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その4 攻勢に出るものみの塔 1955 | 8月15日
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者たちは新しい冊子『聖書対進化論』を大量に配布しました。それらは無料で30万冊も配布されました。
『運営して行くに良い方法とは,各都市に又は村に奉仕者が働いて,一つの会衆も洩れることなく,又一つの会衆も重複されることのないようにすることである。人々が出てくるときに,大きな会衆のところで,適切に早く配布するには,少くとも二,三人の人々が必要であろう。また一般に云つて,教会の建物から両方に半町程離れたところに位置し,人々に手渡すならば効果は多い。』― 93,94頁。
アメリカ合衆国,カナダ,欧洲では,幾千という自発奉仕者が熱心にこの業に従事しました。最初の年に94万8459の冊子がこのように配布されたのです。それから幾年ものあいだ,このような組織された冊子配布又は自発奉仕の業は特に日曜日に継続され,やがては家から家の配布へと拡大され,日曜日の朝には家の戸口で冊子が配られました。毎年2回又はそれ以上も新らしい冊子が公やけにされ,その幾百万冊は教会の出席者の手へと渡つて行きました。今やその洪水は教会の戸口にまで押し寄せ,宗教の牧師たちをおびやかしたのです。敵意を招いた牧師たちの反撃は激化してきました。彼らたちは冊子を無料で街頭配布するために立つているという理由で伝道者たちを何回も逮捕しようとしました。実に牧師たちは,教会へ通ずる歩道が「聖別された」土地のように振舞つたのです。法律の力を笠にきた注意が時々与えられました。それは牧師たちが公共の役人たちをそそのかして為されたので,このような冊子の街頭配布を全く抹消し,又は邪魔し,又は挫折させようと,法律を悪用したものでした。
1903年,3月10日に,ピッツスバーグの宗教連盟の代弁者であり,また北大通りメソヂスト監督教会の牧師,イー・エル・イートンはシー・チー・ラッセルに討論を正式に申込みました。その討論会は6日に亘り行われ,相互で決めた聖書課題について為されるものです。(この計画は,牧師たちが合同して,ラッセルの権威と教えをけがそうとの巧妙な試みの表れということが,後日に判明しました)強い信仰を持つていたラッセルは2日のうちにこの申込を承認し,この討論会は遂にピッツスバーグのカーネギーホールに於いて満堂一パイに埋められた聴衆の前で開催されました。
(1)10月18日,日曜日の午後,イートンは聖書が次の説を教えていると主張した。即ち,最初の人間が罪を犯してからすぐ救いの恵みが与えられて居り,死後には何らの試練もないと。ラッセルは聖書からこれを否定。(2)10月24日,火曜日の夕,死者の魂はたとえその体が墓にあろうとも無意識であると聖書は明瞭に教えていることをラッセルは肯定す。イートンはこれを否定す。(3)10月22日,木曜日の夕,救われたものの全部は霊者となつて,一般の審判後に,昇天すると聖書は教えているとイートンは肯定す。ラッセルはこれを否定す。(4)10月27日火曜日の夕,福音時代の『聖徒』たちだけが『最初の甦り』に与かり,多大な群衆も続いて行われる甦りによつて救われると聖書は教えていることをラッセルは肯定す。イートンはこれを否定。(5)10月29日,木曜日,キリストの再臨と千年統治の両方の目的は地上の全家族を祝福するためと聖書は教えていることをラッセルは肯定す。イートンは否定。(6)最後の11月1日,日曜日,どうしても矯正しなかつた罪人の上に課せられる神からの罰は,永遠につづく想像も及ばぬ苦悩であるとイートンは主張。ラッセルはこの地獄の火の教義を熱弁を以つて否定す。
興味ある挿話は討論会の開かれていたとき,地方の牧師の五,六人はイートンと共に壇に居つて,聖句上の又は精神上の支持を与えましたが,一方ラッセルは単身でその場に立ち,それはライオンの穴でのダニエルを思わせるものがありました。6つの討論を通じて,ラッセルに勝利の色が強く特に最後の『地獄』の討論のときにそうでした。その場に出席していた牧師の一人は勝利を認めて,最後の討論の後にラッセルの許に来て,『あなたがホースを地獄に向けて,火を消してくれたのは痛快ですね』と云いました。その『バビロン』の教会制度の誤つた教義を曝露した直後に,イートンのメソヂスト会衆の数多くのものは聖書研究者となりました。もう一つの討論の挑戦が受け入れられましたが,相手は最後の瞬間に恐れを抱き出して,約束を取消しました。然しながら1903年のイートン対ラッセルの討論以後の12年間に,ものみの塔協会の代表者と有名な宗教界の群との間に二つの主要な討論会が行われました。キリストの弟子教会のエル・エス・ホワイトはラッセルと6日間に亘つての討論を行いました。それは1908年の2月23日から28日までオハヨー州のシンシナチ市で行われ,ここに出席した数千の聴衆は又もラッセルの大勝利を見たのでした。カリフォルニヤ州ロスアンゼルス市に於いて,バプテスト派からの挑戦による討論会が行われましたが,ものみの塔協会からはヂェー・エフ・ルサフォードが代表し,ジェー・エッチ・トロイ師と討論しました。これは1915年4月の4晩に亘つて全聴衆1万2000名の前で(その外に約1万名が入れませんでしたが)講堂に於いて為されました。この討論会でも,真理の擁護に立つたものみの塔の代表者の上に輝しい勝利が与えられました。
1905年,1906年,1907年中に,ラッセルはアメリカ合衆国全部とカナダをくまなく旅行して,1日間大会を連続して開催しました。彼の公開講演会は有名な『地獄旅行』という題で,この講演のときはアメリカでもカナダでも大きな都市でのその講演会場はいつも人々で一パイに埋まつていました。この特別の講演では,聴衆に面白い,機智に富んだ地獄旅行をしたような想像をさせました。この講演は地獄の火という偽りの教義を完膚なきまでに曝露し去りました。イートン対ラッセルの討論の前に,ラッセルとその一行は1903年に欧州への2度目の旅行をし,協会の支部をドイツのバァーメン・エルバァーフェルトの土地に設立しました。次に1904年にオーストラリヤにも支部が開かれたのです。この頃までに,南アフリカ,日本,英領西インドの良い土地に真理の種子は播かれて居りました。ジャマイカのキングストンの地では大会が開かれ,それに400名が出席し,日曜日の公開集会には600名が出席しました。
アメリカの方面では当時まででの最大の大会がオハヨー州プット・イン・ベイで行われ,日時は1908年の8月29日から9月7日までのあいだでした。そのときの出席数は約4800名という最高数でした。1890年から1908年までのこの期間中,文書は幾百万も配布されつづけ,『ものみの塔』の予約者は3万名を超え,そのうちの幾千人もの人々は聖書真理を他の熱心なクリスチャンに伝えるという,この組織された伝道にたゆまず加わつたのです。このようにして,善意の人々がバビロンから脱出して,全能の神とキリストの献身した僕となるため,彼らに援助の手がさし伸べられました。新教派は『獅子』のような怒りを以つて,サムソンのような協会を滅ぼそうとしましたが,協会の成員たちは,ヱホバの聖霊から力を得ていましたから,却つて,ますます強固に活動して行きました。(つづく)
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読者よりの質問ものみの塔 1955 | 8月15日
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読者よりの質問
☆ 出エジプト記 6章3節で神がモーセに語られるのにアブラハムはヱホバという名では神を知らなかつたと書かれていますが,創世記 15章7,8節では,神はヱホバであるとアブラハムに示され,またアブラハムはヱホバという名前で神を呼んでいます。このことはどのように説明されますか? ―英国の一読者より
質問されている出エジプト記 6章3節は二つの方法で翻訳されるでしよう。つまり,事実を話す方法であるか,または質問の方法です。普通の方法は,事実を話す方法であつて,欽定訳のように『我が名のヱホバのことは,彼ら知らざりき』と翻訳します。ベリーの行間註釈の翻訳は,質問の形式にして次のように翻訳しています。『我が名のヱホバのことを彼らは知らなかつたか?』 新世訳の欄外の翻訳も,そのような翻訳の仕方があり得るということを認めて,こう翻訳しています『私の名であるヱホバに関しては,彼らに知らせなかつたか?』 質問の形式で翻訳するならば,もちろん問題はすぐなくなります。しかしそのような翻訳は普通の仕方ではなく,例外であるので,新世訳の主文では従来の形式に従つています。出エジプト記 6章1-8節(新世)を読むことは有益です。
『ヱホバはモーセに言われた。「王<パロ>に私がなにをするのかあなたは見るであろう。強い手の故に,彼は彼らを去らしめ,強い手の故に国より彼らを追い出すであろう。」そして神はモーセに語り,こう言われた「私はヱホバである。全能の神として,私はアブラハム,イサクそしてヤコブに表われたが,しかし私の名であるヱホバに関しては,彼らに知らせなかつた。また,彼らと契約を立てて,彼らが一時のあいだ住んだ暫時の地であるカナンの地をあたえることにした。私は,エジプト人たちが奴隷にしているイスラエルの子たちの苦しむ声を聞き,私の契約を憶いだしている。それであるから,イスラエルの子たちに言いなさい『私はヱホバであり,エジプト人の重荷からあなた方を導きだし,奴隷の状態から救い出すであろう。そして腕を伸ばし,大いなる裁きをもつてあなた方を回復するであろう。あなた方をたしかに私の民とし,私はあなた方の神となり,エジプトの重荷よりあなた方を導き出す私が,あなた方の神ヱホバであるということをあなた方はたしかに知るであろう。私はアブラハム,イサクそしてヤコブにあたえると手をあげて誓つた地にあなた方をたしかに導くであろう。その地をあなた方にあたえて持ちものとさせよう。私はヱホバである。』」』
ヱホバという名は,動詞『ある』の3人称単数の使役形で,その文字通りの意味は『彼は生ぜあらしむ』ということです。彼は,彼の目的に従つて『生ぜあらしめ』ます。この時にあたつて,モーセにむかい名前が強調されましたが,それはまつたく適当なことでした。ヱホバは,エジプトにいた御自身の民についての目的を成就し始められたからでした。このことより430年前に,アブラハムから多くの国民をつくると神は約束されていました。(創世 12:2)しかし,アブラハムの裔は外国で奴隷となり,圧迫をうけるが,救い出され約束のカナンの地に定住するであろうと,神は言われました。(創世 15:7,13-16)イサクやヤコブにこれらの約束はつたえられましたが,しかし彼らの時に,ヱホバは約束を実現させられませんでした。彼らはヱホバという文字上の名前は知つており,その名前を使いました。でもヱホバはこれらの約束を成就せられる方であるとは知らずまた経験しませんでした。
さてモーセの時になつて,イスラエルはエジプトでくるしんでいました。それでくるしみのあまり,ヘブル人はこんな風に呼び叫んだかも知れません『私たちの祖先アブラハム,イサクそしてヤコブの神であるヱホバは何処にいるのか?
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