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    ものみの塔 1978 | 7月1日
    • のいだく信仰は,神のみまえで自分自身にしたがっていだきなさい」。(ローマ 14:22)ここで言われている信仰は,今取り上げている問題と関係があります。明らかにそれは,神の王国およびそれに関連した重要な事柄に対する信仰のことではありません。というのは,その信仰はすべての人に公にふれ告げるべきものであるからです。(マタイ 28:19,20)パウロはクリスチャンが持つ次のような信仰のことを言っているのです。つまりキリストの犠牲によって,一定の食物を食べるとかある日を守るといった以前の拘束から解かれたという信仰です。それらの事柄は神の王国の真の要素ではなく,現在では単に個人の好みまたは見解の問題にすぎません。(ガラテア 4:8-11)ですから,『自分の意見を他の人に押しつけてはいけない』という助言なのです。自分には間違いでないことが分かっているある事柄の当否について,だれかが疑問をいだいていることを知っているなら,その人々を圧服しようとしたり,自分の「自由」をひけらかすようなことをすべきではないのです。それをしなければ,神はあなたの思いやりある態度を尊敬されるでしょう。神はあなたが,実際にはクリスチャンの権利である事を差し控えた理由を理解されるでしょう。しかし,そのある事柄をしても他の人が良心に疑念をいだくことなどないことが分かっていれば,それをすることは差し支えありません。あなたがよく訓練された良心を持ち良い判断を示すことを神は喜ばれるでしょう。いずれにしても,神はあなたの誠実な信仰をご覧になるでしょう。神の裁きこそ重要なものです。神はあなたが,良心的に,愛をもって信仰を実践している,とご覧になるでしょう。

      14 「自らよしとしている事がらについて自分を裁かないでよい」人はなぜ幸いですか。

      14 次に使徒は,ある措置を取ることを良心的にちゅうちょする方の人に対し,「自らよしとしている事がらについて自分を裁かないでよい人は幸いです」と述べています。(ローマ 14:22)そのクリスチャンは,自分の良心に反する行ないをしないことによって,心の平安を得るでしょう。しかし,ある方針について疑念があるなら,ためらわずにそれを退けるかまたは捨てるべきです。何をよしとするにせよ,それがどんなに魅力的であっても,あるいはほかのだれかがどんな議論を持ち出しても,それは自分の良心を汚すものであってはなりません。また一方,もし論議が聖書に基づいていることが分かり,それが正しいことを心から確信したなら,それに従って自分の良心的見方を調整することができます。―ローマ 14:5。

      15 (イ)ある事柄が正しいかどうか疑念があってもかまわずにそれを行なうなら,どのように罪に定められますか。(ロ)そういう人はどのように自分の良心の質を向上させることができますか。(エフェソス 3:14-19。テサロニケ第一 5:11)

      15 「しかし,疑念をいだいている場合,それでもなお食べるなら,その人はすでに罪に定められています。信仰によって食べているのではないからです。実際,信仰から出ていないことはみな罪です」。(ローマ 14:23)使徒は不信者に対してではなくクリスチャンと称する人々に対してこのことを言っています。人が行なうことは,どの点においても自分の良心を不愉快にしないものでなければなりません。もし良心がおだやかでないなら,自責の念に駆られているのです。ですから,一層平衡の取れた良心を得るために,クリスチャンの信仰をはっきり理解するように絶えず努力すべきです。クリスチャンのすることがすべて「良いたより」をふれ告げることと直接に関係があるわけではありませんが,クリスチャンは自分のすることは,たとえ娯楽や気晴らしであっても,自分と他の人を築き上げることを考えて行ないます。

      16 「すべての事を神の栄光のために」するには,行動を起こす前に何をすべきですか。

      16 要約すれば,使徒の賢明な助言は,「すべての事を神の栄光のためにしなさい」ということです。(コリント第一 10:31)行動を起こす前に次のことを自問してください。『これは会衆の平和に寄与し,神の霊がすべての人の中で自由に働くような結果をもたらすだろうか』。『自分の行動は,神とキリストの名に非難をもたらさないものだろうか』。『会衆の神のみ業を築き上げるものか,それともうち壊すものだろうか』。神のみ前に正しい,平衡の取れた,清い良心に完全に調和した生活を常に送れるクリスチャンは,本当に幸せです。そのようなクリスチャンは神の会衆にとって祝福です。

  • 聖書に記された系図の価値
    ものみの塔 1978 | 7月1日
    • 聖書に記された系図の価値

      おそらくあなたは創世記から啓示(黙示録)に至る聖書の通読を始め,読むことに熱中したかもしれません。しかし歴代志略まで読みすすんだ時,発音することもできず,したがって意味もない名前をられつした系図が節から節へ何章にもわたって続くのを見て,「なぜこれが書かれているのだろう。なぜこんなに退屈な事がしさいに記されているのだろう」と言ったかもしれません。

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