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医師ルカは最良の業を行なうものみの塔 1982 | 5月15日
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すべての民のための「良いたより」
マタイはその福音書を特にユダヤ人のために,マルコはその福音書をローマ人のために書いたと思われますが,ルカはすべての民のための「良いたより」を書き記しました。これを示す一つのしるしは,ルカがイエスの系図を全人類の先祖であるアダムにまでさかのぼっていることです。(ルカ 3:23,38。マタイ 1:1,16と比較してください。)全人類に訴えるものを持つその福音書の中で,ルカはキリストの音信と業が人の過去の経歴とは無関係に益をもたらし得ることをわたしたちが悟れるよう助けています。サマリア人のらい病人であれ,富んだ収税人であれ,さらには有罪宣告を受けて杭の上で死のうとしている盗人であれ,それから益を得られるのです。(ルカ 17:11-19; 19:2-10; 23:39-43)またルカが,失われた羊,失われた硬貨,放とう息子,およびパリサイ人と収税人などに関するイエスのたとえ話を記録している事実のうちに,『失われた』人々すべてにルカの記述が訴えるものであることを感じ取れるでしょう。(ルカ 15:4-32; 18:9-14)ルカの福音書を読むに当たって注意深くあり,ルカがすべての人に希望を差し伸べている他の例にも目を留めるようにしましょう。
言うまでもなく,ルカによる福音書の中にはほかの書には見られない事柄がまだまだあることに気付かれるでしょう。しかしこの福音書全体から受ける印象は,教育のある注意深い筆者によって書かれたにもかかわらず,イエスの生涯に関する温か味のある,心を動かす記述を収めた本であるというものであるはずです。この福音書の記述は,「良いたより」が今やすべての民に差し伸べられるようになったという点を前面に出しています。
特にわたしたちの時代にはそのような「良いたより」は高く評価されます。医師ルカは,事物の体制の終結の期間に地上に起きる苦悩のゆえに『人びとが恐れと予想から気を失う』時が来るであろうというイエスの預言を記録した唯一の福音書記述者です。ルカ 21章25-28節にある励みになるイエスの言葉を記録して,ルカは大いにうれしく思ったに違いありません。
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『非常に献身的な人』ものみの塔 1982 | 5月15日
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『非常に献身的な人』
ウィリアム・カーク・ジャクソンは1901年9月16日に米国テキサス州ガルベストン市で生まれました。ジャクソン兄弟はエホバ神への献身的な奉仕の生涯を送った後,1981年12月13日に地上での歩みを終えました。
ウィリアムはごく幼いころから聖書の真理に対して深い関心を示しました。そして1915年に,14歳でキリスト・イエスを通しエホバに自らをささげました。ウィリアムはキリストと結ばれた,主の油そそがれた者の一人としての召しをいつも大切にしていました。1933年6月1日に開拓者としてエホバへの全時間奉仕に入り,ワシントン特別区およびイリノイ州シカゴ市での特別な割当てを果たした後,1937年11月13日にブルックリン・ベテル家族の成員になりました。1941年以降,顧問弁護士のハイドン・C・カビントンと共に奉仕し,米国最高裁判所においてエホバの証人の側に数多くの著しい勝利をもたらした闘いの第一線に立ちました。1971年10月15日にエホバの証人の統治体の成員になるよう任命され,やがて奉仕および出版委員会で働くように割り当てられました。
ジャクソン兄弟は謙遜で,非常に控え目な人で,決して自分が重要人物であるような態度を取りませんでした。世界各地の幾千もの人々に“ビル”という愛称で知られていたジャクソン兄弟は,柔和で,どんな時でも近付きやすく,一緒にいて非常に気持ちがよく,楽しい人でした。どんな時にも人々をくつろがせました。ブルックリン・ベテルで行なわれた追悼の話の中で,F・W・フランズはこう語りました。『このような優れた証人を起こしてくださったことを私たちはエホバに感謝します。兄弟は忠実にその歩みを終え,必ずやその報いを受けるでしょう。ビル・ジャクソンは非常に献身的な人でした』。
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