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    ものみの塔 1976 | 5月1日
    • て背教することは,神としてのエホバに対する古代イスラエルの反逆によって予表されていたばかりではありません。イエス・キリストおよびその使徒たちによってもそのことは直接に預言されていました。(マタイ 13:24-43。使徒 20:29-31。テサロニケ第二 2:1-12。テモテ第二 4:3,4)ですから聖書を信じている人は皆,定めの時に,万軍のエホバがご自分の怒りのための象徴的な「むち」を,そうです,象徴的な「斧」を,この現代の「わたしの憤りの民」の上に用いられることを確信を抱いて予期しているでしょう。わたしたちは確かに自分がそのような人々の中にいないことを願います。それで,「むち」と「斧」が今日何を象徴しているかを学ぶのはよいことです。

      12 (イ)エホバは,古代イスラエルに関連して「アッシリア人」を「斧」としてどのように使われましたか。(ロ)当時,アッシリアはエホバの組織とどんな関係にありましたか。

      12 預言者イザヤの時代に,エホバは世界強国アッシリアをちょうど「むち」のように振るって,背教した十部族のイスラエル王国に最後の一撃を加えられました。その破滅の年は西暦前740年でした。次いでエホバは,偶像崇拝を行なう民イスラエルを切り倒すために,世界強国アッシリアをご自分の「斧」としてお用いになりました。エホバは,アッシリアの軍隊に首都サマリアを占拠させ,踏みにじられるぬかるみのようなところにさせて,三年の長きにわたる包囲を最高潮に至らせることにより,それを行なわれました。(列王下 17:7-23; 18:9-12)ここでわたしたちは慎重に一つの特別な事柄に注目しましょう。それは何でしょうか。つまりエホバは世界強国アッシリアを,エホバの崇拝から離れた背教者を滅ぼすための器として用いられましたが,アッシリアはエホバの組織の一部ではなかった,ということです。アッシリアは,悪魔サタンの,目に見える組織の一部でした。アッシリアの地は「ニムロデの地」と呼ばれました。これはアッシリアの首都となったニネベという都市を建設したニムロデのことでした。その建設者は「エホバに逆らう強大な狩人」として悪名高い存在となりました。(ミカ 5:6。創世 10:8-12)ここで注目すべきもう一つの事実はこれです。エホバはアッシリアをご自分の「むち」また「斧」としてお用いになりましたが,このことによってその世界強国がエホバの見える組織の一部となったのではない,ということです。その世界強国はエホバを崇拝することはしませんでした。

      「斧」が切る者に向かって自らを高めようとする

      13 エホバの器として用いられることに対する「アッシリア人」の態度はどんなものでしたか。

      13 古代アッシリアには,エホバに仕えようという考えも,正しさを立証するというエホバの目的と栄光のために仕え続けたいという願いもありませんでした。エホバがアッシリアに関してさらに次のように言われたのはそういう理由からでした。「彼はそのようではないかもしれぬが,その気持ちになる。彼の心はそのようでないかもしれぬが,彼は企てる。彼の心にあるものは滅ぼし尽くすこと,少なからぬ国々を絶つことがあるからである」― イザヤ 10:7,新。

      14 (イ)「アッシリア人」はほんの道具として用いられたにすぎませんでしたが,彼自身はどんな「気持ちに」なりましたか。(ロ)その気持ちと調和して,彼は何をすることを考えていましたか。なぜですか。

      14 「アッシリア人」は,自分のために予定されていた方向とは異なる方向へ行く気持ちを持っていました。当時エホバは「アッシリア人」を,わがままな一つの民に懲らしめを与えるというご自分の目的に仕える,ご自分の手の中の単なる道具として用いるつもりでおられました。しかしそれに反して,「アッシリア人」は別のもの,つまり彼自身の野望と合ったものになる気持ちを持っていました。彼は計画を立てます。しかしそれは,かつてニムロデが反抗した神の手の中の道具として仕えるよう,彼の心が忠実に彼を動かすからですか。そうではありません。彼の心はそのようではありません。彼の心はそのような状態にはありません。エホバの正しい目的に沿って目的や計画を立てるよう彼を動かすことはしません。彼は,いわれなく動物を殺すことに興ずる猟師の喜びをもって,国々を滅ぼし絶つことを,ただ好きで企てるのです。そのようにしてエホバではなく,自分自身の偽りの神々を喜ばすことを考えます。ただただ世界を征服することに夢中なのです。エホバが彼を選んで任命するもの,つまり懲らしめを与える代理人になりたいという気持ちはありません。「アッシリア人」のその後の行状は,このことが事実であることを示しました。

      15 「アッシリア人」は,征服した誉れをだれに帰しますか。イザヤ書 10章8節から11節に記録されている彼の言葉は,このことをどのように示していますか。

      15 「アッシリア人」は,彼を単なる道具として使う全能の神を認めないので,エホバに誉れを帰することを全くせず,すべてを自分の手柄にします。十部族のイスラエル王国を覆してその首都サマリアを攻略しようとするときの「アッシリア人」にこの態度が容易にうかがえます。イスラエル人のその王国は,「アッシリア人」が滅ぼし絶つことを決意していた国の一つでした。「彼はこう言うからである。『我が君たちは同時に王ではないか。カルノはちょうどカルケミシのようではないか。ハマテはちょうどアルパデのようではないか。サマリアはちょうどダマスコのようではないか。いつでもわたしの手が,エルサレムやサマリアのものよりも刻んだ像の多いその無価値な神のもろもろの王国を取った時わたしはサマリアとその無価値な神々とにしたように,エルサレムとその偶像にまさしくそのようにしないだろうか」― イザヤ 10:8-11,新。

      16 「アッシリア人」のそうした不敬な言葉はだれに対して吐かれたものですか。どんな宗教的諸勢力があったにもかかわらず,彼は「王の王」となりましたか。

      16 これはなんと不敬な言葉でしょう。なぜなら,唯一の生ける真の神エホバに向かって侮べつ的な態度で投げつけられたからです。「アッシリア人」には,征服することを目的として自分が手を伸ばす諸都市は,すでに征服した諸都市と同じようになること必定と思えました。彼が征服した諸地域は,土地の王たちによって支配されていました。彼は今やその王たちを自分に従属する領主としました。したがって彼の君候たちは現実に「王」でした。そういう理由で彼は「王の王」として自分のことを誇ることができました。「アッシリア人」は,自分が征服した王たちを有していた諸都市に,多くの「神々」や,人間の作った多くの偶像のあることに気づきました。事実,サマリアとエルサレムの偶像よりもずっとたくさんありました。ところが,そうした神々や人工の偶像がそんなにも多くそれら非イスラエル人の諸都市にあったにもかかわらず,「アッシリア人」はそれら異教徒の都市を征服していたのです。そのことは彼がそれらの神すべてに勝って強力であった証拠ではありませんか。そうだ! と「アッシリア人」は自分に対して答えました。

      17 なぜ「アッシリア人」は,サマリアとエルサレムも容易に征服される,と考えましたか。

      17 その「神々」は存在しないも同然の無価値な神々でした。だから首都サマリアとエルサレムもわけなく征服されるはずだというわけでした。なぜなら,それらの都市には,「アッシリア人」に屈従した非イスラエル人の諸都市よりも神々や彫像が少なかったからです。王の王の「アッシリア人」はこのように推論しました。

      18 サマリアを征服するアッシリア人の能力は,どんな重要な事柄に負うところがありましたか。

      18 当時,十部族のイスラエル王国は,背教の国,宗教上の変節者となっていました。金の子牛の崇拝に転じ,異教のバアル崇拝をさえ行なっていました。サマリアはエホバをその神とせず,代わりに無価値な神々や人間が作った偶像を有していました。ですから「アッシリア人」が,三年にわたるサマリアの包囲に成功して,西暦前740年に同都市を攻略したのは,少しも不思議ではありません。この手柄により,「アッシリア人」の横柄さと,エルサレムにおけるエホバの崇拝に対する傲慢無礼はいよいよつのりました。サマリアに対して軍事的勝利を収め,略奪し,そして「ちまたの粘土のように踏みにじられる所」としたことを,そのアッシリア人征服者は自分自身の手柄にしました。無敵であるかに見える自分の戦力を誇りました。イスラエルが捨てた神の手の中にある刑執行用の道具として自分が使われていたことに,全く気づいていませんでした。

      19 そこでどんな質問が生じますか。

      19 さてここで,非常に興味深い一つの質問が生じます。それは次のような質問です。サマリアと十部族のイスラエル王国がキリスト教世界を予表していたからには,今日のキリスト教世界に関連して,背教したイスラエルの経験した事柄が,わたしたちの生きている時代にもう一度繰り返されるのでしょうか。

      帝国主義者との決済は約束されている

      20,21 イザヤ書 10章12節から14節によると,エホバはなぜ「アッシリア人」の言うことに関心を向けられますか。

      20 わたしたちはどう考えますか。エホバのみ名の置かれている都市を脅かすようなことが言われているなら,エホバご自身が関心をお向けになるべきではないでしょうか。それは当然のことです。そこでエホバは預言者イザヤにより,アッシリア帝国建設者の自己賛美の独白を突如妨げ,こう言われます。

      21 「そして,エホバがシオンの山とエルサレムでその業をことごとく成し終えるとき,わたしはアッシリアの王の心のおごりの実と,その目の高ぶりのうぬぼれに対して決済を行なうことにする。それは彼がこう言ったからだ。『自分の手の力で確かにわたしは行動し,自分の知恵でそうする。わたしには確かに理解力があるからである。わたしはもろもろの民の境を除き,蓄えられた彼らの物をわたしは必ず略奪し,わたしは強力な者のように住民を卑しめた。そして,巣でもあるかのように,わたしの手はもろもろの民の資源をつかみ,残されている卵を人が集めるときのように,実にわたしはまさに全地をかき集める。翼をはばたかる者も,口を開く者も,声高に話す者も確かにいなくなる』」― イザヤ 10:12-14,新。

      22 征服を世界的なものにするためには,「アッシリア人」はどんな戦利品を取らねばなりませんでしたか。

      22 「アッシリア人」の口から出たその言葉からすると,世界強国アッシリアが,サマリアを攻略するだけで満足しないことは明らかです。アッシリアは「まさに全地をかき集める」ことを望むでしょう。エルサレムとユダの地は集めるには良い卵でした。アッシリアの帝国主義者は,全世界を征服する力と知恵と理解力が自分にはある,と考えていました。

      23,24 (イ)「アッシリア人」が全地をかき集めるのは,どんな点で,捨てられた巣から人が卵を集めるのに似ている,と彼は考えましたか。(ロ)エホバが,このことに関しては言うべきことがある,と感じられたのはなぜですか。

      23 「アッシリア人」にしてみれば,そうすることは,驚いた親鳥が捨てていった巣から卵を取り出すのと同じように容易なことに思えたでしょう。卵を取ろうとして伸ばす侵略の手を打ち返す翼のはばたきはないでしょう。抗議の口を開くこともされないでしょう。アッシリアの軍隊が行なう略奪や強奪や追放に対して声高に不平を鳴らすこともないでしょう。それで「アッシリア人」は征服した領土を思うままにし,境界線を変えたり消し去ったり,あるいは人々を生まれた土地から追放したりするでしょう。ちょうど,生き残ったイスラエル人を,神から与えられたイスラエルの地からアッシリアに追放し,人のいなくなったその地を他の国民集団で再植民したときと同じように。

      24 エホバは,「アッシリア人」の切に望んでいた獲物が,エルサレムとユダの地であることをご存じでした。そこは,地上に残る,エホバの崇拝の最後の拠点でした。それについては,エホバにも当然言うべきことがありました。事態がそこに立ち至っては,エホバは行動を余儀なくされました。

      25 当時,シオンの山とエルサレムに,エホバが行なわれる業がありましたが,それはなぜですか。

      25 西暦前八世紀のその危険な時に,エホバは,「イスラエルの光……その聖なる者」として,シオンの山とエルサレムとにおいて,一つのなすべき業がありました。(イザヤ 10:17,新)背教の王アハズの治世中に,ユダの地は,エルサレムを含め,異教の偶像崇拝で汚されてしまいました。しかし,その子ヒゼキヤの治世の初めに,エホバの霊がエルサレムのその新しい王を動かし,国から偽りの崇拝と無価値な神々を一掃させ,エホバの神殿の立っていたシオンの山とエルサレムに,エホバの清い崇拝を復興させました。ヒゼキヤは,「アッシリア人」がサマリアを覆す五年前に統治を開始しました。そして29年間,西暦前716年まで,義をもって支配しました。

      26 エホバは今や何をする機が熟したとお考えになりましたか。これにはどのアッシリア王が関係していましたか。

      26 ヒゼキヤ王は,父アハズ王がアッシリアと結んでいた軍事同盟を解消し,その結果,「アッシリア人」とヒゼキヤの神エホバとが対決するに至りました。エホバが,神に反抗するアッシリアの王を罰し,そうすることによって,「アッシリアの王の心のおごりの実と,その目の高ぶりのうぬぼれとに対して決済を行なう」機がちょうど熟したとお考えになったのは,そのような状況の下にあった時でした。(イザヤ 10:12,新)このこととかかわりのあった王は,サルゴン二世の子,セナケリブでした。彼の長い名前には,「シンは兄弟らを増したもう」,または「シンが(失せた)兄弟らを戻したまわんことを」という意味がありました。「シン」という語は,アッシリアの月神の名前でした。

      27 エホバは,アッシリアの内部組織に干渉することなく,なおそれをご自分の象徴的「斧」としてどのように使うことができましたか。

      27 わたしたちの時代にも,セナケリブに符合するものがあります。したがって,エホバがその現代の対型的「斧」をどのように扱って切ることを行なわれるかは,研究に価する興味深い問題です。この研究を始めるに当たって,次のことを忘れないようにしましょう。つまりエホバはアッシリア帝国にそれ自身の組織を所有させたということです。エホバは同帝国内部の諸制度には干渉されなかったのです。それでもエホバは世界強国アッシリアを,ご自分の「斧」として使うことができました。ではどのように用いられたのでしょうか。アッシリアの襲撃を方向づけることにより,その象徴的な「斧」をその攻撃すべきところに誘導することにより,それをお用いになったのです。そのようにしてエホバは,ご自分が切ろうと思うものを切り倒させたのです。b

  • 反宗教的「斧」からのきたるべき解放
    ものみの塔 1976 | 5月1日
    • 反宗教的「斧」からのきたるべき解放

      1 宗教に関するどんな事実が多くの人々に示されねばなりませんか。どのように?

      今日,多くの人々が理解しかねている一つの事柄は,唯一の真の宗教があり得,また実際にあるということです。なぜ彼らはこの事実をひどくきらうのでしょうか。なぜなら,それは他の宗教がすべて偽りであることを意味し,自分の宗教もその中に入るからです。したがって彼らはその真実を強制的に示される必要があるでしょう。これは近い将来に行なわれます。というのは,その時には,世界最大の患難の最中に,偽りの宗教がすべてぬぐい去られ,ただ一つの真の宗教だけが残るからです。真の宗教は,人類史上最大の反宗教運動から救い出されるのです。

      2 すべての宗教戦争を一掃するためにエホバは何をしなければなりませんか。

      2 聖書は全人類が崇拝すべき唯一の方としてだれを示していますか。それは,エホバという定まった名前をお持ちになる至高者なる全能の神です。(ジェームズ王欽定訳聖書の出エジプト 6:3; 詩 83:18; イザヤ 12:2; 26:4をご覧ください)生きた真の神がひとりしかおられないのと同じく,その神が聖書中に啓示しておられる正しい宗教,純粋で汚れのない宗教もただ一つしかないはずです。(ヤコブ 1:27を参照)人類は一つの純粋の宗教をもって出発しました。今や全能の神が,ご自分に対する一つの正しい崇拝形式の下に全人類を一致させ,そうすることによってすべての宗教戦争を一掃される時が来ました。―ゼパニヤ 3:8,9。エフェソス 1:9,10; 4:4-6。

      3 ヒゼキヤ王の治世中に,イスラエルとユダの両王国に危機が臨んだいきさつを述べなさい。

      3 偽りの宗教がすべて滅びることは,西暦前八世紀に予示されました。その当時は,ニネベに首都を置くアッシリア帝国が,世界強国の地位にありました。この帝国の拡大が進行していた間に,サマリアに首都を持つ十部族のイスラエル王国は滅ぼされ,エルサレムを首都とする隣国の二部族のユダ王国は猛攻撃の下に置かれました。両王国に危機が臨んだのは,西暦前745年に統治を開始した,エルサレムのヒゼキヤ王の治世中のことでした。五年後,すなわち西暦前740年,十部族のイスラエル王国はアッシリアの侵略者たちの手に落ちました。その次に,しかも直ぐに落ちるかに見えたのは,隣国のユダ王国でした。しかし八年が経過しました。ヒゼキヤは依然エルサレムの王座についたままでした。また,サルゴン二世の子セナケリブが,拡大を続けるアッシリア帝国の王となっていました。

      4 イスラエルを含む諸国家の軍事力による征服は,なぜアッシリア帝国による間接的な反宗教運動であったと言えますか。

      4 この世界征服に関係したアッシリアの歴代の王は,征服された王国や国民の神々がにせものであることを暴露しました。彼らはそれらの神々が神でないこと,実在しないものであること,「無価値な神々」であることを,被征服国と国民に示しました。(イザヤ 10:10,11。列王下 18:33-35。イザヤ 36:18-20および37:12,13)そのようにして世の諸国の神々の地位を引き下げることは,サマリアおよびサマリアがその先祖アブラハム,イサク,ヤコブの神エホバを捨ててその代わり

  • 生き方を変えさせたタイプの仕事
    ものみの塔 1976 | 5月1日
    • 生き方を変えさせたタイプの仕事

      ● インドで開かれた,「神の勝利」地域大会で話をするよう割り当てられた一人のエホバのクリスチャン証人は,話の原稿を職場の同僚にタイプしてもらうよう取りきめることができました。その同僚は原稿の資料に夢中になり,自分もその大会に出席できるかどうかを知りたいと思いました。もちろん出席することができ,実際に出席しました。最初の日に深い感銘を受けたその人は,会社に有給休暇の申請を出しました。許可が得られその人は大会のプログラム全部に出席しました。その後真剣に聖書を研究するようになり,エホバの証人の集会すべてに出席し始め,間もなく,自分の学んでいる事柄を他の人々に話すようになりました。家族は熱心なヒンズー教徒であり,家族からの反対に直面しながらも,その人はしっかり立ち,イエス・キリストの忠節な弟子になることを望んでいます。

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