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  • 犯罪はあなたにも影響を与えている
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 犯罪はあなたにも影響を与えている

      年輩のある男の人がニューヨーク市,D街のビルのエレベーターから二,三歩進み出ると突然,背後から若者にのどもとを押えられ,「金をだせ,さもないと殺すぞ」とおどされました。とっさにからだをぐいと前に出すと,相手は手を離したので,そのすきに叫び声を上げたところ,強盗は逃げ去りました。

      それは恐ろしい経験でした。しかも,その人は過去4年間にこれで6回も強盗に襲われたのです! 他の場合はもっと恐ろしいものでした。殴り倒されてさんざん殴打されたり,頭にピストルを突きつけられたりしたことさえありました。この種の犯罪が日常茶飯事になっている地区は少なくありません。

      ひとりで外出しなければならない時,あなたは不安を感じますか。何百万人もの人びとがそう感じています。国連事務総長,クルト・ワルトハイムは,「暗くなってから街を歩くのはもはや安全なことではない」と警告しました。

      小都市でさえ強盗,強姦,殺人事件などが発生し,市民を恐怖に陥れています。アメリカ,カリフォルニア州,パームスプリングスの人里離れた高級保養地に住む,ある中年の夫婦は次のように述べました。「今では,暗くなってからのひとり歩きは危険だと感じています」。

      カリフォルニアの中流ないし上流階級の人びとの住む比較的小さな町,サンタモニカのある検察官は,陪審員のうちの何人が強盗や夜盗に襲われたことがあるかをきまって尋ねましたが,なんと12人中8人までがそのような経験をしていました。

      しかし,たとえ個人的に傷つけられたり,強奪されたりしたことがなくても,あなたは犯罪の影響をこうむっています。というのは,あなたも世の中の犯罪のゆえにご家族の身の安全について不安を感じておられるのではありませんか。学校で起きている事がらを心配しておられるのではありませんか。ご近所で麻薬が不法にも使用されていることにお気づきではありませんか。車を駐車させる場合,車が壊されたり,盗まれたりはしないかと心配なさいませんか。あるいは,飛行機で旅行する場合なら,飛行機が乗っ取られはしまいか心配しませんか。また,家その他の財産の安全についてはどうですか。

      最近のフィラデルフィア・インクウァイア誌は,「少しでも余裕のある都市居住者は自分たちの家をとりでのようにしようとやっきになっている」と報じました。犯罪はこれまで安全とみなされていた地域にまで広がっています。

      美しい米領バージン諸島を訪れたある観光客は,土地の人びとの間で最近の犯罪が話題になっていることに気づきました。その観光客は次のように述べました。「中には誇張された話もあるでしょうが,人びとの間にはアメリカの大都市の多くの居住者がいだいているのと同様の,襲われはしまいかという恐れの気持ちが広くしみ込んでいることがよくわかります」。

      セントトマス島(バージン諸島のひとつの島)に20年住んでいるひとりの人はこう嘆いています。「夜はひとりでは車で家に帰ることさえ躊躇します。たれかがトラックで乗り込んできて,物品をそれにぎっしり詰め込んで盗んで行く恐れがあるので,島を離れるわけにもいきません。私たちはみな何度も強盗に襲われました」。

      しかしそれでも,「私は少なくともさほど犯罪の影響をこうむってはいない」と考える人がいるかもしれません。しかし,あなたも犯罪の影響をこうむっているのです。自分の身の安全や財産に対する絶えまない脅威以外にも他の仕方で影響を受けているのです。

      たとえば,お宅の家計に影響をおよぼす急騰する物価について考えてみてください。ニューヨークのあるコンサルタント会社の社長,ノーマン・ジャスパンは,小売り業者の中には従業員の盗みによる損失を見越して幾つかの商品の価格を15%増しにする者がいると述べました。つまり,従業員の盗みのために,消費者は1,000円の品物に対して1,150円を支払わされることになります。

      しかし,次のように尋ねるかたがおられるかもしれません。『犯罪は減少してはいませんか。統計はそれを示してはいませんか。最近アメリカの法務長官でさえ,アメリカは「犯罪の増加から実質的な減少へ向かいつつある」と言ったではありませんか』。それはほんとうでしょうか。

  • 犯罪はほんとうに増加していますか
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 犯罪はほんとうに増加していますか

      あなたはどう思いますか。犯罪は一部の人たちが主張しているように減少しているでしょうか。カリフォルニア州ロサンゼルスの警察署長,E・M・デビスが最近述べた次のことばはどうですか。

      「10年前,犯罪者たちは鉄格子のうしろに監禁されて,人びとは路上で幸福を追求していた。

      「今日では,人びとが自宅や事務所に閉じ込められて,犯罪者たちが路上で幸福を追求している」。

      これは,犯罪は減少しているという意見と矛盾しているように思われませんか。ではどちらなのでしょうか。犯罪は増加していますか,それとも減少していますか。調べてみましょう。

      ある国では犯罪がほんの短期間,以前の同じ短い期間におけると同じほど増加しないことがたまにあるのは事実です。しかしそれは,犯罪が全体的に減少しているという意味ではありません。R・エガンは,ナショナル・オブザーバー誌の中で次のように述べています。「ワシントン市のあるラジオ局のアナウンサーは,いかにも感じ入ったような様子で,『1971年における犯罪の増加はわずか7%にすぎなかった』と放送した。しかし……おぼえておかねばならない点は,犯罪の率は依然として増加しているということである」。

      1971年に報告された大きな犯罪は,アメリカ全土で約600万件でした。1960年には200万件以下でした。1960年代の10年間に人口が13%増加したのに対し,殺人は70%,強姦113%,強盗は212%増加しました。青少年犯罪は同期間に148%増加しています。しかし,これらの数字は実際の状態のほんの一部を示しているにすぎません。

      ほとんどの犯罪は未解決に終わります。ハーバード大学の法学部の一教授によると,普通の強盗がつかまる可能性は,「50件につき1件以下」です。R・M・サイプスは自著「犯罪戦争」の中で適切な問いを提起しています。

      「多くの犯罪者がつかまらないのであれば,なぜつかまった者を最も危険な犯罪者と見なすのだろうか。ある意味においては,その逆かも知れない。最も頭がよくて最も悪らつな犯罪者がいちばんうまく捜索をのがれるのかもしれない」。

      さらに,報告されない犯罪がたくさんあります。1967年の米大統領犯罪委員会の報告によると,実際に生ずる犯罪の件数は,警察にとどけ出のあるものの3倍から10倍です。しかし他の国々の犯罪状況はどんなものでしょうか。

      犯罪の増加は世界的

      ● 「ブラジルは……暴力と犯罪の波に飲み込まれてしまったかの感がある」とある記事は伝えています。

      ● 西ドイツは,1969年と1970年の間に,麻薬関係の犯罪が238%以上増加したと報告しています。

      ● デンマークにおける犯罪は,60年代の10年間に99%増加しました。

      ● 西オーストラリアのサンデー・タイムス紙は,1972年8月に次のように報じました。「西オーストラリアでは,過去12か月の間に,凶悪犯罪がほぼ2倍に増加した。しかも,この『信じがたい』増加には,受け売りできるような理由らしきものもないのである」。そして大陸の反対側では,メルボルン・ヘラルド紙が次のように伝えています。「ビクトリア州の21歳未満の年齢層による凶悪犯罪[1960年以降]は……187.9%増加した。ビクトリア州の21歳未満の人口は……同期間に……29.6%増加した」。

      ● 「アフリカとラテン・アメリカの状態は類似している。……[アフリカのある国では]1960年代中に犯罪が2倍以上に増加し,ある型の重大な犯罪は3倍に増加したようである。しかも,『開発計画』の中に述べられているように,『この問題は減少するよりも増大する見込みが大きい』」と,「犯罪の防止と抑制」と題する国連の報告は述べています。

      ● 日本の犯罪増加率は,欧米諸国にくらべると低いようです。しかし,ザ・デーリー・ヨミウリは最近の犯罪にかんして,「最近の犯罪は凶悪である。しかしそれは日本の社会の内部の諸関係に生じた容易ならぬ分裂を表わすものである」と述べました。

      ● ニューヨーク・タイムズ紙の伝えるところによると,イスラエルにおける過去5年間の犯罪の全体の増加率は35%で,夜盗などは200%増加しています。

      ● 共産主義中国の広東省では,若者たちの不満が,ギャング同志のけんかを含め,「犯罪の増加」を招いたと伝えられています。

      国際的な犯罪状況を分析したのち,ワルトハイム国連事務総長が次のように結論したのも不思議ではありません。

      「物質文明の進歩にもかかわらず,人間の生活が今日ほど不安定な感じを持ったことはない。……したがって,相当の規模の犯罪危機の証拠が広く多く見られる」。

      こうした報道は確かに犯罪が増加していることを示しています。

      犯罪への恐怖も増大

      しかし犯罪の増加は統計以外の面からもうかがわれます。ワルトハイム事務総長も述べているように,「[犯罪]は,貧困,無知,栄養失調などと同じく,記録よりもさらに強く感じられて」います。

      別のことばで言えば,人びとは恐れています。「アメリカの特殊地域や中流階級の住む地域でさえ何年も前から恐怖に悩まされてきたが,現在では」ニューヨーク市のアッパー・ウェストサイドの「『良い』地域が恐怖で神経を乱されている」と,ナショナル・オブザーバー誌は述べています。

      人びとが最近恐怖心をいだいているのはうなずけます。犯罪は増加しているだけでなく,しだいに凶悪になっていっているからです。サンフランシスコ警察の副署長W・コニングは,「10年前からの大きな変化は,犯罪が引き続き凶悪になっていっていることである」と言っています。英国の外務大臣サー・アレック・ダグラスーホームは,「罪のない人びとにみさかいなく暴力を振うことが,現代の恐るべき特徴である」と,同様の意見を述べています。

      殺されるという恐怖だけでなく,財産をそこなわれるという恐怖もあります。犯罪の犠牲者は,強盗がしばしば不必要な破壊を行なうことをよく知っています。公表される盗難被害額には被害者の財産の損害額はたいてい含まれていません。書類のつづりや記録まで不必要に破壊されて営業できなくなった会社は少なくありません。犯罪者は時々,盗みを働いたあと,家や事業所を理由もなく焼き払ってしまうことがあります。

      犯罪の多くは都市に集中しています。ワシントン市では,国会議員,国防総省の役人,はてはニクソン大統領自身の秘書や広報担当官まで盗難にあいました。ワシントンを中心に活動しているある作家は,いくぶん事実を示すユーモアをもって,「アメリカ政府は,国会議事堂,ホワイトハウス,およびリンカーン記念堂をたたんで」,郊外のペンシルバニア州,「イーストンに移りたいところだろう」と述べています。

      郊外における犯罪の増加

      安全を求めて郊外へ移る人は確かに多くなっています。郊外へ移れば,ある種の犯罪からは一時の間解放されるでしょう。しかしそれは犯罪の増加の影響を避ける真の道でしょうか。USニューズ・アンド・ワールド・リポート誌の一記事は次のように伝えています。

      「かつては平穏であった郊外で,ひどい犯罪の数が年々急増している。田園地域もまた犯罪に苦しめられている」。

      数字が犯罪の世界的増加を示していることに疑問はありません。しかし,犯罪の増加をはっきり示す前述の報告をしばらくおくとしても,犯罪の増加している証拠はみられます。どこに?

      企業の自衛策

      あなたは近くの店にはいるとき,『安全装置』や,商品を万引から守る警備員などがふえていることに気づきませんか。鏡,テレビカメラ,『万引にご注意』というサインなども目につくでしょう。

      アメリカの一都市にあるチェーン・ストアになっている13の百貨店は,防犯のために1年に約100万㌦費やし,1969年以降その額は50%以上増加したと言っています。ニューヨーク市のメーシー百貨店はこのほど,万引を防ぐために,本館の七つの階の模様替えを行ない,30万㌦相当の電子装置を取り付けました。アメリカの主要都市の一部の商店は,特別の正札を使っています。勘定台にいる事務員がそれをはずさないかぎり,万引が店を出る時に自動的に警報が鳴ります。

      郊外の商店経営者でさえ,自分の時間の30%から40%を『商人というよりも警察官のような仕事をするのに』過ごすと言います。夜間の盗難防止には光線装置,圧力に敏感なカーペットなどを使いますが,目に見えない音波装置まで使う商店もあります。

      ある地域のバスの運転手はもう現金を所持していません。ですから乗客はつりがいらないように小ぜにを準備していなければなりません。タクシーには,運転手と乗客を隔てる,弾丸の通らない仕切りが設けられています。乗車料金は突き棒で突いてもこわれない箱に入れられます。

      ある銀行は,ひんぱんな銀行強盗を少なくするために今では「テレビジョン金銭出納係」を使っています。出納係の姿はテレビの両面に映りますが,お客との取引は空気チューブを介して行なわれます。不渡小切手をつかまされる場合に備えて,商人は人びとが小切手を振り出すところの写真を撮ったり,指紋を取ることさえします。

      以上はほんのわずかの例にすぎませんが,事業経営者たちがとっている安全対策は,率直に言って犯罪が実際に増加していることを示さないでしょうか。しかし家庭で行なわれていることもこの確信を弱めるものではありません。

      厳重になる家庭の安全対策

      アメリカにおける家庭の安全対策は,このところ年間7,500万ドルの産業となっています。番犬や防犯ベルは記録的な売行きを見せています。盗難保険がかけられる場合は,保険料は極度に高くなっています。「保険会社は,麻薬の乱用とともに増加する被害を負担することはできないと感じている」と,スプリングフィールド(マサチューセッツ州)のデーリー・ニュース紙は述べています。

      市民は,街路を明るくするために自発的にたくさんの費用を支払っています。町を強盗や強姦者から守るために,『町内会』や自警団までつくられつつあります。乗り逃げを減らす試みとして自動車にはハンドルのかぎがついています。統計がどうあろうと,こうした用心は,犯罪が増加していることを暗示しませんか。

      警察力の強化

      警察は犯罪との戦いにおいて,いよいよ複雑な装備と手段を用いています。コンピューターは大きな警察網を結びつけます。暴徒を鎮圧するための特別の装置も数々発明されました。感度の高い化学分析装置は,5億㍑の水の中の茶さじ一杯のLSDを検出します。アメリカでは,場合によっては盗聴も法律で認められています。大都市では警察官は犯人の捜索にヘリコプターを用います。

      あなたも,犯罪との戦いにおける警察の手法が変わったことにお気づきでしょう。しかし,よりすぐれた訓練を受け,より多くの武器を持つ警察官がおり,事業経営者や市民が防犯対策を凝らしてもなお犯罪は増加をつづけているのです!

      ウォール・ストリート・ジャーナルの社説はこの問題を次のように概括しています。

      「ほとんどの関係者がもはや,犯罪率の上昇は統計上の錯覚であるなどと主張しなくなったのは,有史以来おそらくこれが初めてであろう。……どんな根深い社会問題でも,それを解決するための最初の段階は,問題が実際に存在するのを認めることである」。

      しかしながら,問題の解決には,問題の存在する理由を知ることも要求されます。では犯罪はなぜこんなにも急速に増加しているのでしょうか。

      [5ページのグラフ]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      アメリカにおける犯罪の増加

      1960-1970年

      人口

      13%

      殺人

      70%

      強姦

      113%

      強盗

      212%

      [7ページの図版]

      商店は進んだ防犯装置を設置する。それでも犯罪は増えつづける

      [8ページの図版]

      盗難予防のための番犬の需要が増えている

  • 犯罪危機の背後にあるもの
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 犯罪危機の背後にあるもの

      犯罪は凶悪な犯罪者によって行なわれると考えるのが普通です。犯罪の常習者が罪を犯すのは事実です。しかし犯罪問題はそこだけにあるのではありません。

      ニューヨーク市の警察部長P・V・マーフィーは,「犯罪はわれわれの社会組織の中に織り込まれている」と言います。また前アメリカ司法長官R・クラークは,「犯罪はそれを犯す少数のかわいそうな人間の性格以上のものを反映する。犯罪は社会全体の性格を反映するものである」と述べています。

      この人たちも,ほかの人びとと同様に,全体制が犯罪に悩まされていると言います。しかし,犯罪が『社会組織の中に織り込まれている』と言えるのはなぜでしょうか。それを考えてみましょう。

      スラムと麻薬

      『社会組織』の中の,犯罪と密接なつながりをもつ一本の主要な系は,中心都市のスラムです。市街地域が拡大するにつれ,貧しい人びとはネズミに悩まされる「ゲットー」(特殊地域)に押し込まれます。彼らは水や光熱といった基本的な生活必需品にまで事欠きます。そこで常に,無教育,病幣,病気,犯罪などがはびこっています。

      しかし近年になってから,特殊地域の住民はテレビを通して,『外の世界の』繁栄に気づきました。なんの技能も持たない貧しい人びとはこの豊かさにあずかることはできません。彼らの多くが欲求不満に陥り,心をかたくなにすると犯罪が増加します。彼らは麻薬に走ります。今日の犯罪の多くは麻薬と関係があります。麻薬を常用するには,1日に50㌦(約1万3,000円)は必要だからです。常用者はおいはぎをしたり,商品を盗んでそれを数倍の値段で売ったりしてその費用を手に入れます。お金のある人びとは安全を求めて,犯罪の町から郊外へ移転します。麻薬常用者はお金のあとを追います。こうして犯罪と麻薬は郊外へ広がっていきます。

      しかし,すべての犯罪が貧困と麻薬に起因するとは言えません。

      不公平と偽善

      富裕な家庭の若者たちは,社会的に圧迫されている人びとが不公平な扱いを受けているのを見,すべての者に対する『公民権』の保証を勝ち取ることを望んで,不穏状態を引き起こしたり,革命的行動を扇動したりしました。ニューヨーク・タイムズ・マガジンの中でE・スミスは,この運動が犯罪にどのように影響したかを示しています。

      「10年前,われわれに次のように警告した人たちがいた。公民権擁護者たちの目的がいかに価値のあるものであろうと,そして法律がいかに不公平なものであろうと,彼らの法律違反を見のがすだけでも,われわれは他の者たちが,『彼らは罰を受けずにすんだ。われわれだってやれるはずだ』という空気を作りだすのであると」。

      この種の法律違反は,社会に犯罪を織り込むのを助長した,とこの筆者は言っています。しかし他の現代生活に対する幻滅感も犯罪をかもし出します。

      今世紀になって諸国家は戦争をし,無差別爆撃を行なって罪のない無数の人びとを不具にしたり,殺したりしました。僧職者たちは武器や殺人を行なう軍隊を祝福します。人びと,とくに若い人びとは,そうした偽善的な政治的また宗教的「犯罪」を見のがすことはできないと考えます。こうして国の法律は軽視されます。僧職者たちが誤って説く聖書の道徳は一蹴されます。

      大企業にもしばしば「犯罪者」のレッテルがはられます。アメリカの消費者運動家たちは,市場で不良食品が売られていることや,会社が安全装置を設置しないことについて述べています。ある消費問題の専門家は,「株式会社アメリカ」の中で次のように書いています。「法律は価格操作をして幾十億の不正利得を上げる取締役に6週間の懲役刑を言い渡すことよりも,公衆電話の硬貨どろぼうに5年の刑を宣告することに安んじている」。

      「株式会社アメリカ」の著者,M・ミンツとJ・S・コーヘンはこうした明らかに不つりあいな例をいくつか調査し,次のように問いかけています。

      「今日の社会の疎外感や不穏な事態の根本原因の一つとして,筋肉労働者のためのもの,ホワイトカラーのためのもの,さらには長髪の若者たちのためのもの,またもう一つ法人組織のためのものなど,正義に関してたくさんの規準の設けられていることが挙げられよう。この点に疑問があるだろうか」。

      そうです,『企業犯罪』ということが,犯罪をするための他の人びとの口実となり,こうして犯罪が社会の中にさらに織り込まれています。パーティーのさいに,そこに置いてあったハンドバッグやコートからいろいろな物を盗んだある若い女性はこう言いました。『わたしの盗みなんて,マフィアや大会社のことなど持ち出さなくても,お宅で普通にある使い込みに比べてさえまるでピーナツのようなものよ』。

      こうした考え方をする人は,単にお金がないから盗みをするのではありません。『体制』から盗むのは正しいのであり,必要でさえあると考えているのです。刑務所に入れられるのではないかという恐れは,必ずしもこうした態度を変えさせるほどのものとはなりません。サタデー・レビュー紙の一記事は,「多数の者が根本から,また故意に不正を行なっているような社会において,処罰は有効な抑止力とはならない」と述べています。

      現代の商業主義の体制に対する不満の多くが当を得たものであることは疑いありません。しかしこれは,いわゆる“反体制文化”に属する人々が行なう犯罪行為の,唯一のほんとうの理由ですか。そうではありません。さらに深い理由があるはずです。どうしてわかりますか。

      そうした人々の行なう盗みや不道徳行為が全く“体制”に責任があるというのであれば,なぜ彼らは互いどうしからさえ盗むのでしょうか。ニューヨークのローワー・イーストサイドにイッピーたちのための“無料の店”が3軒店開きした時,品物の台や窓わくも含め,すべての物が盗まれてしまいました。この種の抗議者たちの集会では,寝袋,背箱,そしてテントさえもなくなってしまうことが伝えられます。だれのためにですか。明らかに仲間の抗議者たちによってです。

      また,最近のこと,“反対制文化”の著名な代弁者がシカゴで裁判を受けていた間に,だれかがニューヨークにある彼のアパートに押し入ってカラーテレビを盗み出しました。そのことを正当化できますか。「それは盗賊行為である」と彼は語りました。ハーバード大学の社会学者S・M・リプセット教授の,「たとえそれを革命と呼ぼうとも,盗みは盗みである」ということばは当を得たものです。

      さらに,“体制”の巨大さが犯罪の口実とされる場合もあります。アメリカ,ニュージャージー州のある自動車どろぼうの論法に注意を払ってください。

      「わたしのしていることはすべての人の益になっている。まず第一に,わたしはいろいろな仕事を作り出している。わたしは人を雇って車の配達,ナンバープレートの付け替え,塗装などをさせ,また書類を作らせたり,州の外に運ばせたり,買い手を見つけさせたりする。これは経済に役だっている。それからわたしは,勤労者階級の人が普通なら決して得られないようなものを手に入れるのを助けている。普通は,キャデラックを欲しいと思っても買えるものではない。妻はそれを欲しいと思っても,亭主がそれを買えないことを知っている。そこでわたしが,りっぱな車を彼の買える値段で提供する。わたしは2千㌦は得をさせているかもしれない。それで彼は喜ぶ。そして,車をなくした男でさえ喜んでいる。保険会社から新しいりっぱなキャデラックを,われわれが一生懸命に直したくぼみやかすり傷のないものをもらえるからだ。そして,新しいキャデラックが売れるので,キャデラック会社のほうももちろん喜ぶ。

      「あまり喜ばないのは保険会社だけだ。だが保険会社は大会社であり,だれも個人的には気にかけたりはしない。いずれにせよ,この種のことにはちゃんと予算を設けてあるのだ。こうして教育のない下郎のわたしが,子どもをふたりとも大学にやり,家族を良い家に住ませ,多くの人を幸福にしているというわけだ。さあ,わたしがだれに害を与えているというのか」。

      しかしこのほかにも,しばしば指摘される別の要素があります。

      暴力行為にならされる

      現代世界の多くの場所で銃砲類が比較的容易に手に入ることは,そのまま犯罪と結びつく例は少ないとしても,それが犯罪傾向を助長していることは確かです。“サタデーナイト・スペシャルズ”という番組が“バンド・ガン”(挙銃)と呼んだものは,米国内で,その新しいものが一丁15㌦で販売されています。ミシガン州デトロイト市の警察当局の推定によると,そのデトロイト市だけで約50万丁の挙銃が出まわっています。銃砲類がなくても人はけんかをすると論じる人がいます。デトロイト警察のF・ウイリアムズ巡査部長はそれを認めながらも,こうつけ加えています。「相手の男はくちびるを腫らせて倒れるかもしれない。しかし,それでも彼はまだ生きている」。

      さらに,現代の世界には,兵士としての訓練を通して,武器の使用を自分の人生観の中に織り込まれている若者が幾万となくいます。この点も見落としてはなりません。また,テレビの番組などで,犯罪行為や犯罪分子がロマンチックに描かれています。近年のイスラエルにおける暴力犯罪の大幅な増加は,「絶えず居間に送り込まれるアメリカ製の犯罪ショウ」に帰せられています。

      刑事司法制度の責任

      逆説的なことながら,犯罪と取り組むために立てられた組織や制度そのものが,犯罪傾向の増大に一役買っているとして非難される場合も少なくありません。例えば,裁判所は,犯罪者を“いたわりすぎている”と言う人がいます。しかし,裁判所側は職員の不足を口にします。裁判所は法律を書くのではなく,立法機関の定めた法律を守っているにすぎません。

      判事たちは刑務所を“回転ドア”と呼んで,刑務所側の失敗を指摘します。“温和な”犯罪者が刑務所へ行くと,そこでいろいろと残酷な手法を学び,前より残虐な犯罪者となって出て来ます。アメリカ,ワシントン特別市のC・W・ハレック判事はこう述べています。「われわれは人を監獄に入れるが,それは初めより悪い人間を作るにすぎない。……よく考える判事であれば,長期間の投獄刑が犯罪をやめさせる点で役だたないことを知っているであろう……裁判の手順もこの全般的な絵のほんの一部にすぎない」。

      しかし,他の人々は,『どうして警察は犯罪者をもっと厳しく取り締まらないのだろう』と尋ねます。警察もまたいろいろな制約を受けているのです。例えば,米国憲法第四条の修正条項は,警察官による不当な捜査や押収を禁じています。あなたがアメリカに住んでいるとする場合,そうした条項が廃止されて,警察官がいつでも好きな時にあなたの家の中に入って来れるようになることを望みますか。そして,現状から言えば,裁判所と刑務所は警察が送って来る犯罪者を処理しきれません。より厳重な取締りによって仕事が増えても,もはやそれに対処しきれないという面もあるのです。

      また,経済情勢の変化は,警察を含むあらゆる雇用関係に影響を与えています。1930年代に,ニューヨーク市には1万7,000人の警察官がいました。現在この数は3万を超えています。大きな増加ですか。決してそうではないのです。勤務日数の減少,休暇の増大,超過勤務手当ての増額要求などのために,1930年代なら三人か四人でした仕事のために今では五人が必要であるとされています。

      そうです,犯罪が『社会の機構の中に深く織り込まれている』ために,警察・裁判所・刑務所から成る刑事司法制度もその程度のことしかできません。そのおのおのは「全般的な絵のほんの一部にすぎない」のです。

      各個人の役割

      ここで取り上げた要素はそれぞれ,なぜ犯罪が増加しているかを理解するうえで助けになります。それは主として,この体制に固有のものであり,『社会の中に織り込まれて』います。しかし,銘記しなければならない点として,最後まで分析して考える場合,犯罪を犯すのはやはり個人です。

      簡単に言えば,問題はおおむね道徳上の問題です。ユダヤ人の哲学者ウイル・ハーバーグはしばらく前にこう述べました。

      「現代の道徳危機は,主として,受容されてきた道徳規準をなみする傾向が広まったということにあるのではなく ― そうしたことの全くなかった時代がこれまでにあるだろうか ― そうした道徳規準そのものを捨て去ってしまったことにあるのである」。

      犯罪は,『道徳規準を捨て去ってしまったこと』の結果の一つです。

      人が悪を行なうことを心から願っているような場合,警察官,裁判所,また立法機関はその人の悪行を控えさせるためにいったいどれほどのことをできるでしょうか。「アメリカにおける犯罪」という書物はこう述べています。「銀行家が銀行強盗を働くことはまれであり……貧しい人が価格を操作することもできない。……しかし,犯罪をできる立場にある人々の間では,各人がそれぞれ自分の道を見つけてゆく」。

      この「各人がそれぞれ自分の道を見つけてゆく」ということは,米国連邦捜査局の局長代行P・グレイ氏のことばの中でも豊富に示されています。

      「贈り物や何か特別の好意と引き換えに時おり原則を妥協させたり公衆の信用を裏切ったりする役人,また,店の経費を水増ししたり所得を少なく申告したりする商人は,自分が徳義心のある,そして法を守る市民ではないなどとだれかに指摘されるなら,そのことを意外に思うであろう。……

      「規定時間外のバーや近くの違法なとばく所の客になる労働者,また,値段から見ても状況から見ても明らかに盗品とわかる品物を買う人は,この社会における犯罪の温存に一役買っているのである ― 当人は,犯罪者と呼ばれれば仰天するであろうが」。

      1969年,カナダ,モントリオール市の警察官がストライキをした時,犯罪を犯すという面で「各人がそれぞれ自分の道を見つけ」ました。ひとりの観察者はその時の状況をこう記憶しています。

      「よた者や常習的な法律違犯者がではありません。ごく普通の人々が,もし警官が町角に立っていたなら夢想さえしないような違反行為を平然と犯しました。わたしは,車が赤信号を無視して進むのを見ました。何をしても捕まらないというだけのことで,運転者は道の反対側を突き進んで行きました」。

      ここに見たとおり,現在の犯罪危機の背後には実に多くの原因があります。しかし,このほかにも,あなたがまだ気づいておられないかもしれない原因があります。それは今の時代に特有なものであり,聖書がそれについて説明しています。

      根本的な原因

      イエス・キリストは,死のしばらく前,「事物の体制の終結」の時を示す「しるし」について語られました。そのイエスのことば,および黙示録の第6章は,全世界的な戦争,飢きん,疫病が一つの「世代」のうちに起きることを予言しています。わたしたちは,1914年以来,「事物の体制の終結」の時にいます。

      しかしながら,同時にイエスは,「不法が増すために,大半の者の愛が冷える」ことをも予言されました。イエスは,人間が生まれ持つ罪の傾向と人間の心の態度とがこの時までにどのような状態に達するか,つまり,はなはだしい「不法」状態に達することを知っておられました。現代社会のあらゆる部分に浸透している犯罪が,多くの人の心をかたくなにならせています。神と,神の定めた道徳規準に対する愛は冷えています。これはさらに「不法」を推し進める結果になっています。―マタイ 24:3-12,34。テモテ後 3:1-5。

      聖書はわたしたちが今日見ている事がらを正確に予言していましたから,今日の犯罪増加の背後にあるもう一つの原因に関して聖書が述べている事がらも同じように信頼できます。そのもう一つの要素とは,人の目に見えない霊者,悪魔サタンです。聖書は,サタンがこの時代に天から放逐されることを予告していました。それはどのような結果になるのですか。「地と海には災いが来る。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったからである」。自分の活動の時を局限されたことを知るサタンは,今日の世界の不法な精神をいよいよ高まらせています。―黙示 12:12。

      しかし,この「事物の体制」が終わる前の今の時代に,人はどのようにして自分の身を犯罪から守れるでしょうか。

      [10ページの図版]

      宗教上の偽書が多くの人をして聖書の道徳律の無視に至らせている

      [11ページの図版]

      過重の仕事をかかえている裁判所が犯罪者を満員の刑務所に送る。犯罪者はそこでさらにあくどい犯罪者となる場合が少なくない

      [12ページの図版]

      たいていの人は,警官が見ているときには法律に従います ― しかし ― あなたは,警官がまわりにいないときにも同じように従いますか

      [13ページの図版]

      犯罪者は盗みをする,しかし,あなたは彼らが盗んできた物を買いますか

  • 犯罪から身を守る
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 犯罪から身を守る

      犯罪の主要な原因の中にはわたしたちがどうにも制御できないものが多くあります。例えば,わたしたち個人としては,現在の不法な事物の体制全体を作り直して,それを正しいものに変えることはできません。また,わたしたちが悪魔を除くこともできません。

      とはいえ,まずわたしたち自身が犯罪の生活を避けることができます。さらに,犯罪による危害を受けるようなことを少なくするために,わたしたちにできることが幾つかあります。ここで実際に価値があるのは聖書の原則です。それはこう述べます。

      「分別のある人はあらかじめ危険を見て身を隠し,

      愚かな者は進んで行って罰を受ける」

      ― 箴言 22:3,アメリカ訳。

      まず初めに,分別のある人は「あらかじめ危険を見る」と述べられている点に注目してください。その人は,どこにいる場合でも,自分の周囲で起きている事がらに注意を払います。

      あなたは,犯罪による「危険」が自分の周囲にあるのを見ますか。どんな形の危険があるかは場所によって異なります。例えば,大都市の特殊地区の路上で起きる犯罪と,不正直な店員をかかえる住宅地区のスーパーマーケットで起きる犯罪行為との間には相違があることでしょう。

      あなたは窃盗や強盗などの少ない地域に住んでおられるかもしれません。それでも,器具の修繕や家事の手伝いで自分の家の中に入れる人のために,でたらめの仕事やこそどろから強姦に至るまでのいろいろな犯罪の危険を感じているかもしれません。『あらかじめ危険を見て』用心すること,これが,その危害を現実に身に受けないようにするための第一歩です。

      しかし,ひとたび危険を認めたなら,分別のある人は,それから身を『隠す』ことをためらいません。何も怖くないといったそぶりをするのは愚かなことです。危険から離れ,必要ならそれから逃げるのは臆病なことではありません。聖書はそれを,「分別のある」こととしています。

      自分の家を守る

      あなたは自分の家について「分別」を示しておられますか。警察はいつでも災害を回避できると信じるのは賢いことではありません。かつて盗賊であったある人はこう書いています。

      「自分の家を守る方法はいろいろある。しかし,一つの考えはいつでも誤りであった。

      「つまり,法の力が盗賊の使うかなてこより強いと思い込んでいるかぎり,盗賊の侵入を防ぐことはできない」。

      警察力があなたの資産を必ずしも保護できないのはなぜでしょうか。あるパトロール巡査はこう認めています。

      「正直に話せば,最近では窃盗事件があまりに多く,また巡視すべきより重要な事がらが非常に多いので,窃盗事件に対しては,かつて騒音苦情を扱ったのと同じ程度の重点しか置けないというのが実情である」。

      したがって,防備は大いに予防に,つまり『あらかじめ危険を見る』ことに依存しています。あなたは自分の家をもっと安全にできますか。たいせつであるとされている幾つかの提案をここに述べましょう。

      良い鍵をかけること。郊外地区また田園地区での生活は都会に比べてのんびりしており,戸締りについてそれほど気を配らない所が少なくありません。人々はほとんど無意識に戸や窓に鍵をかけないでほっておきます。高価な宝石,諸道具,テレビ,ステレオ装置,小さな器具類がなんの保護もなく置いてあります。さらに,職業的な盗賊の意図をくじくことができるのは良い鍵だけです。

      家を出る時には,幾つかの明りをつけたままにしておくことができます。明り,ラジオ,テレビなどを自動的につけたり消したりするセルフタイマー装置を使い,外から見る場合,その家には人がいるといった印象を与えるような工夫をしている人もいます。照明装置をつけて庭を明るくしておくこともできます。犯罪者は暗やみを好むからです。盗難警報器やよくほえる犬が不在時の侵入者をおじけさせることもあります。長く家をあける場合には,信頼する隣人か友人に頼んでおくのがいちばん良いでしょう。その人はあなたの家を見まわって,新聞や郵便がたまらないようにできるでしょう。そうしたものがたまると,その家に人がいないことのはっきりしたしるしとなるからです。

      街路で『あらかじめ危険を見る』

      家から離れているときにも分別を働かせてください。実際には自ら犯罪を招いている犠牲者が少なくありません。どのようにですか。

      一つには,わざわざ危険な場所に身を置くことによってです。暗い都会の路地で賊に襲われる人がいます。でも,なぜそこにいたのでしょうか。何か不法なとばくをするため,麻薬を買うため,あるいは売春婦を探すためでしたか。アメリカ,ワシントンの一警察官は,とかく見落とされがちなこの犯罪問題の一面を次のように指摘しています。「わたしたちの場合,強盗に遭う人の多くは,多少の刺激を求めて郊外からやって来る人たちのように思える」。健全な動機を持つことが身の守りとなるのです。

      服装が問題を招く場合もあります。犯罪の多発する地域に行く場合に,どうしていちばんりっぱな,そしていちばん値段の高い衣服を身に着けて行くのでしょうか。なぜ美しい宝石で身を飾り立てて市街を歩かねばならないでしょうか。宝石類を身につけたいなら,なぜせめて目的地に着いてからにしないのでしょうか。目的地への行き帰りには宝石類が目だたないようにしておくことが賢明ですが,さいふや小物入れに入れておくことは必ずしも勧められません。

      服装が強姦を誘う場合も少なくありません。大都市で強姦に遭う婦人について,ひとりの刑事はこう語りました。「その点について言えば,彼女たち自身がそれを招いています。透けて見えるようなブラウスや,たけの短いスカートをはいているからです」。慎しみ深い服装こそ婦人にふさわしいものですが,性に狂った今日の世界において,それは「分別のある」こととも言えます。

      やむを得ぬ理由で危険な場所に行かねばならないなら,努めて用心し,『あらかじめ危険を見る』ようにしてください。だれかがあなたを待っているかのように,はっきりした目的をもって行動するのがよいでしょう。ひとりで歩くのを避けるべきです。夜は特にそうです。できるなら,明るい場所から離れないようにしてください。建物のすぐそばを通らず,歩道のへり近くを歩くほうがよいでしょう。だれか怪しい人が前方にいたり,明らかに後ろからつけて来るように思えたなら,道の反対側に渡りなさい。さらにつけて来るなら,道の中ほどに出なさい。もしも危険が迫るなら,助けを呼び求めなさい。

      婦人はハンドバッグを持ち歩かないのが最善です。しかし,それを持って行かねばならないなら,腕からぶら下がらないようにしているのがよいでしょう。さいふを二つ持ち,一方に貴重なものを入れ,他方に“物盗り用の金”として,賊に襲われた場合に与える小額のお金を入れている男の人もいます。おどしを受けた場合に備えていつでも多少のお金を携行しているのは賢いことです。

      襲われたときに身を守る

      十分に用心していたにもかかわらず賊に襲われてお金を要求された場合にはどうすればよいでしょうか。お金や宝石はあなたの命より価値がありますか。賊の要求する物を与えるのが最も賢明な道であると信じている人は多くいます。何か抵抗するための器物を持ち出すことは襲撃者を興奮させ,あなたの身に危害を招く結果になりかねません。カリフォルニア州ロサンゼルスの地方検事局発行の「護身作戦」という刊行物はこう忠告しています。

      「どこの取締り機関も,抵抗用の器物を持ち歩かないのが最善であるという点で一致している。いろいろな刃物を身に着けたり自分の車に入れておいたりすれば,凶器取締り法に触れることにもなる。犠牲者が手にする凶器はしごく容易にもぎ取られ,犠牲者を傷つけたり死なせたりするのに使われやすい」。

      これは,婦人が性的な暴行をしかけられた場合に,それに抵抗してはならないという意味ではありません。この場合には,人の純潔もしくは貞操,そして身体的な清さという問題が関係しています。そうした攻撃を受けた場合にできる最善のことはなんでしょうか。カナダ,トロントのスター紙は,トロント警察副署長バーナード・シモンズ氏のことばを引用して,「婦人が街路を歩いている時に襲われたなら,最善のことは,大声で叫んで助けを求めることである」と伝えました。

      そうです,大声で叫ぶことです。これは賢明な助言であり,ただ強姦者に身をゆだねることとか,命を救おうとして強姦者との掛け引きを勧める人々が増えているなかにあって,はっきりした対照をなしています。たとえ婦人が強姦を許したとしても,その男がのちに彼女を殺さないとどうして言えるでしょうか。

      興味深いことに,イスラエルに与えられた神の律法の中で,強姦であるか当人が同意を与えたかの区別は,その婦人が助けを叫び求めたかどうかによって判断されました。現代の都市において,婦人が強姦されているのを見ても,その婦人が叫び声を上げるなどなんら抵抗を示していないので,露出症的な行為に同意しているのだと思った人々のいることが知られています。―申命記 22:23-29にある聖書の律法を読んでください。

      したがって,『あらかじめ危険を見る』という聖書の箴言に従うことの中に身の守りがあります。用心深くありなさい。分別をもって「身を隠し」なさい。つまり,自分と家族に及びうる金銭的また身体的な危害を避けるようなしかたで行動しなさい。

      [15ページの図版]

      服装がわざわざ犯罪をさそうこともある

      [16ページの図版]

      多少のお金が命より大事でしょうか。強盗に襲われた時の行動は,物事に対する人の考え方を示します

      [17ページの図版]

      婦人が性的な攻撃を受けた場合,できる最善のことは,叫び声を上げること

  • 身を守るほかの方法
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 身を守るほかの方法

      車を守る:

      ● 暗い場所や人通りの少ない街路での駐車をできるだけ避ける

      ● 車から離れるときには始動スイッチの鍵をはずし,ドアに鍵のかかっていることを確かめる

      ● トランクに荷物などがある場合には鍵をかけ,さもなければそれを持って行く

      スリから身を守る:

      ● 人前で多額のお金を見せない

      ● 男子 ― 人込みの中では,たとえボタンをかけておく場合でも,腰のポケットにさいふを入れておかないのが良い。人込みの中でもまれるような場合には,さいふが所定の場所にあることを確かめる

      ● 婦人 ― 買物をするさい,カウンター,床,買物用小車などにハンドバッグを置かない。人の大ぜい集まっている所では,座席にさいふなどの入った小物入れを置いたままにしない。いろいろな荷物などを運んでいる場合には,さいふなどの入った小物入れを体のすぐ近くに持つ。

      ● 見知らぬ人であなたの体に手をかけようとする人には特に注意する。何かの面であなたを助けているように言ったり,あなたの体に触って自分の病気を説明するようなふりをする人もいる。そのようにして巧みにお金をすろうとする人に注意する。

  • 犯罪問題に対する確かな答え
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 犯罪問題に対する確かな答え

      人は自分の家でいつも囚人のような生活をしてゆくのでしょうか。ひとりで外出するたびに恐ろしい思いをするのでしょうか。決してそうではありません。犯罪問題に対しては確かな答えがありますし,しかもその答えはごく近い将来に実現されるのです。

      その答えは,圧制的な警察国家体制を取ることではありません。それはまた,現在の事物の体制を改革するための他の何らかの提案を採用することでもありません。実際,犯罪は社会構造そのものの中に絡み合っているのですから,そうした改革方法はいずれも役にたたないことは明らかです。

      では,その答えとは何ですか。

      予告されていた答え

      この事物の体制の終わりを予告したイエス・キリストはその答えを指摘して,「世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難がある」と言われました。(マタイ 24:21,新)その「大患難」は現代の不法な社会全体を一掃してしまいます。しかし,全人類を一掃するわけではありません。このように,その患難は犯罪問題に対する確かな答えと直接関係しています。

      その確かな答えとは神の王国です。その王国は,天で治める王と地上の臣民を伴う現実の政府です。成人したイエスは地上での生涯を,人間の諸問題に対する唯一の解決策であるその政府を告げ知らせるわざにささげました。(ルカ 4:43; 8:1)聖書はその政府がどのようにして犯罪を除去するかを明らかにしています。ダニエル書 2章44節〔新〕はわたしたちの住んでいるほかならぬ現代のことを予告してこう述べています。

      『この王たちの日に天の神一つの〔王国〕を建てたまわん これはいつまでも滅ぶることなからん この〔王国〕はほかの民に帰せず かえってこのもろもろの[王国〕を打ち破りてこれを滅せん これは立ちて永遠にいたらん』。

      そうです,神の天の王国つまり天の政府は,地上の現行の諸政府をその犯罪と腐敗もろとも完全に滅ぼします。確かにその滅びは,神から遠ざかっている人びとすべてにとって「大患難」となるでしょう。

      とはいえ,そのような世界的な滅びは神が講ずる処置としてはあまりにも過酷だなどと結論しないでください。すでに考慮したとおり,この事物の体制を改革するのは不可能です。この体制には犯罪がしみ込んでいるのです。その支配者は,「人の住む全地を惑わしている」悪魔サタンです。(黙示 12:9,新。コリント後 4:4)人類はサタンを除き去ることはできません。そうしうるのは真の神だけです。ですから,イエスは,神の王国が到来して,サタンと犯罪のはびこるその体制とを打ち砕いて一掃するよう祈り求めるべきことを教えられました。―マタイ 6:9,10,新。

      しかし,それはいつ起きるのでしょうか。

      どれほど近いか?

      イエスはまた,この質問にも答えられました。先の記事の中で指摘されているとおり,イエスは「事物の体制の終結」の時もしくは「終わりの日」を特徴づける「しるし」をお与えになりました。その「しるし」には,世界的な戦争・飢きん・疫病・不法の増加などの世界的規模の災いが含まれており,それに続いて「大患難」そのものが起きるのです。次いでイエスはこう言われました。「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」― マタイ 24:3-34; テモテ後 3:1-5,新。

      イエスのこのことばは何を意味していますか。明らかに次のことを意味しています。すなわち,1914年に勃発した世界的な戦争とともに世界的規模の災いが始まるのを見た世代の人たちは,サタンの地上の全体制の滅びをも見るということです。1914年当時生きていた人たちの中には,「大患難」が襲う時にもなお生きている人たちがいるのです。

      1914年当時,「しるし」の成就の始まりを理解の目をもって見るに足る年齢に達していた人たちのことを考えてみてください。それらの人びとはもはや若くはありません。その世代はだいぶ進み,まもなく完全に過ぎ去ろうとしています。しかしその世代の人びとは,神の王国がこの邪悪な事物の体制を一掃するのを見るまでは過ぎ去りません。

      それで,犯罪問題に対する答えが効力を発揮する時はまさに非常に近いといわねばなりません。その答えは,「この世代」が過ぎ去る前に,ごく近い将来に実現を見ることになります。この腐敗した体制がなくなる時に味わう安堵の気持ちはどんなにかすばらしいことでしょう。

      しかし,だれが生き残って,犯罪のない世界を享受するのでしょうか。犯罪が再び突発するようなことはないというどんな保証がありますか。その時の生活はどんなものでしょうか。

      犯罪のない世界

      聖書はこの世界の終わりをだれが生き残るかを説明して,こう述べています。「さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」。(ヨハネ第一 2:17,新)したがって,神の意志は何かをいま学び,次いでそれを行なう人たちだけが「大患難」を生き残り,その後に到来する犯罪のない世界にはいります。

      しかし,そのとき命を得る人はほかにもいます。というのは,聖書は,「義者と不義者との復活がある」ことを約束しているからです。(使行 24:15,新)やがて,死からよみがえらされる何十億もの人びとが神のもたらす,犯罪のない世界で生活することでしょう。

      『その不義者とはだれだろうか。なぜそのような人が復活させられるのだろうか』と問う人がいるかもしれません。

      神はご自分のもたらす新しい体制が義にかなうものであると保証しておられます。聖書は現行の事物の体制の滅びについて説明したのち,『義の宿る』新しい体制が現行の体制に取って替わることを述べています。(ペテロ後 3:13,新)不義の人間がその新しい体制を腐敗させるようなことは決して許されません。しかし,何が不義の人間にそういうことをさせないようにするのでしょうか。

      神の建てられる新しい体制のもとに住む人びとは,最初は義人だけです。なぜなら,神の意志を行なう人たちだけが「大患難」を生き残るからです。不義の人たちは後日復活させられます。それもおそらく一回に比較的ごく少数の人びとが復活させられるので,それらの人たちはいつも少数者となります。そして,復活させられた後,神の意志について個人個人教えを受けるでしょう。その時,聖書の次の原則が適用されます。『世にすめるもの正義をまなぶべし』― イザヤ 26:9。

      『しかし確かに,復活させられる人たちすべてがその教えに答え応ずるわけではありません。相変わらず不義のままでいる人たちもいることでしょう。では,どうしたらそういう人たちに事物のその新しい体制を腐敗させないようにすることができるのでしょうか』と異議を唱える人がいるかもしれません。

      全能の神エホバは,そうした不義の人びとにそういうことをさせないよう取り計らわれます。改心するよう,あらゆる努力を講じて助けても,どうにもならない人たちは,そのまま留まることは許されません。神は必ずそのような人びとを滅ぼさせます。復活させられる人びとはすべて,もし神の新体制のもとで生活するのであれば,どうしても神の義の規準に従わねばなりません。

      驚嘆すべき新しい体制

      義にかなったその新しい施政のもとで地上で生活するのはなんと気持ちのよいことでしょう。聖書の次のような確かな約束がそのとき全地にわたって実現されるでしょう。「温和な者たちは地を所有し,また,平和の豊かさに無上の喜びを必ずや見いだすであろう」― 詩 37:11,新。

      考えてもみてください! 犯罪あるいは災いを恐れる必要はもはやなくなります。どこの街路でも,あるいはどこの公園でも,強盗や痴漢などを恐れることなく歩けるようになります。また戸締まりをしたり,持ち物を厳重にしまったりしなくとも,盗難や損壊を心配することなく外出できるでしょう。―イザヤ 11:9。

      犯罪のないそのような驚くべき世界で70年か,あるいは80年の寿命を享受できるとすれば,それは確かに喜ばしいことでしょう。それでも,不健康や病気が持続し,最後には死に直面するのであれば,その喜びはせいぜいつかの間の喜びにすぎません。しかし,エホバ神はそのようなことを許すかたではありません。それどころか,人類の願いを完全に充足させてくださるのです。聖書はこう保証しています。「エホバの祝福 ― それこそ富ませるものであり,彼は,それとともに苦しみを加えない」― 箴 10:22,新。

      神のもたらすそのような祝福の一つとして,不健康に起因するあらゆる苦しみも,ついには除去されるでしょう。人間に苦痛と不幸をもたらすガンや心臓病その他あらゆる疾病は,神の新体制のもとには絶対に存在しません。創造者の確かな約束のことばはこう述べます。『かしこに住めるもののうちわれ病めりという者なし』― イザヤ 33:24。

      創造者のもたらす祝福の一つとして,死さえも除去されるのです! 神の建てられる,犯罪のない世界の市民は永遠に生きてゆきます! それがどのようにして起きるかは,聖書の終わりの方にこう説明されています。「神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 黙示 21:3,4,新。

      犯罪のないそうした驚くべき世界で,完全な健康を享受しつつ永遠に生きたいとは思いませんか。それをあなたの確かな見込みにすることができるのです。しかし,神の王国の義の支配のもとでそうした祝福を享受するには,あなたが行なわねばならない事がらがあります。

      [19ページの図]

      (正式に組んだものについては出版物を参照)

      「終わりの日」

      一世代

      1914年 ――――――――――――――――――― →

      不法の増加。

      国は国に向って立ち上がる。

      大多数の人びとの愛は冷える。

      諸国民は脱出の道を知らず,苦悶する。

      危機的な時代。

      親に対する不従順。

      容易に合意しない。

      自制心に欠けた人びと。

      [18ページの図版]

      神の王国は地上から不法を永遠に一掃し,永遠に正義が行き渡る

      [20ページの図版]

      神のもたらす,犯罪のない世界で,何十億もの人びとが復活させられて命を受ける

      [21ページの図版]

      すばらしい祝福が神の新秩序の市民を待ち受けている。聖書はこう保証している。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない」― 黙示 21:3,4,新。

  • 犯罪のない世界を目ざして生活する
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 犯罪のない世界を目ざして生活する

      犯罪のない世界ははたしてもたらされるのだろうか,と疑問に思っておられますか。その可能性を疑問視している人は少なくありません。しかし,この地球が法律を守る人びとだけの住みかになることを信じうる確かな根拠があるのです。

      『その根拠とはいったい何か』と不審に思われますか。

      では,考えてみてください。もし,一群の大勢の人びとが実質的にいって犯罪のない生活を今営むことができるとすれば,それは,全世界の人びともその気になればそうしうることを証明するものとなるのではないでしょうか。どこに住んでいる人であろうと,同様の導きや訓練を受けるなら,ついには法律を守る,ほんとうに正直な生活を送れるようになるのではないでしょうか。

      『それはもっともなことだと思うが,しかし,犯罪のないそうした模型的な社会は今日どこにあるのだろうか』とお考えになるかもしれません。

      法律を守る人びと

      今日,法律をほんとうによく守る人びとの社会は世界中に現に存在しています。1969年のこと,アメリカ,ワシントン州,シアトルに住むひとりの人はその社会に接して非常に驚かされ,同年7月18日付のシアトル・タイムズ紙上で次のように述べました。

      「最近,私はブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバーで開かれたエホバの証人の大会に出席した。

      「もしできるなら,次のような光景を想像してもらいたい。ある都市に4万人もの人びとが訪れ,しかもそのすべてはそうでありたいと願うがゆえに法律を守る良い市民なのである。酔払いも,個人の家の芝生を歩く者も,不法駐車をする者も,交通違反を犯す者も見かけなかったし,それら訪問者の間では不敬なことば一つ聞かれなかった。

      「また,ご想像できるであろうか! 紙くずさえ散らされてはいなかった! 私はエンパイア・スタジアムをくまなく歩いてみたが,何万人もの人びとが紙製の皿やコップを使って食べたり飲んだりしていたにもかかわらず,地面には紙くずひとつ見かけなかった。

      「私は,スタジアムにいる何万人もの人が昼休みの時間に席を立ち,午後のプログラムに備えて同じ座席を取っておくため,各自の座席にテープレコーダーや双眼鏡,かさや財布,セーターやカメラなどを残し,しかも盗まれはしまいかと恐れたり,心配したりすることもなく約1時間半ものあいだ席を離れて歩いているのを見た。

      「私はエホバの証人ではない。……しかし,彼らは自分たちの高い道徳規準,礼儀正しさ,正直さなどによって,大会開催地として選ぶ都市に善をもたらす以外の何ものでもないということを私は確かに強く感じる」。

      犯罪のはびこる今日の世界に慣れた人びとにとっては,法律を良く守るそのような人びとが現実に存在するということは信じがたいかもしれません。しかし,まさしく存在しているのです! エホバの証人に関して同様の経験をした,ノースカロライナ州の一医師は感動して,地元の新聞社に一部次のように書き送りました。

      「われわれの見聞きするニュース記事はすべて,暴動や略奪行為や憎悪の念をあおる宣伝などに関するものとなっている今日は,みずからを慰めるべき時である。……私は今特に,アシュビル市を訪れたエホバの証人によって今月初旬に1週間にわたって開かれた大会について言及している。……

      「大会中,同市を訪れた数千人もの証人たちは,講演を聞き,賛美の歌をうたい祈りをささげる集いの聞かれた二つの建物の周囲を動き回ったが,警官の姿は一度も見かけなかった。耳ざわりな騒ぎ声も,騒動も,言い争いもなかった。……秩序が完全に保たれていた」― 1967年7月26日付,アシュビル,シチズン紙。

      エホバの証人に関するこのような報告が寄せられているのはアメリカだけではありません。証人たちに関しては世界中で同様のことが指摘されています。1972年10月26日付のロンドン・デーリー・テレグラフ紙上の記事の中で記者ブライアン・ウィルソンは次のように述べました。

      「エホバの証人はアフリカ中で,自分たちが高い道徳律に従って生活している礼儀正しい従順な市民であることを示してきた。彼らは勤勉で,飲酒を慎み(しかし絶対的禁酒主義者ではない),家庭のしつけは模範的である。アフリカ人社会の特徴である乱婚や,一夫多妻は,証人たちの間では全く考えられない事がらである。この派は,倹約,時間厳守,正直,従順などの生活習慣を教え込んでいる」。

      全地の150万を越すエホバの証人が今,ほとんど犯罪とは無縁の生活をしているということは,全世界の人びともやはり同様の生活をしようと思えばできることを証明してはいないでしょうか。確かに証明しています。それに間もなく,神が犯罪のはびこる現在の事物の体制に終わりをもたらした後,地上の人びとはすべて正直に生活し,法律を良く守ります。エホバの証人は今,犯罪のないその世界を目ざして生活しています。彼らは,その時あらゆる人が行なうとおりに,今神の意志を行なうよう努力しているのです。

      あなたご自身はいかがですか。神の意志を今行なうことによって,神のもたらす,犯罪のない世界を目ざして生活しますか。もしそうするなら,それはあなたにとって真の祝福を意味します。

      平和と安全

      今でも,自分がほんとうに信頼できる友を持つという祝福を享受できます。エホバの証人が神の目的について学ぶために定期的に集まっている王国会館には,平和と安全をほんとうに味わえるふん意気が実際に存在しています。そこにいる人びとは他の人を出し抜いたり,いかなる方法であれ人に危害を与えたりしようなどとはしません。むしろ,「互いに心から熱烈に愛し合いなさい」「すべての悪,すべての欺瞞と偽善とそねみ……を捨て去りなさい」という聖書の助言を適用しようと真剣に努めています。―ペテロ前 1:22; 2:1,新。

      神の意志に従う

      確かに,神の意志に従うためには自分の生活をかなり変化させる必要があるかもしれません。しかし,神の新しい体制を目ざして生活する人はすべて変化を遂げなければなりません。というのは,現在の古い体制の人びとの態度や考え方はおしなべて利己主義に基づいているからです。それゆえ,聖書は次のように勧めています。「自分をこの事物の体制に合わせてはなりません。むしろ,思いを作り直して自分を変革しなさい。それは,神の善にして受け入れられる完全なご意志を自らはっきり知るためです」― ロマ 12:2,新。

      他の多くの人びとが行なってきたのと全く同様,あなたもそうした変化を遂げることができます。西暦1世紀当時,淫行を犯す者,同性愛者,大酒飲み,ゆすり,その他の無法の者たちは神のしもべになるため,そのようなならわしをやめました。(コリント前 6:9-11)今日でも,中には神の意志に従うため,生活を根本的に変化させた人がいます。

      一例を挙げると,盗みを働いていた英国の若い夫婦が数年前にエホバの証人と聖書を勉強し始めました。犯罪に満ちた現在の体制を終わらせ,それに代わって新しい体制をもたらすのが神の目的であることを学んだ時,ふたりは神に献身したいと願いました。そこで,ふたりは自分たちの負い目を法的に清算する処置を講じました。1967年6月15日付,ザ・マーキュリー紙は,「ある主婦が自白した理由」と題する見出しのもとに次のように報じました。

      「警察は問題の主婦C・M ― を逮捕できなかった。彼女は犯行を四回重ねていたが,仕事と住居をひんぱんに変えたため,捜査当局の追求を免れた。

      「やがて,彼女は聖書を読み始め……その後,警察に自首し,4件の犯行を自白した。

      「彼女は夫とともにエホバの証人になる決意をしていた。そして,幼い2児の母親であるM ― は,『過去を清算する』ための唯一の道は警察に自首することであると考えた。

      「警察当局者は,『彼女は全く自発的に自首した』とグリニッジ裁判所で証言した」。

      別の日付のザ・マーキュリー紙は彼女の夫について伝え,「『改宗した』泥棒,犯行のすべてを自白」と題する見出しのもとに次のように報じました。

      「ひとりの男が警察に自首し,数千ポンド(数百万円)にのぼる盗みを自白したが,エホバの証人になりたいというのがその理由であった。……

      「2年前,M ― は聖書を勉強し始め,昨年,バプテスマを受けてエホバの証人になりたいと考えた。

      「『過去2年間に,夫は驚くほどの変化を遂げました。聖書を勉強したおかげで夫の生活には大きな変化がもたらされました』とM ― の妻は語った」。

      ですから,生活を変化させる,それも根本的に変化させることさえできるのです。神のもたらされる,犯罪のない世界を目ざして生活する人はすべて,変化を遂げなければなりません。

      必要な変化

      しかし,必要な変化とは単に盗み,うそをつくこと,淫行などのような,神の律法の明らかな違反を避けることだけであるなどと結論しないでください。神の意志に従うことにはそれ以上の事がらが関係しています。聖書はそのことを示して次のように述べています。「愛される子どもとして,神を見倣う者となり……愛のうちに歩んでゆきなさい」― エペソ 5:1,2,新。

      ですから,神のもたらされる,犯罪のない世界を目ざして生活するということは神の非の打ちどころのない行為に見倣うという意味です。わたしたちは神の目に悪とされるいかなる行ないをも慎まなければならないだけでなく,自分のひととなりを愛と憐れみに満ちた神の性質に一致させなければなりません。そうするのが容易でないことは明らかです。必要な変化は一晩で成し遂げられるわけでもありません。自分の生活を神の考えと行ないに一致させるには,ある期間たゆまず努力することが必要です。

      しかし,人間の社会全体が愛,憐れみ,親切その他の神の偉大な特質を見倣おうと努める時,それはどんなにすばらしいことかを考えてみてください。ご自分とあなたの愛する人たちのためにそうした交わりを欲しておられますか。それでは,もしまだそうした特質を見倣っておられないのでしたら,神のもたらされる犯罪のない世界を目ざして,今生活し始めてください。

      必要な第一段階は,エホバ神とみ子イエス・キリストに関する知識を取り入れることです。そのみ子は,地上におられたとき,み父に完全な仕方で見倣われました。おふたりに関する知識を取り入れることの必要性を示して,聖書は次のように述べています。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 17:3,新。

      エホバの証人は,命を得させるこの知識を取り入れるよう,みなさんを喜んで助けたいと思っています。ぜひエホバの証人にお尋ねください。そうすれば,証人たちはお宅で,あなたはもとより,ご家族のみなさんとの聖書研究を無償で司会いたします。この勧めに応じてください。エホバの証人と交わり,そして犯罪のない世界に関する神の約束には確かな根拠があることをご自身でお調べください。

      [23ページの図版]

      ロンドン・デーリー・テレグラフ紙は,アフリカのエホバの証人は「正直と従順」の点で知られていると報じた

      [24ページの図版]

      エホバの証人の間では,平和と安全をほんとうに味わえるふん囲気を見いだせる。というのは,各自が「互いに心から熱烈に愛し合いなさい」という聖書の助言を適用することに努めているからである

      [25ページの図版]

      聖書研究は,進んで自らを改めようとする人びとに,どうすれば犯罪とは無縁の生き方をするよう自分の生活を変化させることができるかを示すものとなる

  • 生活を改めた犯罪者や麻薬常用者たち
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • 生活を改めた犯罪者や麻薬常用者たち

      人びとを助けて犯罪を阻止したり,人びとの生活から犯罪を根絶したりする上でエホバの証人が大いに貢献していることは十分に証明されています。最近,アメリカの合同メソジスト派の牧師,ディーン・M・ケリーは,伝統的な教会がこの点で無力であるにもかかわらず,エホバの証人は「われわれの社会の犯罪者や麻薬中毒者を救っている」と述べました。

      それが真実であることは,以前犯罪者だった人たちが聖書を勉強し,エホバの証人と交わった結果,生活を変化させた数多くの経験からも明らかです。つい昨年の夏に開かれたエホバの証人の「神の支配権」地域大会で次のような経験が話されました。

      ● アメリカ,ミシガン州,デトロイト市の一青年は麻薬に深入りし,学校や家の近所で麻薬を売ることさえしました。また,彼は腕ききの泥棒で,錠のこじ開け方を小さい時に覚えました。窃盗グループの一味として働き,自転車を盗んでは,足がつかないよう,盗品を改造したりしていました。また,彼は若者たちの反抗的な活動のリーダーで,学校では生徒の衣服のスタイルを変えさせる影響を与えていました。

      そのころ,青年の母親はエホバの証人と聖書を勉強し始めました。青年も勉強に応じましたが,それは彼のことばによると,「スリルのため,何かをやってみるため,何か変わったことをやってみるため,ただそれだけのことで」応じたに過ぎませんでした。勉強が進むにつれて,麻薬中毒に関する,ものみの塔協会の出版物の資料が考慮されました。そのころ,青年は麻薬の作用で特にひどい「旅<トリップ>」(麻薬の引き起こす幻覚状態)を経験したので,真剣に考えさせられました。

      やがて,青年はエホバの証人の会衆の集会に出席し始め,麻薬をやめ,長い髪を短くし,奇抜な服装を改めました。その青年はオハイオ州トリドで開かれた「神の支配権」地域大会でバプテスマを受け,今や,自分の生活に劇的な変化をもたらした聖書の真理を他の人びとに教えるわざに全時間を費やす道を歩みたいと願っています。

      ● 多くの場合,麻薬常用癖は一見してそれとは気づかないうちに始まるようです。オハイオ州マンスフィールドのある青年はせき止め用のシロップの処方薬を飲み始めました。ところが,それからマリファナ,アンフェタミン,そしてLSDを用いるようになりました。彼は約4年間麻薬を常用し,大酒を飲んだり淫行を犯したりして放蕩生活を送りました。そのころ彼は結婚し,麻薬の乱痴気パーティーを自宅で開き,また麻薬密売人にまでなりました。

      そんなある日,ひとりのエホバの証人が彼の妻を訪ね,聖書研究を始めました。いっしょに参加するように勧められたので,彼も加わりました。しかし,何かを学ぶというよりもむしろ,研究を司会するその女性の誤りを暴露し,ろうばいさせるのが目的でした。

      ところが,青年はやがて,自分が有益な人生を送っていないことに気づき始めました。また,何人かの友人や自分のおいまでが,麻薬を常用したために堕落していくのを見ました。それで彼は熱心に聖書を勉強するようになり,会衆の集会にも出席し始めました。そして青年は生活を改め,夫婦そろって昨年の夏のトリドの大会でエホバの証人の手によりバプテスマを受けました。

      ● 麻薬を常用すると,恐ろしい影響をこうむる場合があります。ウィスコンシン州マジソンに住むある若者は直接そのような経験をしました。現在の事物の体制にあいそをつかした彼は麻薬に走り,マリファナから始めて,LSDなどの幾つかのさらに強い麻薬を用いるようになり,麻薬を用いなくとも幻覚が生ずるほどになりました。

      彼はこう説明しました。「しばしば,教室で授業を受けていると,突然幻覚が生じたかと思うと,また再び正気を取り戻すことがありました。現実と幻覚の経験を区別することは非常に難しくなり,私の頭は全く混乱してしまいました」。

      麻薬を常用した結果,両親との間でいざこざを起こした彼は家を去って旅に出ました。やがてスペインに行き,そこで英語を話すスペイン人のエホバの証人の宣教者に会いました。2週間にわたって彼はその宣教者と聖書を勉強し,スペイン語はわからなかったため集会で話されていることは理解できなかったにもかかわらず,会衆の集会にさえ出席しました。そして,ぜひもっと多くを学びたいと考えるようになり,集会で話される事がらを理解できる英国へ行く決心をしました。

      英国に入国する許可が一時的に得られなかったため,彼はフランスで数週間を過ごしました。青年は次のように語りました。「フランスにいる間,私は毎日7,8時間を費やして,エホバの証人から求めた1冊の本と聖書を通読し,また読み返しました」。

      ついに英国に入国した青年は,エホバの証人のベテル・ホームと印刷工場を見学しましたが,そこで受けた親切なもてなしはもとより,見聞きした事がらに大いに感銘を受けました。そして,急いでウィスコンシン州のマジソンに戻り,土地のエホバの証人の会衆の主宰監督と直ちに連絡を取りました。やがて聖書研究が取決められ,9か月後,マジソン市で開かれた「神の支配権」地域大会でバプテスマを受けました。彼は生活をすっかり改め,事情が許せばできるだけ早く,全時間の宣べ伝えるわざに携わる日を一心に待ち望んでいます。

      ● エホバの証人になった,かつての麻薬常用者は,他の麻薬中毒者が行ないを改めるのを助ける点でしばしば功を奏しています。何年か前にサウス・カロライナ州で人気を博したロックンロール・バンドのメンバーだったある青年の場合はそのよい例です。そのバンドが解散した後,彼はハリウッドで,以前契約していたレコードの吹き込みを行なう一方,妻といっしょにエホバの証人と聖書を勉強し始め,そしてふたりは,自分たちの学んでいる事がらが真理であることを認めました。

      その結果,青年は霊的に成長できるより良い立場に身を置くため,有名な「ロック」グループといっしょに働くことを含め魅力的な仕事の申し出を断わりました。そのことを聞いたサウス・カロライナの友人たちはショックを受けました。また,彼があごひげをそったことを知ったのも彼らにとってはショックでした。それらの友人のひとりがカリフォルニアの彼のもとに訪ねて来た時どんなことが起きたかを彼は次のように説明しています。

      「彼は家の中に入るなり,ロサンゼルスでは一番いい『やく』(麻薬)はどこで手に入るか,またどこに行けば『かわいい子』が見つかるかを尋ねました。私が『知りません』と答えると,彼はまたもやショックを受けました。……

      「私たちが彼の妻を含め,他の何人かの人たちと聖書研究を始めると,彼はソファーに腰をおろしてにやにや笑ったり,外に出てマリファナを吸ったりしていました。しかし数日後,彼の様子を伺ってみると,私たちの話にいくらか耳を傾けている姿が目につきました。次いで彼は,当『目ざめよ!』誌の『ヒッピーが生まれるのはなぜか』と題する記事を読みました。それがきっかけで質問をするようになり,それから2週間ほどのうちにヘブル語聖書と『「その時,神の秘義は終わった」』(英文)の本を読んでしまいました。彼はたちまち態度を改め,集会に出席し始め,やがてひげをそり,髪を短く切りました。

      「このふたりが初めて集会に出席した後,彼の妻は,私が前もって全部のエホバの証人に電話をかけ,『風変わりな人間』を連れて行くから,特別親切にしてくれるように話したのか,と私に尋ねました。彼女の夫は穴のあいたジーパンに汚れたTシャツをまとい,頭にはインディアンバンド,首にはビーズの首飾りをつけ,それに裸足といういでたちでした。『もちろん,そのようなことはしていません。エホバの証人は,人がどんな身なりをしていようとも,すべての人にそのように接するのです』と私は答えました。彼女は偽りの宗教にあきあきしていたので,エホバの証人こそ神の民であって,真理を持っているということを直ちに認めました」。

      こうして生活を改めたそれらのヒッピーや麻薬常用者は,短期間のうちにエホバの証人の手でバプテスマを受けました。昨年中,彼らは以前いっしょに働いていたロックンロール・バンドの何人かの人びとと聖書を勉強し,そのうちの数人は昨年の夏にサウス・カロライナ州のコロンビアで開かれた「神の支配権」地域大会でバプテスマを受け,また目下勉強中の他の人びともエホバの証人になることを望んでいます。

      現在の腐敗した,偽善に満ちた事物の体制にあいそをつかして犯罪に走ったり,麻薬に手を出したりするようになった人は少なくありません。ですから,そのような人びとにとって現在の世界を支持している宗教は忌まわしく感じられます。しかしそうした人たちも,この体制に対する神の見解を,つまり神も現在の体制を嫌悪しており,それを滅ぼして正義の新しい事物の体制を招来するよう意図しておられることを聖書から示されると,この偉大な神エホバを喜ばせるためにしばしば自分たちの生活を改めるのです。―ペテロ後 3:5-7,13。

  • すべてのものからの逃避を求めますか
    目ざめよ! 1973 | 10月8日
    • すべてのものからの逃避を求めますか

      人びとが『すべてのものから逃避する』ことについて話しているのを,わたしたちはよく耳にします。生活の問題や心配事にうんざりした,あるいは物質主義と今日の圧力に悩まされているそれらの人びとは,どこか孤立した場所へ行って,『すべてのものから逃避』できたらと願っています。おそらく,あなたもそのように考えておられるかもしれません。しかし,それは実際に解決となるでしょうか。

      アメリカのカリフォルニア州に住む一青年は1960年代にはいってまもなく,周囲の物質主義的な人びとの追い求める,一般の目標や物質の追求に幻滅を感じるようになり,「ヒッピー」の生活を始めました。彼はまた,東洋のさまざまな宗教を勉強したり,人生の意義を見いだそうと,共産主義者の青年たちの集まりに出席することさえしました。のがれる道を求めて,あらゆる種類の麻薬や酒に手を出しましたが,満足は得られませんでした。

      最近行なわれたエホバの証人の大会で,その青年は麻薬と酒に走った後,どんなことが起きたかを説明しました。その話によると,ついに青年夫婦は,麻薬と酒におぼれた生活はほんとうの生活ではないことをさとるようになりました。「そこで,わたしたちは麻薬を飲むのをやめ,清い生活を始めるために,メーン州に引っ越しました」と彼は語っています。青年は人のあまり住んでいない所で生活したいと願っていました。「自給自足の生活をし,そうすることによって社会から離れたいと考えて,森の中に家を建て,畑を耕やしました。へんぴな森林地帯に住み,めったに人を見ることがないにもかかわらず,私はすぐに,自分が人びとから逃れてはいないことに気づきました」。それはなぜでしょうか。

      まもなく,強力な機械を携えた人びとがやって来て,大住宅地,ショッピングセンター,そして海軍基地を建てるため,家のまわりの美しい樹木を根こそぎに引き倒し始めたのです。彼はさらに次のように述べています。「ラジオのニュースは,世界のいたる所で人びとは飢えに苦しみ,数多くの人びとが戦争で殺されているごとを私に絶えず思い出させました。今までの努力がむだに思え,私は全く希望を失ってしまいました。私は再び大酒を飲み始め,あきらめて死のうと思いました。事実,私はほとんど毎日のように酒に酔っていました」。

      『すべてのものから逃避する』ことは問題の答えになりませんでしたが,答えは見いだされました。彼は次のように説明を続けました。「そのすぐ後に,エホバの証人の奉仕者が私の家を訪問し,私はその証人と聖書の研究を始めました。初めて,私は希望があることを知りました。たばこも酒もやめ,聖書とものみの塔協会の出版物を読むために時間を費やしました。それは非常に望ましい希望に思えたので,私は新たに見いだしたその希望について他の人びとに話し始めました」。それは単なる想像上の希望ではありませんでした。それは信頼の置ける神のみことば聖書に基づいていました。聖書には,人類が現在直面している諸問題が説明されており,まもなく神がそれらの問題をどのように解決しようとしておられるかが示されています。

      ですから,『すべてのものから逃避したい』と感じておられるかたは,どこかの寂しい森の中でひとりで暮らそうなどと考えないでください。むしろ,聖書に述べられている,神の目的を学ぶ機会を受け入れて,エホバが人類に差し伸べておられる確かな希望を得てください。このことは明らかに,あなたの問題をまるで魔法にでもかけたかのようになくしてしまうというのではありません。それはここで述べられている青年の場合と同様です。しかし,この青年がしたように,それらの諸問題に立ち向かう力を得て,聖書から得られる神の導きのもとに問題を解決することができます。そして,現在の彼と同様に,あなたも,「ついに,幸せと平安な思いは真実に私のものになった」と言うことができるでしょう。

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