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  • 宗教関係の費用はどのようにまかなわれているか
    ものみの塔 1971 | 11月15日
    • 年3月2日のニューヨーク・デーリー・ニュース紙は,「ビンゴの太陽,ラスベガスの夜の輝きの中に沈む」という見出しをかかげて,ここからラスベガスの夜が,教会の収入源であるビンゴに取ってかわりつつあることを伝え,こう述べています。「去る土曜日の夜,500人を上回る人々が,クィーンズ区,ホリスウッドのホリスウッド・ジューイッシュ・センターに現われ,トランプ,ダイス,ラック・バック,壁の上でキーキー音をたてて回る輪などで運をためした。クイーンズ区,クイーン・ビレッジのわれわれのローデスの聖母は,ポーカー,ブラック・ジャック,ビッグ・シックス,オバー・アンド・アンダー等々,盛りだくさんのラスベガスの夜を提供している。入場料は1ドル,軽い飲食物は無料」。あるカトリック教会は,最近開いたたった1回のラスベガスの夜で,2万6,000ドルの収入を得たと報告しました。

      あなたはご自分の経験から,こうした種々の方法が,プロテスタントやカトリック,ユダヤ教などによって,教会の費用をまかなうために用いられているのをご存じではありませんか。それら全部に,基本的な類似点があることにも注意してください。彼らは自発的な寄付を励ますよりもむしろ,圧力や巧妙な種々の手段を用いたり,かけごとのように,利己心に訴えることさえします。

      エホバのクリスチャン証人たちはどうでしょうか。これらの方法のうちどれを用いるでしょうか。実際のところ,彼らはそのうちのどれ一つ,ごくありふれた盆を回す方法すら用いません。ではどのようにして,地方的,国家的,国際的規模の宗教活動を続行する費用を払うのに必要な基金を得るのでしょうか。

      証人たちのあいだでは,与えることはすべて自発的なもの,自から進んでするもの,心からのものでなければならないことが強調されます。事実,現代のエホバの証人は,その発足当初から今日に至るまで,寄付盆を回すとか,それに似た方法でお金を請うことを決してしない方針を取ってきました。これはエホバのわざであるから,福音伝道の発展のために,必要な基金がいつもあるようにエホバがその民の心を開いて,必要な献金をさせてくださる,ということを確信していました。

      証人のすべての集会所には寄付箱が1個あります。証人たちの崇拝を支持するために献金したいと思う人は,その箱のところへ行って,自分にできる程度の寄付をします。封筒もなければ,身分証明もありません。寄付をする人たちが,寄付の総額とその用途を知ることができるように,月に1回,会衆に対して詳細な会計報告が行なわれます。これに加えて多くの人は,世界の他の部分における伝道活動促進のために使う寄付を,その国の支部や国際本部に送付することを考えます。これもまた自発的なものです。

      あなたはこれらの方法のうちどれが,キリスト教を創始したイエスやその使徒たちの用いた方法に似ていると思われますか。あなたは,イエスやイエスの弟子のだれかが,10分の1献金を要求したり,寄付かごや寄付盆を回したり,運まかせのゲームを用いたりしたことを聖書で読んだことがありますか。彼らはそんなことはしませんでした。イエスは十二使徒をつかわしたとき,はっきりと,「価なしに受けたれば価なしに与へよ」と命令されました。(マタイ 10:8)しかし,イエスとイエスの使徒の群れは費用がいらなかったのでしょうか。もちろんいりました。ですから,基金を入れる「かねいれ」をもっていたことがしるされています。(ヨハネ 12:6)その金はどこからきましたか。自発的な寄付であったことは疑えません。その寄付の一部の出所を暗示して,ルカの記録は,いく人かの女が,イエスや使徒たちとともに旅をし,「その財産をもて彼らに事へた」と述べています。(ルカ 8:3)使徒パウロはのちほど,「汝らの中の一人をもわづらわすまじとて」自分の手で働き,キリスト・イエスの真の奉仕者として立派な模範を示しました。同様に,今日,エホバの証人の中には,会衆の負担となる,給料取りの牧師階級はひとりもいません。―テサロニケ前 2:9。使行 20:34。

      エホバの証人の王国会館にはじめてくる人たちは,自分の教会が崇拝の費用をまかなう方法と,エホバの証人のそれとの,この大きなちがいに心を打たれます。ある婦人はこう言ったことがあります。「私の教会では私は自分がドル記号のような感じがしました。私たちはたくさん献金をしてきました。しかしこの王国会館では,そういう感じが少しもしません」。エホバの証人たちのあいだで,この問題を支配している原則を,使徒パウロはコリント後書 8章12節で次のように述べています。「人もし志望あらばその有たぬ所に由るにあらず,その有つ所によりて嘉納せらるるなり」。

      あなたが出席する教会は,宗教上の費用にかんして,これら聖書の規準に従っていますか。もし従っていないなら,神のことばにしるされている規準を無視する組織とあなたが交わるのを神が喜ばれると,あなたは思われますか。

  • エホバの証人が訪れたなら
    ものみの塔 1971 | 11月15日
    • エホバの証人が訪れたなら

      エホバの証人が神の王国の良いたよりを伝道するために訪問できないような場所はあまりありませんが,英国の主要な刑務所の一つ,ダートムール刑務所はそうした場所の例です。ところが最近,その刑務所の英国教会の司祭は,同教会の教会員のいる独房すべてに「エホバの証人が訪れたなら,何と言うべきか」と題する,ちらしを配りました。司祭にとって,そうするだけのもっともな理由があったのです。

      二,三か月前,ダートムール刑務所のある職員が担当の部署の囚人の数人に証言しはじめました。そのうちのひとりが直ちに音信を受け入れ,エホバの証人のその地方の監督に来てもらえるようにするため,宗旨を変えました。その後まもなく,さらに4人の囚人が聖書の音信にかなりの関心を示し,刑務所の司祭との面会を求めるようになりました。すると司祭は囚人たちにエホバの証人を非キリスト教徒また異端者として非難する説教をしました。その結果,囚人たちの間でこの問題に対する関心がかなり高まり,さらに多くの囚人が聖書研究をしたいと申し出るようになりました。

      最近,新しい看守がダートムール刑務所に移って来ましたが,司祭は開口一番その看守に,彼がどんな宗教を信じていようと,あるいは宗教を持っていようといまいと,一向にかまわないと語りました。司祭は「いまいましいエホバの証人」を別にすれば,他の事柄には全然偏見を持ってはいませんでしたが,新任の看守が自分もエホバの証人であるということを述べるや,司祭はたいへんろうばいしました。ひとりの囚人は,「司祭はエホバの証人をけなす時以外は聖書を引いたことがない」と評しました。

      ある囚人はバプテスマを受けたいとの希望を明らかにし,現在会衆の監督とともに予備的な質問を考慮しており,毎月一群のエホバの証人が刑務所を訪れてその囚人に面会し,囚人の信仰を建ておこしています。最近の幾か月間に自分の生活に生じた事がらについて,彼は次のように書いています。

      「親愛なる兄弟たち:

      「やむをえない事情のために,わたしは皆さんとはいっしょになれませんが,わたしたちは霊においては一致していることを知って慰められ,かつたいへん喜んでいます。今のところ,自分のかつての行ないのために,なおしばらくは国に対する負い目を償わねばなりません。

      「実際,わたしにとって事の起こりはほかでもない,ここ刑務所においてなのです。そのいきさつは次のとおりです。

      「わたしは人生をいかに送るべきかに関する助けと助言を捜し求めていました。刑務所当局からは満足のゆくものをなんら得られそうにも思えなかったので,ある日,わたしは刑務所の司祭に話しかけて,神に仕えたいという自分の願いを打ちあけました。わたしがそうした願いを持っていることを神が知っておられるかどうかは,どうしたらわかりますか,と司祭に尋ねてみました。『神さまが快く応じてくださるときでしょうね……』と司祭は答えました。わたしは自分の持っていたギデオン聖書を見せ,たいへんむずかしくて理解できません,と言うと,司祭は『君には新約聖書が必要だ』と言いました。それは彼の持っていた聖書のことでした。

      「司祭はまた,英国教会男子会の何人かの友だちと新しく聖書の研究会をはじめていると述べ,わたしをその会に入れてくれました。

      「その研究会の最初の週には,必要とする助けや

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