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  • 今の時代に対してダビデのような勇気をもつ
    ものみの塔 1962 | 12月1日
    • 今の時代に対してダビデのような勇気をもつ

      いまは危険の多い時代です。「苦難の時代」とはよくも預言されたものです。その苦難の時代に耐えていくには勇気がいります。勇気とはなんでしょうか。勇気とは「思いきって事を行ない,屈せずにやりつづけ,危険,恐怖,苦難を決然と耐え得る知的,道徳的力」と定義されています。―テモテ後 3:1。

      商売をするにも,同業者が不正直なのに自分が正直にするには勇気がいります。そして特に,快楽と富を求めて狂奔する,道徳の標準の低い世間の風潮に逆らって進むには勇気がいります。正しいと知っていることを行ないつづけ,ほかの者が何をしようと自分の確信に従って生活するという決意をもつには,勇気がいります。

      いまの世界には,この種の勇気はごくわずかしか見られません。とはいっても,勇気として通るものはかなりあります。つまり,からだをはった無鉄砲さです。しかし両者の間には大きな相違があります。勇気の基礎は原則で,無鉄砲の基礎は体力,感情,心の奥にある動機などです。職業拳闘家は肉体的な強さをもっていて,名声と金を得るためにたたかいます。交戦中の多くの兵士は,殺気だっているために,あるいは相手より優秀な軍事設備があるという自信で,大胆不敵になるかも知れません。しかし,勇気というものはよりすぐれた体力に基礎づけられたものではありません。それは,原則への忠実さから生ずる精心的,道徳力です。

      聖書には,私たちがいまの時代に必要とする種類の勇気の例がたくさんあります。それらの注目に価する例の一つは,巨人を殺したダビデの勇気です。彼は,まだ父の羊の群れを飼っていた若者の頃,野獣から羊を守るのに驚くべき勇気を示しました。そのことについてダビデは自分でサウル王にこう言っています,「しもべは父の羊を飼っていたのですが,しし,あるいはくまがきて,群れの小羊を取った時,わたしはそのあとを追って,これを撃ち,小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時はひげをつかまえて,それを撃ち殺しました。しもべはすでに,ししと,くまを殺しました」。それにはたしかに勇気がいりました!―サムエル前 17:34-36,新口。

      ダビデは,まだ17歳かそこいらの若者であった時,身の丈3メートルの巨漢ゴリアテと対決しました。このゴリアテは,イスラエルの全軍を恐れさせてその移動を不可能にし,来る日も来る日も彼らをあざけっていました。ダビデはまれな勇気をもってこの巨漢に静かに,しかも恐れなく近づき,彼に挑戦して,彼のまえで正々堂々と問題を結着させました。「汝はかたなと槍とほこをもて我にきたる然ど我は万軍のエホバの名すなはち汝がいどみたるイスラエルの軍の神の名をもて汝にゆく今日エホバ汝をわが手に付したまはんわれ汝をうちて汝の首級を取り…全地をしてイスラエルに神あることを知らしめん」。それから羊飼の使う石投げと,なめらかな石一つとを持って巨人に走り寄り,石投げ器で投げつけたので,巨人はその石を受けて倒れました。なんという勇気の表示でしょう!―サムエル前 17:45-50。

      その後もダビデの勇気は変わりませんでした。戦いに出た時も,自分と一緒に行った男たちを非常に奮い立たせたので,イスラエルの女たちは,「サウルは千をうち殺しダビデは万をうちころす」と歌ったくらいでした。そのためにサウル王はダビデに異常なねたみをいだくようになり,いくたびとなく彼を殺そうと計ったので,ついにダビデはアドラムの洞穴に逃げました。ダビデの兄弟と父の全家および心にあきたらぬ何百人という人々がそこに来てダビデのもとに集まりました。サウル王とその兵士たちは,野獣を狩るようにダビデをさがしましたが,ダビデは勇気を保ちました。ダビデはそのことをくりかえし証明しました。サウルを思いのままにできる機会が2回もありましたが,それでもダビデは自分の生命を取ることを決意していた男の命を取ろうとはしなかったのです。―サムエル前 18:7; 22:1,2。

      王になるやダビデは,軍隊による征服によって,彼の国の境を,神がお定めになっていた所まで押し広げていきました。そしてその戦が勇気の問題であったということは,ダビデが戦いに出ることについてくりかえしエホバに尋ねたことからわかります。またそれは,ダビデが単に征服欲にかられていたのではなくて,神のみこころに導かれていたことを物語っています。

      ダビデの勇気の秘密はどこにあったでしょうか。まず第一に,エホバへの偉大な信仰にありました。「エホバ我をししの爪と熊の爪よりすくひいだしたまひければこのペリシテ人の手より援ひいだしたまはん」。また彼の勇気に大いにあずかって力あったのは,義に対する彼の愛でした。「悪者はおふ者なけれども逃げ,義者はししのごとく勇まし」。さらにまた,エホバ神と自分の国民に対する愛もダビデに勇気を与えました。「愛にはおそれなし,全き愛はおそれを除く,おそれには苦痛あればなり」。そうです,エホバ神への信仰,義に対する愛,神と隣人への愛こそ,ダビデの驚くべき勇気を説明するものと言えるでしょう。―サムエル前 17:37。箴言 28:1。ヨハネ第一 4:18。

      いまの時代に対して,ダビデと同じ勇気をもつには,この同じ三つの基本的美質を必要とします。エホバ神に対する信仰は,同業者の不正直をまねなくてもきちんとした生活をして行くことができるという確信と勇気を与えてくれます。義に対する愛は,誤りを認める力を与えてくれます。神と同胞に対する愛は,世間の悪風に染まらないで,神の喜ばれることと,人々が必ずしもそれに感謝しなくとも,自分の交わる人々の最高の福祉となる事柄を進んでする勇気を与えてくれます。

      いまの時代に対して,ダビデと同じ勇気を身につけるには,神の御言葉の研究がぜひとも必要です。この研究だけが,あなたに必要な信仰を与え,正しい事と,神および隣人への愛に対する欠くことのできない認識を与えてくれるものです。

  • 教室で証言
    ものみの塔 1962 | 12月1日
    • 教室で証言

      これはアメリカ,ジョージア州の若いエホバの証者の経験です。「ある日,学校で授業のない時間があつた。よし,この時間を利用して証言しようと考えた。早速別のエホバの証者の友だちを何人か探した。『エホバの証者とはだれですか』という主題の聖書の話をしていた。すると担任の先生が来て,私を呼びとめて言つた,『なかなかおもしろい。気にいつた。君,クラス全体に話してみないか』。それで私と友だちはクラス全部に向かつてその聖書の話をした。皆よく聞いていた。先生も,生徒も喜んでいた。級友の一人は雑誌の予約もした」。

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