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  • 人を恐れずヱホバを恐れよ
    ものみの塔 1959 | 11月15日
    • ヱホバから良い名前をいただきなさい

      15 クリスチャンは誰から良い名前をいただくべきですか。そしてなぜ?

      15 他の人々がどんなことを考えようとも,それにはかかわりなく,あなたは,人間よりも生命の与え主ヱホバ神を恐れ,愛し,仕え,賛美する小数者に属することを欲しませんか。ヱホバからの良い名前をいただくために,必要ならばたとえ死ぬことがあろうとも,ヱホバの法律に述べられている正義の原則に従いつづけたいと欲しますか。ヱホバから良い名前をいただくことは,永遠の生命を意味します。ヱホバから良い名前をいただくなら,それはちようど伝道之書 7章1節の述べるようです,すなわち彼の死ぬ日は,彼が生まれた日よりも良いのです。ヱホバから良い名前をいただく者たちについてイエス自身も次のように言われませんか,「あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい。」それは復活の日に記憶されるものです。(ルカ 10:20,新口)クリスチャンは生きることをのぞみ,決して死なないと希望します。しかし,もし死ぬとするなら忠実を保つて死ぬよう,そして神から良い名前をいただいて神に記憶されるように死になさい。人間を恐れて妥協し,人間をよろこばす者として腐つた名前を持つて死んではなりません。その名前は神の記憶から永久になくなるでしよう。

      16 私たちはどんな例に従うべきですか。これらの恐れを持たぬ人々は,どんな希望を持つていますか。

      16 忠実を保つた人々の例を考えてごらんなさい。ヤコブは,クリスチャンたちにこうさとしてはいませんか,「兄弟たちよ,苦しみを耐え忍ぶことについては,ヱホバの御名によつて語つた預言者たちを模範にするがよい。」(ヤコブ 5:10,新世)これらの人々は恐れを知らぬ人々,忠実を守つた人々でした。彼らは,悪行が人気あるからといつて,悪行に従わなかつたのです。忠実なクリスチャンとして彼らは「死にいたるまでもそのいのちを惜しまなかつた。」(黙示 12:11,新口)彼らは人間をよろこばして「良い人」に思われようとしませんでした。彼らは妥協して神の原則を捨てる代りに,何をしましたか。苦しみや死をこうむつても泣かなかつたのです。ヘブル書 11章37,38節は次のように言つています,「石で打たれ,さいなまれ,のこぎりで引かれ,つるぎで切り殺され,羊の皮や,やぎの皮を着て歩きまわり,無一物になり,悩まされ,苦められ,(この世は彼らの住む所ではなかつた。)」彼らは王を称賛する者たちから拍手喝采を受けませんでした。また,富める者や権力を持つ者たちの機嫌を取ることもしませんでした。臆病にも人々の誉を求めようともしなかつたのです。たとえ殺されても彼らは朽ち果てていません。なぜならマラキ書 3章16節によると,彼らの名前は「ヱホバを恐るる者およびその名をおぼゆる者のために……記念の書」に書かれているからです。私たちは霊感を受けた弟子ヤコブが,見ならうようにと私たちに告げているこれらの人々に見ならうだけの勇気を持つていますか。

      17 (イ)クリスチャン行為の道を説明しなさい。(ロ)彼らは,生命に通ずるその狭い道をどのように安全に歩けますか。

      17 クリスチャン行為の道は高くて高尚なもの,狭くて細いものです。人間に対する恐れを持たないなら,クリスチャンはその道から落ちて妥協を行い,生命を失うという致命的な深みに入ることがありません。イエスはクリスチャンたちにこう命じています,「狭い門からはいれ,滅びにいたる門は大きく,その道は広い。そして,そこからはいつて行く者が多い。命にいたる門は狭く,その道は細い。そして,それを見いだす者が少ない。」(マタイ 7:13,14,新口)大多数の人は滅びに通ずる広い安易な道を歩んでいるので,あなたもその道に行きたいと思いますか。あなたは滅びに通ずるこの広い道を歩んでいる人々を,いまでもよろこばしたいですか。「草のごとくなるべき」と聖書(イザヤ 51:12)の述べている人間を,なぜよろこばそうと努めたり,恐れるのですか。それですから,細くて狭い忠実の道を歩きなさい。そして,最高の主権者ヱホバを恐れなさい。ハルマゲドンの戦いのとき,ヱホバは臆病者,妥協をする者,人間をよろこばす者,そして恐れを持つ人々をことごとく地から一掃するでしよう。

      18 クリスチャンは誰に信頼すべきですか。そうするためには何が必要ですか。そして,なぜ?

      18 クリスチャンはヱホバに信頼と確信を置き,人間を恐れたり,人間をよろこばそうと努めるべきではありません。ヱホバが私たちと共にいるとき,私たちは誰を恐れますか。詩篇記者は次のように言いました,「ヱホバはわが光,わが救なり。われ誰をか恐れん。」(詩 27:1)人間の恐れを克服するためにヱホバの知識は是非とも必要です。そしてヱホバを知るためにヱホバの御言葉と法律を注意深く研究することは必要です。知識が不足していると,人間に依り頼み,人間を恐れるようになります。しかし,ヱホバの知識は恐れを取りのぞきます。研究することによつてあなたは次のことを学びます,「ヱホバの名はかたき櫓のごとし,義者はこれに走りいりて救を得。」(シンゲン 18:10)研究をすることにより,ヱホバを恐れて人間を恐れなかつた者たちに対してヱホバが行われた力あるわざを学びます。「義を知る者よ,心のうちにわが律法をたもつ者よ,私に聞け。人のそしりを恐れてはならない。彼らのののしりに驚いてはならない。彼らは衣のように,しみに食われ,羊の毛のように虫に食われるからだ。しかし,わが義はとこしえにながらえ,わが救はよろず代に及ぶ。」それで,ヱホバを恐れて,人間を恐れぬように研究して学びなさい。―イザヤ 51:7,8,新口。

      19,20 (イ)私たちは何を期待しますか。(ロ)しかし,聖書はどんなさとしを与えていますか。

      19 クリスチャンが人間や悪魔を恐れて,ふるえるとか,柔弱になるとか,二心を持つとか,あるいは不安定になることは決してないように。ヱホバはマゴグのゴグからの来るべき攻撃について御自分の僕たちに知らせておられます。ヱホバの証者は,カイザルからの迫害を期待しています。彼らは,この古い世が彼らを憎んでいると知つています。しかし,彼らは自分たちの神ヱホバの力に確信を持つています。ちようど,おそれの気持を抱かずに彼に仕えた昔の人々と同じようです。昔の模型的な制度内にいたヱホバの戦士たちに対し,モーセは何と命じましたか。「なんじら心を強くし,かつ勇め。彼らをおそるるなかれ。彼らの前におののくなかれ。そわなんじの神ヱホバみずからなんじとともに往きたまえばなり。必ずなんじを離れず,必ず汝を捨てたまわじ……ヱホバみずからなんじに先だちて行きたまわん。」(申命 31:6,8)むかしの詩篇記者のごとく,真のクリスチャンはそれぞれ妥協を避け,忠実を失わぬとの強い決意を心に持たねばなりません。「ヱホバはわが方にいませば,我におそれなし。人われに何をなしえんや。ヱホバによりたのむは,もろもろの君にたよるよりも勝りてよし。もろもろの国はわれをかこめり……彼らは蜂のごとく我をかこめり。かれらはいばらの火のごとく消えたり。我はヱホバの御名によりて彼らを滅さん。」― 詩 118:6,9-12。

      20 パウロは,私たちにどうさとしていますか。「それでは,これらの事について,なんと言おうか。もし,神が私たちの味方であるなら,だれが私たちに敵し得ようか。」「私たちの神に勇気を与えられて,はげしい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語つたのである。」「神が私たちに下さつたのは,臆する霊ではなく,力……の霊なのである。」― ロマ 8:31。テサロニケ前 2:2。テモテ後 1:7,新口。

      21 クリスチャンは,妥協する危険および人間をよろこばす危険を避けるために,どんな態度を持たねばなりませんか。

      21 それですから,クリスチャン戦士たちよ,勇気を持ちなさい。決して人間を恐れてはいけません。また人間をよろこばせようとしたり,面倒を避けるために妥協するということをしてはなりません。神の最高至上の法律と言葉にかたくつき従いなさい。「人にへつらおうとして目先だけのつとめをするのでなく,キリストの僕として心から神の御むねを行い」ヱホバに仕えなさい。(エペソ 6:6,新口)あなたの信仰と希望を恐れずに,また効果的に伝道して守りなさい。そのときあなたの報いはヱホバの新しい世における永遠の生命です。あなた方ヱホバの奉仕者および善意者のひとりびとりに,ヱホバ神が力と御霊をもつて祝福されますよう。

  • 信頼の置き場所を間ちがえる
    ものみの塔 1959 | 11月15日
    • 信頼の置き場所を間ちがえる

      「過去十年間の教会の集会で,国際連合を世界平和と正義のための主要な希望であると支持する決議の採決は,ほとんどいつでも行われてきた。」とシカゴのデイリー・トリビューンは述べていました。そして,テキサス州サンアントニオのローマ・カトリックの司祭ロバート・イー・ルーシイは,国際連合を「世界平和にたいする我らの最後の希望」と呼びました。牧師たちを指導者に仰いでいる多数の誠実な教会員たちは,国際連合に信頼を寄せています。それは第1世紀の人々と全く良く似ています。

      イエスがベツレヘムで生まれたとき,エルサレムの宗教指導者たちはそのことを知りました。「東からきた博士たちがエルサレムに着いて言つた。「ユダヤ人の王としてお生れになつたかたは,どこにおられますか。私たちは東の方でその星を見たので,そのかたを拝みにきました」。ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな,同様であつた。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて,キリストはどこに生まれるのかと,彼らに問いただした。彼らは王に言つた,『それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています』」。(マタイ 2:1-6,新口。)彼らは預言を知つていました。イエスが成人したとき,彼らは神の御国を伝道するイエスの言葉を聞きました。彼らは,イエスが預言者によつて預言されていたことを行うのを目撃しました。彼らは信じましたか。彼らは信じませんでした。彼らは神とキリストによる御国を信頼する代りに,人間の同盟を信頼しました。イエスを杙につけよ,と彼らは叫んで「私たちには,カイザル以外に王はありません」と言つたのです。(ヨハネ

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