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    今ある命がすべてですか
    • されましたが,これら二人の男の子について神がその誕生以前に示した事柄の正しさを確認するものとなりました。

      イエスの弟子たちが提出した問いも,再生の裏付けとしてときに持ち出されます。ある生まれつきの盲人について,弟子たちはこう尋ねました。「この人がめくらに生まれついたのは,だれが罪をおかしたためですか。当人ですか,それともその親たちですか」。(ヨハネ 9:2)この問いの言葉は,この人に以前の存在があったことを示しているのではありませんか。

      そうではありません。イエス・キリストは,母親の胎内で成長していた時のその子供が誕生以前に自ら罪をおかしていた,というようなことは示していません。イエスはこう語りました。「この人が罪をおかしたのでも,その親たちでもなく,神のみ業がこの人の場合に明らかに示されるためだったのです」。(ヨハネ 9:3)つまり,この人の盲目など,人間の不完全さと欠陥は,奇跡的ないやしという形で神のみ業が表明される機会になった,という意味でした。生まれつき盲目の人がいなかったとすれば,人は,そうした人に視力を得させる神の力を知るようにはならなかったでしょう。エホバ神は罪ある人類の存在を許されましたが,ご自身が人間のために何を行ないうるかを示すために,人の不完全さや欠陥を用いることもされました。

      こうして,ある人にとって生まれ変わりの概念を裏付けるように思える聖書の章句があるかもしれませんが,詳しく調べてみると,そうではないことが判明します。事実,聖書のどこにも,体が死んだ後になお残る魂,霊,その他の生まれ変わりや再生について述べているところはありません。ただ,生まれ変わりや再生の教えを聖書の中に『読み込もう』とした人たちがいるのです。それは聖書の教理ではありません。

      死のさいに体を離れる魂や霊の形で意識ある存在が継続することはありません。聖書はその点を明瞭に示しています。最初の人間に対し,その不従順のゆえに死の宣告をした時,神はその前に生まれ変わりや再生の見込みは置きませんでした。アダムはこう告げられたのです。「あなたは顔に汗してパンを食べ,ついに土に帰る。あなたはそれから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る」。(創世 3:19)そうです,人間は生命のない土の塵に戻るように定められたのです。

      では,わたしたちは,今ある命がすべてであると理解すべきなのですか。それとも,何かほかの方法で備えられる将来の命があるのでしょうか。そうした備えのために,生きている人々が死んだ人たちを助けることが必要ですか。あるいは,生きている人々は死んだ人をもはや全く助けられないでしょうか。

  • 死者はあなたの助けを必要としていますか
    今ある命がすべてですか
    • 第7章

      死者はあなたの助けを必要としていますか

      「生けるごとくに死者に仕うるは真の孝心の実践なり」。これは中国の古い格言です。死者がどこか別の世界に本当に存在し,地上に残っている人々の奉仕から益を受けることができるのであれば,そうした死者に関心を払うのは愛のあることと言えるでしょう。

      言うまでもなく,多くの人は昔からのしきたりにただ従っているのであり,死後の存在に対する確たる信念を抱いているのではありません。しかし,死者には助けが必要である,ということを確信している人たちもいます。

      アジアの大部分およびアフリカの多くの土地の幾百幾千万の人々は,死んだ先祖に終生忠順を尽くしてゆかねばならない,と信じています。そうした人々は,故人となった親族の名を記した板の前で香をたき,祈りをし,花を飾り,食べ物を供えたり

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