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すべてのものを作られたかたものみの塔 1970 | 9月15日
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すべてのものを作られたかた
親が子どもとともに読む特別な記事
わたしはすばらしいことを知っています。それを聞きたいと思いますか。あなたの手を見てごらんなさい。指をまげてごらんなさい。こんどは,なにかをつまんでごらんなさい。だれが手を作ったかを知っていますか。それは神です。
わたしの顔を見てごらんなさい。なにが見えますか。口とはなと二つの目が見えます。どうして見ることができますか。あなたの二つの目で見ることができますね。では,目を作ったのは,だれですか。それは神です。なんとすばらしいことではありませんか。
目でたくさんのものを見ることができますね。花や鳥,緑の草や青い空を見ることができるのです。
でも,それらのものを作ったのは,だれですか。人間が作りましたか。いいえ,人間は家を作ることはできても,成長する草を作ることは,けっしてできません。鳥や花その他の生物も作れません。このことを,あなたは知っていましたか。
これらのものすべてを作られたのは神です。神は天と地,そして,人々をもお作りになりました。神は最初の男と女を創造されたのです。偉大な師であられるイエスは,そのことを教えました。―マタイ 19:4-6。
神が男と女をお作りになったことを,イエスはどのようにして知りましたか。イエスは,神がそれらをお作りになっているのを見たのでしょうか。そうです,神が男と女をお作りになった時,イエスは,神とともにおられたのです。
イエスは,神によって最初に作られたかたです。イエスは神の最初のむすこです。イエスは天使でしたから,お父さんといっしょに天に住んでいました。
聖書によると,神は,『人間を造ろう』と言われました。(創世 1:26,新)神がだれと話しておられたかわかりますか。神はご自分のむすこと話しておられました。後に地上に来て,イエスとよばれたかたと話しておられたのです。
なんとおどろくべきことではありませんか。考えてごらんなさい。わたしたちがイエスのことばに耳をかたむけるなら。神が地球その他,すべてのものをお作りになったときに,神とともにはたらいたかたに教えていただくことになるのです。イエスは天で,お父さんといっしょにはたらいて,たくさんのことを学びました。ですから,イエスが偉大な師であるのも,ふしぎではありません。
神は,むすこをお作りになる前,おひとりだった時,さびしかったと思いますか。いいえ,そのようなことはありませんでした。でも,さびしくはなかったのに,神はどうしてほかの者をお作りになったのですか。神は愛の神だからです。神は,ほかのものが楽しくくらすことを望まれたのです。わたしたちを生かしてくださっている神に,わたしたちは感しゃしなくてはなりません。
神がおこなわれたことはすべて,神の愛を表わしています。神は太陽をお作りになりました。太陽は人間に光をあたえ,わたしたちをあたたかくしてくれます。もし太陽がなかったなら,すべてのものはつめたくて,地球には,いのちを持つものはひとつもなかったでしょう。
また,神は雨をふらせてくださいます。雨がふると,外で遊べないので,あなたは雨がすきではないかもしれません。でも,花が大きくなるのは雨のおかげなのです。
ですから,きれいな花を見たら,だれに感謝したらよいでしょう。神に感謝しなければなりませんね。おいしいくだものや野菜をいただくときには,だれに感謝したらよいでしょうか。それが育つのは,神がお作りになった太陽や雨のおかげですから,神に感謝しなければなりません。これらすべてのすばらしいことを,わたしたちのためにしてくださる神は,なんと良いかたなのでしょう。
あなたは,神がどこにいらっしゃるかを知っていますか。聖書によれば,神は天に住んでおられます。
神を見ることができますか。聖書は,『だれも神を見ることはできない』と述べています。(出エジプト 33:20,新)地上の男も女も,子どもも神を見ることはできません。ですから,だれも,神のすがたをかいたり,像を作ったりしてはなりません。神ご自身が,わたしたちに神の像を作ってはならない,と命令しておられるのです。
でも,神を見ることができないなら,神がほんとうにおられるということはどうしてわかりますか。では,つぎのことを考えてごらんなさい。風は見えますか。いいえ,見えません。だれも風を見ることはできません。でも,風のはたらきは見えます。風が木のえだのあいだを吹きぬけるとき,葉が動くのを見ることができます。それで,風があるということがわかります。
神の行なわれた事がらも見ることができるのです。生きた花や鳥を見るのは,神のお作りになったものを見ることなのです。それで,神がほんとうにおられるということがわかります。
「太陽や地球を作ったのはだれですか」と聞かれたら,あなたはどう答えますか。神がお作りになりました,と答えてください。聖書には,「神は天と地を創造られた」と書かれています。―創世 1:1,口語。
「神は人や動物をも作ったのですか」と聞かれたら,なんと答えますか。「そうです,神は人と動物をお作りになりました。鳥もお作りになりました」と話してあげなさい。聖書には,『神はすべてのものをつくられた』と書かれています。―黙示 4:11。
わたしは神を信じません,とあなたに言う人があるかもしれません。その時,あなたはどう答えますか。家をゆびさして,「あの家を作ったのはだれですか」とたずねてはいかがですか。その家は,だれかが作りました。ひとりでにできたのではありませんね。
それから,その人を庭に連れて行って,花を見せてあげなさい。そして,こうたずねてごらんなさい。「これはだれが作りましたか」。花を作った人はいません。家はひとりでにできたのではありませんから,その花もひとりでにできたのではありません。だれかがそれを作ったのです。それは神です。
また,その人に,立ち止まって,鳥の声を聞いてもらいましょう。そして,「鳥を作って,鳥に,さえずりかたを教えたのはだれですか」とたずねてごらんなさい。それは神です。天と地と,すべての生き物をお作りになったのは神です。神は命を与えるかたです。
生きているのは,なんとすばらしいことなのでしょう。鳥の美しい歌を聞き,神のお作りになった,花やほかのものを見ることができるです。また,神があたえてくださった食物をたべることもできるのです。
わたしたちは,それらすべてのものを神に感謝しなければなりません。なかでも,わたしたちに命をあたえてくださったことを神に感謝しなければなりません。ほんとうに神に感謝している人は,なにかをするでしょう。何をするのですか。その人は,神のことばに耳をかたむけ,神が聖書の中で命令しておられることを行なうでしょう。そうすれば,すべてのものをお作りになったかたに対する愛を表わせるでしょう。
(親が子どもとともに読む特別な記事は,次は10月15日号に載せられます。)
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喜びにあふれる日本ものみの塔 1970 | 9月15日
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喜びにあふれる日本
「こんなに大ぜいの人を見たことは,一度もありません」。これは,初めて日本を訪れた人がよく口にする感想です。そうです,日本には1億200万の勤勉な人々が住んでいるのです。その中で,8,631名ほどのエホバの証人は霊的な繁栄を大いに喜んでいます。
それら日本のエホバの証人は,215の会衆と63の孤立した群れに組織されており,同時に,証人の数は急速に増加しています。事実,昨年,1,600名ふえました。また,戸別訪問をして,神の御国を伝道する人々が,およそ3年間,毎月連続,新最高数を記録してきたことを証人たちは大いに喜んでいます。
1970年1月末までの18か月間だけで,2,277名が水のバプテスマを受けて,エホバ神への献身を表わしました。さらに,証人たちの信仰に対する熱意を示すものとして,去る3月中,全伝道者の25%に当る2,184名が全時間開拓奉仕者として働きました。その多くは,神のみことばを他の人々に伝道するため,毎月,100時間かそれ以上をささげています。
仏教徒に伝道
仏教を奉じている日本の人々は,クリスチャンのエホバの証人をどのように見ていますか。多くの人は証人たちに敬意を払っています。日本人はたいへん読書が好きですから,証人が戸別訪問をすると,多くの人は,「ものみの塔」や「目ざめよ!」誌の最近号を喜んで求めます。去る1月だけでも,それらの雑誌の1万9,131という記録的な予約を得たばかりか,合計,47万7,041冊の雑誌を配布しました。
第二次世界大戦後,日本では160以上の新しい宗教が興ったため,多くの人々は「新興宗教」の急速な発見に警戒の目を向けています。特に,日蓮宗の新しい宗派である創価学会は,その攻撃的な運動や強制的な改宗方法,また最近でのその政治活動のゆえに,人々から警戒されています。しかし,創価学会の「破壊」的な戦術と鋭い対照をなしているのは,エホバの証人の,平和に徹した仕事です。
日本でよく聞かれるのは,「キリスト教」の国が,ベトナムの場合のように,多くの戦争に関係するのはなぜか,という質問です。事情を説明すると,たいていの人は,真のクリスチャンと偽りのクリスチャンがいること,また,真のクリスチャンは,『剣をうちかえて鋤』として,イザヤ書 2章4節の原則を守っているということを理解します。二つの世界大戦中,エホバの証人は,兄弟愛という国際的なきずなを断つことを拒否して,忠誠を貫いたため,深く尊敬されています。―ヨハネ 13:35。
忘れがたい感銘を与えた大会
昨年,東京で開かれた,エホバの証人の「地に平和」国際大会は,忘れがたい感銘を与えるものでした。たとえば,東北地方のひとりの若い主婦は,聖書の真理を直ちに受け入れ,大会に出席することを決意しましたが,漁師をしている夫から反対されました。しかし,とうとう話し合いを次のようにまとめることができました。つまり,夫は大会の最初の催しに妻とともに出席し,その後,親類を訪問することになったのです。ところが,その最初の催しが功を奏したのです。それで,彼は,第一日目ばかりか,二日目も,そして,大会最終日まで六日間ずっと出席し,それから親類のところに立ち寄りまし
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