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その「正しい状態」は今日のわたしたちにとって何を意味しますかものみの塔 1972 | 3月1日
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「二千三百の夕と朝」
26 「常供の物」および「罪」に関してどんな質問が提起されましたか。み使いはどんな答えを与えましたか。
26 さて,ダニエルの聞いているところでみ使いが提起した例の質問を思い起こしてください。こうしるされています。「常供の物と荒廃を来らする罪とにつきて異象にあらはれたるところの事聖所とその[神殿のしもべたちの]軍との棄られて踏つけらるゝ事は何時まで斯てあるべきか」。この問いに対するみ使いの答えはこうしるされています。「二千三百の夕と朝までである。そして聖なる場所は確かにその正しい状態にされるであろう」。―ダニエル 8:13; 8:14,新。
27 それら2,300の晩と朝の期間は,早くてもいつから数えはじめられますか。ユダヤ人の太陰暦によれば,それはいつでしたか。なぜですか。
27 この2,300の夕と朝の期間はいつ始まりましたか。この点がわかれば,その期間がいつ終わるか,したがってエホバの「聖なる場所」はいつ「その正しい状態にされる」か,もしくは「その正当な状態に回復される」かがわかります。(改訂標準訳)f もしエホバの「聖なる場所」がそのあるべき姿に「される」もしくは「回復される」のであれば,それがかつてエホバの見地から見て「正しい状態」にあった時からその日数を算定すべきでしょう。それは早くとも1938年6月1日となります。その時,エホバの聖所で仕える従属の祭司たちである,エホバの油そそがれた残れる者の公式の機関誌すなわち「ものみの塔」誌は,「組織」と題する記事の第1部を掲げ,組織に対する神権的な要求をさらに十分に述べました。ユリウス暦やグレゴリオ暦が紹介される何世紀も昔,ダニエルが幻を見た当時用いられていたユダヤ人の太陰暦にしたがって計算すれば,1938年6月1日は陰暦シワンの月の2日にあたります。その14日後,つまり1938年6月15日はシワン16日に相当します。その時,「ものみの塔」誌は「組織」と題する記事の第2部をその決議文を添えて発表しました。それで,今わたしたちの質問を考慮しましょう。
28,29 (イ)その重大な時期から数えれば,それら2,300日はいつ終わることになりましたか。(ロ)当時,第八世界強国に関連してどんな重要なできごとが起きていましたか。
28 こういうわけで,神権組織がエホバの証人の諸会衆内にいっそう十分に確立されることになったその重大な時期を起点として計算するとすれば,2,300日はいつ終わりましたか。
29 これは預言的な期間であることを思い起こしてください。ですから,360日で成る預言的な年が関係しています。(黙示 11:2,3; 12:6,14)したがって,2,300日は太陰暦の6年4か月と20日に相当します。この期間は,1938年シワン2日(6月1日)から起算すると,1944年チスリ21日(10月8日)に終わりますし,1938年シワン16日(6月15日)から数えれば,1944年マルケスワン5日(10月22日)に終わります。g その当時,世界の情勢は,第二次世界大戦終了後まもなく獣のような第八世界強国を底なき所から引き上げ,このたびは世界の平和と安全のための国際連合機構という形で出現させる方向にいっそう近づいていました。「アメリカナ年報」は1944年の年表の中で次のような日付の注目すべきできごとを報告しています。
10月9日 ― 米合衆国,グレート・ブリテン,ソビエト連邦および中華民国は,国際平和機構の創設を提唱したダンバートン・オークス会議の決定を発表す。同機構は「国際連合」と呼ばれ,「国際平和と安全を維持もしくは回復するために必要とあれば,陸・海・空軍兵力を用いる軍事行動を取る」権限が付与されることになる。
10月23日 ― 国務長官代理エドワード・R・ステティニアス・ジュニアはフランス臨時政府に対するアメリカの正式承認を発表。かくてフランスは国際連合の中でその地位を高められ,急速な復興への道が備えられた。ソビエト連邦,連合王国およびカナダも同様の発表を行なう。―1945年のアメリカ年報,730ページ。
30 その当時,神権的な領域では,たとえばニューヨーク州バッファローでの8月のできごとのように物事はどんな方向に向かって動いていましたか。
30 このころまでには第二次世界大戦の戦局は連合国側に決定的に有利な状態に変わり,ヒトラー配下のドイツもすでに連合国軍の侵入を受けていました。それにしても,1944年のその年,エホバの「聖所」で仕えるエホバの崇拝者たちの神権的な領域では何が起きていましたか。その領域では2,300日の終わりに至る注目すべき事態に向かって物事が動いていたのです。その年は,1914年の異邦人の時の終わりにさいして天で生じた,神のメシヤの王国の誕生の30年目に当たります。同年8月9日から13日にわたりアメリカ,ニューヨーク州バッファロー市で「一致した告知者たち神権大会」が開かれ,同市を主要都市としてほかに全米16都市の大会が電話網で結ばれました。同8月12日その大会で,ものみの塔協会の会長は「この福音は宣伝へられん」と題する講演を行ないました。講演の終わりに,「王国は近づいた」と題する384ページの本が聴衆に発表されました。そして,その2日前には別の出版物が発表されました。それは神の名前エホバを用いることを特色としたアメリカ標準訳聖書で,しかも協会の印刷機で印刷したものでした。
31,32 (イ)1944年,ペンシルベニア州ピッツバーグにおける3日間の大会の最初の2日を特色づけるものとなったのはどんなできごとですか。(ロ)10月2日のその大会の最終日は,神権的組織の点でなぜ注目に値するものでしたか。
31 1944年9月30日から10月2日にわたり,ものみの塔聖書冊子協会の登記された事務所のある,アメリカ,ペンシルベニア州ピッツバーグで特別の奉仕および業務のための大会が開かれました。その初日,協会の会長は出席者5,000人を前にして,「今日の神権的路線」と題する講演を行ないました。翌日,「一つの世界,一つの政府」と題する公開講演が行なわれました。そして協会の年次業務総会はその日から翌10月2日月曜日に延期されました。当日午前10時に始まったその業務総会は注目に値するものとなりました。どうしてですか。
32 協会の理事および役員が,同席した出資会員によって選出されたのち,60年前,1884年ペンシルベニア法人として設立された協会の定款を6箇所修正する案が検討されたのです。それは第2,3,5,7,8そして10条をそれぞれ修正する案でした。採択された第1修正条項決議は,協会の目的を敷衍して,前途の世界的な大規模なわざを正しく取り扱えるようにすることを提案したものでした。同時に,この修正条項は神の名前エホバを同定款に挿入するものとなりました。第3修正条項は,協会の会員としての資格を協会に対する金銭的寄付額に基づいて付与することを定めた従来の定款の規定を廃しました。この時以来,協会の会員は500人以下に限られることになり,会員はすべてエホバに対する活発な奉仕に基づいて選ばれることになりました。「ものみの塔」誌1944年11月1日号はその報告の中でこう述べました。「この修正条項は国の法律が許すかぎりにおいて定款を神権的取り決めに近づける効果をもつものとなるであろう」。それら六つの修正条項決議はみな採択されました。
33 それら修正条項はいつ協会の定款に記載されましたか。以来,協会はだれの用いる機関として奉仕してきましたか。
33 それら修正条項すべてを合法化するには州裁判所の認可を得なければなりませんでした。翌年(1945年)それら修正条項は正式に記載され,こうして協会の定款の一部となりました。こうして修正された定款を持って,ものみの塔協会は以来,エホバをその「聖所」で崇拝する油そそがれた残れる者の用いる合法的な機関として奉仕してきました。
34 (イ)その後たいへん時宜を得たこととして,「ものみの塔」誌はどんな情報を発表しましたか。(ロ)「会長」また「統治体」についてどんなことが述べられましたか。
34 油そそがれた残れる者は当時それに気づいてはいませんでしたが,たいへん時宜を得たこととして,1944年10月15日号の「ものみの塔」誌は「最終的なわざのために組織される」と題する主要な記事を掲げました。これを追うようにして,「活躍する神権組織」と題する主要な記事が11月1日号に発表されました。その記事は幾つかの適切な副見出しのもとに,「会長」「ディアコノス,つまりしもべ」「資格」「統治体」「神権的行動」などについて論じました。そこで取り上げられた「会長」という語は,ものみの塔協会の会長をさすものではありません。その記事の12節はこう述べています。「諸会衆の長老たちは,同時に会衆の霊的な監督たちでもあって,弟子たちの集会を主宰していた。集会の司会者としてこのような務めを行なう長老はみなその場合の集まりの会長ということができよう」。「統治体」と題する副見出しのもとで33,4節はこう述べています。「1世紀当時,地上のエホバの神権組織の見える統治機関を構成したのは,特に使徒たちの一団およびエルサレムで使徒たちと交わっていた長老たちの一団であった。……その統治体は完全な人間で構成されてはいなかった」。
35 「今日の神権的路線」と題する次の記事は,「統治体」についてなんと述べましたか。
35 その同じ「ものみの塔」誌上,前述の記事に続く「今日の神権的路線」と題する記事はその3節でこう述べました。「神権組織の見える統治体は,最高の支配者であられるエホバ神とその教会のかしらなるキリスト・イエスによってのみ任命されており,またそうされるのでなければならない。統治体の目的は神の民すべてに指示と霊的な糧を供することである。神権組織全体およびその仲間はすべて統治体と一致して行動し,全地にわたって一致団結して行動する」。
「真実なり」
36 前ページの表に示されていますが,その重大な時期のそれら重要な意義のあるできごとはすべて何を示していますか。
36 この重大な時期におけるそれら重要な意義のあるできごとすべてはいったい何を意味していますか。それはすなわち,エホバの「聖所」つまり「聖なる場所」が,時をたがえず,2,300の夕と朝の終わりに当たる1944年初秋(10月8日-22日)に「その正しい状態にされ」たということにほかなりません。それはみ使いが,「前に告たる朝夕の異象は真実なり」とダニエルに語ったとおりです。(ダニエル 8:26)あらゆる点でエホバ神に属するものである神権政治がたたえられたのです。他のいかなる場所にもましてまず第一にエホバの神権政治が行き渡るべきところは,エホバの「聖所」つまり「聖なる場所」です。そして確かに神権政治はそこに行き渡りました。1944年の秋以来このことにはまさに著しいものがあります。
37 第二次世界大戦中,エホバの聖所で仕える霊的な従属の祭司たちである油そそがれた残れる者はどんな点で試験されましたか。しかし彼らは何をすることに成功しましたか。
37 第二次世界大戦中,エホバの「聖民」の残れる者で代表される「彼の聖所の確立された場所」は毀たれました。霊的な従属の祭司たちであるその油そそがれた残れる者は確かに自分たちの神権的な態度および神権組織の点で1938年6月以降,厳しい試験を受けました。英米二重世界強国とその同盟国が,エホバの公の崇拝と奉仕で成る犠牲の「常供の物」を奪い去る点で成功したことはすべて,神権的な「聖民」が人間よりも支配者としての神に服従しつづけるのを至難にしました。ところが,それにもかかわらず,それら聖民はエホバの聖所内で神権政治を首尾よく維持しました。
38 (イ)第二次世界大戦中,「聖民」の残れる者は,第七世界強国の講じた政治的措置で欺かれましたか。(ロ)1944年10月以後の残された約10か月間の大戦中の試練のさい,残れる者はその影響を受けたかどうかをどのように示しましたか。
38 「荒廃を来らする罪」それも特に,英米二重世界強国が第二次世界大戦中でさえ「荒す悪むべき者」を「底なき所」から引き上げるべく講じた措置も,「聖民」の残れる者を欺く,つまりエホバの聖所におけるエホバへの神権的な崇拝から残れる者を逸脱させるものとはなりませんでした。重大な試練の時となった2,300日が終了するころ,彼らはキリストによるエホバの神権政府を支持する点で以前にもまして強力な者であることを示しました。1944年10月から第二次世界大戦とそれに伴う圧迫が終わりを告げるまでになおおよそ10か月の時が残されていたのは事実です。しかし,それら2,300日の最高潮に至って,残れる者は神の聖所における神の支配を擁護する組織的な立場を取りました。そして,今日に至るまで,そうした神権的支配を断固として支持してきました。歴史はこのことを遺憾なく示しています。h
39 それら2,300日の間,「聖なる場所」をその正しい状態にすべく努力したのは,油そそがれた残れる者だけでしたか。この点にかんして使徒ヨハネはどんな幻を見ましたか。
39 それら2,300日の試練の間,神の指導のもとで神の「聖なる場所」をその正しい状態にすべく努力したのは,ひとりエホバの証人の油そそがれた残れる者だけではありません。エホバの霊的な「聖所」で仕える残れる者には忠節な仲間の支持者たちがいました。それはだれですか。使徒ヨハネはそれらの人たちを予見して言いました。「視よ,もろもろの国・族・民・国語の中より,誰も数へつくすこと能はぬ大なる群衆,しろき衣をまとひて手に棕梠の葉をもち,御座と羔羊との前に立ち,大声に呼はりて言ふ『救は御座に坐したまふ我らの神と羔羊とにこそ在れ』……『かれらは大なる患難より出できたり,羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。この故に神の御座の前にありて昼も夜もその聖所にて神に事ふ』」。(黙示 7:9-15)小羊イエス・キリストに従う,それら献身してバプテスマを受けた追随者たちは,エホバの「聖民」の油そそがれた残れる者と全く同様に神権的な人たちです。
40 「終わりの定められた時」の最後に至って,第七世界強国とその支持者および敵対者はどうなりますか。エホバの神権政治および地上におけるその神権組織についてはなんといえますか。
40 今やまもなく,つまり現在の「終わりの定められた時」の最後に至って,預言的な『猛悪な顔の王』つまり第七世界強国はその政治的支持者および敵対者もろとも「全能の神の大なる日の戦闘」で「滅され」るでしょう。その滅びは「人手によらずして」成し遂げられます。つまりエホバのクリスチャン証人が手を上げてそうした滅びをもたらすのではありません。(黙示 16:14,16。ダニエル 8:19,新)しかし,エホバの「聖所」で仕える忠実な崇拝者たちが終始一貫堅持してきたエホバの神権政治は勝利を得て存続します。地上のエホバの見える神権組織は全地に行き渡って永続し,従順な人類すべてを,唯一無二の神権統治者であられるエホバの崇拝と奉仕において永遠に一致結合させるでしょう。
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超感覚的知覚に立ち向かいなさいものみの塔 1972 | 3月1日
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超感覚的知覚に立ち向かいなさい
アメリカのニューヨーク州に住むある若い女性から次のような手紙が寄せられました。「わたしは長年のあいだ,超感覚的知覚に関係することをいましめた,ものみの塔協会の出版物の記事を読んできましたが,どういうわけか,そうした警告が自分にあてはまるとは決して考えませんでした。しかし,そうした考えを変えるようなことが起きたのです。
「わたしは以前から未開人とその習慣に興味を持っていました。そのため,原始人の迷信,まじない,じゅもんなどにかんする本を読むことにかなりの時間を費やしていました。また,自己催眠術を少しばかりかじることさえしました。やがてわたしは,午前の郵便で何が配達されるかを予告できることに気づきました。わたしは各の郵便物がどんなものか,差出し人や受取人はだれかを言い当てることができました。まだ起きていない事柄を『感知』するようになりました。
「当然ながら,そのことでわたしは不安になりました。なぜなら,『ものみの塔』誌や『目ざめよ!』誌でそうした事柄に関する経験や警告を述べた記事を読んだ記憶があったからです。ついにわたしは,悪霊とエホバに同時に仕えることはできないということを悟りました。(コリント前 10:21。使行 16:16-18)わたしはエホバに祈り,聖書の個人研究の時間をふやし,魔術もしくは超自然的な現象を取り上げた本を読むのをやめました。わたしは,何者かがわたしの思いを支配しようとやっきになっているような圧迫感に襲われましたから,それは一種の戦いでした。気持ちがふさぎ込んでしまうことがしばしばありました。学校の勉強をするときには,きまって苦闘しなければなりませんでした。
「でも,わたしはその戦いで敗れることは許されないのを知っていました。いったん敗れたなら,命を失うおそれのあることを知っていました。自分自身を霊的に強めてからというもの,ふさいだ気分に襲われることが少なくなったように感じられました。それでもわたしは祈りと聖書研究によってなおいっそう自分を強めてゆきました。テサロニケ前書 5章17節の『絶えず祈れ』ということばはわたしにはなくてはならないものになりました。そして,しだいにより自分が強くなるのを感じるようになり,もはやそれほど苦闘しなくても正しい事柄を考え続けられるようになりました。戦いに勝ったのです!
「こうしたことがあったので,問題の発端となった本は二度と読みませんでした。わたしはしばしば級友が超感覚的知覚や催眠術,霊応盤,その他の心霊術を警戒するよう助けています。わたしは非常に不快な経験をしましたので,ものみの塔協会の出版物の戒めに留意することのたいせつさが前にもましてよくわかります」
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