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異教の起源を持つ十字架ものみの塔 1968 | 5月15日
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多くの人は,キリストが十字架の上で死なれたゆえに教会で十字架が用いられていると考えています。教会でもそのように教えていますが,それは真実ではありません。キリストが十字架の上で死なれたかどうかは確かでないことを認めて,シュルスウイッグ・ホルステインの国立福音ルーテル教会の新聞「ホームランドの教会」は,その1951年8月2日付で次のように述べています。「ゴルゴタの十字架に横棒がつけられていたか,それとも1本の杭であったか,あるいはそれがT字形であったか,それとも真直ぐな杭に横棒をつけたものであったかについて,今日確かに知ることはまず不可能である」。
英訳された聖書の多くには「十字架<クロス>」ということばが出ていますが,それはキリストを死刑にした刑具が教会の言うような形のものであったことを示す証拠にはなりません。ひとくちに「十字架<クロス>と言っても,色々な形のものがあります。ラテン語でクルクス・シンプレクスと呼ばれるのは真直ぐな杭です。T字形のものはラテン語でクルクス・コミサと呼ばれました。X字形のクルクス・デクサタがあり,T字形で横棒が下げられているクルクス・イミサがありました。それで教会の出した英訳聖書の中にある「クロス」がどの形のものを意味するのか,どうしてわかりますか。
教会によって英語の「十字架<クロス>」と訳されたギリシャ語はスタウロスですが,聖書の筆者にそれが意味したものは,教会によってキリスト教の象徴と考えられている十字架ではありません。それは横木のない真直ぐな杭を意味していました。この点についてW・E・ヴァインの「新約聖書用語注釈辞典」第1巻256頁に次のことが出ています。「スタウロスはおもに真直ぐな杭を意味する。罪人はこのような杭に釘づけにされて処刑された。名詞および杭につけるという意味の動詞スタウローはいずれも元来は,教会の採用している,2本の棒を交叉させたものとは別物である。後者の形は古代カルデヤに起原を有し,神タンムズの象徴であった」。
オックスフォード大学出版局の出したザ・コンパニオン・バイブルにしるされている事柄にも注目してください。付録186頁に次のことが出ています。「ホーマーは,ふつうの棒あるいは杭,あるいは1本の材木の意味にスタウロスを使った。古典ギリシャ語全般において,これがこの語の意義および用法である。それは角度の如何を問わず2本の棒を交叉させたものではなく,1本の棒を常に意味する。したがって主の死のさまに関連してズロン[材木の意]が用いられ,使徒行伝 5:30; 10:39; 13:29,ガラテヤ人への手紙 3:13,ペテロの第一の手紙 2:24において木と訳されている……ギリシャ語新約聖書の中に2本の木を組み合わせた柱を暗示するものは何もない……証拠は十分である。主が死なれたのは,角度の如何を問わず2本の棒を交叉させた杭ではなく真直ぐな杭の上であった」。
キリスト教会の使っている十字架は,キリスト教とはおよそ縁のないものです。それは真理の神から忌みきらわれ,イスラエル国民がそれについて警告を受けた昔の異教の神聖な象徴です。(申命 7:16,25,26)それは古代エジプトの宗教の象徴として認められていました。
クルクス・アンサータと呼ばれるエジプトの十字架は,上部に輪がついていました。この組み合わせは男女の生殖器官を表わすものでした。この十字架の女性の象徴すなわち,ヒンズー教でヨニと呼ばれる輪について,O・A・ウォール著「性と性崇拝」の359頁にこうしるされています「クルクス・アンサータ(柄のついた十字架)は,インド,アッシリア,バビロン,エジプトからスウェーデン,デンマーク(古代北欧)および西欧大陸に至るまで世界中で用いられた……それはエジプト人のT型十字章すなわち生命力の象徴である。それは女性のヨニと男性のT字型十字架の結合を表わす」。
これらの事実に照らしてみる時,建物に十字架をつけ,宗教的礼拝に十字架を用いる教会は,異教の崇拝を行なっていることになります。異教化された崇拝が真の神の是認を得ることはありません。すべてこのようなバビロン的崇拝から離れることが必要であり,真をもって創造者を崇拝する人々と交わることが必要です。―黙示 18:4。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 5月15日
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読者からの質問
● タルソのサウロがパウロの名を与えられたのはいつですか。またなぜですか。―アメリカの一読者より
この問題について独断的になることはできませんが,のちの使徒パウロは幼時にサウロとパウロの名を与えられたと見るのが妥当のようです。
サウロは「ヘブル人の中のヘブル人」とみずから述べているように,ベニヤミン族のユダヤ人でした。(ピリピ 3:5)彼の両親が彼をサウロと名づけた理由については,いろいろな説があります。父親の名がサウロであったことが,その理由であったかもしれません。(ルカ 1:59)また全イスラエルの最初の王がベニヤミン人サウロであったことから,サウロという名はベニヤミン人の間で伝統的に重要視された名でした。「求められた」あるいは「望まれた」というこの名の意味にちなんで,両親が彼にこの名をつけたとする見方もあります。どんな理由でこのユダヤ人の名前が選ばれたにせよ,彼は同胞であるユダヤ人の中にいる時,また特にパリサイ人となるために学び,パリサイ人として生活した時に自分のヘブル名を用いたことでしょう。―使行 22:3。
ユダヤ人であったその両親はローマの自由都市タルソに住んでいたので,彼らがまたローマ名パウラスすなわちパウロをむすこに与えたとしても不思議ではありません。その名は「小さい」という意味です。パウロの親類にもローマ名とギリシャ名を持つ人々がいました。(ローマ 16:7,21)そのうえ当時のユダヤ人とくにイスラエルの外に住むユダヤ人が,二つの名を持つことはふつうでした。聖書にも弟子シメオンがニゲルと呼ばれ,またヨハネがマルコとも呼ばれた例が出ています。(使行 13:1; 12:12)サウロの場合,彼は生来ローマ市民であったため,ローマ名は特に適切であったと言えるでしょう。―使行 22:28。
この使徒の第1回伝道旅行の最初の行程に関する記録の中で,使徒行伝 13章9節において,サウロは聖書の中で初めてパウロと呼ばれています。「サウロ,またの名はパウロ」。彼は,その直前に地方総督セルギオ・パウロに伝道しているので,その名にあやかってその時はじめてパウロの名を使ったという説もありますが,それは妥当な説明とは思われません。(使行 13:7)むしろ元からローマ名すなわち異邦人の名を持っており,異邦人の間を旅行するようになったいま,それを使ったものと考えられます。異邦人すなわち諸国民の人々への福音を委ねられたことを認めて,パウロはその手紙の中に自分のユダヤ人の名前を一度も使っていません。(ガラテヤ 2:7; 1:1)それでペテロさえもこの愛された仲間の使徒をパウロと呼んでいます。―ペテロ第二 3:15。
● サムエル記下 2章23節によればアサヘルは,ダビデが全イスラエルの王となる前に殺されているのに,ダビテの軍隊の組の長として名をしるされているのはなぜですか。(歴代上 27:7)―アメリカの一読者より
アサヘルの名がここにしるされていることは,次の事柄を証明するものと一部の批評家に考えられています。すなわちここに述べられているとりきめは,全部族がヘブロンのダビデのもとに来てダビデを王にいただく前にある程度まで設けられていたという見方です。この点についてインタープリターズ・ディクショナリィ・オブ・ザ・バイブル(第1巻244頁)には次のように述べられています。「これはダビデがユダを治めた時の,初期における,ダビデの国民軍の原型とも見られる。そして彼の最初の名簿はあたらしく書き直され,アサヘルの跡を継いで指揮者となった子のゼバデヤを含めている」― 歴代志上第12章とくらべてください。
これとは別の見方もあります。歴代志上 27章7節に第4の将としてあげられているのはアサヘルだけでなく,「その子ゼバデヤがこれに次いだ」こともしるされています。月ごとのこの将の地位は有数の老練な将によって占められた特権でした。そしてこのような名誉は死後に与えられる場合があったかもしれません。したがって「アサヘル」の名はここでは,アサヘルの後継者として述べられている子のゼバデヤが代表するアサヘルの家をさすものとも考えられます。
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