかた,すなわち,いま王として現に活発に支配しておられる主イエス・キリストにわたしたちの注意をいっそう集中するよう助けられます。わたしたちがそうするとき,エホバがご自分の民を導く仕方に対するわたしたちの認識は大いに強められるでしょう。
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「みことばを宣べ伝えなさい」― どこで,またなぜ?ものみの塔 1972 | 2月15日
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「みことばを宣べ伝えなさい」― どこで,またなぜ?
それは西暦64年か65年のころでした。使徒パウロはローマで,囚人として鎖につながれ,苦労していました。彼はそういう状況のもとでテモテにあてて最後の手紙を書きました。パウロの目的は,テモテに,クリスチャンの監督として会衆内の背教分子に抵抗し,会衆を強力な「真理の柱,真理の基」として築き上げるべく備えさせることにありました。―テモテ前 3:15。テモテ後 1:8,16。
パウロは,テモテが監督もしくは「年長者」としてどのように奉仕するかを自分が近くにいて見守るのは,あとわずかであることを知っていました。しかし神とキリストは見守っておられます。それで彼は書きました。「神および,生きている者と死んだ者とを裁くよう定められているキリスト・イエスの前で,その顕現と彼の王国とによって厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。順調な時期でも困難な時期でもたゆまずに。寛容のすべてと教える術をもって,責め,戒め,説き勧めなさい」。(テモテ後 4:1,2,新)しかしテモテはどこで,そしてなぜみことばを「宣べ伝え」ることになっていましたか。また,「順調な時期でも困難な時期でも」そうするということは,何を意味していましたか。
文脈を考慮してみると,パウロが何を意図していたかわかります。これより前パウロは,当時現われはじめていた,そしてついには盛んになるであろう背教についてテモテに警告しました。(テモテ後 2:14-18; 3:8-13)そして「みことばを宣べ伝え」るようテモテに勧めたあと,真理から離れていく者,すなわち背教者たちに言及して,こう述べました。
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