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喜びをもってエホバに仕えなさいものみの塔 1977 | 11月1日
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肉の武器をもって戦う代わりに,わたしたちは,人々を除くのではなくて間違った教理と考えを取り除く,そしていやしをもたらす義の武器を携えています。耳を傾けそして信ずる人々の心にそれがもたらす喜びは,わたしたちの喜びをも増し加え,将来すばらしい報いを得るわたしたちの希望をも強めるのです。―コリント第二 6:4,7。コロサイ 3:23,24。
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霊的な祝祭 ― 今と昔ものみの塔 1977 | 11月1日
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霊的な祝祭 ― 今と昔
全能者なるエホバ神はわたしたちの偉大な創造者です。エホバ神のみ業はエホバ神が賢明で公正かつ愛情の深い主権者であることを証ししています。わたしたちが人間として何を必要としているか,何がわたしたちを幸福にするかを,だれよりもよくご存じです。したがって,基本的必要,欲望,また願望を有する者としてわたしたちを造っただけでなく,その必要を満たすための配慮もされました。―詩 104:24; 145:16-18。
地は,わたしたちが衣食住という物質的必要を満たせるように神が造ってくださった物でいっぱいです。神はまた,美しい風景や音,愛情や友情,また一つの家族の構成員であることに伴う喜びと祝福など,わたしたちが自分の感情を満足させ得るようにもしてくださいました。
同様に,エホバ神はわたしたちの知的,霊的渇き,すなわちわたしたちの推論する能力,知識欲,崇拝本能を満足させるための備えもされました。人間は,自己の存在の目的,どこから来たのか,どんな運命にあるか,などを知ることを望みます。そうです,わたしたちは自分が生きていくうえで多くの恵みを受けますがその恩義をわたしたちはだれに負っているのか,どうすれば自分が創造された目的に最もよくかなうことができ,またそうすることによって自分の感謝を示せるか,知りたいと思います。そうした基本的必要を満たすために,エホバ神は初めから,ご自分が選んだしもべたちを通して,わたしたちに関するご自分の意志を伝達されました。古代においては神は特に預言者モーセを用いて,ご自身の目的と意志を人々にお知らせになりました。
古代の民がエホバ神を一層よく知り,また他の霊的祝福を享受するよう,エホバ神は愛をもって多くの方法を講じられましたが,その一つは安息日と祝祭の制定でした。これらの祭りはすべて,民の霊的福祉のみならず他の多くの面における彼らの福祉に対する,エホバ神の愛のこもった関心を証しするものでした。
エルサレムで年ごとに行なわれた祭り
当時を振り返って見ると次のことが分かります。つまり特別顕著で重要だったのは,エホバの崇拝の中心地エルサレムで年ごとに行なわれた三つの大きな祝祭であったということです。これらの祭りには預言的な意味があったので,わたしたちにとって特に重要です。「年に三度,あなたに属するすべての男子は,あなたの神エホバの選ばれる場所においてそのみ前に出るべきです」。(申命 16:16,新)これらの祝祭には幾つかの基本的特色がありました。つまりそれらの祭りは非常な喜びの時となるべきものでした。「あなたはその祭りのあいだ喜び楽しむのです。……あなたはただ喜び楽しむのです」。(申命 16:14,15,新)犠牲も数多くささげられました。大切な要求は,だれもむなし手で出てはならないということでした。各々,エホバが与えてくださった物質の恵みに応じた贈り物を携えてきました。(申命 16:16,17)そしてこれらの祭りの一つではまた,七年ごとにモーセの律法の朗読がありました。―申命 31:10-13。
この三大祭を暦年にしたがって調べてみると,最初に行なわれたのは無酵母パンの祭りであったことが分かります。(申命 16:1-8)これは過ぎ越しの祭りの直後に行なわれ,七日間つづきました。無発酵の,つまり種の入ってないパンまたはパンのかたまりは,イスラエル人に,練り粉をこねばちの中で発酵させるひまもないほど急いでエジプトにおける奴隷状態から脱出したことを思い起こさせました。(出エジプト 12:33,34)この祭りの預言的重要性に注意を引き,使徒パウロは次のように書きました。「わたしたちの過ぎ越しであるキリストはすでに犠牲にされたのです。ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか」― コリント第一 5:7,8。
次に行なわれたのは週の祭り,すなわちペンテコステでした。(申命 16:9-12)これはニサン16日から七週間後,すなわち50日目に祝われ,収穫された小麦の初穂がささげられました。それは一日限りの祭りで,人類の初穂,すなわち人類の中から取られたキリストの霊的体である14万4,000人を表わしました。(ヤコブ 1:18。啓示 14:4)この霊的イスラエルとも呼ばれている会衆が,実際のペンテコステの日に発足したことは,極めて当を得たことでした。―使徒 2:1。ガラテア 6:15,16。啓示 7:4-8。
一年のうちで最後の祭りは,「仮小屋の祭り」でした。(申命 16:13-15,新)これは七月の15日から21日まで守られ,22日には厳粛な集会が行なわれました。この祭りはイスラエルが40年にわたる荒野の旅の間,仮小屋に住んだ事実を記念するものでした。この祭りはまた取り入れの祭りとも呼ばれました。すべての作物の最後の収穫を祝うものだったからです。その特色の一つは,やしの枝を振ることでした。このことからわたしたちは,使徒ヨハネが見た幻,つまり集められた「大群衆」がやしの枝を振りながら,「救いは,み座にすわっておられるわたしたちの神と,子羊とによります」と言っているところを思い出します。(啓示 7:9,10)今日,イエス・キリストはご自分の「ほかの羊」であるこの「大群衆」を集めておられます。それは最後に彼らを「小さな群れ」と結合させ,一人の「りっぱな羊飼い」の下のただ「一つの群れ」とするためです。―ルカ 12:32。ヨハネ 10:14,16。
現代行なわれるわたしたちの祭り
クリスチャンは今日,年ごとにこのような大きな祭りを行なうことを要求する律法の下にありません。それでも,エホバの現代の民は,特に1880年代から,確かに霊的な祭りを楽しんでいます。早くに行なわれた大会の代表的なものの一つは,ペンシルバニア州はフィラデルフィア市のセント・ジョージ・ホールで,1900年6月16日から18日まで行なわれたものです。「シオンのものみの塔」の1900年6月1日号に載せられた発表によると,ホテル宿泊料は一日一ドル,食費は一食15セントから,また食費が出せない人はだれでも無料で得られるということでした。7月1日号の報告によると,初日には,19州およびイギリスから200人余の兄弟が出席し,39人のおとながバプテスマを受け,公開講演には約400人が出席しました。
顕著な大会は,1919年,不当に投獄されていたものみの塔聖書冊子協会の役員が釈放されたすぐ後,オハイオ州のシーダーポイントで開かれた大会でした。その人々がこの大会に出席したために大きな喜びがありました。また「黄金時代」(現在の「目ざめよ!」誌)が紹介されたことも喜びの種でした。シーダーポイントでは1922年に再び大会が開かれました。「王と王国を宣伝し,宣伝し,宣伝せよ!」とJ.F.ラザフォード兄弟が呼びかけたとき,大会における熱意は頂点に達しました。この大会はまた,啓示 8章7節から11章15節,16章1-17節までに預言されている,ラッパを吹くことと鉢を注ぐこととに相当する,七年間年ごとに開かれた大会の最初のものでした。
1931年にオハイオ州,コロンバスで開かれた大会は,神の民にさらに大きな喜びを与えるものでした。なぜでしょうか。神の民はここで,自分たちの身分が単なる聖書研究者ではなく,エホバの証人として今後明らかにされねばならない理由を学んだからです。(イザヤ 43:10-12)それから
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