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  • 犯罪との戦いが不利になっているのはなぜか
    目ざめよ! 1976 | 3月8日
    • 市内の刑事全員が召集されて捜査に当たりました。

      殺人のあった夜,ある秘密の筋からもたらされた情報はわたしを仰天させました。わたしは殺人犯の一人がだれかを知らされたのです。わたしは直ちに署に行って情報を報告しました。その場でわたしは捜査に加わるように任命されました。その夜のうちにわたしたちは容疑者の一人が殺人に関係していたことを突きとめました。彼は後に逮捕され,有罪を宣告されました。

      この働きが認められてわたしは捜査部門に推薦され,1963年に警察学校の刑事養成コースを終えました。そして当時,慣行となっていたように青少年係に配属されました。これは言ってみれば新任の刑事から成る班で,ボーリング場,玉突き場,学校など,青少年の集まる場所に関連した法律の施行にあたるのがその役目です。しかし1966年以来,わたしは普通の刑事の仕事をしてきました。

      大多数の事件の捜査はファロン,フィネガン殺人事件の場合に行なわれたものとは比較になりません。その時には何十人の刑事や特別な技術者が努力を集中しました。重大犯罪の届け出が一日1,000件を優に超える現在,事件を徹底的に捜査するには,大抵の場合,何としても時間が足りません。

      とは言え,比較的に時間がある場合には,十分な捜査の行なわれることもあります。目撃者が探し出され,手掛かりが徹底的に求められるでしょう。指紋は犯罪の証拠として非常に貴重です。しかしわたしが思うには,この面で多くの刑事は十分な事をしていません。科学的な犯罪捜査の方法に関心がないか,その価値を認識していないか,そのいずれかの理由で彼らはそれを活用していません。

      潮のように押し寄せる犯罪に直面して捜査の手続きを踏むことは不可能となり,重大犯罪で解決されるものは五件に一件に過ぎません。しかも実際にはその数はおそらくずっと少ないことでしょう。そのため警察に対する人々の信頼は低下しています。欲求不満や利己心がますます高じて,犯罪に走る人を増やしています。

      それでも多くの警官は,形勢が不利になっているもっと重要な理由はほかにあると信じています。

      犯罪が引き合うと言える理由

      率直に言えば,犯罪は引き合うというのがその理由です。証拠はその事を示しています。大統領の諮問機関である犯罪に関する委員会の以前の顧問ジェイムス・S・キャムベルは,「犯罪は確かに引き合う」と述べました。「重大犯罪を犯しても刑務所行きの可能性は99にひとつである」と彼は語っています。ニューヨーク市では犯罪者が罰せられる可能性はもっと小さいでしょう。

      例えば,最近の一年間に重大犯罪で逮捕された9万7,000人のうち,裁判になって陪審の評決が下された被告は900人に過ぎません。逮捕されてもその大多数は“談合による申し立て”によって処理されます。この方法では,犯人は,たいてい執行猶予のつく軽減された起訴事実について有罪を認めることに同意します。別の言葉で言えば何もとがめられないのと同じです。罰はありません。殺人事件でも十件のうち八件は“談合による申し立て”により解決されます。このような場合,殺人犯は大抵,軽い刑を受け,短期間で出所して罪を重ねることができるようになります。

      わたし自身の経験からも,法廷のこの“回転ドア”の仕組みの例を多く挙げることができます。しかしそのひとつを選んでお話ししましょう。1970年のこと,多くの前科を持つ一人の男が無慈悲にも酒屋の老主人を刺殺しました。ところがこの冷酷な殺人犯は予謀の殺意のない殺人罪に服することを許され,五年の刑を宣告されました。これはおそらく二年か三年で出所するという事です。しかしこれはわたしが捜査した犯罪の中で最も凶悪なもののひとつでした。

      このたぐいの事件が裁かれて適切な刑罰を与えられないのはなぜですか。デイビッド・ロス判事はこう説明しました。「我々はまさにパンク寸前である。このすべての事件を裁くには何百万[ドル]を要するであろう」。そのうえ刑務所はすでに満員であり,新しい刑務所の建設には受刑者一人につき4万ドル(約1,200万円)もの資金を要します。今でさえ以前からある刑務所に一人の人を一年間収容するのに約1万ドルを要します。それで犯罪者を裁判にかけるのに費用がかかりすぎるだけでなく,彼らを監禁しておくのにも非常な経費を要するのです。

      その結果,犯罪が引き合うのを見て人は罪を重ねるように誘惑されます。時には逮捕した警官をあざける者もいます。彼らは自分たちには怖いものがないのを知っているのです。それで警官が犯人の逮捕に少なくとも精力的ではない理由を理解されると思います。犯人はどうせ罰せられないことが多いのです。例えばワシントンのある人は五年間に五十七回も逮捕されて,その後ようやく有罪の宣告を受けました。

      ニューヨーク市の元警察部長パトリック・マーフィーが語ったとおり,これは悲しむべき事態です。「警察は崩壊した犯罪抑制組織つまり検察官も法廷も機能を失った無組織の,いちばん目につく権力に過ぎない」。

      司法制度について述べたニューヨーク・タイムズの社説は当を得たものです。「これを要約して描写すれば,自らの重みに耐えかねて常に崩壊の危険にさらされ,正義の施行と国民の保護よりも,自らの崩壊を防ぐことに汲々としている組織という事になろう」― 1975年2月7日付。

      いちばん苦しむのは国民とくに被害者です。被害者の損失を補償し,彼らを助ける事については,事実上何の考慮も払われていません。その上,法廷で証言するとなれば自分の時間を使い,恐らくは仕事を犠牲にしてそうしなければなりません。そして望み得る事といえば,精々,犯人が処罰される事だけなのです。しかし犯人の処罰がまれな事となっている現在,手間ひまかけて告訴する人はますます少なくなっています。率直に言ってわたしはその人々を責める気にはなれません。フィラデルフィアの一婦人は,彼女を襲った強盗犯人が有罪を宣告されるまで四十五回も法廷に出頭しなければなりませんでした。

      何かの解決策?

      先ごろわたしの聞いた話に,犯罪者は盗んだ物あるいは与えた損害に対して,働いて償いをするというアイデアがありました。この考え方は聖書からとられたものです。聖書に記された神の律法によれば,一頭の牛を盗んで売った者は五頭の牛で償いをしなければなりませんでした。(出エジプト 22:1-4)それは全く論理的です! 犯罪者が被害者に対してこのような償いをしなければならないとしたら,あるいは未成年者の場合,親がそうしなければならないとすれば,犯罪は大幅に減少することでしょう。

      また必要なのは悪行に対して速やかに罰が加えられることです。聖書にある通り,罰がなければ犯罪者は犯罪が引き合うと感じて悪を重ねます。(伝道 8:11)聖書の勧めるように,故意の殺人者が速やかに処刑されるならば,殺人がずっと少なくなる事は確かです。(民数 35:30,31)また他の犯罪者も厳しく罰せられるならば,犯罪が突然に減ることは請け合いです。

      しかし現在の事物の体制は,理性と良識の道からますます遠ざかっています。ゆえにこの体制の続く限り,残念ながら犯罪に対する警察の戦いに真の進歩が見られる見込みはないと,わたしは考えます。―寄稿。

  • どうしたら自分を守ることができますか
    目ざめよ! 1976 | 3月8日
    • どうしたら自分を守ることができますか

      市民はふつう警察に保護を求めますが,今では警察でさえ,そうした保護を与え得ないというような所さえあります。ルイス・M・フェルプスは,ウォール・ストリート・ジャーナル紙の中に,シカゴにある自分の家と数軒の隣家が夜盗に遭った時のことを書き,それに対する警察の反応振りをこう述べています。

      「調書を作成しながら,一人の警官は,不用意にもこう言った。『この近所では,警察の保護などないも同然で,市内のどこへ行っても保護など受けられない。我々は,一応犯人を追い掛けるふりをしているが,警官本来の職務を果たしているとはとても言えない』」。

      その警官はこう説明しています。「ある晩我々がそれら犯人を見付けるとしよう。犯人はきっと逃げるだろう……が,わたしは彼らを追い掛けることはしない。追い掛けて捕えても,きっと抵抗するに違いないからだ。犯人を取り押えるため,銃か警棒を使わなければ,自分の方が傷付けられてしまう。ところがそのように殴ると,相手が先に殴りかかって来た場合でも,虐待のかどでこちらが訴えられかねない。だからわたしは,犯人を追い掛けるふりをして,一応格好だけつけることにしている。市内の警官は,大抵これと同じような考え方をしている」。

      警察の保護などないも同然だと警官が述べたのは,こうした理由からでした。しかし彼はすぐに,自分が犯人を追い掛ける「ふりをする」だけであることを弁護して,次のように述べました。「わたしは妻や子供のことも考えねばならない。犯人を捕まえるために,どうして命を危うくしなければならないだろうか。捕まえても,法廷は彼らを再び野放しにしてしまうだけだ。わたしは武装強盗の犯人たちを逮捕したことがあるが,中には,二百回の逮捕歴があり,凶悪犯罪で十数回の有罪判決を受けた者もいた。ところが,犯人たちは執行猶予になるという始末だ。犯人を法廷に引き渡して執行猶予になるのなら,とても自分の命を危うくする気持ちになどなれない」。

      では,一般市民の立場はどうなるのですか。実のところ,犯罪の被害者になるかどうかは,大方,身を守るためどんな努力をするかにかかっているのです。

      勧められている身を守る手段

      デトロイト・フリー・プレス紙の寄稿家フランク・アンジェロは,一つの忠告について述べています。彼は一人の友人から聞いた話として,町の中心部にあるその友人宅付近の何軒かの家が夜盗に遭ったことを説明し,友人の次の言葉を引用し

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