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  • ニネベ ― 誇り高ぶったアッシリアの首都
    ものみの塔 1976 | 7月1日
    • は彼の所に来たが,彼に力を添えないで,かえって彼を悩ました。アハズは主の宮と王の家,およびつかさたちの家の物を取ってアッスリアの王に与えたが,それはアハズの助けにはならなかった」。(歴代下 28:20,21,口)このようにアハズは,真の救済を得るどころか,自分とその民を圧制的なアッシリアのくびきのもとに置いたにすぎません。

      聖書に基づく年代の計算によると,ニネベの『流血行為』と「淫行」は西暦前632年に終わりを告げました。その年,ニネベは,バビロン王ナボポラッサルとメディアのキャクサレスの率いる連合軍によって滅ぼされました。ニネベで発見された浮き彫りが火と煙で損なわれていることからも分かるように,征服者は同市に火を放ったに違いありません。バビロニア年代記は,ニネベに関して次のように述べています。「彼らは膨大な量の戦利品を市中および神殿から運び出し,同市を廃墟と[ならしめた]」。

      ニネベの滅びは,「神の[預言の]言葉」の正しさを強力に証明するものです。また同市の滅びは,血に染まった軍国主義や欺きを秘めた同盟関係など,神の道を無視する行為が,いつまでも功を奏するものではないことを物語っています。これは,真剣な考慮を払うに値する事柄です。わたしたちはだれも,神の否とする体制や生き方を支持したり,それらと手を結んだりして,失望を刈り取りたいとは思いません。それゆえ,神の言葉である聖書が教えている事柄をよく調べ,神の約束による王国政府に全幅の信頼を寄せるべきです。

  • 新聞記事を読んで聖書研究に関心を抱く
    ものみの塔 1976 | 7月1日
    • 新聞記事を読んで聖書研究に関心を抱く

      マラウィのエホバの証人に対する迫害の記事がカナダのガルレーク・アドバンス紙に掲載されてから間もなく,ガルレークから約56㌔離れた,スウィフトカレントに住むエホバの証人の家庭に,一人の婦人から電話がかかりました。その婦人は,マラウィでの宗教上の迫害に関する新聞記事を読んで,聖書研究を始めたいと思ったのです。その時,エホバの証人である両親が不在だったので,息子が伝言を引き受けました。追って電話をかけてみると,その婦人は,自分の親族の半分はカトリック教徒で,残りの半分はエホバの証人であり,自分はどの宗教にも属していないことを説明しました。しかし,エホバの証人の様子を見ていると,彼らが精神的な平和と満足を得ているように思え,自分もそうしたものを得たいと強く願うようになった,とのことでした。その婦人は,自分と14歳になる娘のために聖書研究を望んでいました。さらに,放課後の時間に研究を司会してもらえるなら,年下の二人の子供たちも研究に参加させたいと言うのです。その人は,自分の住んでいる町ガルレークにエホバの証人を見いだせないでいましたが,自分の町に王国会館があることを聞いてとても喜びました。

      電話を受けたエホバの証人は,それから,丁度その日の晩に集会を開くことになっているガルレーク会衆の人々に連絡をしました。集会へ行く途中,彼らは関心を持つこの婦人を訪ねました。そしてその日の晩,婦人と14歳になる娘は王国会館に来たのです。二人は,聖書研究の面でよく進歩し続けています。

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