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  • 「御心が地に成るように」(その39)
    ものみの塔 1960 | 8月1日
    • 安全な仕方のうちに,人はエホバ神の聖所でエホバ神を崇拝することができます。―詩 150:1。

      13 拒絶されるのを避け,救われるためには,私たちは何をしなければなりませんか。

      13 私たちは,「不法を働く者」になつて,救いを拒絶されたいとは欲しません。救われるためには,私たちは神の御心を行なわなければなりません。それは神の御心です。イエスは次のように言われました,「わたしにむかつて『主よ,主よ』と言う者が,みな天国にはいるのではなく,ただ,天にいますわが父の御旨を行う者だけがはいるのである」。―マタイ 7:21-23,新口。

      14 いまの私たちに対するエホバの御心は,主として何ですか。

      14 この「終りの時」の私たちに対するエホバの御心は,主として何ですか。イエスは次のような言葉でこう預言しました,「この御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。(マタイ 24:14,新口)私たちはこの最終的な証言を与えねばなりません。私たちは最後にいたるまでこの良いたよりを伝道することによりエホバの証者でなければなりません。

      15 いま地上でエホバの御心を行なうことには,どのような報いがもたらされますか。そして,従順な私たちは,どんな祈りにふさわしい生活をすることができますか。

      15 いま地上でエホバの御心をすることには永遠のむくいが与えられます。それはエホバの恵みのうちに永遠に生きることを意味します。「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」。(ヨハネ第一書 2:17,新口)天におられる私たちの御父を愛して,御父に忠節に従いつづける私たちが,次の祈りに絶えずふさわしい生活をすることができますように,「みこころが天に行われるとおり,地にも」― 永久にわたつて ―「行われますように」!

  • 御国のわざの資金はどのように得られるか
    ものみの塔 1960 | 8月1日
    • 御国のわざの資金はどのように得られるか

      エホバの証者の国際的な本部を内に持つ10階建ての大きなニューヨーク,ブルックリンの建物のかたわらを通る多ぜいの人の頭に最初にうかぶことは,「いつたい,これだけの資金はどこから来るのか」という質問です。道の向う側に建てられている新しい12階建の建物も,ものみの塔協会のものであり,また半マイル離れた高層の大工場群も,ものみの塔協会に所属すると聞けば,「いつたいどこからその金を得るのか」と人々は性急にたずねます。

      ものみの塔協会は商売をしておらず,聖書教育という博愛的な仕事をしています。それで,協会がかくも大きな美しい建物を建てて維持するということは,そのような人々にはとうてい解しかねるのです。しかし,聖書や聖書文書の出版および工場で働く人々の宿舎のために使用されるこれらの建物だけが,協会の出費全部ではありません。協会は世界中で1236人が働く85の支部事務所を維持しています。これに加えて協会は数多くの宣教者の家を維持しています。宣教者たちや,協会の他の特別代表者たちの生活に必要なものは,支給されています。それは彼らが善意者に神の御言葉の多くの真理を教育することに専心することができるためです。この全部には金銭がかかります。

      大きな支出は,莫大な量の聖書および聖書文書の生産にふりあてられます。1959年中,ものみの塔協会は7億3400万の印刷物を生産しました。そのような大規模な印刷をするための材料とか機械を備えるには,たくさんのお金がかかります。それで,かくも大きな博愛的な仕事の資金はどこから来るか,という質問は,初めての人の頭に,必ず生ずるものです。

      協会の出版した聖書や聖書文書から得られる金銭で資金が調達される,とある人々は考えています。しかし,それは間ちがいの考えです。文書を受け取る人からの少額の寄付は,協会の活動をまかなう費用に達しません。他の人は,金銭は懇願や,ビンゴとか十分の一税のような募金計画から来ると言います。しかし,このことも間ちがいの結論です。

      ものみの塔協会が1884年に成立した時以来,協会は一度も金銭を懇願したことがありません。教会で一般に用いられている富クジ,ビンゴそして他の募金計画は,ものみの塔協会で用いられたことが一度もありません。エホバの証者のことを良く知らない人をさらに驚かす事実は,76年間存在してきたものみの塔協会が,一度といえども寄付盆を廻したことがないという事実です。協会の主催する集会で寄付盆が廻されたことは一度もありません。

      十分の一税ということもありません。エホバの証者は,十分の一税をクリスチャンの義務と見なさないからです。十分の一税は,レビ人の祭司職を支持するためにモーセの律法の一部になりました。しかし,クリスチャンはその律法の下にいません。キリストはその律法を終らせました。さらにレビ人の祭司職は,もはや存在していません。それで,エホバの証者は十分の一税をしていません。

      快くする献げもの

      箴言 3章9節にはこう書かれています,「次の貨財……をもてエホバをあがめよ」。これは,ものみの塔協会の仕事に興味を持つ人々のしていることです。それらの人々は,自発的に自分の心からの献げもの,すなわち寄付を定期的に協会にします。それは,エホバ神の御名と目的宣明のわざをつづけて行ない,拡大させるためです。それらの人々は,このことが聖書的な義務であると認めます。

      ルカ伝 8章の中には,キリストとその使徒に物質面の援助をしたクリスチャン婦人の例が述べられています。それで,クリスチャン宣教は村から村に,町から町につづけて行くことができました。その3節のところには,これらの婦人は「自分たちの持ち物をもつて一行に奉仕した」と述べられています。ここに自発的な寄付の例が出ています。エホバの証者は今日この例に従つているのです。エホバの証者は,ものみの塔協会に任意の寄付をすることにより,全時間を宣教に費やしている幾千人という協会の特別代表者たちに奉仕しています。

      コリント人たちは,自発的な寄付についての別の例です。使徒パウロは彼らに手紙を書き送つて次のように語りました,「この援助を行つた結果として,あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや,彼らにも,すべての人にも,惜しみなく施しをしていることがわかつてきて,彼らは神に栄光を帰し,」― コリント後 9:13,新口。

      全世界のエホバの証者の寛大な寄付によつて,協会の数多い支部,印刷設備宣教者の家,そして奉仕活動が維持されています。そのように寄付された金銭は,協会のために働く幹部や特別代表者たちの給料として支払われません。支部で全時間働く人々や,野外での特別代表者たちは,自発的に働くのであつて,給料のために働くのではありません。

      やもめのわずかな寄付

      あるときイエス・キリストは人々がエレサレムの宮の維持のために寄付をするのを見ていました。イエスはひとりのやもめの表わした信心に深く心が動かされました。このやもめは,きわめて貧しかつたにもかかわらず寄付をしたのです。彼女が宮のさいせん箱に投げ入れたものは,値打のすくないお金二つだけでした。他の人の寄付とくらべるなら,また宮の維持に必要な費用とくらべるなら,そのやもめの寄付は,ほとんど無にひとしいものです。しかし,イエスは寄付の額が少ないから価値はひとつもないなどと考えませんでした。かえつて,イエスは次のように言われました,「よく聞きなさい。あの貧しいやものは,さいせん箱に投げ入れている人たちの中で,だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが,あの婦人はその貧しい中から,あらゆる持ち物,その生活費全部を入れたからである」。―マルコ 12:43,44,新口。

      そのやもめの寛大は大きなものでした。それは神に対する彼女の愛を表わしました。同じことは,その収入はわずかであつても,神権制度に定期的に寄付する貧しいエホバの証者について言えます。彼らの任意の寄付は,たとえごく僅かなものであろうと,その寄付はものみの塔協会により感謝されます。これらの謙遜な人々の寛大さは,エホバにささげる彼らの献身と,協会の行なつているわざに対しての深い認識を示しています。

      神の御国の良いたよりを伝道するための経済的な負担は,高い給料をもらつている人々だけが負うべきであるというような態度を取る人がいるなら,その人はやもめの殊勝な態度を示していません。そのやもめは,神のわざに対して深い認識を持つていました。しかし,その人は,そのような認識を持つていると示しません。その人はごくわずかな額しか寄付できないでしよう。しかし,その寄付は大切なものです。それがたとえ少額のものでも,その寄付は御国のわざを援助します。また寄付をした人は,神の奉仕に対する愛を物質的な面で表現したことに満足感をおぼえるでしよう。

      エホバの証者や興味を持つている人々が,それぞれの国での神権的な活動を支持することは特権であります。それぞれの場所の会衆の集会場すなわち御国会館の経費を援助することができます。どの御国会館にも寄付箱が備えつけられており,寄付額を他の人に知らせずに自発的な寄付をすることができます。会衆に金銭を懇願することもなく,寄付徴収用の香水のつけられた封筒が送られることもなく,寄付の約束を尋ねることもありません。エルサレム内のやもめや他の者たちが任意の寄付をしたと同じように,エホバの証者の各会衆に属する人々は,御国会館に備えられている寄付箱の中に,寄付できると感ずる額を自発的に投げいれます。

      協会の支部に直接なされる任意の寄付は,その国内およびその支部の管轄下にある国々の神権的な活動を支持します。そのような寄付は,支部や宣教者の家の経営費をまかない,野外の特別開拓者を援助し,大会の開催を援助し,わざを弁護するための法律上の費用をまかない,そして他の出費にあてがわれます。それぞれの国の証者たちは,自分たちの御国会館を維持するだけでなく,このような経済的な負担をもよろこんでにないます。他の国々にいる霊的な兄弟たちが,そのことをしてくれるなどと依存しません。

      どの証者も,その寄付の額がどんなにすくないものであろうと,御国のわざの資金を出したいと欲します。エホバの証者は,使徒パウロの与えた次のさとしの言葉を十分に認識しています,「各自は惜しむ心からでなく,またしいられてでもなく,自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである」。―コリント後 9:7,新口。

      協会は1年間の経費計画を立てるため,エホバの証者と興味を持つ人々がだいたいどの位の金額を寄付し得るかを知ることが必要です。人々の約束するものは言質というものでなく,ただ1年間に寄付し得ると希望する額を見積るだけです。それを寄付の見込みと呼んで下さい。それはコリント人のなしたような自発的な約束です,「わたしは兄弟たちを促して,あなたがたの所へ先に行かせ,以前あなたが約束していた贈り物の準備をさせておくことが必要だと思つた」。―コリント後 9:5,新口。

      次の12ヵ月間,ものみの塔協会に1回かそれ以上の寄付をしたいと思われるなら,あなたの国内にある支部事務所に葉書か手紙を送り,神の御国を伝道するわざを援助するため寄付したい額を知らせて下さい。それに「寄付の見込み」としるしづけて下さい。この号の「ものみの塔」の裏表紙には,いくつかの協会事務所の住所が記されています。協会の全部の支部事務所の住所は,ものみの塔協会の本と冊子の最後の頁に出ています。日本では,東京都港区芝三田豊岡町1番地のものみの塔聖書冊子協会に御連絡下さい。この事項にすぐ答え応じていただけるなら,協会がその活動を計画する際の助けとなります。

      ものみの塔協会の施設とわざの資金が,どのように供給されているかは,秘密のことではありません。ものみの塔協会は,キリスト教国のしているような募金計画を立てません。しかし,聖書教育という大規模な博愛的な仕事をして行くことができます。なぜなら,エホバの証者と興味を持つ人々は,自分の財宝を自発的に寄付するからです。―歴代志上 29:17。

  • 読者よりの質問
    ものみの塔 1960 | 8月1日
    • 読者よりの質問

      ● 特定な状況によつては,クリスチャンが真実のことを語らねばならぬという義務に例外が設けられますか,という質問の手紙が協会に時折り送られてきます。その質問に対する答をいたします。

      神の御言葉は,次のように命じています,「おのおの隣り人に対して,真実を語りなさい」。(エペソ 4:25,新口)しかし,誰れでも彼れでも,その尋ねること全部に答えねばならない,という意味ではありません。知るべき立場と資格を持つ人には真実のことを言わねばなりません。しかし,その資格を持たない人には,言わなくてもすみます。しかし,嘘を言つてはなりません。

      それですから,伝道者の記録カードに正しい記入をするため,姉妹は自分の年齢を正直に知らせなければなりません。それは,知る権利という権限内に入るからです。そのことを正直に知らせることを恐れるのは,虚栄と未熟のしるしです。この特定な知らせは,将来の結婚配偶者が重要と考えて尋ねるならば,隠してはなりません。その者も,知る権利を持つています。自分の年齢をかくすかどうかは,状況に応じるものです。

      同じ原則は,不治の病気にかかつている患者にも適用します。この患者は,自分の生命の見込みについて診察の結果を知る権利を持つています。その患者にとつて極めて肝要なその知識をさしひかえてはなりません。生きている日数は,たいへんすくなくなり,その毎日は患者にとつて非常に貴重です。そのような者をあざむくことは,信用,理解,そして愛の現われではありません。そして,そのあざむきをする人は,いつも良心の苛責に苦しめられるでしよう。患者がエホバに献身しているなら,自分の死期が神の御手にゆだねられていることを認識しています。そして,死ぬことについて病的な恐れを持たず,むしろ復活の希望によつて自分自身を強めます。親切心からそのような知らせを与えなかつたある人

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