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  • 死の状態から戻ってきた人々?
    目ざめよ! 1979 | 10月22日
    • 示すとおり,難しい問題を提起する場合があります。

      「テキサスでの事件 “死”に関する問題を提起」

      同紙はこう説明しています。

      「ロジャー・ラグランドが臨床的に死んだとされてから12時間後に驚くべき蘇生を遂げた結果,死の判定基準を何に置くかに関する論争がテキサスで再燃した。……

      「ブレイケンリッジ病院の救急室でこの若者を診察したジェームズ・リンドレー博士は,『あの少年には脳死と判断する神経学上の徴候すべてがそろっていた」と語っている。

      「医師たちは,その十代の若者の腎臓を移植のために用いる許可を家族から得て,体内の組織に血液と空気を循環させておくために若者を人工呼吸装置にかけた。家族は葬儀場と連絡を取った。

      「ところが,事故の翌日,神経外科医のブライオン・ニーリィはラグランドの足が動いたのに気付き,脳の活動を認めた。……

      「テキサスには現在のところ,法律的には死の定義は存在しない。一月に州議会が開かれれば,そのような法案が議会に上程されるであろう」。

      このような人々は実際に死の世界から戻ってきたのでしょうか。そうした人々は生きている人々に,死んだ人々の状態について幾らかでも光を投げかけることができますか。一体,死とは何でしょうか。

  • 死とは何かを明らかにする
    目ざめよ! 1979 | 10月22日
    • 死とは何かを明らかにする

      死とは一つの形態の命から,別の形態の命への移行にすぎない,と多くの人は長い間考えてきました。そのような見方によれば,死に際して魂は肉体から解き放され,どこか別の世界で生き続けます。しかし,そうしたことが実際に起きるのでしょうか。

      その点は追って明らかにされますが,その前にまず,死に関してこれまでに分かった事柄を幾つか調べてみることにしましょう。死はいちどきに起きるのではありません。それは二つの段階に分けられる一つの過程なのです。

      臨床的な死

      ワールドブック百科辞典は,「心臓と肺の働きが停止した人は臨床的に死んだとみなされる」と説明しています。ところが今日,臨床上一時は死んだとみなされた幾千人もの人々が,いまでも元気に生きているのです。心臓発作を起こしたり,おぼれたり,感電したりして,そうした人々の心臓や肺は機能を果たさなくなりました。しかし,その場に居合わせた人が死の過程を逆転させる方法をわきまえていたのです。それはどんな方法ですか。

      その人はCPR,すなわち心肺蘇生術を施して,首尾よく被害者に息を吹き返させたのです。a 人の心拍と呼吸が四ないし六分以上停止した場合,一般にはもはや手遅れで,その人を生き返らせて有意義な生活を送らせることはできません。その時には,酸素の供給が余りにも長い間途絶えたために,大抵の場合に脳が損なわれてしまっています。では,臨床的には死んで幾時間もたった人が,健康を取り戻すことがあるのはどうしてか,とお尋ねになるかもしれません。

      その原因は,“死”の時点での体温の急激な低下にあります。(冒頭の記事に登場した)ジーン・ジャウボーンを生き返らせたブライアン・ピカリング博士はこう説明します。「あの人は大変幸運な女性だ。厳しい冷気で脳が凍りつき,脳は少しも損なわれずにすんだ」。非常に冷たい水の中でおぼれた人々も,やはりかなり長時間“死んでいた”後に,首尾よく生き返らされました。

      死の状態に対する見識?

      今日,健康に生活している人々の中には,臨床的に一度死んだことのある人が文字通り幾千人もいます。そうした体験を通して,その人は死の状態に対する見識を得ましたか。死の状態についてそれらの人々は何か覚えているでしょうか。

      覚えていると言う人は少なくありません。医師たちはそのうちのかなりの数の人々をインタビューしましたが,最近出版された何冊かの本はそれらの人々の話に基づいたものです。各新聞は,人の目を引く見出しを掲げて,その発見を報道しました。例えば,1979年1月6日付のトロント・スター紙上の一つの見出しは次のようなものでした。

      「死後の命はある それは地獄かもしれない,医師の話

      “死んだ”ことのある人々の経験を伝える本」

      ナショナル・オブザーバー紙には次のような見出しが載りました。

      「死の世界から戻る?

      そこへ行ったことのある少数の人々は来世のしるしを見いだしたと言う」

      同様に,アトランタ・コンスティテューション紙はこう述べています。

      「死後の命

      “臨床的”には死んだ人々 魂が肉体を離れる時の気分を語る」

      語られた話の多くは,人を引き付け,驚かせるものです。米国テネシー州チャタヌーガの診察病院の心臓専門医,モーリス・ローリングス博士は,幾百人もの患者の息を吹き返させました。同博士の話では,患者は息を吹き返すと,大抵,生々しい体験を語ります。その大半は,非常に気持ちの良い,幸福に満ちた状態だったと語ります。しかし,全部が全部そうだというわけではありません。一例として,48歳の郵便配達夫は,郵便局で踏み車の上を走っていて“倒れて死”にました。幾度もこの人を生き返らせたローリングズは,次のように説明しています。

      「心拍と呼吸が戻るたびに,この患者は,『地獄に落とされた!』と大声で叫んだ。そして,恐れおののいて,私に助けを求めた……

      「この患者の顔は恐れそのものでゆがんでいた。その瞳孔は開き,汗びっしょりで,震えていた。その髪は逆立っているようだった。

      「そしてこう言った。『わからないのか。おれは地獄にいるんだ。お前がおれの胸のマッサージをやめるたびに,地獄へ逆戻りだ。お願いだから,地獄へ戻らせないでくれ』」。

      このような経験を通して,ローリングズ博士は死後の命があるに違いないと確信するようになりました。また,他の医学者や研究者の中にも,“死んだ”ことのある人の語った話を聞いて,同じ結論に達した人がいます。それで,ニューヨーク・ポスト紙は次のような見出しを掲げました。

      「科学も死後の命の存在を信じるようになる」

      それらの話が信じられている理由

      実のところ,生き返った人々の話が確かに注目に値する,驚くべきものであることもあります。いわゆる死後体験の主要な研究者の一人,エリザベス・クブラー-ロス博士は,『来世の入口を通り過ぎ』,自分の兄に迎えられた12歳の少女について話しています。この少女は兄の様子を詳しく説明しました。ところが,同博士の説明によると,その兄という人は少女が生まれる三か月前に死亡しており,両親は少女にこの兄のことを一度も話したことはありませんでした。

      レイモンド・ムーディ博士もやはりそのような患者を大勢インタビューしてきましたが,一人の少女は“死んでいる”間に自分の体を抜け出して,病院内の別の部屋へ入って行った,と述べています。その部屋で少女は,姉が「キャシーちゃん,お願いだから死なないで」と言って泣いているところを目にしています。後刻,キャシーが姉の言った事とその時に姉のいた場所を正確に話したところ,その姉は驚いて目を見張りました。

      『このような経験は,死に際して何かが体を離れ,どこかほかのところで生き続ける証拠ではないか』と尋ねる人もいるでしょう。ムーディ博士はこう語っています。「“死んでいる”間に,その部屋で何が起きているかを,その人たちは知るよしもなかった。もしジョーンズ氏が自分の霊魂が天井のあたりをさまよっていたと言い,いつ,だれがその部屋に居て,何がそこで起きたかを説明したとすれば,当人の言う事を信じるほかはないように思う」。

      しかし,本当にほかに説明のしようがないのでしょうか。こうして生き返った人々が,本当に死んでいたと言うのは当を得たことですか。呼吸と心拍が止まったということは,その直後に実際の死が訪れるという意味ですか。

      生物学上の死

      いいえ,そうではありません。前にも述べたとおり,死はいちどきに起きるわけではありません。ワールドブック百科事典はこう説明しています。「体の各細胞は,[臨床的な死の後も]数分間生き続ける。心臓と肺が再び活動を開始し,細胞に必要とされる酸素が供給されれば,その人は生き返ることがある」。しかし,命に不可欠な酸素の供給が遅れた場合にはどうなりますか。

      この百科事典は続けてこう述べています。「酸素の欠乏に対して最も敏感な脳細胞は死んでゆく。間もなく,その人は完全に死に,生き返る見込みは全くなくなる。体の,ほかの細胞も徐々に死んでゆく。最後に死に絶えるのは,骨,頭髪,そして皮膚の細胞で,それらの細胞は数時間成長し続けることもある」。

      ですから,生き返ったと伝えられるこれらの人たちは,実際には死んでいなかったのです。そうした人々は,完全な,つまり生物学上の死を味わってはいませんでした。その心拍と呼吸は一時的に停止したにすぎません。

      では,息を吹き返した人々で,非常に注目すべき経験を語る人々がきわめて多いのはなぜでしょうか。臨床的な死という状態にあって,来世で自分を待ち受けている事柄の予告を受けるということがあり得るのでしょうか。死は来世への戸口を開くものとなりますか。

      [脚注]

      a “心肺蘇生術”については,1979年5月8日号の「目ざめよ!」誌,8-10ページをご覧ください。

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