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  • 永遠の王の正義の律法は真理です
    ものみの塔 1970 | 9月15日
    • 篇142節(新)で,神に向かって言いました。「あなたの正義は,いつまでも正義であり,あなたの律法は真理です」。

      31 従順に対するエホバの祝福を考えれば,エホバに仕えることを願う人はすべて,何を行なうことに,特に熱心であるべきですか。

      31 それでは,エホバに仕えることを願う人はみな,エホバがあなたの立法者,審判者,また王,つまり,あなたの絶対的な至上者であられることを感謝してください。その法令すべてを支持してください。それはあなたの益を図るものだからです。そうした法令には,会衆の御国会館また大会で神の民とともに定期的に交わることが含まれています。また,神への奉仕に自分自身を十分に役だてることも含まれています。できるなら,個人的な事柄を調整して,聖書に基づく“開拓奉仕”つまり,『公に,また家から家に』伝道する,全時間奉仕に携わってください。また,自分の家を離れて,必要のより大きな場所で奉仕してください。(使行 20:20,新)不必要な重荷をみな退けて,奉仕にひたすら専念し,力をつくして他の人々を助けてください。それは,ヘブル書 12章1,2節に次のように述べられているとおりです。「このゆえに我らはかく多くの証人に雲のごとく囲まれたれば,すべての重荷とまとへる罪とを除け,忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場をはしり,信仰の導師またこれを全うする者なるイエスを仰ぎ見るべし。彼はその前に置かれたる歓喜のために,恥をも厭はずして〔刑柱〕をしのび,つひに神の御座の右に坐し給へり」。自己決定という無政府主義的な精神を避けてください。神は,反逆する世に対して,ご自分の律法を執行し,永遠に続く正義の新秩序を招来させられます。生き残って,ご自分の目でそれを見てください。―黙示 21:4,5。

  • 神の律法の下で繁栄する幸福な国民
    ものみの塔 1970 | 9月15日
    • 神の律法の下で繁栄する幸福な国民

      「エホバの司法上の決定は真実です。それは,ことごとく正義であることが,明らかになりました」― 詩 19:9,新。

      1 一国の法律の公正さと正義のほどを示すものがあります。それはなんですか。

      国民を長年にわたって一致団結させるには,公正で正しい強力な法律がなければなりません。したがって政府あるいは国民の繁栄と存続期間は,その国の法律の公正さと正義を,かなりの程度表わすと言えます。すぐれた憲法と権利の章典を持つアメリカは,繁栄する大国になりましたが,200年足らずで,すでに困難をかかえています。なぜなら,その憲法が多くの点で,不完全,かつ不公正,また不平等であるとして,攻撃されているためです。事実,世界中の政府は同様の悩みをかかえています。

      2 かつて,神から法典を授けられた唯一の国民は,どれですか。何がその律法の正しさを示していますか。

      2 世界の諸国家は,アラビアのシナイ山でイスラエル国民に与えられた,モーセの律法から幾つかの法令を借用して,人間が制定した法の上に建てられています。かつて,神からの完全な一式の律法を授けられたのは,イスラエル国民だけですが,その律法は,紀元前1513-1512年に,シナイの荒野で与えられました。イスラエルは,その律法から絶えず逸脱したため,さまざまな推移を経験しましたが,ユダヤ人の背教のため,エルサレムがついに征服されるまでには,905年が経過しました。それで,ネヘミヤ記 9章36,37節に,総督ネヘミヤは,こうしるしました。「あゝわれらは今日奴隷たり 汝が我らの先祖に与へてその中の産出物およびその中の佳物を食はせんとしたまひし地にて我らは奴隷となりをるこそはかなけれ この地は汝が我らの罪のゆえによりて我らの上に立たまひし王たちのために衆多の産物を出すなり かつまた彼らは我らの身をも我らの家畜をも意のまゝに左右することを得れば我らは大難のうちにあるなり」。こうしてイスラエルが,独自の政府の下で,組織された一国家として長年存続できたことは,その律法の強力さと正しさを示しています。

      3 イスラエルに与えられた律法を調べることは,わたしたちにとって,どのように益となりますか。

      3 ところが,聖書は,ユダヤ人が律法を破ったため,律法によって非とされたことを述べているので,とかく,その律法の真価に関して誤った見方を持ち,その律法には極端な拘束力があり,その下で生活するのは,苦しいことであったろう,と考えるかもしれません。しかし,実際に調べてみると,イスラエルの律法は,かつて制定されたどんな法典よりもはるかにすぐれたものであり,人民の最大の福祉のために運用されたことがわかります。同時に,その律法を考察すると,エホバご自身のものの見方や,エホバが創造物と交渉を持たれる際の諸原則がよくわかります。

      4 古代イスラエルの政府がどのように特異なものであったかを説明しなさい。

      4 イスラエルの政権は,エホバがその絶対最高の主権者であられたという点で,特異なものでした。エホバはその王であり,同時に,宗教上のかしら,すなわち神であられたのです。しかも,イスラエルの国は,普通,行政・立法・司法各機関を区分している,他の政府とは異なっていました。エホバご自身が律法を定め,同時に,司法上のかしらとして律法の解釈および適用を行なわれたのです。ですから,イザヤ書 33章22節(新)はこう述べています。「エホバはわたしたちの審判者,エホバはわたしたちの立法者,エホバはわたしたちの王であられる。彼は,みずからわたしたちを救ってくださる」。したがって偶像崇拝,もしくは他のどんな神を崇拝することも大逆罪でした。同様に,国の律法に公然と反抗することは,宗教上のかしらに公然と反抗することであり,背教もしくは冒涜行為に相当しました。ゆえに,神はイスラエルにこう言われました。「エホバをおきて別の神に犠牲をさゝぐる者をば殺すべし」。「汝もし汝の神エホバを忘れ果て他の神々に従がひこれに事へこれを拝むことをなさば我今日汝らに証をなす汝らはかならず滅亡ん」。(出エジプト 22:20。申命 8:19)律法に対する従順も,真の崇拝の一部だったのです。

      民権

      5,6 律法の下で民権問題が生じましたか。イスラエルはなぜ福祉国家ではありませんでしたか。

      5 さばき人また支配者たちが,神に従ったとき,律法の下では民権問題は一つも生じませんでした。国民はもとより,居留外人や,一時的にその国内に留まった外国人でさえ律法によって守られました。―出エジプト 22:21; 23:9。レビ 19:33,34。申命 24:17。

      6 律法の下では,貧しい人が貧しさのゆえに,また,富裕な人は,その富のゆえに,公正を拒まれる,ということはありませんでした。“金持ちから取って,貧乏人に与える”式の政治理念は,ひとかけらも見られませんでした。(レビ 19:15)律法の下では,福祉国家はありえませんでした。それでも,貧しい人々は十分の配慮を受け,しかもなお,自尊心を保てました,物を得るには,働かねばならなかったからです。この点を創世記 3章19節,および,テサロニケ後書 3章10節の次のことばと比較してください。「人もし働くことを欲せずば,食すべからず」。

      貧しい人々に対する配慮

      7 貧しい人々のためにどんな備えが設けられていましたか。それは,貧しい人と土地所有者の双方に,どのように益するものでしたか。

      7 イスラエルの経済はおもに農耕経済で,各人は相続地を所有していました。中には,経営の不手ぎわや経済的な不振などのために貧しくなり,所有地を売るはめに陥ったり,居留外人で,苦境に陥ったりした人もいたでしょう。そのような人に対する親切な取り決めがありました。農夫は収穫の際,畑のへりの作物を刈り入れてはならず,刈り入れ人が偶然に落とした作物の束はすべて,そのまま残しておかねばならなかったのです。(レビ 19:9。申命 24:19-21)それは,貧しい人が拾う落ち穂として残されました。(ルツ 2:3,7)もちろん,貧しい人も働かねばなりません。落穂拾いはやさしい仕事ではなかったからです。したがって,国の世話を受ける,怠堕な貧乏人はいませんでした。それに,このすぐれた取り決めは,畑の所有者を益するものでした。それは,当人の,神に対する従順と寛大さを求めるものだったからです。さらに,兄弟愛と一致をも促しました。―レビ 25:35-43。申命 15:11。ルツ 2:15,16。

      祝福となった,奴隷の身分

      8 経済的な苦境に陥った人に対しては,家族を養うためのどんな備えがありましたか。そうした人々は,どのように取り扱われましたか。

      8 当時,奴隷の身分がありました。今日,このことばは不快な響きをもっていますが,その規定を調べると,それはイスラエルにとって祝福であったことがわかります。経済事情に迫まられて,余儀なく自分の相続地を売ってしまい,しかも,それを当人のために買い戻しうる裕福な親族がいなくても,その人と家族は,飢え死にするままにはされませんでした。そのような人は,自分自身と家族を奴隷として売ることができたのです。(レビ 25:47)こうして奴隷となったイスラエル人は,いわゆる卑しい“カスト”の者のようにではなく,雇われた働き人として扱われねばなりませんでした。ですから,レビ記 25章53節には,こうしるされています。「彼のその人に仕ふる事は歳雇の傭人のごとくなるべし汝の目の前において彼を厳く使はしむべからず」。

      9 (イ)奴隷の身分に関する規定は貧しい人々に何を備えるものとなりましたか。(ロ)奴隷の身分から解放されることは可能でしたか。奴隷でいる間に何らかの有利な機会に恵まれましたか。

      9 奴隷になっても,貧しい人は自分の働きから自分とその家族に衣食住を備えることができましたが,同時に,それらの人は,生計をたてるために,恥じるところのない仕事に携わっていました。イスラエル人の奴隷は親族によって買い戻され,自由にされることもできたのです。(レビ 25:48,49)それができない場合,7年目には自動的に,しかも,貧困のままではなく,主人の余裕に応じて,穀物・油・ぶどう酒などを与えられて,解放されることになっていました。(出エジプト 21:2。申命 15:12-14)こうして,奴隷は,労働や事業などにより,自分で暮らしを立てられるようになるまで,さしあたり必要なものを与えられました。また,いろいろな機会にも恵まれました。自分のお金を投資できたので,中にはかなり裕福になる人もいました。(レビ 25:49)勤勉な働きと正直さが買われて,尊い地位についた奴隷も多数いました。中には,主人の務めをいっさい任せられた人もいます。―創世 15:2; 24:2; 39:5,6を比較しなさい。

      安息日

      10 安息日の律法は,勤勉な働きをどのように奨励するものとなりましたか。その日はどのように費やされることになっていましたか。

      10 安息日は,ほんとうに祝福でした。7日のうち1日が,人間と家畜にとって休日とされたのです。他の6日は,怠けずに働く時でした。出エジプト記 20章9節で,エホバ神はこう命じられました。「六日の間労きて汝の一切の業をなすべし」。6日の就労日は勤勉な働きを促進する点で有益であり,国の繁栄に貢献しました。今日,週5日労働は,道徳的退廃を助長するものであることが知られています。余暇が,とかく誤用されるためです。イスラエルでは,そうではありませんでした。労働から解放される1日は,霊の思いをつちかうための日として別にされ,「聖」日とされました。(出エジプト 20:8,10,11)ですから,その日を汚してはならず,神聖な事柄のために用いねばなりませんでした。それは,神の律法を討議したり,子どもたちにそれを教えたりして,彼らの王また創造者であられるかたに,いっそう親しく近づくために用いる日でした。この点で,神は適切にも,申命記 5章15節および6章6-8節(新)で,次のように言われました。「また,あなたは,エジプトの地で奴隷になったこと,あなたの神エホバが,次に,強い手と差し伸べられた腕とをもって,そこからあなたを導き出されたことを覚えておかねばならない。あなたの神エホバが,安息日を守ることをあなたに命ぜられたのは,そのためである」。「また,わたしが今日,あなたに命じている,これらのことばは,あなたの心にはいっていなければならない。あなたは,それを自分のむすこに教え込み,家で座する時も,道を歩く時も,寝る時も,起きる時も,それについて話さねばならない。また,あなたは,それをしるしとして,あなたの手に結ばねばならず,それは,あなたの目の間の額帯としての用をなさねばならない」。

      安息の年

      11 安息の年は,どんなすぐれた益を人々にもたらしましたか。

      11 第7年は安息の年で,耕作や収穫を行なわず,土地は休ませることになっていました。土壌の自然保護論者は,こうした習慣の価値を認めています。(レビ 25:1-4)その年に際し,土地の所有者は,必要であれば,自生する作物を食用に供せました。また,その地の貧しい人々も来て,それを食べることができました。この点では,野の獣に対してさえ思いやりのある配慮が示されています。野の獣さえ,それらにあずかれたからです。(レビ 25:5-7)イスラエル人の大半は農夫でしたから,安息の年には,住民はさほど仕事に追われませんでした。こうして得られる自由な時間もまた誤用されてはならず,霊的な交わりをさらに多く持って,神の律法に関し,家族の徳を高めるために費やされることになりました。7年ごとに,仮庵の祭りの間,祭司たちは国民に対し,神の律法の全部を朗読しました。このことについて,申命記 31章10-13節〔口語〕はこう述べています。「モーセ彼らに命じて言けるは七年の末年すなはち放釈の年の節期にいたり〔かりいおの祭〕においてイスラエルの人皆なんぢの神エホバの前に出んとしてエホバの選びたまふところに来らんその時に汝イスラエルの一切の人の前にこの律法を誦てこれに聞すべし 即ち男女子どもおよび汝の門のうちなる他国の人など一切の民を集め彼らをしてこれを聴かつ学ばしむべし さすれば彼ら汝らの神エホバを畏れてこの律法のことばを守り行はん また彼らの子どものこれを知ざる者もこれを聞て汝らの神エホバを畏るることを学ばん 汝らそのヨルダンをわたりゆきて獲ところの地に存ふる日の間つねにかくすべし」。

      ヨベルの年

      12 ヨベルの年を守るには,信仰が必要でした。どうしてですか。

      12 第50年はヨベルの年で,土地は再び休ませねばなりませんでした。(レビ 25:8,9,11,12)その年の間,土地から生ずる作物を食べることに関しては,同じ原則が適用されました。ヨベルの年を守るには信仰が必要でした。50年の各周期の第48年には,第51年,つまりヨベルの年の翌年まで保つほどの食物をエホバが備えてくださる,という確信をいだかねばなりませんでした。―レビ 25:20-22。

      13 (イ)ヨベルの年に起きたことを述べなさい。(ロ)ヨベルの年は,国民をどのように守るものとなりましたか。ヨベルの年を考慮して,地価はどのように算定されましたか。

      13 ヨベルの年はその年全体が祭りの時であり,自由と幸福の年,また,エホバの備えに対する感謝の年だったと言えます。売り渡された相続地および所有地はすべて,元の所有者に返されました。各人は自分の家族のもとに,また,祖先の所有地に帰りました。(レビ 25:13)ヘブル人の奴隷はすべて解放されました。(レビ 25:10)そのような取り決めのおかげで,いつまでも貧困にあえぐような家族はありえず,それぞれ誉れと自尊心を維持できました。財産を浪費した人でさえ,子孫のための遺産を永遠に失って,その土地で子孫の名を汚す,ということはありませんでした。また,ヨベルの年の規定のおかげで,どの土地といえども,いつまでも売られたままにしておくことはできませんでした。(レビ 25:23,24)地価は,次のヨベルの年までに得られる作物の価格に基づいて計算されたので,土地を買い取るのは,実際には借りることにほかなりませんでした。―レビ 25:14-16。

      14 国家的な見地からすれば,ヨベルの年はどんなすばらしい益をもたらしましたか。

      14 ヨベルの年の備えがどんなにすばらしいものであったかは,個々のイスラエル人にもたらされた益だけでなく,とくに,国民全体が受けた影響を考慮すると,さらによく理解できます。正しい見地からすれば,ヨベルの年は,約束の地で神が最初に確立した,十分に整った神権的な正しい状態への回復を意味したのです。こうして国民経済は安定性を保ちました。神は,イスラエルが従順であれば,「汝はおほくの国人に貸ことをうべし然ど借ことあらじ」と約束されました。(申命 15:6)ヨベルの年は,地価の安定した標準を生み出し,同時に表面上の繁栄とその結果としてのインフレ・デフレ・不況などを伴う,住民間の膨大な負債を回避するものであり,また,重税の必要をも阻止しました。

      15 ヨベルの年は,多くの国に見られる状態をどのように阻止しましたか。

      15 ヨベルの年の規定が守られた時,国民は,今日の多くの国に見られる,農奴もしくは小作農などの極端に貧しい人々と,極端に裕福な人々との二つの階層しか現実に存在しないような悲惨な状態に陥らずにすみました。個人個人が益を得たので,国力が増しました。不利な経済事情のために社会的また経済的に恵まれない状態や非生産的な境遇に追いやられる人はひとりもいなかったからです。今日の社会では,多数の有用な市民が,経済事情のゆえに,単調で無味乾燥な仕事について,生計を立てねばならないため,自分の才能を活用できません。しかしイスラエルでは,勤勉な市民は,各自の才能や能力を十分に生かして,国家の福祉に貢献できました。

      女性に対する保護

      16 イスラエルの女性は律法の保護を受けました。その幾つかの例をあげなさい。

      16 女性は,結婚に関する律法で保護されました。神はまだ,最初の一夫一婦制を回復させようとはしておられなかったので(創世 2:23,24),一夫多妻が行なわれていましたが,それを律する規定がありました。夫の愛情をあまり受けない妻から生まれた長子でも,長子の権利を奪われることはありませんでした。(申命 21:15-17)妻と離婚をするには,正当な理由がなければならず,そのうえ,夫は,離縁状を妻に与えねばなりません。(申命 24:1)それは,あとで姦淫,あるいは売春などの理由で告発される危険から女性を守るものとなりました。たとえ夫が別の妻を好んだにしても,妻としてめとられた,ヘブル人の女奴隷には,衣食住と結婚の分が保証されていました。(出エジプト 21:7-11)結婚する前に,処女を犯した男子は,その妻と離婚をすることは決して許されませんでした。(申命 22:28,29)捕虜の処女と結婚した兵士は,その女性を後日,奴隷として売ることはできませんでした。―申命 21:10-14。

      刑法

      17 律法の下では刑務所はありませんでした。このことの利点を幾つかあげなさい。

      17 当時の刑法は,今日の法令全書のそれよりはるかにすぐれていました。律法の下では刑務所はありませんでした。後日,王の統治する時代になって初めて,不当なことですが,イスラエルに監獄が設けられたのです。(エレミヤ 37:15,16; 38:6,28)どんな犯罪に対しても,懲役刑は科されませんでしたから,律法に従う勤勉な住民に費用を負担させて,犯罪者を収容したり,養ったりすることはありませんでした。だれかが人の物を盗んだ場合,犯人を投獄して,盗品に対する弁償を行なえないようにし,被害者が損失をこうむるままにされる,ということはありません。そうではなく,盗んだものの種類やその処分方法によって異なりますが,盗んだものの2倍,あるいはそれ以上の弁償が要求されたのです。(出エジプト 22:1,4,7)弁償できない人は,奴隷として売られました。つまり,盗みに対する過料を払い終えるまで,働かねばならなかったのです。(出エジプト 22:3)そうした律法は,盗難の被害者を助けるとともに,盗みを思いとどまらせる強力な手段となりました。

      18 律法は,命の神聖さをどのように強調するものとなりましたか。

      18 律法の下では,命は神聖なものとみなされました。故意の殺人者の罪は決して許されませんでした。ですから,民数紀略 35章30-33節には,のがれの町にのがれた人に関し,次のようにしるされています。「すべて人を殺せる者すなはち故殺人は証人の口にしたがひて殺さるべし されどたゞ一人の証人のことばにしたがひて人を殺すことをなすべからず 汝ら死にあたる故殺人の生命をあがなはしむべからず必ずこれを殺すべし またのがれの邑にのがれたる者のあがなひを容て祭司の死ざる前にこれを自己の地に帰り住しむるなかれ 汝らそのおるところの地を汚すべからず 血は地を汚すなり 地の上に流せる血はこれを流せる者の血をもてするにあらざれば あがなうことを得ざるなり」。こうして,よこしまな人はイスラエルの社会から取り除かれましたが,誤って人を殺した者には,あわれみが加えられました。(民数紀略 35:9-15,26-29を見てください)未解決の殺人事件さえ,あがないを行なわずに,そのままにされることはありませんでした。殺人現場のもよりの町が,流血の罪を負うものとみなされ,かつ,必要な儀式を行なって,流血の罪に関する連帯責任を神の御前で取り去ってもらうまでは,のろいの下にあると考えられたのです。―申命 21:1-9。

      19 律法は人身をどのように守りましたか。

      19 人身は不可侵のものとみなされ,女性は暴行から保護されました。(申命 22:25-27)誘かいは死刑に値する重罪でした。誘かいされた人を伴っていたり,あるいはその人を奴隷として売り渡したりした誘かい者は,必ず殺されねばなりませんでした。―出エジプト 21:16。申命 24:7。

      暴動や非行はなかった

      20 律法は,非行や暴動などをどのように排除するものとなりましたか。

      20 国民が律法に従ったとき,非行などの問題は一つもありませんでした。“すわり込み”,騒乱や暴動,また今日,よく引き起こされる,政府のなんらかの機能が支配される事態なども生じませんでした。出エジプト記 23章2節はこう述べています。「汝おほくの人にしたがひて悪をなすべからず 訴訟において答をなすにあたりて おほくの人にしたがひて道を曲べからず」。こうした戒めが与えられたのは,国民の基本的な単位を制すのが家族だったからです。親に対してはもとより,支配者に対して深い尊敬をいだくように教えられました。(出エジプト 20:12; 22:28)たとえば,父あるいは母をなぐったり,ののしったりする者はだれでも殺されねばなりません。(出エジプト 21:15,17。レビ 20:9)手におえないほど反抗的で,大食あるいは泥酔をしたりするむすこは,処刑されねばなりませんでした。(申命 21:18-21)家庭や家族に対する敬意は,国民の支配者,とくにその最高の支配者であられる,エホバ神に対する敬意をもたらしました。

      財産の所有権を尊重する

      21 紛失物に関する律法によれば,財産の所有権を尊重することのたいせつさが,どのように強調されていましたか。

      21 今日,紛失物に関して一般に見られるのは,“見つけたものは自分のもの”式の考え方です。しかしイスラエルでは,だれでも何かを見つけたなら,それを持ち主に返さねばなりませんでした。持ち主が遠いところに住んでいたり,だれがなくしたかわからなかったりした場合,持ち主が捜しに来るまで,品物は保管されることになっていました。(申命 22:1-3)つまり,見つけた人は正式に届け出て,捜している持ち主を助けたことがわかります。

      22 地所の所有権はどのように守られましたか。

      22 地所の所有権は大いに尊重されました。債権者は,債務者の家に踏み込んで,抵当とされているものを取って,貸した分を取り返すことはできませんでした。債権者は家の外で待ち,抵当とされる物品を家の人に持ってきてもらわねばならなかったのです。(申命 24:10,11)また,債権者は,当人の生活に直接必要とする物件,もしくは,当人に欠かすことのできない衣服を,抵当として処分することはできませんでした。この点について,申命記 24章6,12,13節には,こうしるされています。「人そのひきうすを質におくべからずこれその生命をつなぐ物を質におくなればなり その人もし困苦者ならばこれが質物をとめおきて睡眠につくべからず かならず日のいるころその質物をこれにかへすべし しかせばその人おのれの上衣をまとふて睡眠につくことを得て汝を祝せん これ汝の神エホバの前において汝の義となるべし」。

      動物に対する親切

      23 動物を益するどんな規定が設けられていましたか。

      23 動物に対しても,やさしい配慮が払われました。動物が困っているのを見つけた人は,それがたとえその人の敵のものであっても,助けてやらねばなりませんでした。(出エジプト 23:5。申命 22:4)荷を運ばせるための動物を,過度に働かせたり,虐待したりしてはならず,穀物をこく雄牛には,くつこをつけてはなりませんでした。くつこをつければ,穀物をこく際に雄牛はその労働の実にあずかれないからです。(申命 25:4)野性の動物は親切に取り扱われました。雌の親鳥とそのヒナ,あるいはその卵を同時に取って,その子孫を絶やしてはなりません。(申命 22:6,7)雄牛または羊を,その子といっしょに同じ日に殺すことは,許されませんでした。―レビ 22:28。

      軍法

      24 (イ)イスラエルの戦いは,どんな性格の戦いでしたか。しかし,兵役義務は他のいっさいの事柄に優先しましたか。(ロ)兵役義務からのどんな免除が設けられていましたか。それは,どんな原則に基づいていましたか。

      24 軍法はエホバの戦いのためのものであり,その命令により,また,その導きの下に施行されました。それにもかかわらず,国防は,家族にかかわる権利に取って代わるほど重視されることはありませんでした,婚約しただけで,まだ妻をめとっていない男子,および結婚後,1年を経ていない男子は,いずれも,結婚生活を1年間営むまで,兵役を免除されました。それは,相続者をもうけて,みずからそれを見届ける,男子の権利と,夫によって子どもを持つ妻の権利とに基づいていました。(申命 20:7; 24:5)家を建てて,まだ落成式をすませていない人や,新たに設けたぶどう園の実を,まだ収穫していない人は免除されました。(申命 20:5,6)そうした免除は,人間には自分の労働の結実を享受する権利がある,という原則に基づいていました。レビ人は,聖所での奉仕に携わっていたので免除されました。この規定は,明らかに,エホバの崇拝を軍事上の必要に優先させていたことがわかります。―民数 1:47-49; 2:33。

      25 軍隊の宗教的ならびに身体的な清さは,どのようにして確保されましたか。そのことは,敵の都市を攻略することに関して,どのように役だちましたか。

      25 戦いはエホバの戦いでしたから,兵士は戦いのために聖別されました。また,陣営内では清さが保たれねばなりません。(申命 23:9-14)同時に,世の軍隊の場合のように,兵士たちが性関係を持てるようにする,いわゆる女子の“非戦闘員同行者”はひとりもいませんでした。それは不道徳を犯すことだったのです。そのうえ,軍事行動の最中は,妻との性関係といえども慎まねばなりません。(サムエル前 21:5。サムエル後 11:6-11)こうして,軍隊の宗教上,また身体上の清さが確保されました。ですから,敵の捕虜の中の女性が犯されることはありませんでした。この規定が厳重に施行されたことには益がありました。なぜなら,敵は自分たちの女子の犯されるおそれがないことを知り,降伏するよう促されたからです。―申命 21:10-13。

      真実を擁護する熱意

      26 訴訟事件に関するどんな法規は,真実と公正を擁護する熱意を鼓舞しましたか。

      26 証人は,自分の知っていることを証言しなければなりませんでした。(レビ 5:1)偽証罪を犯してはなりません。それは,「エホバの前」で,うそを言うことだからです。ある人に対する訴えが,故意に偽ってなされたものであることが判明した場合,原告は,被告に科されようとしたのと同じ刑罰に処されました。したがって,申命記 19章16-19節にはこうしるされています。「もし偽妄の証人起りて某の人は悪事をなせりと言たつることあらば その相争ふ二人の者エホバの前に至り その時の祭司と士師の前に立べし 然る時 士師つまびらかにこれを査べ視るに その証人もし偽妄の証人にして その兄弟にむかひて虚妄の証をなしたる者なる時は 汝兄弟に彼が蒙らさんと謀れるところを彼に蒙らし かくして汝らのうちより悪事を除くべし」。情況証拠に基づいて人を処罰することは許されませんでした。真実を確証する,ふたりの目撃証人がいなければならなかったのです。(申命 17:6; 19:15)死罪に定められた被告を石打ちの刑に処する際,最初に手を下さねばならないのは,その被告の悪行に関して証言をした証人たちでした。そうした規定は正義を行なおうという熱意をイスラエル人に鼓舞しました。こうして,さばき人だけでなく,国民の各自も,その土地を神の御前で,流血の罪に関して潔白なものに保ちたいとの願いを表わすことが求められたのです。同時に,それは,性急な,あるいは軽卒な偽りの証言を思いとどまらせるものとなりました。申命記 17章7節の次の律法は,善をもたらしたのです。「かゝる者を殺すには証人まづその手をこれに加へ然る後に民みなその手を加ふべし 汝かく悪事を汝らのうちより除くべし」。

      結婚関係で禁じられた事柄

      27 結婚関係を律する規定を幾つかあげなさい。

      27 結婚を律する規定は,近親結婚をいっさい禁じました。たとえば,レビ記 18章6節はこう述べています。「汝らすべてその骨肉の親に近づきてこれと淫するなかれ我はエホバなり」。そうした関係は人間性に反するだけでなく,遺伝学上から見ても,賢明な関係ではありません。また,月経中の妻と故意に性関係を持つ,汚れた行為は,『婦人の血の源をあらはす』ことで,ふたりとも死の処罰に付されました。(レビ 20:18)レビ記 20章13,15節によれば,同性愛,獣姦その他の,けん悪すべき行為をする人は,やはり死刑に処されました。こうしるされています。「人もし婦人と寝るごとく男子と寝ることをせばこれその二人憎むべき事をおこなふなり 二人ともにかならず誅さるべし その血は自己に帰せん 男子もし獣畜と交合しなばかならず誅さるべし汝らまたその獣畜を殺すべし」。

      清さ

      28,29 (イ)衛生および食物に関する律法は,イスラエルを他と異なる別個の国民として保つのに,どのように役だちましたか。(ロ)健康上の実際の益の幾つかをあげなさい。

      28 衛生および食物に関する律法は二重の目的を果たすものでした。それは,イスラエルがエホバの御前で宗教的に清い民であるべきことを絶えず思い起こさせて,彼らを他と異なる別個の国民として,存続させるのに役だちました。同時に,そうした規定は,周囲の異教徒との社交的な交わりをその民に持たせないようにする助けとなりました。レビ記 11章から15章までを読むと,イスラエル民族は,良心的にも,また宗教的,身体的にも清くなければならなかったことがわかります。イスラエル人のある家族が,異教徒のある家族らの招きに応じて,食事に行ったとすれば,そこには,イスラエル人の一家を宗教的に汚れさす,さまざまな事柄があったでしょう。また,それとは知らずに血を食べて,罪を犯すおそれもあったことでしょう。さらに,なんらかの偶像崇拝に巻き込まれる危険もあり,そのうえ,自分の子どもたちが異教徒と結婚する事態に陥るおそれがあったことは言うまでもありません。申命記 7章3節で,イスラエルに対し,次のように述べられているのは,もっともなことです。「彼らと婚姻をなすべからず汝の女子を彼の男子に与ふべからず彼の女子を汝の男子にめとるべからず」。

      29 それに加えて,医学的な見地からすれば,道徳上の律法および血に関する禁令とともに,衛生および隔離に関する規定は,腸チフス・発疹チフス・腺ペスト・肝炎・淋病・梅毒その他,幾多の疾病から人々を守る,すばらしい助けとなりました。

      30 わたしたちは,律法が予表した事柄すべてを熱心に調べるべきです。なぜですか。

      30 律法はたいへんすぐれてはいましたが,模型的な,神の国民にのみ与えられたもので,それは,きたるべき良い事柄の影となりました。このことは,ヘブル書 10章1節に次のようにしるされています。「それ律法は来らんとする善き事の影にして真の形にあらねば,年毎にたえずさゝぐる同じ犠牲にて,神にきたる者をいつまでも全うすることを得ざるなり」。ゆえに,予表されていたもの,すなわち,ヤコブ書 1章25節で次のように指摘されている,イエス・キリストによってもたらされた自由の律法を,わたしたちは熱心に学ぶべきでしょう。「されど全き律法,すなはち自由の律法をねんごろに見て離れぬ者は,業を行ふ者にして,聞きて忘るる者にあらず,その行為によりて幸福ならん」。しかも,間近に迫った,キリストの輝かしい千年統治の期間,この地を治める正義の政府に,わたしたちはなんと大きな期待をいだくことができるのでしょう。その時,正義に基づく必要な知識が,死からよみがえってくる人々をも含めて,地の住民にわけ与えられるでしょう。それは,黙示録 20章12,13節に次のように述べられているとおりです。「我また死にたる者の大なるも小なるも御座の前に立てるを見たり。しかして数々の書ひらかれ,ほかにまた一つの書ありてひらかる,即ち生命の書なり。死人はこれらの書にしるされたるところの,その行為にしたがひて審かれたり。海はその中にある死人を出し,死も陰府〔ヘーデース〕もその中にある死人を出したれば,各自その行為にしたがひて審かれたり」。

      [566ページの図版]

      神の律法は,人が労働から解放される日を設けた。その日は,神の戒めを子どもに教えることなどの神聖な事柄のために用いることができた。

  • 『すべての国の人々を弟子とする』
    ものみの塔 1970 | 9月15日
    • 『すべての国の人々を弟子とする』

      エホバの証人の1970年度年鑑より

      アルゼンチン

      人口: 23,983,000人

      伝道者最高数: 16,583人

      比率: 1,446人に1人

      アルゼンチンでは,奉仕のすべての面で増加が見られ,伝道者新最高数を記録しました。最も顕著な事柄は,支部が受けとった150万冊の,「とこしえの命に導く真理」と題する本をすべて配布したことです。伝道者たちはこの本を十分の数量手に入れることができません。

      ひとりの特別開拓者は次のような経験を寄せました。「わたしは,『真理』の本を用いて一つの家庭聖書研究を始めました。3か月を経た今,研究生は会衆の集会のすべてに出席し,わたしといっしょに野外奉仕にも参加しています。わたしは,6か月間の家庭聖書研究について,また,研究生には何が求められているかを説明しました。その結果,もうひとりの,エホバの賛美者が生まれましたが,これこそ聖書研究の目的です」。

      ある伝道者は,「良い羊飼い」の声に人々がどのように応じるかについて,こう述べました。「昨年8月に,わたしはひとりの婦人とそのむすことともに家庭聖書研究を始めました。翌月,そのふたりは御国会館の集会に出席し,さらに,わたしの家で行なわれている研究にも出席しました。時には,経済的に困難な場合があったにもかかわらず,ふたりは定期的に集会に出席しています。そして4月,ふたりはわたしといっしょに奉仕に参加しはじめ,5月にも奉仕を続けたいと語っています」。

      巡回大会のプログラムで,6か月間の家庭聖書研究が強調されましたが,ひとりの巡回のしもべは,その結果について次のような経験を寄せました。「ある伝道者はひとりの婦人と聖書研究を3年間司会していました。その婦人は関心を示しており,真理を学びたいと考えているように見えましたが,いつも何かがその人を邪魔していました。集会に出席するよう勧められ,また,出席を助ける努力がなされたにもかかわらず,当人には集会に出席する努力が少しも見られませんでした。大会で実演を見たその姉妹は,学んだ事柄をこの婦人との聖書研究に実際に用いてみようと考えました。会衆に戻ると,さっそく,大会で学んだ事柄を婦人に話し,これからは,『真理』の本を用いて聖書研究を行なうこと,しかも,6か月間しか行なえないことを婦人に説明しました。同時に,地域のしもべが大会で,次のような質問をして,聴衆に語ったことも話したのです。『しばらく研究をした後にも,引き続き大いなるバビロンの教会に通い,御国会館の集会に出席しないなら,そのような人と研究を続ける理由がありますか。わたしたちはそのような人に,なぜ集会に出席しないのか,また,なぜエホバに従うべきかについて卒直に話し合うべきです』。このことを聞いて心を動かされたその婦人は,現在,ふたりの子どもを連れて,すべての集会に出席しており,また,『良いたより』の伝道に活発に参加しています」。

      聖書研究を勧めるちらしは,良い結果をもたらしています。ある伝道者がひとりの婦人に「真理」の本を紹介しました。婦人は,証言には好意を示しましたが,その本は求めませんでした。伝道者は婦人にちらしを手渡し,再び訪問したいと告げました。午前中の活動を終えたその伝道者が,同じ道を通って帰ろうとしたとき,前述の婦人に大声で呼び止められました。婦人は,ちらしに載せられた質問を読んで,興味を覚え,その本を読んでみたいと考えたのです。しかし,本が配布されただけでなく,研究が始められました。

      すべての伝道者は,各月,都合のよい時に休暇開拓奉仕に参加するよう励まされました。そして,喜ばしいことに,昨奉仕年度中,4,194名がこの奉仕に携わりました。

      家族の協力を得て休暇開拓奉仕を行なえた,ひとりの姉妹の経験があります。「わたしは夫と子どもたちと相談し,夫はお弁当を持って仕事に行くことを承知してくれましたから,わたしは昼食時でも自由に奉仕に出かけることができました。学校に通う4人の子どもたちは,家事をいくらか手伝い,食事の準備さえしてくれました。夫が仕事から帰ると,すぐ夕食をとれるようにしました。こうして家族全員

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