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食物に含まれているミネラル目ざめよ! 1970 | 11月8日
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変化をもたらす要素となる,土壌の成分
この記事に載せられている,ミネラルの一覧表は,含有量と人体内の所在および価値と摂取源を示しています。しかし,食物を通して十分の量のミネラルを摂取するのに助けとなる二,三の原則を補足しておくのが賢明と思われます。土壌中にそうした元素がなければ,その土壌で作られた食物には,それらの元素は含まれていません。このことには疑問の余地がないでしょう。
この点では土壌中のミネラルの含有量をふやすために,下肥や堆肥の使用,また,冬豆やカラスノエンドウの作付を重視する,有機栽培がすぐれているとする主張には,一理があるといわねばなりません。35年ばかり前のことですが,有名な生物学者で,ノーベル賞受領者,故アレクシス・カレル博士は,こう述べました。
「人間は文字どおり地のちりで作られている。……主要な食物は,昔と同様の栄養素をおそらく含んではいないであろう。小麦・卵・牛乳・くだもの・バターなどは,おなじみの外観は保っているが,大量生産の影響で,その組成は変化した。土壌中の枯渇した諸元素を補給せずに,穀物を大量に生産しているため,間接的にではあるが,化学肥料が,穀物食のための作物や野菜の栄養価を変えることを助長してきた。ニワトリは,人工飼料と人為的な飼育方法によって,大量生産の隊伍に強制的に入れられてきた以上,鶏卵の質は変化したのではなかろうか」―「未知の存在である人間」。
現実に即して考える
しかし,有機栽培による食品を購入することが多くの人にとって,いよいよむずかしくなってはいるものの,食物を通して十分の量のミネラルを摂取することに関し,くふうをする余地は,まだかなり残されています。たとえば,精製されていない食物を買うことができます。精白されていない小麦粉やライ麦の粉・鉄棒でつぶした,つまり,昔式の仕方で押しつぶしたカラス麦・玄米などはいずれも,精白されたものに比べて,幾倍もの量のたいせつなミネラルを含んでいます。ラム酒をまぜた糖蜜・ハチ蜜・カエデ糖・粗糖・干したくだもの(干しぶどう・アンズ・ナツメヤシ・イチジク)などには,白砂糖にはひとつもない,銅や鉄のようなたいせつなミネラルが豊富に含まれています。
また,海産物は土壌から生産された食物より,ある種のミネラルを豊富に含んでいることが知られています。長年,耕作が続けられ,化学肥料しか補充されなかった土壌の場合は,とくにそうです。そうした食品には,魚貝類ばかりでなく,こんぶなどの海草類も含まれています。後者は,日本人その他,多くの国の人々の常食の一つとされていますが,西洋では,その成分は,たいてい錠剤として摂取できます。
こうした事柄に気を配るべき人は,なんといっても一家の主婦です。それは家族に対する務めの一つだからです。必要なミネラルを豊富に含む食物がどれかを知っている主婦はそれを献立に含めることができます。同時に,料理した野菜や生の野菜を,食欲をそそるように盛りつける仕方を学べるでしょう。そうすれば,家族は,ミネラルを豊富に含んだ食物を,より多く好んで食べるでしょう。香辛料や玉ネギあるいはニンニクなどを,よく考えて用いると,所期の目的を達成するのに,たいへん役だちます。“残り汁”つまり,野菜を煮た後の汁をすべて活用するのも賢明です。その汁には,ミネラルがたくさん含まれているからです。
家庭の甘党の要求は,白砂糖を用いなくとも満たせます。英国の主要な栄養学者のひとりによれば,白砂糖を摂取するか,しないかが,「心臓の冠状動脈症患者と,そうでない人との間に一貫して見られる唯一の食事上の相違点である」とのことです。すでに述べたとおり,口蓋に快く訴え,かつ大量のエネルギーを給与するばかりでなく,貴量なミネラルにも富む甘い食べ物はたくさんあります。とくに,女性はそうした提案を実行すべきでしょう。多くの女性の食習慣はきわめて貧弱なものだからです。それは少なくとも,米農務省がアメリカの女性1万4,500人から質問表を受け取って分析した結論なのです。
この点では,費用の問題も考慮すべきでしょう。たしかに,くだもの・堅果類・生鮮あるいは冷凍野菜・きのこ・ある種の海産物類は,幾分高くつくように思えるかもしれません。が,そうした食品の栄養価を考え,それが薬や医療費の節約に資するとすれば,はたして実際に高くつくといえますか。一方,ピーナッツや精白されていない穀物食を用いたり,焼いたジャガイモや,小麦のはい芽,なかでも,レンズ豆や大豆などの豆類を用いたりすれば,肉料理よりも食費を節約できます。たいてい肉は最も高価な食品だからです。
こうした貴重なミネラルを十分摂取するのは健全な栄養に不可欠です。このことには,疑問の余地がありません。しかし,同時に,注意をひとこと付け加える必要があるようです。それは,からだのための食物が生活上,最もたいせつなものであるかのように,こうした事柄を“極端に”重視するのは,賢明ではないということです。なぜですか。なぜなら,「人の生くるはパンのみによるにあらず,〔エホバ〕の口より出づるすべてのことばによる」からです。―マタイ 4:4,〔新〕。
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わたしはかつて悪霊のとりこでした目ざめよ! 1970 | 11月8日
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わたしはかつて悪霊のとりこでした
フィジーの「目ざめよ!」通信員に話された経験
輪になってすわっている男たちの周囲を,暗い影が取り巻いていた。ココヤシの油を塗った,彼らのからだが,油のはいったランタンの薄暗い光に照らし出されるので,それとなく男たちの姿がわかる。場所は,フィジー島の,とある草ぶき屋根の家で,村の他の人家からかなり離れていた。男たちは,半分になったココヤシのからを互いに回して,各そのからから何ものかを飲んでいた。
夜がふけるまで行なわれたこの不思議な儀式は,いったいなんであろうか。時おり,ささげ物と祈祷がなされた。そして,男たちがみんなで飲んだのは何か。そこには,何か無気味な空気が漂っていた。集まりが秘密裏に行なわれたところから察すると,その男たちは良くないことをたくらんでいるらしかった。
式を司会しているように見えた老年の男は祈祷師で,その回りに集まっていた男たちは,死者の霊を崇拝する仲間たちであった。彼らの間で回された,四つの短い脚のついた木製の鉢は,全体が一つのココヤシから彫られたもので,その中にカワカワ酒がはいっていた。コショウ科に属するカワカワの木の根と茎を乾燥させ,ひいて粉にして水と混ぜるのである。カワカワの粉末を水と混ぜる間に,供え物が死者の霊にささげられた。次に,各人がそれを飲む時に,もくろまれた仕事をする各人に,力が授けられるよう,死者に祈りがささげられた。
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