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日本の葬式の費用はかかり過ぎる?目ざめよ! 1976 | 11月22日
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ます。祭壇のうしろに棺おけがあり,一方その前には香の入れ物と香炉があります。
遺族,近い親族,ついで友人や知り合いが順番に最後の告別をします。大きな葬式の場合には,葬儀のこの部分が円滑に進行するため,準備された名簿から名前が呼びあげられます。仏式の葬儀に参列した人は何をすることが心得とされていますか。左手にじゅずを掛けた会葬者はまず僧侶と遺族に一礼します。ついで祭壇に面すると,遺影に向かって礼をします。さらに近づいて香をひとつまみ手に取り,香炉の中にそれを振りかけます。最後にお辞儀をして故人に最後の別れを告げるのです。
多くの場合,葬儀のこの部分は,一人あるいはもっと多くの僧侶が読経する合間に行なわれます。葬儀における勤めに対して僧侶の受ける報酬は,寺,宗派,僧の位によって著しい相違があります。最近のある葬式の際に僧侶は1万円を受けましたが,別の葬式では50万円が僧侶に与えられました。それで葬儀の費用の中で宗教関係の費用でさえも相当の額になる場合があります。
火葬あるいは土葬
告別式が終わると棺は火葬にするため,あるいはまれな場合には土葬にするため豪華な霊柩車で送り出されます。火葬にされた場合でも遺骨はふつう墓におさめられます。ただその墓は小さなものです。
墓にはどれぐらいの費用が要りますか。日本では土地が狭く,高価です。現在,標準的な大きさとされている90センチ四方の区画がおよそ20万円します。そしてこれがすべてではありません。次に墓石をそこに建てるからです。大きさ,形,細工,石のタイプによって違いますが,墓石は20万円から80万円とみればよいでしょう。最も普通の型は四つの正方形の部分から成り,いちばん上の部分が長方形の角柱で,その前面に家の名,側面に戒名が刻まれています。
戒名
「死後の名前?」とあなたはいぶかるかもしれません。そうです,これは人の死後につける名です。このような名が仏教の僧侶によって故人に与えられるのが習慣となっています。しかしこの習慣に従うことはかなりの出費となります。日本人が戒名と呼ぶ,死後の仏教徒としての名は2万円から100万円あるいはそれ以上もすることがあります。その価は,葬儀屋から購入した位はいにそれを書く僧の位,宗派さらにはどんな漢字を選ぶかによって決まります。この名はあの世において死者を益するものとされていますが,このように金のかかる習慣が必要なものかどうか,いぶかり始めている人々もいます。
この習慣に従う人の場合,戒名を記した位はいが仏壇に置かれます。仏教徒が家に持つ祭壇である仏壇にも非常に高価なものがあります。普通の仏壇は30万円程度ですが,高いものになると最高3,000万円もします。持ち運び可能なこの家庭用祭壇が出現する前には,部屋の一つに崇拝の場所が作り付けになっていました。これが床の間と呼ばれるもので,今でも多くの家には床の間がありますが,多くの場合,壁面の半分を占める,この作り付けの入り込んだ部分は,今では主として簡素な生け花を飾る場所になっています。
日本の慣習的な葬式に要する様々な費用を合わせると,たちまち相当な額になることに気づかれたことでしょう。そして「これは確かに遺族にとって重い経済的な負担である」と感ぜられるかもしれません。全くその通りです。しかし日本の葬式は他の人々にさえ累を及ぼします。これはたぶん遺族の負担を少しでも軽くするためのものであるかもしれません。すなわち他の人は香典として金銭を贈る習慣があります。香典は文字通りには「香のささげもの」を意味します。
葬式の行なわれる家の外の小さな天幕の中に机が置かれます。そこにひかえた受付けが香典を受け取ります。後日,香典の一部は香典返しとして品物を贈り返すために使われます。残りのお金は葬式の費用を支払うために用いられます。会葬者の氏名が記帳されるのは香典の受け渡しが行なわれた時です。
安上がりな葬式
登録された葬儀社は時として生活保護を受けている家庭の葬式を引き受けるように求められます。このような葬式に対して政府は東京都の場合一律に5万1,700円を出しています。お分かりのようにこれらの葬式は簡素なものです。しかし尊厳さをなお保ちながら,このような葬式は遺族に負債を負わせることがありません。
エホバのクリスチャンの証人の行なう葬式は,伝統的な仏式の葬式とくらべて普通の場合はるかに少ない費用ですみます。これは聖書の勧める慎み深さと穏当さに加えて,死者に関する聖書の教えを彼らが理解しているためです。一例として,最近エホバの証人の王国会館の一つで行なわれた葬式を考えてごらんなさい。
葬儀屋に提供を求めたものと言えば棺と,遺体を火葬場に運ぶライトバンだけでした。故人を火葬に付してのち埋葬するたいていの仏教徒は墓石に多大の費用を投じますが,この場合のクリスチャンの家族はそれも必要のないものと考えました。最も大切なのは創造者の前における人の立場であることを悟っていたからです。創造者はキリストの犠牲によって贖われた人々を将来,復活させるでしょう。この家族は仏教徒がするように毎年,宗教的な墓参りをすることもありません。これもまた墓石に費用をかけない別の理由です。
「でも葬式はあったのですか」とお尋ねかもしれません。それはありました。火葬の後,大多数の人にとって都合の良い日時を選び,王国会館で追悼の話が行なわれました。高価な祭壇,写真,崇拝のための香などは一切ありません。また会葬者が香典を出す必要もありません。クリスチャンの抱く復活の希望について話をした奉仕者も,その奉仕に対して報酬を期待してはいません。会衆のメンバーが匿名で寄付した花が演壇に美しく飾られていました。仏教徒である親類や知人の多くは,復活に関する歌のあと,死者を復活させることのできるかたへの祈りで閉じられた簡素な式が大変良かったと述べました。
考えるべき問題
伝統的な仏式の葬式を簡単に見ましたが,多くの人にとっては葬式の費用が高過ぎて死ぬにも死ねないと言って差し支えない訳がこれで分かります。しかし習慣に従うことから生ずる費用のすべてが必要なわけでないことも分かります。現在のところ死が‘人生の一部’であることは事実です。それでも単に慣習だからということによらず,実際の必要あるいは最善の事に基づいて決定するならば,遺族は肉身を失った悲しみに加えて負債をも背負い込む必要はなくなります。
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数少ない基本作物目ざめよ! 1976 | 11月22日
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数少ない基本作物
◆ 地球上にいる40億の人々の大部分が食糧としている基本作物は二十種類にも満たない。その中には,小麦,米,トウモロコシ,キビ,そしてモロコシなどの穀物が含まれている。根菜作物の中には,ジャガイモ,サツマイモ,カサバがあり,豆類には,エンドウ,様々なインゲン豆,ナンキン豆,大豆が含まれている。他の基本作物は,サトウキビ,テンサイ,ココナッツ,そしてバナナである。基本作物の数が比較的限られているため,専門家たちは,それを補うために,長い間なおざりにされてきた他の作物を育てるよう勧めている。専門家たちは,現在の基本作物の幾つかが病虫害によって大損害を受けた場合に,大規模な飢餓状態を防ぐに足る十分な他の作物がないことを憂慮している。
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