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結婚関係に忠節であるゆえに神はあわれみを示されるものみの塔 1976 | 7月1日
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「わが所有者」と呼ぶよりもむしろ,霊的に言って,「わが夫」と呼びました。彼女はもはや,奴隷所有者のものとしてただ「所有されている」という感じを好まなくなりました。最初の女エバがその夫アダムの助け手とされたように,エホバの助け手のような気持ちになることを望みました。(創世 2:19-24)それはなんとうるわしい情景だったのでしょう!
28 昔の神のあわれみの表明のように,今日でも同じようにうるわしいのは何ですか。
28 この20世紀の現代に起きたそれと同様の出来事も,うるわしいものです。エホバのあわれみは今日でもなんとすばらしい効果を生み出しているのでしょう。エホバは,霊的結婚契約に忠節であるゆえにあわれみを示されるのです。今エホバのあわれみを経験している人々は本当に幸せです!
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ハルマゲドン前における,神のあわれみによる和解ものみの塔 1976 | 7月1日
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ハルマゲドン前における,神のあわれみによる和解
1 西暦1919年以後エホバは霊的イスラエルの残りの者と和解されましたが,その結果はどんな例えで示すことができますか。
わがままで離れて行った妻が,法律上の夫のあわれみによって再び受け入れられたなら,妻はその夫に対してどのような態度を取るべきですか。そして受け入れた後夫が妻に愛を惜しみなく表現するなら,妻は夫をどのように見,夫に対してどのような気持ちを抱くべきですか。夫が過分の親切を示してくれたのに対し,夫に非常な尊敬の念を抱くはずです。かつてないほど夫に引き付けられるのが道理です。夫をより深く尊敬し,夫との新たにされた結婚のきずなを強く,断ち切られないものにする根拠があります。妻にふさわしいそのような反応は,エホバが地上の契約の民と和解されたことから生じました。そして西暦1919年以来,和解した霊的イスラエルの残りの者にも同じ結果が生じました。
2 夫を「バアリ」と呼ばずに「イシ」と呼ぶようになったことは,妻に関して何を暗示していますか。このことは,西暦前537年後のイスラエル人の残りの者に関連してどのように事実となりましたか。
2 遠い昔の聖書時代の妻が自分の配偶者を「わが所有者」と呼ばずに「わが夫」と呼ぶには,確かに妻の側が態度を変え,感謝の念を深める必要がありました。彼女は夫をヘブライ語で「バアリ」と呼ばずに「イシ」と呼びました。(ホセア 2:18)その昔サラは族長アブラハムを『わが主』,すなわちヘブライ語でアドナイと呼んで,アブラハムに敬意を示しました。彼女はアブラハムの正妻でしたから,自分の夫としてアブラハムを尊敬しました。彼女は自分をアブラハムの奴隷,彼女の仕えめで金で買われた,そしてアブラハムの家から追い出されなければならなかったエジプト人ハガルのような奴隷であるとは考えませんでした。(創世 18:12。ペテロ第一 3:6)サラは,神を恐れた夫に献身的に協力したので,エホバはサラが90歳の時に奇跡的に独り子を授けて,彼女に報いられました。(創世 21:1-7)和解したイスラエル人の残りの者が,西暦前537年にエホバによりバビロンから解放された後エホバに対して示した敬意は,サラがアブラハムに対して示した敬意と同じでした。残りの者は再びエホバの真の妻なる組織のように感じました。エホバのあわれみに残りの者は感動し,エホバをイシ,『わが夫』と呼びました。
3,4 (イ)西暦1919年以来,霊的イスラエルの残りの者は,どんな関係に対してより深い認識を示すようになりましたか。どの契約について長い間誤解していましたか。(ロ)1934年に「ものみの塔」誌はどんな記事を掲載しましたか。
3 20世紀におけるこれと同様の出来事においては,霊的イスラエルの残りの者が,西暦1919年に大いなるバビロンから解放されました。その時まで,それらの霊的イスラエル人は,メシアであるイエスとその花嫁であるクリスチャン会衆を偏重していましたが,今や彼らはメシアの天の父エホバ神に対してもっと感謝を示すようになりました。天的夫としてのエホバ神と霊的イスラエルとの関係は,特に西暦1892年以来なおざりにされていました。エホバ神の新しい契約は誤解されていたのです。
4 「だれがエホバを敬うか」。これは,「ものみの塔」誌の1926年1月1日号に掲載された主要記事の主題でした。その時以後,神に対する霊的イスラエルの関心は高まりました。そして1934年となり,「彼の契約」という題の連続記事が「ものみの塔」誌に掲載されました。この記事は八部から成り,1934年4月1日号から7月15日号まで掲載され,「ものみの塔」誌の読者に供給されました。この連続記事は,メシアなるイエスの仲介によるエホバの新しい契約が霊的イスラエルの残りの者に適用されることを,彼らにはっきり思い起こさせました。
5 (イ)1934年の終わりに,「彼の契約」と題する記事をそのまま載せたどんな本が発行されましたか。(ロ)エホバのあわれみを受けた者はそのあわれみに感動し,エホバをその組織と関連させて何と呼びましたか。
5 その後まもなく,すなわち1934年11月15日に,「エホバ」という題の本が,ニューヨーク市ブルックリンにあるものみの塔聖書冊子協会の印刷機で印刷されました。その本の4章から11章には,その年の初めに「ものみの塔」誌に掲載された「彼の契約」という記事がそのまま載せられていました。そうです,霊的イスラエルの残りの者は,エホバと新しい契約を結んでいたのです。それ以後,エホバの霊的イスラエルに対する夫のような関係に,徐々に注意が払われてきました。解放され,和解した霊的イスラエルの残りの者に対するエホバのあらゆるあわれみ深い扱いにこたえ,妻のような組織は感動してエホバをイシ,『わが夫』と呼びました。自分が属すべき唯一の正当な組織は,サタンの組織ではなくてエホバの組織でした。専心の献身は,宇宙の主権者としてのエホバのものでした。このことを残りの者は認めました。
霊的繁栄と安全
6 ホセア 2章17節から20節に詳述されている通り,残りの者は天的夫であるエホバに献身的な愛を示し,その結果どんな祝福を得ましたか。
6 和解した残りの者が天的夫エホバに示した献身的な愛は,すばらしい祝福につながりました。預言者ホセアを通してさらに語られたエホバの言葉は,そのことを予告していました。『我もろもろのバアルの名をかれ[回復したイスラエル人]が口よりとりのぞき重ねてその名を世に記憶せらるることなからしめん その日には我かれら(我が民)のために野の獣そらの鳥および地の昆虫と誓約をむすび また〔弓と剣と戦争とを地〕よりのぞき彼らをして安らかにおらしむべし われ汝をめとりて永遠にいたらん〔義と公正と愛のこもった親切〕とあわれみとをもてなんじを娶り かわることなき真実をもて汝をめとるべし 汝エホバをしらん』― ホセア 2:17-20,〔新〕。
7 復帰した残りの者はなぜイスラエルの天的夫をもはや「バアリ」と呼ぼうとしませんでしたか。またどんな崇拝に再び戻ることはありませんでしたか。
7 復帰した残りの者が,バビロン捕囚から帰還した後も,エホバを引き続きバアリ,「わが所有者」と呼ぶとすれば,それによって彼らは,バアルの像を崇拝した先祖たちの罪と自分たちの罪を思い出すでしょう。悔い改めた残りの者に対するエホバの態度は,彼らのうちにバアルへの嫌悪感を生み出させました。そのようにしてエホバは彼らの口からバアル像の名前を除かれました。彼らはもはやそのいやな名前によってそれらを思い出そうとはしませんでした。当然のこと彼らはイスラエル国民の天的夫を,「わがバアル」,すなわちバアリという名称で呼ぼうとはしませんでした。(ホセア 2:16,新英語聖書; エルサレム聖書; リーサー訳)バアルに対するその嫌悪感にふさわしく,彼らは,人間の作った物質の像の崇拝に二度と戻りませんでした。
8 メシアを受け入れたユダヤ人の残りの者は,バアル崇拝に対してどのように反対を示しましたか。また霊的イスラエルの残りの者は今日どのようにして,キリスト教世界に加えられる神の罰にあずからないようにしていますか。
8 イエスをメシアとして受け入れたユダヤ人の残りの者も,あらゆる種類の偶像崇拝に対して同じように反対の態度を示しました。その残りの者はイエス・キリストを仲介者とする新しい契約
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