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巧みに,しかも,確固とした態度で神権宣教学校案内書
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に対する愛どころか,人間に対する恐れに動かされることにさえなりかねません。しかし,巧みさは,真理に関して妥協することではないにしても,それには確かにタイミング,つまり,ある知識を与える適切な時を見定めることが関係しています。時には,述べられたある事がらをそのまま聞き流してしまうのが巧みな方法となる場合もあります。ある事がらは,後になって相手の用意が整うまで,触れずにそのままにしておくのが最善の場合もあるでしょう。イエスが弟子たちに言われたとおりです。「わたしにはまだあなたがたに言うべきことが数多くありますが,現在のところ,あなたがたはそれらに耐えることができません」。(ヨハネ 16:12)ですから,話し合いの際,相手に同意できないことがあっても,誤った考えを直ちに1つ1つ指摘する必要はないのです。そうしようものなら,相手の気持ちを閉ざし,それ以上話し合えなくなるような事態を招くだけでしょう。
7 会話の中で,家の人が聖書から数多くの事がらを取り上げて,それらがまちがっていると述べる場合,あらゆる反論を短時間で効果的に論ばくするのは困難です。たいてい,そうした反論の大半を無視し,当面,考慮の対象とされている特定の問題に関係のある事がらだけを取り上げるのが最善の策です。あるいは,家の人は,この世の事がらにかかわる議論にあなたを引き入れようとするかもしれません。その場合,そうした世の諸問題に対する聖書の答えを述べて,かかり合いになることを巧みに避けてください。そうすれば,あなたはイエスの模範に見習うことになるでしょう。―マタイ 22:15-22。
8 家の人が怒った場合,巧みに,しかし,確固とした態度で接してください。相手をなだめたいばっかりに,真理の面で妥協してはなりません。むしろ,相手がなぜそのような見解を持つのかを尋ねることさえして,相手がそうした感情をいだく理由を理解するようにしてください。もし,相手が意見を述べるなら,今度は,わたしがなぜこう感じているか,その理由をお話ししたい,と言えるでしょう。しかし,家の人との会話をどれほど続けることができるにしても,巧みさがあれば,最善の結果が得られるでしょう。箴言 15章1節の助言を忘れないでください。「答えは,柔和であれば,激怒をそらすが,苦痛を引き起こすことばは,怒りを起こさせる」。しかし,人が無分別な態度を表わすなら,何よりも,その場を去るのが最善です。―マタイ 7:6。
9,10. 仲間のクリスチャンの兄弟たちを扱う際,巧みさが要求されますか。
9 クリスチャン兄弟たちに巧みに接する。わたしたちは,エホバを知らない人々を扱う際の巧みさを培うべきですが,それにとどまらず,わたしたちの霊的な兄弟を扱う場合にも,巧みさが必要です。時には,野外宣教ではたいへん巧みな兄弟姉妹でも,仲間の兄弟たちとの関係で巧みさを示すことの必要を忘れる場合があります。エホバの組織内でも,愛と一致の霊を強化し,日々,正常な対人関係を保つには,ことばと行ないの両面で優しさを示すのは肝要です。パウロは言いました。「すべての者,特に,信仰において,わたしたちと関係している者に対して,良いことを行なおうではありませんか」― ガラテヤ 6:10。
10 わたしたちは,仲間の兄弟たち,特に,兄弟たちの霊的な事がらに関心をいだいています。なぜなら,わたしたちすべてはエホバの組織内にいるからです。(ピリピ 2:2,4)しかし,巧みな人は,自分の兄弟たちに関心を持つとはいっても,相手を当惑させるような無用な質問をしたりなどして,兄弟たちの私的な問題に立ち入るべきではないことを認識しています。巧みさがあれば,「他の人々の事柄にせっかいをする者」とならないですむでしょう。―ペテロ前 4:15。
11. 聖書は,会衆内の長老たちにとって巧みさが必要であることを,どのように示していますか。
11 会衆内の諸問題を取り扱う,長老たちにとって,巧みさは特にたいせつです。クリスチャン会衆内の,わがままな者たちの扱い方に関する指示をテモテに与えた,使徒パウロは,次のように述べて,優しく,かつ,親切であることの必要性を強調しました。「主の奴隷は戦ってはなりません。かえって,すべての者に優しくし……悪のもとでは,みずからを制しつづけ,好意的でない者たちを柔和をもって教えるのでなければなりません。もしかすると……彼らは,悪魔のわなから出て,正気に戻(るかもしれないからです)」。(テモテ後 2:24-26)また,同じ使徒は,それとは知らずに道を誤った兄弟に接する際,「柔和の霊」をいだいて事を運ぶようにとさとしました。(ガラテヤ 6:1)そうした人々に助言を与える際,長老たちは巧みでなければなりませんが,同時に,正義の原則のためには,確固とした態度を取らねばなりません。
12,13. 家庭でも巧みさはたいせつです。なぜですか。
12 他の人々を扱う際に巧みさを表わすのであれば,家族内の人々にもそうすべきでしょう。よく知っているからといって,家族内の人々にぶっきらぼうな,もしくは不親切な態度を取ってよいという理由はありません。そうした人々も巧みな仕方で扱われてしかるべきです。しかし,ぶっきらぼうな,あるいはいやみのある,もしくは,きびしいことばに接したなら,不快を感じさせられるでしょう。それに,家族内の他の人々がエホバのしもべでない場合,そうした人々と話し合う際,巧みさは省いてもよいといえますか。決してそうではありません。なぜなら,不信者を扱う際に巧みさを表わすと,それらの人がいつの日か,真の崇拝を受け入れるようになる場合があるからです。―ペテロ前 3:1,2。
13 一般の人々,わたしたちの霊的な兄弟姉妹,または自分の家族のいずれを扱うにしても,神権的な巧みさを行使すれば,良い実が豊かに生み出されます。そうした巧みさは,相手に快い影響を及ぼします。箴言 16章24節が述べるとおりです。「快いことばは,みつばちの巣であり,魂に甘く,かつ,骨をいやすものである」。それで,会う人すべての益を図りたいとの強い願いに動かされて,巧みさをぜひ培ってください。
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あなたの聴き手の心をとらえる神権宣教学校案内書
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研究 15
あなたの聴き手の心をとらえる
1-4. 奉仕者としてのわたしたちにとって,なぜ心が重要かを述べなさい。
1 使徒パウロは,自分が良いたよりを伝道した人々のために,『彼らの心の目が啓発されるように』と,絶えずエホバに祈りました。(エペソ 1:16-18)ここでパウロが,啓発されるべきものとして,思いではなく,心について述べている点に注目してください。パウロのことばは何を意味していましたか。効果的な話し手,また,教え手となるには,わたしたちはこの問題を理解する必要があります。
2 エホバの霊は,人々の心の偉大な評価者に仕える,他の忠節なしもべたちを通して語った事がらの意味を,パウロを通して明らかにしていたのです。(箴言 21:2)たとえば,年老いたダビデ王はその王位継承者に次のような健全な助言を与えました。「わたしの息子……よ,あなたは,あなたの父の神を知り,全き心と喜ばしい魂とをもって,彼に仕えなさい。エホバはすべての心を探り,思考のあらゆる傾向を識別しておられるからです。もし,あなたが彼を捜すなら,彼はご自分をあなたに見いださせてくださるでしょう。しかし,もし,あなたが彼を捨てるなら,彼はあなたを永久に捨て去られるでしょう」。(歴代上 28:9)創造者に喜びをもたらすのは,心に発する純粋の崇拝なのです。
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