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    目ざめよ! 1979 | 4月8日
    • わたしたちの脳には,人の造ったコンピューターに行なうことのできなかったある事柄を行なう能力があります。それは,独創的想像です。これは,作曲家ベートーベンの経験から特に明らかです。その作品の中でも名作とうたわれる交響曲第九番が紹介されたとき,聴衆は「熱狂的な喝采」を送りました。聴衆はその演奏を大いに喜んだのです。ベートーベンはそれを耳で聞き取ることはできませんでした。ベートーベンの耳は全く聞こえなくなっていたのです。考えてみてください。ベートーベンはその作品の豊かな音全体をまず自分の想像力で“聞き”,それを楽譜に表わしたのです。しかし,実際には一つの音も聞いてはいないのです。わたしたちの脳にはなんとすばらしい独創的想像力が備わっているのでしょう。

      わたしたちの体には最高度の設計の例があることは明らかではありませんか。わたしたちは,二年間にわたって“電子頭脳”を設計しようと悪戦苦闘した,ある著名な顧問技師の達したのと同じ論理的な結論に達するのではないでしょうか。その技師はこう語りました。「[このコンピューターの]提起した,数々の設計上の問題に直面し,それを解決した後,そのような装置が……理知ある設計者……による以外の方法で存在するようになったと考えるのは,私には全く不合理なことに思える。もし私のコンピューターに設計者が必要であったなら,あの複雑な……機械ともいえる人体にはなおさら設計者が必要であったはずである」。

      こうした設計の例すべては,“ただ偶然に起きた”にすぎないと言えるでしょうか。統計家とは,ある特定の対象に関する数字や事実を注意深くまとめるのを仕事にしている人ですが,その道で名の通ったジョージ・ギャラップは次のように語ったことがあります。「私は神の存在を統計学的に証明できる。人体だけを取ってみても,一個人の機能すべてがただ偶然に生じる可能性は,統計学的には奇異なほど少ない」。言い換えれば,このすべてが何らかの導きとなる力なしに「ただ偶然に生じ」得る可能性は,実際のところ皆無に等しい,つまり「統計学的には奇異なほど少ない」のです。

      偉大な物理学者であるケルビン卿は,息を引き取ったときには「議論の余地なく,世界で最も偉大な科学的天才」でしたが,それと同じような結論に達しました。「科学からすれば,我々は全き確信を抱いて“指導的な力”を信ぜざるを得ない。その“指導的な力”とは,物理的,または力学的,あるいは電気的以外の力である。……科学によれば,神を信じざるを得なくなる」。(下線は編者による。)

      わたしたちは,(1)確かな科学的論理,および(2)わたしたちの周りの世界に設計の跡が見られることから,神の存在の納得のゆく証拠を見ることができます。しかし,それでもまだ,わたしたちの脳裏には,この神はどんな方なのだろう,という質問が浮かんできます。満足のゆく答えを見いだすために,どうぞ次の記事をお読みください。

  • 神は実在する! しかし,どのような方か
    目ざめよ! 1979 | 4月8日
    • 神は実在する! しかし,どのような方か

      その性質はどうだろうか。親しく知るようになればわたしたちの愛が深まるような個性の持ち主だろうか。これらは重要な質問であると思われませんか。

      どうすれば,その方の特質をいくらかでも知ることができるでしょうか。聖書はローマ 1章20節でこう述べています。「というのは,神の見えない特質,実に,そのとこしえの力と神性とは,造ら

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