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  • 私の神に仕えた50年
    ものみの塔 1965 | 11月15日
    • た。ラザフォード兄弟はその時どうしてもすぐに警察に行って様子を見,兄弟たちを弁護するといってゆずりませんでした。その時私も自動車で彼と一緒に行く特権を得ました。マジソン・スクエア・ガーデンから警察署まで自動車を走らせながら,たけりたった暴徒のデモと,ご自分の民を保護する神の制御力を私たちはみました。警察署では暴徒をかきわけなければ中にはいれないので,警官の援助が必要でした。ラザフォード兄弟は兄弟たちにあびせられた非難を詳細に調べ,彼らを弁護する手続きをとり,彼らを励ましました。警察を出るとき外にはやはり同じ暴徒がいました。彼らは車の中に押し入ろうとし,前進を妨害しました。暴徒にドアをあけさせないため,私たちのだれかがステップに乗っていなければなりませんでした。

      マジソン・スクエア・ガーデンの夜の集会では私が最初に話すことになっていました。どうなっていることだろうと思いながら帰ってみると,状態はすっかり変わっていました。敵はひとり残らず引きあげ,平和と静けさがよみがえっていました。その晩の集会は,あたかもエホバが立ちあがられて,『平安なれ,静まれ』と言って,つまらぬ者を追い払われたかの感がありました。

      1942年の初頭,ラザフォード兄弟が死亡してから,協会のニューヨーク法人団体とペンシルベニア法人団体の理事たちは,ブルックリン・ベテルに会合し,祈りをこめた熟考の末,満場一致で,ネイサン・H・ノア兄弟を新しい会長に選びました。

      エホバのわざは急速な発展をつづけました。1943年の2月1日には,宣教者を養成するものみの塔ギレアデ聖書学校が開設され,また同年4月17日には,神の民すべてを宣教のわざに備えて訓練するための,「神権宣教学校過程」が全部の会衆に送られました。こうした初期の措置が基礎となってそれ以後わざは目ざましい発展をとげました。エホバのみこころを成し遂げるエホバの御霊の働きの早さはいきをのむばかりでした。それはエホバのみわざであり,私たちの目にはすばらしいものでした。

      ベテルにいてこうしたすばらしい出来事を見,それを感じ,それに参加することはだれでも得られる祝福です。私はそのように考えています。そういう態度でベテルにはいり,そういう気持ちですべての割り当てを受けるなら,非常に幸福で,エホバから豊かな祝福を受けることを,私はベテル生活40年の経験をとおして知りました。

      私はここベテルで数々の特権を与えられたことを毎日エホバに感謝しています。第二次世界大戦中に与えられた特権の一つは,週末が5回あればそのうちの4回,アメリカ東部の州の刑務所に入れられていた兄弟たちに奉仕することでした。現在もやはり,ダンバリー連邦刑務所にいる兄弟たちに,毎月1回ずつ奉仕し,それを20年近くつづけています。そうした特権をすべて果すには努力がいります。しかしエホバのしもべとして仕え,兄弟たちを慰めることはほんとうに大きな喜びです。エホバのしもべであったこの50年間,エホバは私に良きものを惜しみなく与えて下さいました。私はそれをはばかりなく言うことができます。(詩 84:11)大小にかかわらず,必要なものはすべて組織をとおして与えられました。私の望みはエホバの家のしもべとして永遠にそこに住まうことです。―詩 27:4。

  • 文盲をなくす
    ものみの塔 1965 | 11月15日
    • 文盲をなくす

      ◆ ガーナでは読み書きの教育が続けられ,いま教えを受けているのはおもに年をとった人や学ぶことが困難な人であるため,進歩は以前ほど早くありません。ガーナでは文盲が大きな問題ですが,いまでは伝道者の65パーセントが読む事ができるのはさいわいです。ある地域では政府の「集団教育」部門の役人は読み書きのできる人数でエホバの証人を第一にあげています。

      ― 1965年度エホバの証人の年鑑から

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