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  • マラウィ 今そこで何が起きているか
    目ざめよ! 1976 | 11月22日
    • 行くこともできなかったからです。そこでわたしは村を出ることにしました」。

      一方マラウィの中にも,エホバの証人がなんとか平常通りの生活を送っていると思われる地区があります。「わたしたちに対する仕打ちを見て,同情する警察官は少なくありません」と一人のエホバの証人は述べています。しかし大抵の場合,エホバの証人を捜し出して,危害を加え,投獄しようとするのは,マラウィ会議党の人々です。そうした人々がいるために,生活は危険なものとなっています。

      マラウィのチンタチェからの連絡によると,“奥地”に隠れていたあるエホバの証人は同国から手紙を持ち出すことに成功しました。その手紙の中には,「マンクホクウェ平原で気を失うまで殴打された」エホバの証人の氏名が挙げられていました。しかし,ごく最近の報告によると,エホバの証人が奥地での生活を余儀なくされることはもはやなくなり,事態は良くなる兆しを見せています。

      マラウィのヌクハタ・ベイから一人のエホバの証人は次のように書いて来ました。「ティンビリ酋長は兄弟たちに,党員カードを買って政治に参加する意志があるかどうか尋ねましたが,兄弟たちは皆それを拒みました。そこで彼はいすを後ろに押しやり,兄弟たちのところに近付いて来て,彼らを殴り始めました。酋長は,一人の兄弟の頭を押え,その兄弟の妻の頭をもう一方の手で捕らえて,二人の頭をはち合わせにしました。二人の兄弟とその妻たちは,血で真っ赤に染まっていました」。

      隣接するアフリカの国に住むエホバの証人の報道員は,要約して次のように述べています。「敵対者は,兄弟姉妹を弱めると思うことなら,どんなことでも行なっている。あるところでは,兄弟と姉妹の別なくエホバの証人を逮捕し,別の場所では兄弟たち,特に長老や,責任のある兄弟として知られている人々を選んで逮捕している。こうした逮捕は,兄弟たちを知っている地元の党関係者の手で行なわれることもあり,彼らが兄弟たちを警察に連行する。赤子についても同様である。最初は赤子を親から引き離していたが,別の時には親たちもろとも刑務所に収容した。ドザレカで赤子が死んだことが伝えられているとおりである。兄弟たちを気落ちさせるためには,どんなことでもするのである」。

      マラウィのエホバの証人に対して行なわれているこうした事柄をどう思われますか。無実でありながら苦しめられているそうした人々のために,自分の意見を述べたいと思われますか。世界各国の高官を含め,大勢の人々がそうしているのをご存じでしたか。

  • 残虐行為に対する世界的な抗議
    目ざめよ! 1976 | 11月22日
    • 残虐行為に対する世界的な抗議

      エホバの証人は,ここ数か月間に文字通り幾万通もの手紙を,バンダ大統領を含むマラウィ政府当局者に書き送りました。それらは,自分たちのクリスチャン兄弟姉妹の被っている苦難を和らげる処置が取られるよう求めるものでした。しかし,この残虐行為が広く知られるようになり,数多くの独自の調査によってそれが確認されるに及んで,エホバの証人以外にもますます大勢の人々がマラウィの当局者に対する抗議の声を上げています。

      例えば,米国のチャーチ上院議員はこの迫害を非難し,米上院で次のように語りました。「エホバの証人に起きている事柄を明らかにした,ウォール・ストリート・ジャーナル紙の社説とダイヤル・トルガルソンがザンビアで書いたロサンゼルス・タイムズ紙の記事を[連邦議会]議事録に転載することについて,満場一致の同意を求める」。異議は唱えられませんでしたので,それらの記事は連邦議会議事録,1976年1月21日,S224ページに載せられました。

      さらに,米国の下院議員ジョージ・E・ブラウン二世は,議会で次のように語り,その言葉は連邦議会議事録,1976年1月28日,E262ページに載せられました。「一党独裁の政府を持つマラウィの法律によれば,国民はすべて政党カードを所持しなければならない。エホバの証人はそれを携行しようとしないため,迫害を受けている」。

      ブラウン下院議員はさらにこう述べています。「この問題に関する以下の記事を読むよう議員諸兄に強くお勧めする。そして,この記事は連邦議会議事録にも入れていただきたい。また,議員諸兄が,マラウィ政府高官と直接に連絡を取ったり,我が国の外交政策の優先順位を変更したりして,このような出来事の流れを変えるために,より積極的な役割を果たすよう求める。我が国の政策は,そうした事柄に対する我々の憎悪感を反映するべきものであり,無関心を反映するものであってはならない」。

      さらに,エホバの証人に加えられている迫害に関する新聞報道を,単に連邦議会議事録に入れる以上のことがなされました。米国政府当局者の多くは,この問題に関して,マラウィのバンダ大統領に直接書簡を送りました。そうした手紙のうちの一通をこのページに掲げます。

      国会で,エホバの証人に対する迫害について意見を表明した政府はほかにもあります。1976年2月17日,デンマークの国会議員ベント・オノーレは,同国のエホバの証人の支部事務所に電話を入れました。同議員は,デンマークの国会でマラウィのエホバの証人の惨状について話し合われたので,「自分たちが忘れられてはいないことを彼らが知り,この知らせが励みになるよう願っている」ということを,マラウィのエホバの証人に知らせて欲しいと述べました。

      また,マラウィのエホバの証人に加えられた残虐行為は,1976年3月,西ドイツのボンで開かれたドイツ国会下院の長期にわたる論議を促すものとなりました。例えば,答弁に立ったビシュネウスキー国務相は,一部次のように述べました。「連邦政府は,マラウィのエホバの証人に対する迫害の報告を機会に,大使を通してマラウィ政府にドイツの見解を表明するつもりである」。

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