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  • 理知ある設計それとも偶然 ― そのどちらですか
    目ざめよ! 1978 | 7月8日
    • 理知ある設計それとも偶然 ― そのどちらですか

      わたしたちの周りの生き物には理知的な設計が見られるでしょうか。それともすべては単なる偶然の所産でしょうか。この問題には,考慮の対象となる二つの分野があります。

      偶然,つまり“盲目的な力”の働きによって生物が存在するようになったという説を唱道する人々は,生命は偶然による数知れない出来事が積み重なって存在するようになったと考えています。このことは,まさにうってつけの化学物質がほど良い量だけ各々自らを形作ってゆき,気温や湿度などの要素が丁度都合のよい条件の下でそうしていったことを意味します。しかも,そうした条件すべてが反応に必要とされる期間維持されていたことになります。さらに,地上での生命を始動させ,それを続けさせるには,こうした偶然の出来事が絶え間なく起こる,あるいは果てしなく繰り返される必要があります。

      生物が設計されたことを信ずる人々は,生命には理知ある目的が存在すると唱えます。各生命体は総合的な型の中における重要な構成単位であり,これらの生命体すべての間には相互依存の関係があります。様々な生物,それらの生物の示す本能,そして一方では捕食,他方では自らの種の存続を図る様々な動物の持つ機能や備えは,そうした生物自らのものではない理知の存在を表わし示しています。事実,こうした仕組みは,理知ある人間が考えたり,編み出したりできる事柄をはるかに凌駕しているのです。

      生物が偶然に存在するようになったと信ずる人々は,そのような偶然が実際に起こる確率は天文学的,いや天文学的な数字をしのぐものであることを認めています。しかし,十分な時間が与えられれば,あらゆる種類の結び付きが起こり得る,とそうした人々は言います。

      しかし,おびただしい数の偶然による変化が今日観察されていない理由を“偶然の”理論で説明することは困難です。科学者の研究は向上しつつありますが,その土台となっているのは自分自身の以前の実験や,他の科学者たちの行なった研究です。科学者はまた自然界の事物を支配する法則の知識に従って研究を進めてゆきます。例えば同じ条件が保たれていれば,きのう示されたある化学結合の反応が,今日は異なってしまうとは考えません。ですから科学者は化学の法則と呼ぶものに信仰を持っています。この信仰は偶然の理論や“盲目の力”の作用とは矛盾しています。

      植物であれ動物であれ,地上の生物には驚くべき複雑さが見られます。しかも生命を持続させる備えに目を向けてみると,その方法は実に多種多様であり,どれをとっても精巧で余すところなく効果を発揮することに,一層大きな驚きを覚えます。

      生命が理知ある設計によるか,それとも偶然に存在するようになったかという問題の証拠を,なぜだれもが考えなければならないでしょうか。さて人の生活様式や仲間の人々との関係は,生命の起源をどう見るかによって大きく左右されるのです。ですからこの問題については,膨大な数の証拠のうちごく一部だけでも,せめて徹底的に検討してから最終的な決定を下す方が賢明です。そうすれば真理に到達することができるようになり,その真理によってはじめて理性を納得させることができるのです。次の二つの記事ではその証拠の幾つかが提出されますが,読者はその証拠から理性的な結論を引き出すことができます。

  • 植物に見られる証拠を考える
    目ざめよ! 1978 | 7月8日
    • 植物に見られる証拠を考える

      植物は地球上で最大の“工場”であり,内輪に見積っても年間1,500億トンの炭水化物(糖)を生産しています。これは世界の鉄鋼およびセメントの生産量を200倍以上も上回る量です。植物は地球上のあらゆる動物と人間の食物の源 ― 実に豊富な備え ― を成しています。エネルギーを与える糖に加えて植物はビタミン,ミネラル,薬,また衣料,建築,製紙の原材料,染料,塗料その他,数え切れないほどの,人間に有用な物を供給します。

      無数の種類に富んだ植物が人類に先立って地球上に現われたのは,喜ぶべき事と言わねばなりません。植物はすべての動物と人間に不可欠だからです。聖書は動物に先立って植物が存在するようになったことを描写しており,創造者に関する聖書の描写からすれば,創造者は,植物をまず生じさせたことにはご自身の意図があったことを示しておられます。最初の男と女に次のように言われたからです。「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と,種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地のすべての獣,空のすべての鳥,地に這うすべてのもの,すなわち命あるものには,食物としてすべての青草を与える」― 創世 1:29,30,口。

      光合成の役割

      植物の中には,魚その他,海生動物の食物として基本的な植物プランクトンが含まれています。草から木に至るまで植物は陸上における「食物連鎖」の根底をなすものです。その理由は,自分で食物を作り出すことのできる動物はいないからです。食物を作り出すのは植物の働きです。人間にはまだ十分に理解できず,また行なうこともできない光合成という複雑な過程によって,植物は二酸化炭素,水および太陽光線のエネルギーを炭水化物と酸素に変えます。植物はまた吸収した太陽エネルギーによって土壌の無機物を活用し,脂肪,たんぱく質,でんぶん,ビタミンその他,動物の栄養素となるものを作ります。動物と人間は呼吸した酸素を“燃料”にして炭水化物を転化し,水と化学エネルギーを作り出します。それによって植物の他の生成物が動物や人間の体内に吸収されます。

      植物の繁殖

      植物がすべての動物の生存の根底としてその不可欠な役目を果たすには,植物あるいはその果実は食用に供されることが必要です。したがって,食糧資源として存続するためには,植物に繁殖の手段が備わっていなければなりません。植物は枯れて朽ち,そして再生され,こうして規則正しくまたいつまでも自己の種族を繁殖させていくことが必要になります。この営みの中に意図を読みとることができますか。もしそうであれば,それは単なる偶然ではあり得ません。

      植物が用いる繁殖の方法を考えてごらんなさい。植物はふつう豊富に種を作ります。これは肝要なことです。何トンもの種子が昆虫,鳥,他の生物,また人間の食物となって食べられてしまうからです。さて,ある植物の生み出す種がたった一粒あるいはわずかな数に過ぎなければ,それは食べられてしまい,植物のその種は消滅してしまうでしょう。また種子はさまざまな種類の土壌に落ち,そのあるものは発芽せずに終わります。不順な天候,菌類,その他の要素に妨げられて発芽しない種子も多いことでしょう。この理由で種子の産出は豊富でなければなりません。ゆえに,ある人々の言うように「自然にはむだが多い」というのは間違いであり,むしろ自然は多産なのです。そしてこの気前のよさには意図があるように思われます。植物は何百いや何千という種子を生み出すことが必要なのです。ある樹木は一エーカーあたり何百万粒という種子を産出します。確かにこれほど莫大な量の種子の産出が目的の無いものであるとは言えません。そして目的があるからには意図もあるはずです。

      産出される種子にはまた強い発芽力がなければなりません。ある種子は何か月も続く冬,干ばつ,あるいは長期間にわたる不利な状態にも生き残る必要があるからです。たいていの種子は発芽率が90パーセントにも及ぶ大きな発芽力を有しています。種子は全く乾燥し,その生命は一時的にうせているかもしれません。それでも不活性の状態において種子は,氷点をはるかに下回る低温あるいは水の沸点に達する高温(といっても水の中においてではない)にも耐えることができます。何年も経過した後でさえ,種子は水の中あるいは湿った土の中に置かれると生き返ります。2,000年の間,種子の状態で休眠していたインドのハスは芽を出して花を咲かせました。その切り枝と種は世界中の植物園に送られています。

      植物がその種の存続の必要性を悟っているとは決して言えません。すべての植物に繁殖力が備わっているという事は,― もしそれが偶然であるなら ― なんという途方もない偶然の一致でしょう。“盲目の”偶然の力が,地球上のすべての生物を益するこのように一様な指示を与え得るでしょうか。

      植物の繁殖つまり生殖を調べると,ほかにも種子の生長を可能にしている複雑な仕組みが見いだされます。そのひとつは,最初に種子の必要とする栄養分が種子自体に備わっているという事実です。どの種子にも炭水化物その他の物質が含まれており,発芽した種子は正常な生育を遂げて根や葉を生長させるまでの間,生きていけるようになっています。

      さらに繁殖には非常にさまざまな型があり,それぞれの植物の種は独自の環境に応じ,その種独特の性質に従って生存を続ける仕組みになっています。ある植物は分割あるいは切り裂いて二つかそれ以上の根の組織を作ることが可能であり,そのどちらもが健全な植物に生長します。別のものは植物の一部つまり切り枝を土にさすだけで繁殖します。切り枝の根元のほうからはひとりでに根が生えます。ある植物は葉を切った箇所から根を伸ばします。また,じゃがいものように塊茎によって繁殖するものもあり,球根から生長する植物もあります。

      種子の散布あるいは飛散には美と“科学的な”巧妙さが見られます。樹木や他の植物は静止しているのがふつうですが,それでも多少なりとも広い範囲に種を落とすには種をまき散らさねばなりません。それで様々な,しかし非常に効果的な方法が用いられています。カエデの木の種は羽根があり,風に乗って遠くまで運ばれます。同様にタンポポはパラシュートに似た独自の付属物によってその種子を実際に空中に浮かべます。ホウセンカは,はじける時の力によって種を散らします。イヌホオズキや,他のある植物の種は動物の毛皮に付き,別の生息地に運ばれます。漿果や果実のあるものは動物が食べますが,その種子は消化されずに残り,動物の排泄物にまじって散らされます。

      非常に巧妙なのはヤシがその種子を散らす方法です。ヤシは遠くの海岸あるいは他の島や大陸にさえ,海路によってその種を繁殖させます。ヤシの木は海水を必要としているので,海岸あるいはその近くにたまたま生えていると思う人がいるかもしれません。しかし実際はそうではないのです。ヤシの木は実際には淡水を必要とします。したがってその根は割合に短く,真水に届くだけの長さしかありません。淡水は海水よりも軽く,海岸地帯において海水の上に分布しているのです。それでも種を散らすには海岸地帯が最適と言えます。ヤシの実は水に浮かんで非常に遠くまで行けるからです。ヤシの木にこの特性が見られるのは,偶然にそうなっているのだと言えますか。この特異な状況の組み合わせが生み出された背後には,なんらかの知識が働いていたと考えるのが合理的ではありませんか。

      受精の方法

      また花の咲く植物の受精においても,どんな“盲目の力”が働いた結果,ある植物には雌雄の別があり,したがって雌花は雄花の花粉によって受精しなければならないようになったと言えますか。またどんな盲目の偶然によって花粉の媒介体が定められたと言えますか。特記すべきことに,この媒介体は時として植物自体よりも複雑なことがあるのです。

      ある植物の花粉は風に乗って運ばれますが,多くの植物は昆虫の助けを得なければなりません。それには植物は昆虫が好んで食べるものを備え,そのうえ昆虫をその食物にひきつける手段を持つことが必要になります。このために植物は昆虫の好むにおいを用います。また華やかな色彩が昆虫をひきつける場合もあるようです。そして雄花の場合,花粉を含む雄しべは食物の近くにあることが必要です。それによって昆虫は雄しべに体をこすりつけ,いくらかの花粉を体毛の中に拾い上げます。雌花の場合,雌しべは,昆虫のおとずれる時,花粉を受けるのに適当な位置になければなりません。関係する複雑さを考えてごらんなさい。花の構造,そのにおい,適切な花みつの産出量がちょうど良いものであることを要します。そしてこれさえも,昆虫の本能と習性の完全な協同作用がなければ,そして昆虫の選ぶ花の供給する,しかもその花でなければ供給できない一定の蜜が昆虫の必要と好みに一致していなければ,何の役にも立たないでしょう。

      このような受精は非常に多くの要素に依存しています。しかしそれにもかかわらず,これらの花がおう盛に繁殖している事は,受精方法の効力を証明するものです。しかもこの過程は,何千年ものあいだ何十億回となく一様に繰り返されてきました。偶然の一致がこれらすべての必要条件を生み出し,しかも何世紀という期間にわたって何の故障もなく同じ型を正確に繰り返してきたと,はたして言い得るでしょうか。

      “地球最大の工場”の規模

      植物はその生成する食物の点で,地球最大のエネルギー貯蔵庫をまかなっていると言えます。植物はそのエネルギーを太陽から得ています。太陽は,地球上で用いられる,ほとんどすべてのエネルギーの源なのです。しかし植物によるこのエネルギー貯蔵がさらに広く,どの程度にまで及んでいるかを考えてごらんなさい。ユージン・I・ラビノウイッチ著「光合成と関連生成物」(第1巻,インターサイエンス・パブリシャーズ・インコーポレーティッド)に次のことが出ています。

      「緑の植物による二酸化炭素の環元は,単独では地球上最大の化学作用である。年間1011トンという量がどれほどのものかを理解するため,これを世界の化学工業,金属工業,鉱業の総生産高と比べることができよう。それは年間109トン程度のものである。この産出量の90パーセントは石炭と石油つまり過去における光合成の産物である。同様に感銘を与えるのは,毎年,植物によって蓄えられるエネルギーと,他の源から得られるエネルギーとの比較である。光合成によって変換されるエネルギーは,同じ期間に地球上で採掘された石炭すべてを燃やして得る熱の約100倍,また世界中で利用された,落下する水のエネルギーの1万倍も大きい」。

      植物の有益な働きを調べるとき考えさせられる重大な事柄

      要約すれば次のように言えます。物事の生じた結果が今のようになっているのは非常に幸いなことです。偶然の一致それとも高い理知による創造のいずれがそれを生じさせたかは,探求心のある人の論理的な思考によって結論を出せます。動物より前に植物が出現したという事実は確かに肝要なものです。それは意図された事あるいは偶然ですか。植物なしに動物は存在し得なかったはずであるから,植物が動物より先なのは当然だという論議もあるでしょう。しかしよく調べると植物は決して簡単なものではなく,実に複雑です。それは“原始的な”分子などと言うものではありません。そのうえ,植物は動物と全く違うものであり,何かの植物が何かの方法で最下等の動物に進化し得るという事は全く考えられません。

      機械的な偶然にゆだねるとすれば,地球上に生命の存続することは保証されないでしょう。植物が大気中から炭酸ガスを吸収する能力はそのことを示しています。環境に生ずる可能性がある激烈な変化を予測したり,あるいはそれに対して備えることを偶然や“機械的な力”に頼ることは決してできません。しかし地球上に生命の存続することを望まれる創造者には,それができます。そして前もってのこの準備は,植物を出現させた最初の時に明らかになされたものです。どうしてそう言えますか。以下に述べる例に注目してください。

      「産業革命」が世界に始まって以来,化石燃料の燃焼によって生ずる二酸化炭素の生成は地球上の生命をおびやかし,ひょっとすると生物の生存を不可能にさえするのではないかという事がかなり恐れられてきました。しかし最近の研究はそのような恐れがまずないことを示しています。1975年4月19日号のサイエンス・ニューズは,ノースウエスタン大学の地質学者フレッド・T・マッケンジーの発見を次のように報じています。

      「化石燃料の燃やされる時に二酸化炭素が発生する。世界中でどれだけの燃料が燃やされるかを知ることにより,二酸化炭素の発生予想量またどれだけの量が大気中に残留するはずかを計算できる。しかしこのような計算には,興味深いひとつの問題がある。CO2濃度の実際値と予想値との比較から,その大部分は“消失”していることが分かった。

      「……消失したCO2は植物に取り込まれつつある。化石燃料の使用増加に伴ってCO2の発生が増えた1800年代の後期以来,植物の生物量は10パーセント増えているかもしれないと,彼は語っている。

      「摂取可能な栄養物と共にCO2が植物に取り込まれている事は,大気中のバランスがくずれるのを防ぐ地球的な再生のメカニズムを表わすものかもしれないと,マッケンジーは語っている」。

      これにつけ加えて言えば,海洋も二酸化炭素の巨大な貯蔵庫です。海洋は必要に応じて二酸化炭素を吸収したり,放出したりしています。それで光合成の過程に順応性があることによっても,動物は生存を続けられるのです。

      生ずるであろう事態に対処する,こうした“安全のためのゆとり”は,地球と地球上の生命が始まった時,創造者によって設けられたのではありませんか。創造者などいないと独断的に断言できる人がいるでしょうか。

      そのうえ,太陽エネルギーを利用する仕組みが備えられていることは全く論理的であり,また確かに不可欠です。植物はわたしたちのためにこの有益な働きをしています。1億5,000万キロかなたの太陽が,まさに適当な熱と光,しかもそのちょうど良い量を供給しているのは何という協同作用でしょう! また植物の養分が動物や人間の食物と競合しないのも良いことです。むしろ植物は食物を供給します。そして植物は人間に依存していません。栽培植物の場合でさえ,人間の役割はごくわずかです。人間の助けはほんの小さなものです ― 生育そのものは人手によらず,また人間には完全に理解することもできません。機械的な偶然あるいは力がこのように複雑きわまりない,そして能率的な仕組みを定め,生じさせ得ると果たして考えられますか。

      [8ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      光合成を簡単に示した絵

      太陽

      水の分子を分解

      酸素を大気中へ

      水素およびエネルギーに富む化合物

      大気中から二酸化炭素

      水素と炭素がブドウ糖を作る

      食物の基本的な分子である,エネルギーに富むブドウ糖

      [6ページの図版]

      植物は様々な方法で種子を散らす ― 風で運ばれるタンポポの“パラシュート”

      [9ページの図版]

      どんな“盲目の力”が働いた結果,ある植物は受精に昆虫の助けを必要とするようになり,必要な花粉を運ぶ昆虫が次いで与えられたと言えるだろうか

  • 動物の世界に見られる証拠を考える
    目ざめよ! 1978 | 7月8日
    • 動物の世界に見られる証拠を考える

      動物の世界が直面する問題は,植物の世界が直面する問題とかなり異なっています。植物の大部分は動くことがありません。育つ場所が固定しているので,植物は変化や周囲の有害なものに耐えるための適応性がぜひとも必要になります。さらに無生の物質から食物も作らねばなりません。

      動物には普通大きな行動の自由があります。動物は食物を作ることができないので,集めるか探すかしなければなりません。ですから食物を探すために,また繁殖して自分たちの種を存続させるために様々な方法を用いる必要があります。それらの方法は動物の種類によって異なりますが,いずれもうまくいっています。

      動物の体の構造と彼らが用いる方法とは,人間が狩猟や保護を目的として考案した発明品や装置によく似ています。事実,人間は飛行機,光学機械,船,また他の「進んだ」装具の設計を,動物のつくりや生態の研究によって改善することができます。動物にそのようなつくりや生態を考え出す知性があるとはみなされていません。確かに彼らはそれらを発達させるために自分の体を形づくったり変化させたりすることはできません。ではその知性はどこから来たのでしょうか。

      子孫を生むことと絶滅の危険との関係

      卵生aの動物の間では,個々の親が生む卵の数は,卵またはふ化したばかりの子孫が危険にさらされる度合に左右されることを示す証拠があります。例えば,普通のカキは一度に約5,000万個の卵を産みます。ところがこれらの卵は,海の動物のほとんどにとってとてもおいしい食べ物なのです。しかも彼らにはそれをたくさん食べる機会があります。なぜならそれらの卵は数日間浮遊してから一つの場所に永久的に付着し,そこで成貝になるからです。何百万もの卵が食べられてしまっても,カキの個体群の存続に十分の数の卵が残るのです。しかし自分の卵がどうなっていくかを知る能力がカキにないことは明らかです。同様に,自分の卵を保護する手段を持たない他の多くの海の動物も,カキほど多産でないにしても,おびただしい数の卵を産みます。

      一方,イヌワシは一度に一個から四個,ハクトウワシは一個から三個の卵を産みます。これらの鳥は近づきにくい高い所に巣を作り,飛ぶ力と強いつめで自分の巣を守ることができます。したがってたくさんの卵を産む必要はありません。

      種々の動物の産卵量の違いが全体に及ぼす影響について,ブリタニカ百科事典bは次のように述べています。

      「ほとんどの動物の個体群は,平均して,著しく増えてもいなければ減少してもいない。それら個体群における……出生率もしくは繁殖率は,卵,幼生,成体全体の死亡率に等しい」。

      進化論者の中には,出生率と死亡率とが等しいこと,またはバランスが取れていることは,個体数の過剰を防ぐための進化上のメカニズムであると考えている人たちがいます。また自然選択という観点から論ずる人々もいます。しかし,気候,生殖,食物その他すべての関係要素を考えるなら,理知のない力がこの極めて複雑な状態をいわばよく査定しその管理に非常な成功を収めたと,なんらかの論理的根拠に基づいて,本当に信じることができるでしょうか。

      生態学上のバランスを保つ点が非常に複雑な一つの例はカメの場合です。カメは一年に卵を100個ほど産みます。雌は暗い浜辺に上がって砂に穴を掘り,そこに卵を産んで砂で覆い,そのままほうっておきます。ふ化する時が来ると,子ガメは殻を割って外に出たい衝動を感じます。その脱出のための備えとして子ガメの頭には特別の固いとがりがあります。これで殻を突き破るのです。次に子ガメは砂をかき分けて外に出,少しもためらうことなく,海に向かって大急ぎでパタパタと駆けていきます。海に出る途中には捕食動物,とくに鳥につかまる危険があります。子ガメはそのことを知りませんが,ともかくあらゆる障害物を必死で乗り越え,つまみ上げられて回れ右をさせられてもすぐに元の通りに向きを変え,自然の保護である海を目指して進みます。しかし海にも危険が待っていて,多くの子ガメは魚に食べられてしまいます。ですからカメは鳥や魚に食物を供給しているわけですが,それでもカメの個体群の存続を確実にするのに十分の数が生き残るのです。

      すべてのカメが方角を間違えることなくしゃにむに海に向かって進むということが,全くの偶然であり得るでしょうか。また,殻を割って砂のふ化場から出なければならないということを,カメはどうして知っているのでしょうか。殻を割る特別の備えを身につけているのは単なる偶然でしょうか。母ガメが暗い浜辺に来て,捕食動物に取られないように卵を砂の中に埋めるときから子ガメが海に出るまでの様々な工夫は,どれもみな欠くことのできない重要なものです。もしその鎖の一環でも欠けたなら,ごく短い期間内にカメの種類は絶滅してしまうでしょう。

      保護手段

      中央アメリカにいるコウライウグイスは,最も頭のよい人間でもそのよさを試されるような方法でヒナを保護します。木の高いところに巣を作っても,山ネコや大トカゲ,アライグマのような動物はみな,わけなくその巣を襲うことができます。ところがこの鳥はある盟友の助けを相手の承諾もなしに借りて,敵を撃退するのです。彼らは大木の一本の枝にたいてい50ほどの巣数の集落を作りますが,それも熱帯のスズメバチの大きな巣のある枝を選びます。スズメバチは,それらの巣や鳥たちの活動には別に気を悪くしないようですが,巣に近づこうとする侵入者には災いが臨みます。

      西アフリカにいるガの幼虫には寄生虫の強敵がいます。それらの寄生虫は幼虫の入っているまゆの横に穴をあけ,幼虫の体の中に卵を産み付けます。幼虫が十分に成長すると,その寄生虫の幼虫はそれを食べてしまうのです。それからまゆに穴をあけて外に出ますが,そのときに自分であわのような小さなまゆを作ります。そこでガの幼虫は,まゆを作るときに,最初からあわのようなものを作ってまゆの外側にくっつけておきます。これはまゆがすでに侵略されているように見せかけるためです。この試みは敵の意図をくじくことに度々成功するにちがいありません。本能が偶然にそのように働き,幼虫の体にそういう巧みなカモフラージを施す能力が備わることがどうしてあり得るでしょうか。

      狩猟用具

      カリブ海に生息するアナブレプス・ドウェイという小魚は,水面に浮いているごちそうを食べるのを好みます。ですから水面上の食物と,水面下の敵とを見張ることができなければなりません。これは単焦点の目には不可能です。ところがアナブレプスは“複焦点”の目を持っているのです。瞳孔が二つあって,短焦点のレンズで水の上を見,長焦点のレンズで水中を見ます。そのようにするので,光の速度は空気中と水中では異なるという事実にも一向に不都合を感じません。上側の瞳孔をいつも湿らせておくためにアナブレプスは数分ごとに水中にもぐります。

      光を屈折させる水の特性を克服するための驚くべき能力を備えた別の魚はテッポウウオです。水中にある物体が,水の上からそれを見る者には実際よりも近くに見えることや,さおを斜めに水中に入れるとゆがんで見えることなどは,たいていの人が知っています。もし水中の小さな物体を矢または銃でねらうとすれば,その物体に命中させるためには,相当複雑な計算が必要です。テッポウウオはこれを逆にした問題を持っています。テッポウウオはたれ下がった枝にとまっているこん虫を見ます。そしてす早く頭かまたは口だけを水から突き出し,一すじの水で“高射砲”よろしくそのこん虫を撃ち落とします。それをするためには,水面に浮き上がりながら,水による光の屈折を計算に入れてねらいを定めなければなりません。数学上の計算を瞬間的に行なうこの能力は,そのように設計されてテッポウウオに備えつけられたのでしょうか,それとも多くの要素から成る一つの複雑な型が大昔のあるテッポウウオの体の仕組みの中に入り込み,以後それがすべての子孫に伝わったのでしょうか。

      鳥の航空力学

      鳥の飛行に関する航空力学上の研究は盛んに行なわれてきました。各種の鳥は生態学上の配列の中における自分の役割に相応した備えを持っています。北極のアジサシは「渡り」をするとなると1万6,000キロもの距離を飛びます。そのような渡り鳥には高速力で飛ぶ能力が備わっています。ある鳥の翼は前進するときにプロペラのような働きをします。高空を何時間も気流に乗って飛んだり滑空したりする鳥もいます。鳥が翼を下に動かすとき,翼の中の羽は平らに広げられるかまたはぴったり重なります。空気を最大限に強く“押す”ためです。翼を上に動かすときには羽はよじれ広がってすきまができ,翼が持ち上がりやすい状態になります。翼の前縁にある一群の羽は,揚力を失わせる乱流に対処します。人間はこの仕組みをまねて飛行機の翼を作りました。

      ハチドリの翼は幾つかの点で他の鳥の翼に似ているのですが,この鳥は「ヘリコプター」の原理で,空中の一点に,飛びながら静止します。しかしその翼はヘリコプターの翼のように回転するのではなく,かいのように前後に動き,一秒間に60ないし70回はばたきます。両翼は肩の関節のところで回り,翼を前に動かすときには前縁が前方に面し,後ろに動かすときには前縁が後方に面するように180度近く回ります。実際,両翼は水平に8の字を描きます。動かすたびに揚力が生まれますが,推進力は生じません。このようにしてハチドリは,花の蜜を吸うあいだ一点に静止することができるのです。

      熱さを調節する驚くべき能力

      オーストラリアにいるツカツクリは,人間なら現代式の複雑な装置を使わないと実際には不可能だと考えるようなことをやってのけます。つまり自分のふ化器を作るのです。

      ツカツクリの雄は,気温が零下8度と摂氏46度の間を上下するその生息地である半砂漠の中で,冬の間に,木の葉を水分のあるうちに地中に埋めます。そうすれば葉は乾燥せずに腐るからです。五月に入って冬が近くなると雄のツカツクリは,直径4.6メートル,深さ1ないし1.2メートルの穴を掘り,周囲36メートルくらいのところから,落ち葉をその穴にかき集めます。そして8月の寒いときに,その上に土を厚さ60センチほどに盛って落ち葉の層を覆います。それから雌が塚の上の穴の中に卵を生みます。c

      このことを研究しているH・J・フリスは,1959年8月号の「科学アメリカ」誌,54-58頁で次のように報告しています。

      「春になると[ツカツクリの雄]は,卵に及ぶ,発酵作用による熱の量を減らさねばならない。雄は毎日夜明前に塚にやって来て,卵の入っている箇所の近くまで猛スピードで土を掘る。適量の熱を逃がすとその穴に冷えた砂を満たす。

      「やがて夏になって日差しが非常に強くなり,強い熱が塚の表面から卵のある部屋まで伝わっていく。この時期までには発酵作用は衰えているものの,有機物からもまだ熱が上がってくるので,卵は過熱しがちである。鳥は温度を下げるためになんとかしなければならない。発酵速度を遅くさせる手段は全くない。ところが鳥は太陽熱の伝導率のほうを下げるようにする。つまり塚に毎日土を加えていくのである。塚が高くなるにつれ,卵はしばらくの間より完全に太陽の熱から遠ざけられる。しばらくすると鳥は塚を高くする限界に達するようである。それでまた熱波が卵のほうに下りはじめる。雄はこんどは隔週くらいに朝早く塚にやって来て,土を全部取り除き,朝の冷たい空気の中にそれをかき散らす。土が冷えるとまたかき集めて塚に戻す。これは骨のおれる作業ではあるが,ふ化器の中の熱波を除くのに効果的である。卵の部屋の温度は常に33度で変わらない。

      「秋が来るとツカツクリは,塚内の温度の低下という逆の問題に直面する。発酵作用による熱もなくなり,太陽熱の日々の入射量も減少していく。そこで鳥は,この挑戦にこたえるためにその活動を変更する。それまでは朝早く,たいてい夜明け前に,砂をかき散らして冷やしていたが,こんどは,太陽が塚の上に照っている午前10時ごろに来て,土をほとんど全部掘り起こして広げる。そのために塚は大きな皿のような形になり,土の表面から卵までは数センチを残すのみとなる。日中の太陽にさらされるこの薄い土の層はある程度熱を吸収するが,一晩中その温度を保つには不十分である。その皿は熱くなった砂でまた満たされねばならない。鳥は一日の一番暑い時刻を,塚から取り除いた砂をかき回してよく陽に当てる仕事に過ごす。土の各層を温めて塚に戻すのである。時間をはかって仕事をするので,太陽が西に傾きはじめる午後4時までには,温められた砂はふ化器に戻されている」。

      この研究者は,240ボルトの発電機によって操作される加熱用電板を塚の中に入れ,スイッチを入れたり切ったりして実験しました。そのために雄鳥は忙しい思いをしましたが,それでもなんとか33度に近い温度を保たせました。

      卵をかえすには摂氏33度という温度が絶対に必要であることを,どんな偶然の力がこの鳥に知らせたのでしょうか。またその点で,この鳥はどうして子孫を生み出すことを一途に望むのでしょうか。ツカツクリの場合はさらに不思議なことに,ヒナがかえり,土をかき分けて塚から出て来るときに,親鳥はそれをヒナ自身の力でやらせ,全く手を貸しません。しかし雄鳥は,ツカツクリの存続が生態学上重要であるかのように,事実重要であるにちがいありませんが,卵をかえすためにしゃく熱の太陽の下で最も骨のおれる仕事を幾つかしてきたのです。

      設計されたものであることを裏付ける行動

      偉大な知力による設計の結果であることが容易に理解できる動物の特色ある行動は,ほかにも無数にあります。それらを偶然の所産とする説の正当化には,多くの仮定が必要になります。例えばビーバーは,“壁塗り”にうってつけの尾,多くの木を切り倒せる歯,そして最初にダム,それから食物を蓄えた安全で住みごこちのよい巣を作る動機などを,どのようにして持つに至ったのでしょうか。ビーバーの作るダムが,そのあたりにいる他の動物にとって助けになるもの,必要なものであるのはなぜでしょうか。ビーバーが意識して他の動物のために働くとはとても考えられません。

      アジア産のミユビトビネズミは,自分が永住する穴に正面入口を一つと非常口を数箇所設け,昼間は正面入口を砂でふさいでおきますが,どうしてそうするようになったのでしょうか。ニュージーランドのタカヘ鳥は,数個の巣を作り,巣から巣に移動できるように,それぞれの巣に出入口を二箇所設けることを,どのようにして知ったのでしょうか。追跡者から逃れようとしている人間でさえ,前もってそのような計画を立てることなど思いつかないかもしれません。また次のことも注目に値します。つまり動物はそういう基本的な型を親から学ぶのではないということです。もっとも動物によっては,用心することやえさを探すこと,身を守る動作などは,親が子どもに教えます。知識を発達させるために動物が人間のするように,先祖の持っていた知識や先祖の行なった発見を土台にしてその上に積み重ねるということをしてきた証拠は確かにありません。それでも各動物は自分の種が生き残るのに必要な行動の型を有しています。

      設計されたものであることは種類の相違に明白に見られる

      不注意な読者の中には,チャールズ・ダーウィンが絶対的な意味で進化を信じていたのでないことに気づかない人がいるかもしれません。彼は自署「種の起原」の結論の中で,「種々の機能を備えた生命,当初は創造者によって一つあるいは幾つかの形態の中に吹き込まれた生命に関するこの見方には高遠なものがある」と述べています。

      しかし,交配し得ない「種類」から多くの変種が現われたものの,現在地上に見られる広く異なる「種類」の動物の非常に多くの変種が,最初に創造された一つの,またははんの二,三の生命形態から出現したことを証明するものは何もありません。H・W・チャトフィールドは,自著「神を探す一人の科学者」の中にこう書いています。

      「ありのままの制御されない交配本能は動物にとって災厄となるであろうが,もしある指導力の賢明な介入がないなら,動物界はどのようにしてその高潔で責任ある道を進むだろうか。その指導力はわれわれには分からないなんらかの方法で,創造物の秩序を維持する安全制限を介在させてきた。この力は,雌雄両性の存在する動物界に,生命の存続に必要な両性間の魅惑力というものを与えたが,それが間違った方向に向けられるのを防ぐために,賢明にもこの魅惑力に限界をもうけている。

      「知られている動物の種類が80万余にのぼるのは,大昔に交配が行なわれた結果である,という論もあるかもしれないが,それが正しいにせよ正しくないにせよ,現在われわれがこれら明確な区別を持つ種の特性を描写できる事実は変わらない。仮に何百万年もの間無差別の交配が行なわれたとしても ― 動物学者や進化論者はこの点をうまくごまかすのが常であるが ― 個々の種をすべて見分けられるのは実に幸いなことである。長い年月を経た現在,動物をはっきりした型の容易にそれと見分け得る種に分類できるということは,驚きに値する」― 138,139頁。

      地上の生命について聖書は,生命は偉大な設計者の作品であって偶然の所産ではない,という答えを与えます。「エホバ,わたしたちの神よ,あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしいかたです。あなたはすべてのものを創造し,あなたのご意志によってすべてのものは存在し,創造されたからです」と記されています。―啓示 4:11。

      また異なる種類の生殖については,それらを支配する一つの法則があります。そしてわたしたちはどんな法則も偶然に生まれるのではなく立法者がつくるものであることを知っています。その法則とは,あらゆる種類の植物と動物は「その類に従って」子孫を生み出さねばならない,という法則です。いろいろな事実は地上の生命が偶然に生じたことを指し示しているとあなたは考えますか,それとも設計されたものであることを指し示すと考えますか。―創世 1:11,12,21,24,25,新。

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