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    ものみの塔 1968 | 11月15日
    • ほぼ確定できます。1968年10月6日でその第三番目の世界帝国倒壊後,2506年の歳月が流れたことになります。e 紀元前539年以前の他の重要な出来事の年代も今ではかなり正確に定めることができます。聖書にしるされている年代を受け入れさえすれば,それは容易なことであり,また,キリスト教国の伝統的な年代学者の陥った重大な誤りを回避できます。

      紀元前607年のエルサレム崩壊

      20 (イ)“ダリウス”という名が楔状文字の碑文に出てきますか。(ロ)しかしわたしたちは何を確信できますか。

      20 ダニエルの神エホバを信ずる人は,聖書の歴史的な正確さが,霊感を受けていない不完全かつ不十分な未発見の普通の碑文などに依存していないことを知っています。それで,これまでに発見された楔状文字による異教の碑文に“ダリウス”の名が一度も出ていないという理由だけで,聖書の記録の真実さが失われるわけではありません。霊感の下にしるされた歴史的な事実は次のとおり明確です。「カルデヤ人の王ベルシャザルはその夜のうちに殺されメデア人ダリヨスその国を獲たりこの時ダリヨスは六十二歳なりき」。(ダニエル 5:30,31)ダリウスは,クロスの総督で,彼とともにバビロンに入城し,その都f に長官をたてたグバルと同一人物だと言う学者もいます。またこの主張はかなり有力ですが,ダニエルはメディア人ダリウスのことを,再三,総督ではなく王と呼び,その称号を用いて個人的に話しかけてさえいます。―ダニエル 6:1,6-9,12-25。

      21 ダリウスの治世の元年にダニエルはどんな驚くべき発見をしましたか。

      21 ダニエルは,ダリウスの二,三か月の短い治世中,年代上の驚くべき発見をしました。「メデア人アハシュエロスの子ダリヨスがカルデヤ人の王とせられしその元年すなはちその世の元年に我ダニエル,エホバのことばの預言者エレミヤにのぞみて告たるその年の数を書によりてさとれり すなはちそのことばにエルサレムは荒て七十年を経んとあり」。(ダニエル 9:1,2)この70年の期間が満了するのはいつかという大問題がダニエルの心にかかっていたことには疑問の余地がありません。しかし幸いにも彼は日ならずしてその答えを得ました。

      22 ダリウス1世が王位にあったのは,どれほどの期間ですか。彼を継いでバビロンの王になったのは,だれですか。

      22 ダリウス1世の治世は短く,その在位の「元年」ということばは,彼が少なくとも満1年王位にあったことを示唆しています。(ダニエル 9:1; 11:1)クロスは前538年の末にはそのあとを継いで王位に就き,エホバの預言者ダニエルはその高官の地位にとどまりました。「このダニエルはダリヨスの世とペルシャ人クロスの世においてその身栄えたり」。(ダニエル 6:2,28)これら二人の王とその王朝のあいだに密接な関係のあったことは,再三見られる「メディアとペルシャ……の律法」という表現からわかります。―ダニエル 6:8,12,15。

      23 (イ)どんな重大な預言が成就を見ようとしていましたか。(ロ)ユダヤ人は何年までには故国に戻りましたか。それは,急速に展開したどんな事態のために可能になりましたか。

      23 さてエホバは2世紀前,その預言者イザヤを通してこう宣言されました。「クロスについては彼はわが牧者 すべてわが好むところを成しむる者なりといひ エルサレムについてはかさねて建てられ その宮の基すゑられんといふ」。(イザヤ 44:28)この200年前の預言はまさに成就を見ようとしていたのです。クロスは王位に就き,その治世の「元年」,少なくとも前537年の春以前に,「エホバ(は)……ペルシャ王クロスの心を感動(され)」ました。王はユダヤ人の復帰とエホバの宮の再建を許す有名な布告を出し,その写しが作成され,帝国内の四方に流布されました。こうしてユダヤ人は,故国に再び定住するのに必要な時間的余裕を得,そして「壇をその本のところに設け」,「七月の一日より」燔祭をエホバにささげることができたのです。この「七月の一日」という日付は,入手し得る最善の天文学的年表によればg 紀元前537年10月5日(ユリウス暦)あるいは9月29日(グレゴリー暦)と算定されています。―エズラ 1:1-4; 3:1-6

      24 それで70年にわたる荒廃は,いつ始まり,いつ終わりましたか。

      24 それでもう一つの里程標がこゝに明確に定められました。つまりユダの地の70年にわたる荒廃の期間は紀元前537年10月1日ごろに終了したのです。(エレミヤ 25:11,12; 29:10)今や簡単な算術で,70年にわたるその期間の始まりを定められます。70年に537年を加えれば607年となります。ゆえに,ユダの地が荒廃し,住民がことごとく連れさられたのは紀元前607年10月1日ごろでした。

      25 どんな問題に対する答えが,紀元前607年という年代に関連していますか。

      25 次の記事では,アダムが創造されたのはいつかという,興味をそそる問題を究明しますが,同時に聖書の年代表における紀元前607年という年の大切さはさらに明白になるでしょう。

  • 1975年を待ち望むのはなぜか
    ものみの塔 1968 | 11月15日
    • 1975年を待ち望むのはなぜか

      1,2 (イ)1975年に異常な関心が寄せられたのはなぜですか。どんな結果が生じていますか。(ロ)しかしどんな質問が提起されていますか。

      1975年についてこれほど話し合われているのはいったいなぜですか。最近の月々,熱心な聖書研究生のあいだでは,想像に基づくものも一部にはありますが,この問題にかんする活発な話し合いが,野火のように盛んになってきました。その関心の火は,1975年がアダムの創造以来6000年にわたる人類の歴史の終わりをしるしづける年になるとの確信から燃え上がったのです。このような重大な年代が間近に迫っていることは,確かに想像の焔を燃えたたせ,限りない論議を誘います。

      2 しかし待ってください! どんな根拠があって,アダムが約5993年前に創造されたと言えるのですか。誤ることのない歴史的な正確さゆえに絶対の信頼を置ける1冊の本,つまり霊感を受けたエホバのみことば聖書は,そのような結論を支持し,認めますか。

      3 数多くの聖書にしるされている,アダムの創造の年代は,霊感による聖書の一部ですか。また,その年代はすべて一致していますか。

      3 新教徒の用いる欽定訳聖書の欄外の引照や,カトリック・ドウエイ訳のある版の脚注には,アダムの創造の年代は紀元前4004年としるされています。しかしこの欄外の年代は,霊感を受けた聖書の本文の一部ではありません。その年代が最初に想定されたのは,聖書の最後の筆者の死後,15世紀余ののちであり,西暦1701年前の聖書にはいずれの版にも付記されていません。それは,アイルランド人の高位僧職者,英国国教会の大主教ジェームズ・アッシャー(1581-1656)の得た結論に基づいて挿入されたのです。アッシャーの年代表は,アダムの創造の年代を定めようと過去何世紀ものあいだ行なわ

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