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  • 新しい住みかを求めるキューバ人たち
    目ざめよ! 1981 | 6月22日
    • 新しい住みかを求めるキューバ人たち

      トラックに乗ったキューバ人の一グループが1980年の前半に,キューバのハバナ市にあるペルー大使館に乱入しました。同国を出国できるようになるまで,庇護を求めていたのです。ほどなくして,キューバ政府はペルーへ行きたいと思う者はだれでも自由に出国して構わないと発表しました。

      二日もたたないうちに,1万人以上の人々がキューバを後にしようとして同大使館の敷地内に詰め掛けました。さらに幾万もの人々が出国許可を与えられたため,数週間後にこの事件は国際的なニュースとなりました。米国に身を寄せた人だけでも12万人ほどに上ります。

      キューバ難民の問題は今に始まったものではありません。幾年もの間に,何十万人もの人々が他の国々に移り住みました。そうした人々を受け入れた国々には,ボリビア,コロンビア,コスタリカ,エクアドル,ペルー,スペイン,米国,ベネズエラなどがあります。他の国々もそのような難民を受け入れる意向があることを示唆しています。

      どうして自国を後にしたか

      これら難民たちはどうしてキューバを後にしたのでしょうか。その理由は実に様々です。別の国へ行けばもっと良い生活ができると考えた人もいました。現政権の政策に同意できずに窮地に陥り,その後に起きた諸問題から逃れるために亡命した人もいます。

      また,キューバ政府は1980年に,この機会を利用して好ましからざる人物とみなされる者の多くを大々的に始末することにしました。例えば,難民が続々と出国するようになった後,犯罪者たちが刑務所から出され,難民用の船に詰め込まれて同国から追い出されました。政治的に危険な分子とみなされた者たちも同様の経験をしました。同性愛者として知られている人の幾人かも出国を余儀なくされました。

      別の種類の難民

      しかし,1980年にキューバを後にした難民の中には,別の理由で出国を余儀なくされた人々が3,000人ほどいました。米国ネブラスカ州のヨーク市のニューズ・タイムズ紙は,それについてこう述べています。「キューバからのボート輸送によって米国に到着した犯罪者や同性愛者の様々なグループが広く宣伝されている中で,あまり目立たないもう一つのグループがある。その人たちの唯一の罪状と言えば,自分たちの宗派が5年前に非合法化されたにもかかわらず自分たちの方法で神を崇拝し続けようとしたことである」。

      ニューズ・タイムズ紙はそのグループがエホバの証人であることを明らかにし,こう加えています。「エホバの証人はかねてから様々な独裁政権の下で,武器を取ろうとせず,権力の座にある政府の政治に手出しをしようとしないために苦しみを味わってきた。彼らの信仰はそうしたことを非としているのである。ヒトラー支配下のドイツで,証人たちはユダヤ人や他の“好ましからざる人物”と共にガス室に送られた」。

      とはいえ,それらのエホバの証人がキューバを後にしなくてはならなくなった状況は一体どのようなものだったのでしょうか。どのような状況に耐え,どのようなものを後にして来たのでしょうか。キューバ難民自身の口からその経験談を聞くことにしましょう。

  • キューバ難民の語る体験談
    目ざめよ! 1981 | 6月22日
    • キューバ難民の語る体験談

      キューバを後にすることを余儀なくされたエホバの証人の典型とも言えるのはホセ・トゥニドールです。ホセはこう語っています。

      「1978年12月に,警察が私の家へやって来て,何の説明もなしに連行されました。そして,もう一人のエホバの証人であるエルネスト・アルフォンソと一緒に刑務所に入れられました。エルネストも自分がなぜそこに入れられたのか知りませんでした。

      「後に,警察は家宅捜索をするために私を家へ連れ戻しました。そして,私の所持していた,聖書を説明する文書を没収しました。また,タイプライターも取り上げられました。刑務所に戻ってみると,エルネストもやはりタイプライターと文書を没収されたとのことでした。なぜでしょうか。単に聖書を信じ,その真理について他の人々に話したというだけの理由で,反社会的であるとして告発されていたのです。危険人物であるとして起訴され,法廷は懲役3年の刑を私たちに言い渡しました」。

      トゥニドールはマタンサス州コロンの近くにあるアギカの刑務所に送られました。そして,サトウキビを切るため畑に移されるまで,刑務所の中で働きました。その後,トゥニドールは同国から追放されました。ハバナにある有名な刑務所,ラ・カバーニャに連れて行かれてからポート・マリエル付近のある場所に移され,ポート・マリエルで米国に向かう船に乗せられたのです。

      エホバの証人の多くは服役中に強制出国させられましたが,自宅から連れ去られて,国外に追放された人もいます。そうした人々は所有物を何一つ持って行くことができず,時には親族に別れを告げることさえできませんでした。エルミニオ・アロヨは次のように回想しています。

      「警察が私たちの家に来たのは午前3時ごろで,私たちはベッドの中で眠っていました。警官たちは引渡し令状を手にしており,身仕度をするよう命じました。それからすぐに出入国管理事務所に連れて行かれ,貴重品を所持していないかどうか服を脱がされて調べられました。その同じ日の午後6時ごろ,ほかの300人の人々と一緒にエビ捕り船に乗せられて,米国への旅に出発しました」。

      他のエホバの証人の多くも,夜明けかそれ以前に当局者の訪問を受け,国外退去を余儀なくされるという同じような経験をしました。その人たちは文字通り着のみ着のままで出国しなければなりませんでした。めぼしい物は結婚指輪まで取り上げられました。

      政府が犯罪者や好ましからざる人物を一掃したいと思うのは理解できないことではありません。しかし,この誠実なクリスチャンたちのグループをどうして急いで自国から追い出さねばならないのでしょうか。こうした事態の背後にはどんな事情があるのでしょうか。

      迫害が始まる

      キューバ政府は1962年に,エホバの証人による聖書文書の輸入を差し止めました。同国政府は,そのような出版物が「有害で,反動的で,親帝国主義」であると定めたのです。言うまでもなく,エホバの証人の業に通じている人々はそうした判断が決して当を得たものでないことを知っています。キューバのエホバの証人は,世界各地で立派な行動の記録を残している,上品で正直な人々と同じグループに属しています。

      しかし,迫害は激しさを増してゆきました。今では米国にいる難民の一人,ルイス・アルカントゥールは昔のことを思い起こしてこう語っています。「1965年11月に,キューバのエホバの証人に対して大々的な攻撃が加えられました。その時は,特に徴兵年齢に達した若い人々が攻撃の的になりました。幾百人にも上るこれら若いクリスチャンたちは様々な強制収容所に行かされるはめになりました。収容所の大半はカマグエイ州にありました」。

      刑務所に入れられたばかりのころに関して,アルカントゥールはこう語っています。「私たちは12日間続けて食物を与えられませんでした。1日に1度水を与えられただけです。太陽が照りつけても雨が降っても立たされたままで,蚊やブヨに食われるだけ食われました。11日目には水の一杯満ちた溜池に投げ込まれました」。

      当時,アルカントゥールは19歳でした。良心的兵役忌避者であったため,兵役に就くことを拒んだ結果投獄されたのです。

      別の難民であるアルベルト・サンチェスは,自分の受けた仕打ちについてこう語っています。「信仰の面で妥協しようとしなかったために,私たちは殴打され,夜間に冷水をかけられ,中には体を縛られ,首の周りに雄牛に引かせるためのくびきを付けられて引きずり回された人もいました。私の頭に銃口が向けられ,行進しなければ撃つぞと言われたことが1度ありました。銃殺隊が準備を整え,その前に立つよう求められたことが2度ありました。撃て,という命令さえ与えられましたが,実際に発砲されたことはありませんでした。

      「中には,同性愛者ばかり収容されているバラックに住まわされた証人たちもいました。しかし,その人たちと話し合い,聖書に基づくクリスチャンの立場を説明するに及んで,エホバの証人は敬意をもって扱われるようになりました。これは証人たちに対する軍人たちの憎しみを募らせたにすぎませんでした」。

      ほかの収容所では,さらに多くの証人たちがひどい虐待を受けました。食べ物が与えられず,裸にされ,蚊に食われるだけ食われ,冬の夜の寒さにさらされ,独房に入れられ,絶えず死の脅威に直面しました。ウルスロ・ブリトというエホバの証人は,ある期間天井から逆様につるされました。

      迫害が激化する

      1968年に政府はその迫害の度を強めました。エホバの証人は新聞やラジオ,テレビなどで絶えず攻撃され,暗殺者,破壊活動分子,狂信者として誤り伝えられました。そのほかにも不快で事実無根の非難が数多く加えられました。その結果,職場においてさえ事態は非常に緊迫したものになりました。多くのエホバの証人は良い勤め口を失いましたが,どこにも訴え出ることができませんでした。そのため,だれも望まないような仕事を,非常に低い賃金で行なわざるを得ませんでした。

      組織立った攻撃に加えて,政府は,「愛国的な組織や象徴に対する敬意の欠如」なるものを子供たちに教え込む父親や母親,教師に懲役刑を科する新しい法律を成立させました。エホバの証人はそのような「敬意の欠如」を教えてはいません。しかし,政府はエホバの証人が聖書に基づいて教えている事柄を不敬な教えとみなしました。それはすなわち,「あなたの神エホバをあなたは崇拝しなければならず,彼だけに神聖な奉仕をささげなければならない」,および「子どもらよ,自分を偶像から守りなさい」という教えです。―マタイ 4:10。ヨハネ第一 5:21。

      その結果,多くの母親や父親は子供たちに真の崇拝の諸原則を教え込んで,『子をその行くべき道にしたがって育て上げよ』という神の言葉の指示に従ったために投獄されました。(箴 22:6,新。エフェソス 6:4)例えば,エルミニオ・アロヨの娘たちの一人は次のように思い出を語っています。「子供たちが国旗に敬礼しようとしないと,ほかの生徒たちからいじめられ,先生方は大抵の場合,警察に通報しました。その結果,父兄が3ないし6か月の懲役刑を受けました」。

      家宅捜索

      官憲は幾度か,エホバの証人の家を突然家宅捜索しました。エホバの証人を罪に陥れるいわれとなるものを捜していたのです。例えば,ルイス・アルカントゥールはそうした家宅捜索についてこう述べています。

      「1977年3月30日の午後5時に,国家の保安係官が私の家にやって来ました。当時,彼らは一度に大勢で1軒の家に入り,その中を捜索するという手を用いていました。そして,そのうちの一人が武器や麻薬などをどこかに置くのです。そして,別の係官があたかもそれを見付けたかのように振る舞います。こうして,私たちを偽って告発するのです。

      「その時の家宅捜索は午後11時ごろになって終わりました。係官たちは電気カミソリや衣服や金銭など個人的な性質の物も含め,自分たちの望む物を持てるだけ持って行きました。また,私のタイプライターと聖書文書も持ち去りました。私は反革命文書を保持していたとして告発されましたが,裁判の間にその文書が提出されたことは一度もありませんでした」。

      憲法を無視した攻撃

      このように,過去20年間にわたってキューバ政府がエホバの証人を壊滅させようとしてきたことは明らかです。難民であるクリスト・リヨンは,それを「私たちの崇拝に対するキューバ政府の組織立った攻撃」と呼びました。エホバの証人は禁令下に置かれ,文書を輸入することも印刷することも禁じられ,支部事務所や崇拝のために集まり合う場所は閉鎖され,その公の宣教活動は非合法化され,幾千回も懲役刑が言い渡されました。

      この20年にわたる攻撃は明らかにキューバ共和国の憲法に反するものです。その憲法は,信教の自由を「保証」しています。第54条ははっきりと次のように規定しています。「宇宙の科学的唯物主義の概念を活動の基盤とし,その概念にのっとって人民を教育する社会主義国家は,良心の自由,いかなる宗教であれそれを信奉する各人の自由,および法律に対する敬意を損なわない範囲内で自分の好む信条を実践する各人の権利を認め,保証する」。

      エホバの証人をよく知っている人々であれば,法律に対してそのような敬意を示すことが証人たちの宗教信条の一部になっていることをご存じでしょう。エホバの証人は正に法律に対する敬意を示すことで世界的に知られています。そうであれば,他のほとんどの国で認められているように,エホバの証人が『自分の宗教を信奉し,それを実践する』ことが確かに認められてよいはずです。

      ほかの宗教にも反対しているか

      エホバの証人に対するキューバ政府の行動を考えると,同政府はほかの宗教をも迫害しているのだろうか,という質問が生じます。

      キューバには数多くのカトリック教会があります。その扉は一般大衆に対して開かれています。プロテスタントの諸教会についても同じことが言えます。ところが,エホバの証人の集会場所は政府の法令によって閉鎖されています。どうしてこのような二重の規準が見られるのでしょうか。

      確かに,ほかの宗教団体も政府の圧力を受けたことが一時ありました。ところが,ほどなくしてそれらの宗教団体は妥協し,政治的に利用されるままになってしまいました。しかし,エホバの証人にはそれはできません。自分たちの信仰に反することになるからです。こうしてエホバの証人は長年にわたって迫害の矢面に立たされることになったのです。

      しかし,まだ答えの与えられていない質問があります。キューバのような国でこれほどの苦しみを招くような宗教的な生活の仕方にエホバの証人が従うのはなぜですか。また,これほどの苦しみをこれほどの期間耐え忍び,その間もずっと自分たちの信条に固く付き従うことがどうしてできたのでしょうか。

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      「単に聖書を信じ,その真理について他の人に話したというだけの理由で,私たちは反社会的であるとして告発されていたのです」

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      その人たちは文字通り着のみ着のままで出国しなければなりませんでした。めぼしいものは結婚指輪まで取り上げられました

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      多くの母親や父親は『子をその行くべき道にしたがって育て上げよ』という神の言葉の指示に従ったために投獄されました

  • 忠実さの記録
    目ざめよ! 1981 | 6月22日
    • 忠実さの記録

      エホバの証人が迫害されている国はキューバだけではありません。ソ連や中国をはじめ共産主義諸国では禁令下に置かれてきました。最近では,アルゼンチンでも迫害されています。マラウィでは長年にわたって幾度か恐ろしい迫害の波が押し寄せ,第二次世界大戦中にはナチ・ドイツでエホバの証人を根絶することに力が注がれて多くの証人たちが強制収容所の中で死にました。

      しかし,エホバの証人に対する迫害は最近に始まったのではありません。扇動罪で告発されたり反社会的であるとして非難されたりするのも新しいことではありません。神の忠実な僕たちの中には同じような迫害を身に受け,やはり偽りの告発を受けた人々がいる,と聖書は教えています。―ヨハネ 19:12。使徒 16:19-21。

      中立

      ある国々がどうしても理解できないのは,エホバの証人が政治問題に関して中立であるということです。エホバの証人は自分の住む国の政治体制に介入することも,害を及ぼすことも決してありません。ある国々はこの点を誤解し,エホバの証人が戦争へ行かなかったり,愛国的な象徴に対する崇拝行為と思える行為を行なわなかったりするため,証人たちを破壊活動分子とみなします。

      しかし,エホバの証人が破壊活動分子であるはずがありません。それは彼らが奉ずる聖書の高い原則に反するからです。事実,この点に疑いを抱く人が注意深く,偏見を持たずに調べてみれば分かりますが,エホバの証人はいかなる政府に対しても反乱を企てたことはありません。エホバの証人が反乱を企てたり,そうするよう人々を唆したりしたことは一度もありません。むしろ,道徳上の振舞いや納税および市民としての様々な責任に関して自分の住む国の法律を破る成員を,だれであろうと厳しくけん責します。どこの国でもエホバの証人が法律を最もよく守る市民の一人に数えられているのはそのためです。

      エホバの証人は戦争が人類の諸問題を解決するとは考えていません。そのように信じていないのは,神のみ言葉である聖書が戦争は地球の諸問題を解決しない,と述べているからです。むしろ神は,「国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない」時が来ることを約束しておられます。(イザヤ 2:4,新)エホバの証人は今でもその預言の背後にある原則に従います。ローマ 12章18節にある「あなたがたに関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい」という使徒パウロの諭しと調和した生活を送ります。

      これは何も新しいことではありません。例えば,エドワード・ギボン著,「キリスト教史」という本は1世紀のクリスチャンに関してこう述べています。「彼らは民政や帝国の軍事的防衛に対する積極的参与を一切拒んだ。……クリスチャンが自分の持つより神聖な職務を放棄せずに兵士であり,行政官であり,また君主であることは不可能であった」。

      ところが,他の多くの国と異なり,キューバには良心的兵役忌避者に兵役を免除する取決めがありません。そのため,キューバの若いクリスチャンは神のみ言葉の原則を忠実に守った結果多くの苦しみを味わっています。まだキューバに残っている幾千人ものエホバの証人は,神の律法に対する忠実さゆえに依然として苦しみに遭っています。

      しかし,キューバなどの諸政府は,すべての人がエホバの証人のように忠実に戦争を忌避したらどうなるだろうか,と自問してみるべきでしょう。その答えははっきりしています。戦争は永遠になくなるでしょう。幾百万ものエホバの証人の間で,戦いはすでに国際的な規模で過去のものとなっており,神の義の新秩序においては全地から完全に消え去るからです。―ヨハネ 13:34,35。ペテロ第二 3:13。

      刑務所で敬意を勝ち得る

      投獄されたエホバの証人はどうしても神への忠誠を示さなければなりません。彼らは正にそのことを行ない,同時に他の服役者たちにもその希望を伝えました。

      例えば,サムエル・イスクェルドは兵役に就かなかったために投獄された時の事についてこう語っています。「彼らの政治命令に服することを自分の良心は許さず,軍事教練を受け入れることもできない,と告げました。私の問題を扱っていた当局者は怒りに声を震わせ私を独房に閉じ込めておかねばならないと命じました。

      「その独房は木でできており,1.2㍍四方で高さが1.5㍍ありました。これではまっすぐに立つこともできません。また,独房の床の表面は人間の排せつ物で覆われており,そこへ裸ではだしのまま閉じ込められました。その悪臭はすさまじいものでした」。

      しかしこのエホバの証人は,こうした状況の下で自分の忠誠をどのようにして守ることができたかについてこう語っています。「私は,ギリシャ語の部分だけでしたが,小さな聖書を膚身離さず持っていました。身体検査をした時に当局者はそれを見付けましたが,そのちっぽけな本には目もくれませんでした。彼らはこの本をそう呼んだのです。他の受刑者たちと一緒にされた最初の日から,聖書の差し伸べる神の新秩序の希望について彼らに話し始めました。10人以上の受刑者たちが私の周りに集まりました。私は聖書を読み,受刑者たちの言葉を借りて言えば,彼らに霊的な慰めを与えました。これは自らを霊的に強く保つのに役立ちました。そして,受刑者たちは私を聖職者として尊敬していました。その刑務所で,兵士たちはとうとう私が害を及ぼす者でないとみなすようになり,罰を加えるのをやめました」。

      集まり合う

      聖書はクリスチャンに,『集まり合うことをやめない』よう命じています。(ヘブライ 10:24,25)キューバの法律はエホバの証人が公に集まることを禁じていますが,証人たちがほかの方法で集まり合うことをとどめることはできません。刑務所の中においてさえ,彼らは集まり合う方法を見いだしています。

      エドゥアルド・アボウドはこう述べています。「収容所のどこかでひそかに集まり合い,聖書の討議を行なえたのは大きな喜びでした。毎日,一人の人が聖句を提起し,注解を求めました。私たちはまた,互いの経験やだれもが直面し克服しなければならない信仰の様々な試みについて語りました。それから,次の日に起こるであろう困難な事態にどのように耐えたらよいかを学びました。

      「また,エホバの証人ではない他の受刑者たちに神のお目的について話す機会が私たちすべてにありました。収容所の各バラックには一人のエホバの証人がいました。ですから,各人は自分のいるバラックを宣べ伝える業を行なうための個人的な“区域”とみなしました。こうして,私は自分が以前に学んだ事柄を用いて,毎週二つの聖書研究を司会することができました。刑務所の中では聖書を含めいかなる出版物もなかったからです。それでも,私たちは毎月,聖書の真理を他の人々に語る活動において優れた成果を示しました」。

      刑務所の外では,エホバの証人の公式の集会が禁じられており,王国会館が様々なグループや暴徒に襲われ,男女子供が殴打されました。州政府当局や内務省の代表に会見を申し入れてもむだでした。返事といえば,「我々はハバナの命令に従っているまでだ」という言葉の繰り返しでした。

      公の活動が禁じられる

      王国会館を閉鎖することに加えて,エホバの証人が他の人の家庭で公の宣教活動に携わることを妨げるために力が注がれました。毎週,幾千人ものエホバの証人が,公の宣教活動に出掛けて行っては逮捕されました。その人たちは罰金刑を科されたり,一定期間拘置所で過ごしたりしました。

      それでも,今日のキューバのエホバの証人は,自分たちがみ言葉から学んだ良い事柄を他の人々に伝えるようにという神の命令に従っています。(マタイ 24:14; 28:19,20。使徒 20:20)彼らは様々な仕方でこうした宣教活動に携わっています。そして,「どこにおいてもイエスの名によって何か口にしたり教えたりすることはないように」との命令に対して1世紀のクリスチャンたちが示したのと全く同じ反応を今日でも示しています。それら初期クリスチャンたちは権威者たちの前に立たされた時,こう言明しました。「神よりもあなたがたに聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなたがた自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいきません」。また,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」とも述べています。―使徒 4:18-20; 5:29。

      エホバの証人の忠実な行動によって,エホバ神のお名前と目的がキューバ中に広く知られるようになっている,と難民たちは伝えています。これは真理を聞きたいと願う大勢の人々にとっては大変有益なことです。刑務所では神の目的に関して大規模な証言が行なわれています。

      難民であるルイス・ガルシアが述べることに注目してください。「エホバの証人たちが刑務所に送られるまでは,キューバの刑務所ではエホバの証人の業も名前も知られていませんでした。やがて,刑務所に行かねばならないエホバの証人の数が増加してゆきました。その結果,刑務所の内外を問わず,驚くほどの証言が行なわれました。キューバのどこの刑務所でも“エホバの証人”という言葉を口にすれば,勇気,雄々しさ,固い決意,忠実さ,およびあらゆる面での忠誠心を意味するものとされました」。

      多くの受刑者たちはエホバの証人の音信と振舞いから益を得ました。そのような受刑者たちの非常に多くが神とその目的について学び,自分たちの生き方を変えて,神の僕になりました。聖書を学ぶ前に強盗を働いたため投獄されていた人はその一例です。この人は刑務所の中で自分を教えてくれた人に次のような手紙を寄せています。

      「親愛なる兄弟: これを読まれる時に愛するご家族と共に身体的にも霊的にも元気であられるよう願ってやみません。私の方は元気です。霊的には強くなり,楽観的になっているように思います。毎日毎日信仰が深まっているからです。時がたつにつれて,物事をよりよく理解するようになっています。神の聖霊が自分の内に働いているのを見て大きな喜びを味わっています。この環境の下では一人ぼっちですが,全能の神のお名前を最も高い所に掲げることが可能になっています。その教えすべてを自分の生活に当てはめようとしているからです。

      「ご一緒に過ごした短い期間に,自分の年齢や自分が正にこの世の一部であるという事実にもかかわらず,あなたを深く敬慕するようになりました。あなたのような仕方で接してくれる人に会ったのはこれまでに一度もありません。これまでの交友関係はいずれもこの世の人とのもので,そうした人々は遅かれ早かれその本性を現わすからです。しかし,あなたの中には愛や誠実さや親切心がいつも見られました。

      「あなたは私にとって霊的な意味での父親で,私は大いに助けられました。私にとって助けになり,また将来の自分の役に立つと思える別の事柄は,神の僕としてのあなたの模範です。聖書の中にどんな教理が書き記されているかを教えてくださるだけでなく,私に接する際にその模範によって歩むべき正しい道を教えてくださいました。

      「私はまだ霊的に円熟していません。まだまだ知識が必要です。こうした不利な条件があっても,真理を擁護する用意はできています。真理を隠すことはできないからです。思っていることを十分に表現できないことが時々ありますが,言葉は少なくても真理を擁護することはできます。

      「あなたが釈放されて寂しい思いをしましたが,他の人々に非常に活発に真理を語るようになりました。おかげで穴のあいたような気持ちが埋め合わされています。

      「神の道を知り,そのお目的を知って本当にうれしく思います。私は一刻一刻を神に仕えるために用い,どこにいようと,たとえ命を失う可能性があっても神に仕えるべく献身しました。(ルカ 9:62。使徒 20:24)遠く離れてはおりますが,あなたの教えを忘れてはおりません。信仰におけるあなたの兄弟であり,息子である,(署名)」。

      確かに,どんな政府でも誠実な態度で神の僕たちを観察すれば,彼らのもたらす数々の益が目に留まるはずです。エホバの証人になる人々は,最良の市民になります。彼らは自分の家族,子供たち,自分自身,そして他の人々の財産をこれまで以上に顧みるようになります。エホバの証人は正直さや道徳を最重要のものとみなします。

      エホバの証人の望む事柄

      当然のことながら,エホバの証人はどこに住んでいようと,その国の政府の理解を得たいと思います。自由かつ幸福な方法で自分たちの宗教を実践したいと願っています。そして,ほとんどの国において,そうすることは可能です。

      ところが,キューバではその自由がありません。しかし,この願いは1978年12月16日にカストロ政権に送られたアピールの中で言い表わされました。その文書の結びにはこう書かれています。「私たちは閣下や革命政府の他の高官各位のために祈り,皆様が私たちの立場を道理にかなった範囲で理解し,また神のご意志でありその決意されるところであれば,速やかな答えを与えていただけるよう祈るものです。聖書のテモテ第一 2章1,2節はそうするよう勧めています。そこにはこう書かれています。『そのようなわけで,わたしは勧めます。まず,あらゆる人について,また王たちや高い地位にあるすべての人びとについて,願いと,祈りと,取りなしと,感謝をささげることとがなされるようにしてください。それはわたしたちが,敬神の専念を全うし,まじめさを保ちつつ,平穏で静かな生活をしてゆくためです』」。

      しかし,たとえそのような誓願が答えられなくても,だれに反対されようともキューバのエホバの証人は全能の神に忠実に仕え続けます。「もし神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵するでしょうか」と聖書は述べています。(ローマ 8:31)エホバがご自分の定められた時に,定められた方法でその事態を変えてくださることに信頼を置いているのです。

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